極上の君

晴なつちくわ

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第二部

28.手打ちの条件

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 ファヴェーロ一家の屋敷は、街の山側の広大な土地にあった。入口に大きな門があり、敷地内を車で移動できるようになっている。屋敷に辿り着くまでは、車で十分ほどの時間を要した。道理でサナが、イザベラを自由にして、とお願いしてきたわけだ。完全に籠の鳥状態になっている。
 開けた場所と屋敷の一部が見えてきたところで、ダンテは舌を打った。
 開けた場所は三十台ほど車が止められるようになっており、すでにそこに十数台分の車が止まっていた。万が一抗争になった時、人数的に不利だな、とすぐに理解する。精鋭揃いを連れてきたつもりではあるが、勝率はどのくらいだろう。
 頭でその確率を弾き出しながら車から降りると、辺りがざわつく。
 レンツィの組織の人間がすでに、門の前に群がっていた。
 右腕のジオスとともに門に近づいていくダンテに気付いて、殺気を振り撒いてくる。それを一瞥してから、門番に声を掛けた。

「ダンテ=スヴェトラーノフだ。通せ」
「招待状はお持ちですか?」

 胸元から僅かに曲がった忌々しい手紙を渡せば、門が僅かに開けられた。

「付添人は一人までです。飛道具とびどうぐはここでお預かりします」
「敵陣にボスを手ぶらで行かせろと? 冗談じゃない」

 食って掛かったジオスに、門番は表情を崩さずに言った。

「ナイフはお持ちいただいて構いません。それに我がボスは、話をしたい、と申し上げたはず。抗争に来たのなら、このお話は無かったことにしろ、とのご命令です」

 言い募ろうとしたジオスを片手で制して、懐と腰ベルトから二丁の拳銃を門番に手渡す。最後にボディチェックを受けて、ダンテは門の中に足を踏み入れた。同じようにチェックを終えたジオスが駆け寄ってきて、耳打ちしてくる。

「本当によろしいのですか、ボス。アルマンの思う壺では?」
「〝牡牛を捕まえるには角をつかめ〟って言うだろ。どちらにしろ、クロードがアルマンに捕まっているなら、内部に入りこまなきゃ始まらない。アルマンの思う壺だとしてもだ」

 しかし、と言い淀むジオスをそのままに、ダンテは真っ直ぐ前を見つめるだけだった。はー、と後ろから溜息が聞こえる。ジオスは言った。

「貴方にとってクロードさんが特別なのは理解してます。でも、私は貴方とクロードさんを天秤にかけた時、貴方を優先します。それだけはお忘れなきよう」
「フッ、わかっている。お前はそれでいいよ」

 ダンテが我が道を行くのと同じように、ジオスもそうであって良いと思っている。どうすればダンテが効率よく動けるかも、彼には多分お見通しだろう。現に、前にクロードに会えずに腑抜けていた自分に最高の一撃をくれたのもジオスだ。そういう意味で、ジオスのことを信頼している。
 
 屋敷の中に入ったのと同時に、黒服に身を包んだ屈強な肉体を持つ大男がぬっと現れて頭を下げてきた。

「ダンテ様、お待ちしておりました。ご足労頂きありがとうございます。ご案内します」

 たしかコイツは、アルマンの直属の部下だ。婚姻パーティとかいうあの馬鹿げたものの司会を努めていた筈。
 冷静に思考を回しながら、こちらです、と言った大男に着いていく。
 この男に不意を突かれたらたまったもんじゃないな、と思いつつも、勝算はある。しかし大男は襲ってくるような素振りはまるで見せず、客間らしき場所の扉の前まで辿り着くと、くるりと振り返っていった。

「我がボスは少々支度に手間取っております故、中でお待ち頂けますか?」
「……わかった。中にはレンツィも?」
「はい。すでにお着きです。何かお飲み物をお持ちしますか?」
「いや必要ない」
「かしこまりました。では、少々お待ち下さい」

 下がっていく大男の背中が見えなくなるまで見送ってから、一つ息を落とす。それから、両開きの扉をゆっくりと開け放った。
 ふわりと香ったのは、渋みを含んだワインの芳香。
 扉を開けたことに先客も気付いたのか、おっ、と声が上がった。

「ようやく到着か、ルーポの皆さん」

 へらりと笑った男が、ワイングラスを持ち上げて声を掛けてきた。
 軽薄な態度を取るガタイの良い男。金混じりの茶髪に、無精髭を生やした緑がかった青の瞳を持つ男。レンツィのボス――アポロンなどという神の名を騙っている――面識が全くないわけではないが、ダンテとしてはあまり関わりたくない部類の人間だ。
 軽薄な態度で腹の中をなかなか読ませない。かと思えば、本音なのか嘘なのか判別のつかないことを平気で口に出す。沸点が謎で、相手の一番大事な物を奪うことに悦を感じるタイプの人間。
 今回のアルマンの件も、彼の退屈を満たすためだけのゲームの一環だろう。
 足を動かしながら息を吐いたダンテに構わず、アポロンは再び声を掛けてくる。
 
「ダンテ=スヴェトラーノフ、会うのは三回目だったか?」
「覚えていない。少なくとも初対面ではないが」
「だよなぁ! 暇だから、お話でもしようぜ?」

 向かい合うように並べられた一人掛けソファに腰を下ろすと、アポロンは体を肘掛けに預けるようにして乗り出してくる。手を伸ばしてこないところを見れば、賢い選択が出来る男であるのはよく分かる。そんなことをしようものなら、後ろに待機しているジオスに叩き落されるのが理解っているのだろう。全くやりにくい相手だ。

「今貴方と話す気はない」
「ちぇっ、つれねーの。減るモンでもねーんだし、少しぐらいいいじゃねーか」

 食い下がるアポロン側の肘掛けに腕を立てて、話すつもりはない、と態度で示す。アポロンは、ざーんねん、と笑ってやっと話すことを諦めたらしい。目の端で、ワイングラスを煽るのが見えた。

「噂に違わない狼みたいな堅物だな、ダンテ=スヴェトラーノフ」
「……貴方も噂に違わず猿みたいに賑やかだな、アポロン」

 両者の間に一瞬走った見えない火花。後ろからも自分に向けられたものではない殺気を感じる。やすい挑発に乗るつもりはなかったが、本心がぽろりと口から漏れてしまったのだから仕方ない。
 お互いの部下から飛んでくる殺気で、今にも静寂が破られそうだった。
 その時だ。
 ぎい、と大げさに扉が開いた音が空間を裂いた。

「いやはや、お待たせして申し訳ない!」

 その音を追いかけるように響いた声に、ダンテは弾かれたように振り返る。
 その声が、あまりにも聞き覚えが在りすぎるものだったからだ。視界いっぱいに捉えた人物。それは。

「……クロード?」

 アポロンがいるのにも関わらず、その名前を呼んでしまったことすら気付かずに、ダンテはただその人に釘付けになった。
 どうして彼が此処に。否、確かにいるだろうとは思っていた。手紙に『貴方の大事なもの』書いてあったから。でもこんな形で再会するとは微塵も思っていなかった。この屋敷の中にある地下牢に繋がれて、自分の助けを待ちながら捕虜のような生活をしていると思っていたのに。
 今目の前にいるクロードはどうだ。
 きちんとセットされた髪。縦ストライプのワイシャツ、紺のベルベット生地のベストとジャケットに身を包んだ上に、胸元にはきらびやかなブローチが輝いている。
 そして、何よりダンテを驚かせたのは、硬質な指輪を人差し指に嵌めた右手で、見覚えのある顔――アルマンの生首を持っていたこと。
 ひゅー、と響いたアポロンの口笛に意識を戻した頃には、クロードは屈強な肉体を持つ大男を後ろに控えさせて、一つだけ空席だった場所に腰を下ろしていた。

「まさか知らない間に、ファヴェーロのボスの首がげ替わっていたなんてな。驚いた」
「光栄です、ボス・レンツィ」

 うやうやしく頭を下げたクロードは、笑みを深くして足を組み直した。ごろん、と三人の真ん中に来るように生首を転がした後、ゆっくりと動いた栗色の瞳がダンテを捉える。
 愉悦の込められた歪みで笑みを成した瞳が、瞼の向こう側に消えていく。
 はっ、と漏れた小さな息にすらダンテは気付けなかった。

「なるほどな。今更アルマンが手紙なんて可笑しいと思ったんだ。でもあの手紙がクロード・シャルル、あんたからの手紙だったなら、納得がいく」
「お察しの通り、お二人をお呼び立てしたのは、ボクです」

 クロードはまるで謳うように言う。

「先代ボス・アルマンは貴方がた二人に、潰し合いをさせるために蝙蝠のように立ち回った。これは同盟を組もうとしたギャングにはご法度。死に値する行為だ。しかし、そんな愚か者はボクの手によって粛清された。元凶が居なくなった以上、争うのは愚の骨頂です。だからお二人に和解で手打ち願えないかと思って」

 にっこりと笑みを浮かべたままクロードは言葉を切った。口元を笑みで歪めていたアポロンは、ハッ、と大きな息を漏らしてから、笑い出した。

「ハハハハッ! 実に豪胆だ! 気に入った、クロード・シャルル! 確かにそのいけ好かない男の首が取れたなら、俺の望みは叶ったも同然だ。アイツの大切なものを奪うことになったわけだしな。―――それに珍しいものも見れた」

 ちらりとダンテを捉えた瞳が、面白そうに歪む。睨み返しても、何の効果もない、といいたげに肩を竦められた。

「あんたがダンテ=スヴェトラーノフにとって云々って噂話は眉唾物だと思ってたが、真実であるらしいってことも理解った。それだけでも十分な収穫だ。それにあんたの事も気に入ったしな」

 アポロンから伸びた手が、クロードの顔の前に垂れた前髪に触れる。一瞬のうちに燃え上がった感情。ダンテから溢れ出した殺気に、アポロンの部下が僅かに姿勢を崩し顔を歪めた。しかしアポロンもクロードも涼しい顔をしている。
 今すぐその汚い手を離せ。
 そう思ったのが伝わったのか、クロードの後ろに控えていた大男が、アポロンの手をやんわりと避けるようにクロードとの間に割って入った。

「ボスに気安く触らないで頂けますか、アポロン様」
「ははっ、悪かったよ。許してくれ。美しいものには触れたくなる性分なんだ」

 その口を二度と開けなくしてやりたい気分だった。もしも銃器を持っていたら相打ちになったとしても、今ここでアポロンの頭を撃ち抜いていただろう。それほどの怒りが体中を駆け巡っている。

「ボス・ルーポはいかがです?」

 クロードの声がする。一瞬何を言われたのか分からなかった。彼を見ても、その笑みが崩れることはない。
 クロードがダンテのことを組織名で呼ぶことは、出会ってから一度もなかった。他でもないクロードから、明確な線引をされた。その事実が頭を貫いた。しかし今は言わば、会合の場。みっともない姿を見せる気は無かった。上手く形作れたかもわからない笑みを浮かべて、どうにか声を発した。

「元凶のアルマンが死んだのなら、オレも手打ちで構わない」

 言い切ったダンテにクロードは、それは良かったです、と言って手を打った。

「ではこの件は白紙ということで。この盟約書3枚にサインをお願いしても?」

 大男から厚めの署名用ファイルを受け取ったクロードが、まずアポロンにそれを手渡す。目をさっと通したアポロンは、迷いなく一緒に渡された万年筆でサインをしていく。その様子を見るクロードを見つめても、目は合わない。まるで意図的に目を合わせないようにしているようだった。
 一体あんたは何を考えてるんだよ。
 胸の内で問いかけても、答えが返ってくるはずもない。アポロンから手渡された盟約書に目を通しても、内容が全く頭に入ってこない。サインだけ済ませて、クロードへ渡そうとしたそれは、大男に横から掻っ攫われてしまった。
 ボス、と大男に呼びかけられたクロードが、盟約書に視線を落としている。時折上下する睫毛を食い入るように見つめても、クロードは視線を寄越してはくれなかった。

「ありがとうございます。……アーノルド、この盟約書をそれぞれ一枚ずつボス・レンツィとボス・ルーポへお渡しして」
 
 頷きながら書類を受け取った大男が、アポロンとダンテへさっきの盟約書を手渡してくる。
 立ち上がったクロードは、続けて言った。

「これにて会合は終わりです。屋敷を見て回って頂いても良いですし、お帰り頂いても大丈夫です。ただ、くれぐれも我々の敷地内での乱闘はご遠慮下さい」
「久々に楽しかったぜ、クロード・シャルル、否、ボス・ファヴェーロ。今度食事に誘っても?」

 同じように立ち上がったアポロンが、腕を掴もうとしたのを、するりと避けてクロードは笑みを崩さず言った。

「正式な手続きを踏んだものでしたら、喜んで」
「フッ! ハハッ! 分かった。そのようにしよう。ではオレは退散するとしようかな。これ以上お邪魔虫をして噛み付かれるのは御免だからな」

 ひらりと手を振って部下と共に出口へと向かっていくアポロンに見向きもせずに、ダンテはクロードを見つめていた。
 バタン、と扉がしまった途端、クロードに向かって伸ばした手。それがクロードに届く前に、アーノルドと呼ばれた大男に割って入られた。

「ダンテ様。アポロン様にも申し上げましたが、ボスに気安く触れないで頂きたい」
「貴方に指図される覚えはない。クロードと話をさせろ」
「アーノルド」

 二人の声を遮ったのは、やはりクロードだった。
 彼なら分かってくれる。

「話す事はない、と伝えてボス・ルーポを丁重にお見送りしてくれ」
「ッ、クロード!」

 そう思ったダンテの胸の内は、見事に打ち砕かれた。冷ややかな声で言い放ったクロードは見向きもせずに、アーノルドを間に挟んだまま、足を動かしてダンテの横を通り過ぎていく。
 無情にも大きな音を立ててしまった扉。
 拳を握り締めたダンテに、アーノルドは言った。

「ということです。ダンテ様お引き取りを」

 クソッ、と吐き捨てようとしたダンテの目の前に、真っ白な封筒が差し出される。顔を上げて見たアーノルドは、無表情に言った。

「餞別だ、とボスから貴方にです。中身は見てません」

 では、とアーノルドもまたその場を後にした。
 ぐしゃり、と真っ白な封筒に幾つものシワが走った。

 餞別だってどういう意味だよ、クロード。
 
 乱暴に開けた封筒。
 そこに書かれていた事に目を通した途端、ダンテは踵を返す。その顔には笑みが浮かんでいた。



〝一度だけチャンスをやる。
 夜にもう一度此処に来い。

 二度はない〟


 
 



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