永遠のきみへ

晴なつちくわ

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6.真実と嘘と本音

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 思い切り振り返れば、くすくすと笑うトワと目が合った。
 途端に全身が羞恥で熱くなる。トワッ! と咎めるように名前を呼んでも、彼は笑ったままだ。もうとっくに離れたはずなのに、彼の唇に触れられた場所が熱くて堪らない。今日の夜の夢に出そうなくらい、はっきり言って興奮したし、そのまま血を吸われると思った。

「僕がもしも吸血鬼だったら、きみはとっくの昔に食べられてるよ」

 トワの言う事は尤もだ。何度も無防備な姿を見られている。
 でも、ノアは気付いている。
 トワは『吸血鬼』であることを否定したけれど、『御使』であることは否定していない。ここで踏み込んで聞いたら、またはぐらかされてしまうだろうか。
 震えた唇を一度閉じる。まだトワは笑っていた。
 ぐっと拳を握り締めて立ち上がって、真正面から彼を見た。刹那、トワが月に透けるような銀の髪と、血色の瞳を持っているように見えて、目を瞬く。しかしそれは一瞬で、いつも通りのトワが柔らかな笑みを湛えて、こちらを見ていた。
 意を決して口を開く。

「じゃあ、トワはおれと同じ人間?」

 狡い聞き方かもしれない、と思う。これでトワが嘘を吐かなければ、どちらか明らかになる。トワは肯定しなかった。代わりに、ゆっくりと口を開いた。

「それを聞いてどうするの?」

 どうする? どうもしない。ただ確認がしたいだけだった。自分の中に湧いた疑問を見て見ぬフリできなかったから。他でもないトワに聞いて確かめたい。ただそれだけだ。

「トワのことが一つ多く知れる」

 真剣に答えたノアに、トワはふっと笑った。そのまま肩を揺らして笑い続けている。そんなに面白いことを言った覚えはない。何がそんなに面白いのか分からないまま眉を寄せる。

「なんでそんなに笑うの」
「いや、ふふっ、ハハッ、ごめん。きみらしくて。まったく仕方のない子だ」

 理由になってない。ムッと口を尖らせると、それに気付いたトワが目元の涙を拭って、はーっと息を吐いた。顔を上げたトワはいつも通りの笑みを浮かべて、言った。

「きみの想像している通りだよ」
「……じゃあ、本当に御使様なの?」
「御使なんて大層な呼称をするのは、此処くらいだけれどね。バレてしまったなら、隠す必要もないな。――少し話をしようか」

 座って、と促されるままソファに再び腰を下ろす。しかし目だけはトワを追いかけていく。トワはもう一度キッチンへと戻って、茶を注いだカップを二つ、両手に持ちながら言った。

「きみが聞かされて育ったであろう御伽噺はおおむね真実だよ。人間の形をした人間ではないモノ、それが僕。あのお話が言うように、当時は僕以外に七人いてね。『始祖』なんて呼ばれていた。……さて、突然だけど今は何年かな?」

 カップを手渡されたのと同じく飛んできた質問。カップを受け取りながら、目の前の椅子に腰かけているトワに答える。

「柱暦4502年だったと思う」
「正解だ。柱暦は、僕たち八柱の始祖が現れた年を1年目としている。あの話通り、僕たち始祖の体は例外を除き、永久不滅だ。つまり、」
「トワは、その時からずっと、生きてるってこと?」
「そうだね」

 約4500年。気の遠くなるような話だ。ノアがもしも同じ立場だったら、絶対に耐えられない。それなのに、トワはなんて事のないように軽く肯定した。唖然としている間もなく、トワは続ける。

「僕の他に現存する始祖は二人。あとの五人は、ある条件下で不老不死の力を手放して輪廻に還った。でも輪廻とやらも厄介でね。ユリャナはその厄介事に巻き込まれた一人というわけさ」
「……どういうこと?」
「神様の悪戯とでもいえばいいのかな、滅亡に瀕していない今でも、始祖と同じ力を持って生まれてくる子が稀にいる。ユリャナはその一人だ。体《てい》のいい言い方をするなら、輪廻に還った五人のうちの誰かの生まれ変わり、だね」

 生まれ変わり、と小さく繰り返す。
 同じ力を持つ、ということはトワと同じく永久不滅の体を持つということだ。咄嗟に思ったのは、羨ましい、だった。
 ノアが年を取る中で、トワとユリャナは永遠に生き続ける。しかしノアは、どれだけ一緒にいたくても、ただの人間でしかない。必ず老いが体を蝕んでいく。老いない二人とは違う。必ず死が訪れる。そして、トワにとって記憶の彼方のちっぽけな存在になる。その事実が恐ろしい。
 急に寒気が背中を襲って、体を震わせた。
 小さく笑う声が聞こえて、顔を上げる。トワは眉を下げて微笑んでいた。

「これで分かっただろう? 僕ときみが、どれだけ違う存在なのか」

 分かりたくなかった。分からないフリをしていたかった。
 どうしてこんなに自分とトワの間に、一生埋まらないような深い溝があるのか。どうしてトワが、自分を遠ざけようとするのか。
 膝の上で握り締めた拳。下を向いたまま何も言えなかった。

「ノア」

 初めて名前を呼ばれた。反射的に顔が上がる。
 トワの笑みは消えていた。真剣な赤みを帯びた茶色に射抜かれる。
 嫌だ、と胸の内で誰かが喚いた。
 どうしてこんな時に限って、おれの名前を呼ぶの。

「きみはきみの道を歩みなさい。私という過去の遺物にきみの人生を費やさなくていい。私以外の誰かと幸せに、」
「っ、嫌だ!」

 勢いよく立ち上がる。子どもみたいに思われたくないのに、制御できなくなった感情が胸の中で暴れ散らしている。それがそのまま声に乗った。
 勝手に決めないでほしかった。トワは、きみの道を歩めという。しかしノアはずっと、自分自身の意思でトワを選んで歩んでいる。

「他でもないおれがあんたといたいって思うんだッ! それがおれの道だっておれ自身が決めたんだ!」
「ノア、」
「トワ以上に好きな人なんていない! なのになんでッ……! 他でもないトワが、他の奴としあわせになれ、なんて言うんだよ」

 ずっとずっと好きだ。初めてここで会ったときから、ずっとトワだけが好きだ。キスをしたいと思うのも、セックスしたいと思うのも、トワだけだ。ずっとトワだけを見てきたのに。今更他の人なんて無理だ。恋心を取られたまま返してもらっていないのに、どうやって。
 奥歯を噛み締める。悔しくて仕方ない。心臓が、喉が、胸の奥のもっと深い場所が、痛くてたまらない。
 ああ、ダサすぎる。冷静な自分が頭の隅で喚いた。トワにだって事情があるかもしれないのに、こんなふうに大声で、聞き分けのない子どもみたいに喚き散らして、感情を爆発させて、馬鹿を晒しただけじゃないか。
 そんな声が聞こえても、口は勝手に動いていく。 

「しあわせになれ、なんて言うなら、おれと一緒に生きてよ。おれのこと、すきじゃなくてもいいから、そばにいてよ」

 本当は好きになってほしい。同じだけの好きを返してほしい。でもそんな我儘は言わないから、傍にいることは許してほしかった。それを許さないなら、最初から優しくしないでほしかった。最初から突き放してくれたら、諦めることだって出来たかもしれないのに。
 トワの優しさに付け込んでいたのは自分なのに、トワのせいにするなんて最低だ。分かってる。分かっているけれど、暴れ回っている感情を制御することは出来なかった。

 トワは何も答えなかった。
 呆れかえっているのかもしれない。そんな考えがふと浮かんだ。居たたまれなくなって、紙袋をひっつかんだ。

「……ごめん。今日は帰る」

 トワの顔を見ることもできずに、ノアは家の外に出た。
 ざあ、と吹き付けてきた風に背中を押されるように駆け出す。足は止まらなかった。胸の奥の痛みは消えない。まなじりに勝手に溢れ出した涙をそのままに、ノアは走り続けた。
 

 ***


 風が頬を撫でて、トワは顔を上げた。
 いつの間にか家の中には月明かりが差し込んでいる。己の手元を見れば、ノアがこの家を出て行ってから中身が全く減っていないマグカップが目に入った。
 そこでやっと、自分が何時間もその場に座り続けていたのだと知った。
 マグカップをローテーブルに置いて、立ち上がる。そのままふらふらと自分の寝台へと足を進めて、その身を投げた。ばふ、と柔らかな布団が身を包んでも、胸の内の靄は全く消えない。
 目元を腕で覆って視界を遮断した。

 あんなふうに怒りと悲しみを露わにしているノアは、初めて見たな。

 始祖として共に生きた時のノアは、へらりとした笑みを浮かべるのが常で、感情を高ぶらせるのを見たことがなかった。なんなら、トワ、否、リシャールの方が怒ったり笑ったりしていたように思う。悪友のように過ごした日々は、もう遠い記憶の中にしかない。
 始祖返りとして出会ったノアールもまた、いつだって穏やかな笑みを浮かべている人だった。感情の起伏を感じられないわけではなく、負の感情をいつだって見せることはなかった。必ず戻るから、と言った時ですら、恐怖もなくただ穏やかな笑みを見せていた。
 でも本当の心は分からない。
 もしかしたら、今はただの人間のノアのように、胸の内ではありとあらゆる葛藤を抱えていたのかもしれない。見せなかっただけで。

 ふーっと息を吐いて、瞼を開ける。
 闇に染まった天井を見つめた。

 治癒能力に長けた己とは違い、始祖のノアは身体能力に長けていた。何かで競わせたら大抵一番の功績をあげて、戦闘能力もずば抜けていた。ノアと対等に競えたのは、始祖の中でも一人だけだった。
 そんな能力を、始祖返りのノアールも十二分に受け継いでいた。
 それが仇になるなんて、誰が予想できただろう。
 どんなに秀でた力があっても、大勢が襲い掛かってきたら全てを御せるはずがない。始祖や始祖返りは、一見神のような力を持っていても、人とほぼ同じだ。指先一つで世界を滅亡させることは出来ない。ただ地道に一人一人を退けることしかできない。
 なのにノアールは、トワの為に大勢に立ち向かった。

 その代償が、今のノアだ。

 始祖や始祖返りは己の身が滅びかけた時、己の魂に蓄積された記憶を代償として、その体を再構築することが出来る。それを発見したのは同じ始祖で知識に長けたカイであって、トワではないのだが。
 それを行使した場合、膨大な記憶を奪われるのは必至。しかも、不老不死を手放した始祖や始祖返りは、それを行使することは出来ない。
 不老不死でなくなる条件を発見したのもカイだ。それは、誰かと番い、子孫を残すこと。
 子孫を持つならば、不老不死である必要はない。そう判断されるらしかった。現に、誰とも番うことなく子孫が生まれることもなかったトワやカイは、今の今まで生き続けている。
 
 ノアールは体を酷使した。襲い来る魔の手を、一人たりともトワに届かせないために。
 死に至るような酷い傷を負ったのだと思う。その場にトワはいなかった。戦闘の上で己が役立たずであることを、誰よりもトワが知っていた。誰かを守りながら戦うことが、余計な体力と思考力を使わせることも十分に知っていた。
 だから此処に留まる事しかできなかった。
『必ず貴方のもとに戻ってくる』というノアールの言葉を信じて待つことだけが、トワに出来ることだった。

 ノアールは戻ってきた。記憶を失って『ノア』という人として。
 カイは言った。能力は記憶に宿っている、と。体の修復は出来ても記憶を失えば、始祖や始祖返りとしての性質を失うことになる、と。
 しかし彼はこうも言った。

――トワに宿る治癒能力は、細胞やあらゆるものに元の形を思い出させるものだ。だからその血を使えば、きっとノアの記憶を取り戻すことが出来る。つまり、彼の始祖返りとしての能力を思い出させることが出来ると思う。

 それを聞いた時、喜びが全身を駆け巡った。でも一瞬だけだった。
 ノアに記憶が戻ったら、得するのはノアじゃない。ノアがもしも始祖返りに戻ったら、きっとまた無茶をする。死なないから、なんて笑って怪我をして、誰かのためにまた瀕死になるかもしれない。
 そんなことが、耐えられるはずがなかった。
 だったら何も思い出さずに、ただの人間として、誰かと番って、一生を終えた方が余程幸せだろう。
 もう二度と、ノアが誰かのために自分を犠牲にする姿を見たくない。
 誰かのために戦う。死地に向かう背中。その能力が誰かに利用される。
 そんなことが、絶対に繰り返されてはいけない。

 そこまで思考が巡った所で、ハッと笑いが漏れた。

「結局、僕は自分のことばかりだな」

 ぽつりと天井に向かって放たれた独り言が、上から伸し掛かってくる。

 彼は、誰かのために戦うのが嫌だと、ただの一度も言ったことはない。戦うことが嫌いだ、能力を利用されるのが嫌だ、とも言ったことがない。
 トワの役に立てることが嬉しい、とかつての彼は顔を綻ばせて言った。
 だから彼の心に本当の意味で添うなら、記憶を取り戻させた方が良いに決まっている。でもそれを頑なに実行しないのは、他の誰でもない、トワが見たくないからだ。
 喪うのが怖い、と思ったのは初めてだった。
 ノアールの帰りを待つ間、胸が潰れるほど苦しかった。生まれて初めて、自分が不老不死でなければ、と思った。ノアールの栄えある未来を自分が潰してしまった罪悪感と、今なお何も出来ない無力感で押し潰されそうだった。己の心臓を取り出して握り潰して、死んでしまえたらどれだけ楽だろうか、とすら思った。
 あんな思いをまたするくらいなら、忘れられたままでいい。自分だけが覚えていればいい。一緒に生きようと言ってくれたノアールの手を放し続けたままでいい。差し出された手を取らずに、ただ見守っていればいい。
 
――しあわせになれ、なんて言うなら、おれと一緒に生きてよ。おれのこと、すきじゃなくてもいいから、そばにいてよ

 そんな手前勝手な本音を、見透かされたと思った。
 ノアの言い分は尤もだった。一緒に生きてよ、がノアの純然たる願いなのは、濡れた瞳が教えてくれた。
 本当にノアを思うなら、出会ってはいけなかった。
 彼の人生に関わってはいけなかった。
 ノアに見られた時点で、消えるべきだった。ここで共に過ごせば何かしらの情が湧くのを知っていたのに。そうでなければ、拒否すればよかった。最初から優しくせずに、自分の名を名乗らずに、見知らぬ人として過ごせばよかった。
 でもそれすらも、トワはしなかった。
 未練がましく、かつての彼がくれた『トワ』という名前を名乗り、拒絶することもなく何度も何度も、この家にノアを迎え入れて、同じ時を過ごした。その日々をいつか終わらせなければいけないと知っていながら。
 出来なかったのだ。
 遠い昔悪友だった彼を、始祖返りである彼を、今の彼を、あいしているから。勝手なのはわかっている。それでも、ノアの行く末をこの目で見たかった。最愛の人としてでなくていいから、傍にいたかった。

 だが、そんな細やかな願いすら、まもなく終わりを迎えようとしている。

 視線を動かして、寝台の近くに置かれた小さな棚を見る。その上には、羊皮紙の封筒で包まれた二通の手紙があった。その一つにはこう書いてあった。

――吸血鬼狩りハンターがそちらに向かっているわ

 吸血鬼、なんて不名誉な冠を与えられているのは、同族もどきが悪さをするからだ。捕まるわけにはいかない。前にトワを捕らえていた一族は、籠の鳥にはしたものの、乱暴はしなかった。だが、吸血鬼狩りの組織となれば、何をされるかわからない。
 悪い予感は当たってしまったらしい。
 もう一つの手紙の中身は読んでいないが、差出人からして同じような内容であることは簡単に予想がつく。

 はあ、ともう一度深い溜息を落としてから、すべての思考を闇に放り出して瞼を下した。
 この体に唯一必要な睡眠を取るために。
 
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