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第一部
34.あなたと共に歩む旅
しおりを挟む「本気でヴェルナを番になさるおつもりですか?」
目の前の男――ジアノは低い声でそう言った。眼光の鋭さに加えて、声まで威圧感を感じる。初めてこの男を見た時は、にこやかで物腰柔らかな印象を受けたのに、今では全くの真逆だ。
ミュトラがαであろうが王族であろうが、全く関係ないと言いたげのその態度。普通の王族ならここで反感を抱くのかもしれないが、ミュトラにとっては彼の姿勢は眩しく見えた。
ヴェルナが気高くあれるのは、きっとこのジアノという男にも起因するのだろう。
力を持った者に媚びず、一座の人間を守ろうとする。
こんな男が長であるから、この一座に属するΩたちは、自信と気品に満ち溢れ、いろんな場所に呼ばれるのだろう。
威圧されているというのに、己の頭の中は冷静で、むしろこの状況を喜ばしく思っているところが、我ながら図太いなと思う。しかし、生半可な覚悟でここに来たわけではない。
数日前に、父にも同じことを言われた。
本当にヴェルナと共に行くのか、と。
ミュトラを心配しているようでもあったし、ヴェルナを慮っているようにも感じたその言葉を、ミュトラは強く肯定した。
彼しかいないのです。世界中の何処を探しても、きっと彼以上に共に生きていきたいと思う人間は居ない。彼がいれば自分の世界は回る。
そう言ったら、父は少し顔を曇らせて言った。
運命の番が目の前に現れたらどうするのか、と。運命の番を棒に振ってでもヴェルナと共にある覚悟はあるのか、と。
勿論だ、とミュトラは答えた。
ヴェルナが私を運命に選んでくれた。私もヴェルナを運命だと決めた。だからこの先何があろうとも、ヴェルナ以外と添い遂げるつもりはありません。
その言葉を聞いて、父はホッとしたような少し寂しそうな顔をしたあと、ヴェルナと共に生きていくことを許してくれたのだ。
これだけ啖呵を切ってきたのだから、ここで怯むミュトラではない。小さく笑って、ジアノの前で跪く。彼の表情は見えなかったが、息を呑んだ音は耳に届いた。
「この先、ヴェルナ以外と添い遂げるつもりはありません。ヴェルナだけが私の凝り固まった思考と心を和らげてくれた。私にはヴェルナしかいない。ヴェルナがΩであるから伴侶にしたいのではなく、私が彼と共にいたいから、伴侶や番と言う楔が欲しいのです」
実際、ヴェルナがΩであったのは幸運だったと思う。
彼がΩでなければ、王宮で出会うこともなかった。ラナキアでは後宮があるため、いつもα以外で構成された芸の一団を呼ぶ。もしαが構成された一団の芸を見るのだとしたら、外に出向く以外に方法はない。ヴェルナがαであったなら、出会う事すら出来なかっただろう。
その上、番という鎖で縛る事も出来る。無論、合意の上で以外するつもりはない。だが、番という強固な関係は、お互いをお互いで縛ることと同義だ。αであるミュトラは番の解消が出来るが、一度その関係を結んだら最後、ミュトラは生涯ヴェルナの手を放すつもりはない。
その手を使っても、ヴェルナというミュトラの心を掴んで離さない人と、共に生きたい。己の心を震わせた、唯一無二の彼と共に生きていきたい。
何とも自分勝手だと、自分でも思う。ヴェルナに言ったら、呆れられてしまうかもしれない。それでもいい。それでも、彼と共にいたいから。
「なればこそ、ヴェルナと番になることを、貴方たちと共に行くことを、座長の貴方にお許しいただきたい」
深く頭を垂れる。
しばらくの沈黙のあと、はあああ、と大きな息を吐く音が聞こえる。ゆっくりと顔を上げた先。片手で頭を支えながら、それでも口元には笑みを浮かべたジアノがいた。
「貴方が少しでも権力を振りかざしてこようものなら、問答無用で追い出したのですが。まさかそうくるとは」
ジアノの声色は、呆れているようでもあったし、少し嬉しそうにも聞こえた。頭から手を離したかと思えば、ジアノはミュトラの前に跪いて、深く拝礼をした。
「王子の想い、しかと受け取りました。これで貴方様を止めようなど、無粋な真似はいたしません。ヴェルナ様を、どうかどうか、よろしくお願いいたします」
「恩に着る」
頭を下げたミュトラに、ですが、と鋭い声が刺さる。
「万が一にでも今のお言葉を覆し、ヴェルナ様を不幸にしたその時は、私を始めとする多くの者を敵に回すとお心得ください。私が持ち得る全てを使い、王子を地獄に叩き落とします」
それは、本当にそうするのだろう、と思わせる凄味があった。だからミュトラも茶化すことなどせずに、深く頷いて、心得た、と返事をした。するとジアノは先ほどまでの険をすべて霧散させて、嬉しそうに顔を綻ばせたのだった。
ふわふわと頭を撫でられる感覚に、瞼をゆっくりと持ち上げる。陽の光を反射する見慣れない黄土色の天井。そこでやっと、自分の記憶を夢で再現していたのだ、と気付いた。
まだ頭を撫でられる感覚は続いている。そちらに視線を向ければ、甘く緩んだ紫翡翠の瞳と目が合った。目が合うとより一層緩んだ瞳。そっと温もりが離れたと思ったら、つん、と頬を突かれた。
「やっと起きたかよ、お寝坊さん」
ヴェルナ、と名前を呼べば、うん、と柔らかな返事がある。視線でヴェルナを撫でるように見る。いつもヴェルナの首元を覆っている首輪はない。項に手を伸ばす。ヴェルナが気付いたように笑って、こちらに見せつけるように晒された項。
真白な肌に深く刻み込まれた歯形が一つ。
嗚呼、と思う。そうだ俺はヴェルナとやっと番になったのだった。
認識した途端に胸に熱いモノがじんわりと広がって、全身が痺れるような感覚に陥る。伸ばした手で項に触れれば、ふふ、と笑った声が聞こえた。
「そんなに確かめなくても、消えたりしねーよ」
「うん、知っている」
「そう? じゃあなんで、……どうした?」
こちらを見たヴェルナが目を見開く。言葉を止めたのを不思議に思ったのと同時に、頬に彼の手が触れて、何か冷たいものを拭い去っていく。
彼の指先を愛で追えば、そこには雫があった。
道理で目元が湿っぽいわけだ、と他人事のように思う。困惑したような表情のヴェルナに笑って、その体を抱き寄せる。
「悲しいのではない。嬉しいんだ」
「嬉しい? 俺と番になれたから?」
「それもあるが、こんなに満たされた気持ちになったのは初めてだから」
いつも胸の内に空虚があった。
どれだけの人と情を交わそうが、何を学ぼうが、どこに行こうが、どうやってもその空白は埋まらず、いつも寒さばかりをミュトラに呼び起こした。一生このまま己の胸には空虚があり続けるのだろう、と半ばあきらめていた。
なのに、それが今日初めて埋まった気がした。
だが、ミュトラは知っている。
埋まった気がした空虚は、また空っぽになる事があるだろう。しかしそれは、今までのような無力感や、他人から愛を貰えない欠乏感でそうなるのではない。
ヴェルナがいれば、ヴェルナの想いに触れれば、何度だって埋めることができる空虚なのだろう。そんな予感がある。
ヴェルナの手を探り当て、己の口元まで寄せる。その愛おしい手のひらに口付けてから、瞼を下ろして言葉を紡ぐ。
「ヴェルナ、生涯お前だけを愛すると誓う。だからどうか、お前が飽きるまで俺の傍に居てくれ。手を離してはやれないが、お前の意思を尊重するよう善処する」
それはミュトラの祈りだ。
去っていく背を見たくない。番という関係になった以上、解消することは一生しない。それでももしも、ヴェルナが手を放したいと願う事があるなら、手を離せなくても、必要以上に彼に接触しないようにはするつもりだ。でも出来ることなら、傍にいてほしい。
己の弱さを曝け出した、祈りだった。
ふっと笑った声が聞こえて、瞼を静かに開ける。
目の前の愛おしい人は、花がほころぶように笑っていた。
「今から俺が離れることを心配してんのか? ばかだなぁ、お前」
握り締めていた手が逆に引っ張られて、仕返しのように手のひらにキスをされる。そのまま手を頬に触れさせられたかと思えば、指の股を握り締めるように手のひらに包まれた。
「俺がお前を運命だって決めたんだ。それをお前が是として俺を番にした時点で、この先お前が嫌だって言ったって覆ったりしない。だからミュトラ、お前は一生俺に追いかけ回されるんだ。分かったか?」
楽しそうに笑って、そんなことをヴェルナが言うから。
胸の内を暴れ回り始めた衝動に任せて、愛おしくてたまらない人を力の限り抱き締めた。だからくるしいって、と笑って言われても力を抜くことなんて出来るわけがなく。目頭から溢れる熱い雫を落としながら、落ち着くまでずっとヴェルナを抱き締めていた。
***
「――というわけで、我々の旅にミュトラ王子も同行することになった。彼の意向で、同じ仲間のように扱ってほしい、ということなので、各々そうするように!」
ジアノのそんな声が響き渡って、一座の仲間たちが途端に騒ぎ出す。嬉しくてたまらないと騒いでいる妹分もいれば、みっともないところみせたらどうしよう、なんて不安がっている仲間もいる。そんな中でもヴェルナは、ふふん、と笑みを零してジアノの隣にいるミュトラを見遣る。
ぱちりと合った視線。途端に緩まるミュトラの目元。そんなミュトラに色めき立つ妹分たち。これは当分騒がしくなりそうだな、なんて苦笑しながら次のジアノの言葉を待つ。
「ではミュトラ王子、いえ、ミュトラさん、何か一言」
ジアノに促されて、ミュトラが少し前に出る。出会った頃はあまり動かすことがなかった表情は、今では彼の機嫌をすぐに教えてくれるほどになった。人はこんなにも変わるもんなんだなぁ、と感心しながら彼の言葉に耳を傾ける。
「分からない事も多いため、皆には迷惑をかけるかもしれない。そんな俺だが、早く皆の役に立ちたい。いろいろ教えてくれ。よろしく頼む」
実直な彼らしい言葉だなと思う。ざわめく仲間たちをよそに、歓迎の拍手を贈ってやる。はっとした仲間たちからも拍手を送られて、また表情を緩ませているミュトラ。ジアノも心なしか楽しそうだ。
これからミュトラは、ジアノの補佐として一座の運営に携わりつつ、雑用もこなしていくと聞いた。彼のことだ。きっとすぐ仲間とも馴染むのだろう。その内、ミュトラ兄様だとか、ミュト兄様だとかの愛称で呼ばれることになるのだろう。
時々その愛称で揶揄ってやるのもいいかもな、なんて思う。
また芸を軸にした新しい旅が始まる。
前と違う事と言えば、唯一無二の番であるミュトラがいること。そして、砂や舞台の上だけでなく、閨でもミュトラとだけ踊ることだろう。
そこまで考えて、ふはっと思わず噴き出した。出会った頃は絶対に願い下げだと思っていたのに。何の因果か、ミュトラと番になって情まで交わすことになるなんて。
なんにせよ、これからの旅が楽しみなことは変わりない。
何があっても乗り越えていくつもりだ。
ミュトラと共にならそれも出来ると信じているから。
これからもヴェルナは踊り続ける。
一座の仲間たちと共に世界中を旅しながら。
第一部 完
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お付き合い下さりありがとうございました!
また番外編を更新したい気持ちと、折を見て第二部が書けたら良いなと思っています!
その時はまたお付き合いいただけましたら幸いです! ありがとうございました!
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