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「僕はエレミア・デュークと婚約破棄をする!」
高らかな宣言に、心臓が軋む音を聞いた気がした。
呼吸が止まり、激しい動悸と耳鳴りがする。
放課後の校舎裏、人目につきにくい場所で聞こえてきた声は、己の婚約者のものだった。
震える指先を握り込むようにして、胸元を押さえる。
「ウィル様…!それは本当ですの…?」
「卒業パーティーで宣言しよう。そして君だけを愛していると、君と婚約すると誓うよ」
「嬉しいです、ウィル様…!」
共に王宮へ向かわねばならない為、王太子であるウィリアム・バージルを探して学内を探し回り、ようやく見つけたと安堵した己の浪費させられた時間の対価がこれだった。
頭痛を覚え、蟀谷を押さえる。
「あんな陰気で根暗な女が、この僕の婚約者であることが許し難い。僕には君のように美しく、心優しい女性こそがふさわしい」
「でも…公爵家の娘とは、定期的に婚姻をせねばならないと伺いましたわ」
「忌々しい因習だよ。父も祖父も曾祖父も、愛した女性と婚姻出来たというのに…よりにもよって僕の代で、だなんて…」
「お可哀想なウィル様…」
「でもそんなくだらない因習は僕の代でお仕舞いだ。公爵家との約束だかなんだか知らないが、王家が妥協してやる必要なんかないんだ」
「本当に。その通りですわ」
「僕は君がいてくれたらそれで幸せだよ」
「ウィル様…!わたくしもです…!」
こっちだってお断りだクズ男が。
心中に呟いた悪態は無意識だった。
脳裏に閃光と破裂音が走り、身体が傾ぐ。
両足の力が抜け、その場に座り込んだ。
生垣の向こうでは男女の熱いラブシーンが繰り広げられており、人気がないとはいえここは学園、堂々と不貞行為をするとはいい度胸だと思った。
二人の世界に酔いしれているのだろうが、そこの男女にはそれぞれの婚約者がいるのだ。
許されることではない。
おまけに男の方は己の婚約者なのだった。
混乱する思考と、嫌悪と、悲しみ。
押し寄せる感情の波に呻き声を漏らしそうになり、慌てて口を押さえた。
いけない、向こうでは自分達の世界を作っている男女がいるのだ。気づかれないよう、立ち去る必要があった。
低い姿勢を保ったまま、生垣に隠れてそっと後ろに下がる。
建物の壁まで下がり、ようやく息をついた。
この国唯一の王子である王太子と、伯爵令嬢の密会現場を見るのはこれが初めてではなかった。
王子が五歳の頃から、近い年齢の上位貴族の子女は王宮へと呼ばれ、定期的に茶会や勉強会などが開かれて、交友関係を深める決まりがあった。
その頃から面識があり、学園で接する機会が増えて恋心が燃え上がったのだろうと思われるが、生まれる前から決まっている婚約者がいるにも関わらず、あの所業である。
未だ落ち着かない動悸と眩暈に深呼吸しながら、帰宅するべく自家の馬車へと向かう。
本当は放課後、王太子と共に王宮へ向かい、王太子妃教育を受ける予定だったのだが行く気が失せた。
馬車留めで先に王太子の馬車へ行き、今日は欠席するということを護衛騎士の一人に言付けてから、待機している自家の御者に帰宅を告げ、馬車に乗る。
顔色の悪さを心配されたが大丈夫と返し、座席に着いてため息をついた。
なんだこれ。夢か。
身体を見下ろすと制服を着ており、馬車の中は居心地良く整えられた質の良い空間である。
いや、馬車て。
外を見れば西欧のような石畳と煉瓦、石造りの街並みが広がっており、とてもではないが生活していた日本国内とは思えなかった。
あらー…。夢じゃないならアレかー?わーすごーい。
内心で棒読みしながら現実を受け入れた。
これは異世界転生というやつかな、と思い、このタイミングで思い出せて良かったと胸を撫で下ろす。
エレミア・デュークとして生きて来た記憶はある。このバージル王国の公爵令嬢で、生まれる前から王太子となる者との結婚が決められており、四人兄妹の三番目、魔力量は桁違いだがその他の能力は至って普通の、兄妹の中にあって目立たない存在。それが私である。
親類縁者全員が飛び抜けて優秀な一族という、チート級に囲まれているおかげで内心とても肩身の狭い思いをしていた、ただの十七歳の少女である。
自分に自信が持てず、いずれ王家に嫁ぐのだからと全てを諦め、あるがままを受け入れて過ごしていた記憶があった。
あのクソ王太子、言いたい放題言っていた。
なんだ、「婚約破棄する」とは。
どんな理由をでっちあげるつもりか。
建国の頃から決められている王家と公爵家との約束を、違えるには相応の理由が必要となる。
こちらに責められるべき理由はない。慎ましやかに、従順に、真面目に、未来の王妃として学び、生きてきたのだから。
自分の不貞を認めることはあるまい。
こちらに瑕疵を作り、家ごと貶めて相対的に王家の力を強めようという、ゲスな思惑が透けて見える。
愛情の欠片も感じられない。
こちらに対する配慮もない。
呆れて物が言えないとはこのことだった。
誠実に王家と我が家に話を通し、あの伯爵令嬢と結婚したいから婚約を解消して欲しいと頭を下げるならまだしも、卒業パーティーで一方的に宣言する、と言うのだった。
婚約は古よりの決まりであり、覆すことは容易ではない。
だが本当に愛し合っているのなら、認めて欲しいと土下座してでもまず謝罪から始めるべきだと思う自分は間違っていないと思う。
時間をかけ根回しをしっかりし、根気を持って行うべきであり、婚約者に対してあまりに不誠実な行為を、許せるわけがない。
本当に婚約破棄宣言をするつもりかどうかはこれから見定めねばならないが、お花畑脳の王太子と伯爵令嬢に頭痛がぶり返す思いがした。
『私』は前世も女で、そこそこの年齢を生きていた。
仕事をし、恋愛をし、結婚もしたが子供には恵まれなかった。
人生山あり谷あり、地獄もあれば幸せもあった。
酸いも甘いも噛み分けて、生きた記憶を持っていた。
大丈夫だよエレミア。
あんな男の所に嫁がなくてもいいようにしてあげるからね。
向こうがその気なら、こちらも自分の幸せの為に行動を起こそうではないか。
やりたいことができるよう、環境を整えよう。
結婚したい、と思えるような相手も見つけられたら幸せかもね。
楽しく暮らしたいし、今度は出来れば子供も生み育ててみたいんだけど、どうかな。
幸せにしてあげるから、おばちゃんに安心して任せなさい。
返事は無論、ない。
自分自身であるのなら、今まで生きて来たエレミアもまた自分なのだろう。
だが気分的には、親戚のお子さんの成長を見守る目線なのだった。
そのうち慣れ、一体化していくことだろう。
さてこの世界は何かのゲームの世界か。それとも小説か漫画なのか。
いくつか原作のあるアニメ化作品を見た記憶はあった。残念ながらゲームや小説、漫画を手に取る機会はなかったが。
ファンタジー世界に異世界転生。そして婚約者のいる王太子に横恋慕する女。
あの伯爵令嬢がヒロインなのかな?と思うが、残念ながら思い当たる作品の記憶はない。
神様らしき存在に会った覚えもないし、転生者特典のようなものをもらった記憶もない。
まぁいい。
やることは決まっている。
婚約破棄をしてあの令嬢と婚約を結びたいというのなら、望み通りにしてやろう。
こちらとしても願ったり叶ったりである。
見えてきた我が家は王宮にほど近い、瀟洒な城である。
建国の祖である双子の兄弟を初代に持つ王家と公爵家を表すかのように、離れた所から見ると王宮と公爵家の城は対を成すようにそっくりな形をしていた。
とはいえ、王城はその後増築を重ねている為、実際の面積は倍以上はある。
公爵家は個人邸であるが、王宮は政治や軍事、国を動かす機関が詰まった場所なのだから当然といえば当然だった。
王家と我が公爵家は、対等な関係である。
蔑ろにされる謂れは、ないのだった。
高らかな宣言に、心臓が軋む音を聞いた気がした。
呼吸が止まり、激しい動悸と耳鳴りがする。
放課後の校舎裏、人目につきにくい場所で聞こえてきた声は、己の婚約者のものだった。
震える指先を握り込むようにして、胸元を押さえる。
「ウィル様…!それは本当ですの…?」
「卒業パーティーで宣言しよう。そして君だけを愛していると、君と婚約すると誓うよ」
「嬉しいです、ウィル様…!」
共に王宮へ向かわねばならない為、王太子であるウィリアム・バージルを探して学内を探し回り、ようやく見つけたと安堵した己の浪費させられた時間の対価がこれだった。
頭痛を覚え、蟀谷を押さえる。
「あんな陰気で根暗な女が、この僕の婚約者であることが許し難い。僕には君のように美しく、心優しい女性こそがふさわしい」
「でも…公爵家の娘とは、定期的に婚姻をせねばならないと伺いましたわ」
「忌々しい因習だよ。父も祖父も曾祖父も、愛した女性と婚姻出来たというのに…よりにもよって僕の代で、だなんて…」
「お可哀想なウィル様…」
「でもそんなくだらない因習は僕の代でお仕舞いだ。公爵家との約束だかなんだか知らないが、王家が妥協してやる必要なんかないんだ」
「本当に。その通りですわ」
「僕は君がいてくれたらそれで幸せだよ」
「ウィル様…!わたくしもです…!」
こっちだってお断りだクズ男が。
心中に呟いた悪態は無意識だった。
脳裏に閃光と破裂音が走り、身体が傾ぐ。
両足の力が抜け、その場に座り込んだ。
生垣の向こうでは男女の熱いラブシーンが繰り広げられており、人気がないとはいえここは学園、堂々と不貞行為をするとはいい度胸だと思った。
二人の世界に酔いしれているのだろうが、そこの男女にはそれぞれの婚約者がいるのだ。
許されることではない。
おまけに男の方は己の婚約者なのだった。
混乱する思考と、嫌悪と、悲しみ。
押し寄せる感情の波に呻き声を漏らしそうになり、慌てて口を押さえた。
いけない、向こうでは自分達の世界を作っている男女がいるのだ。気づかれないよう、立ち去る必要があった。
低い姿勢を保ったまま、生垣に隠れてそっと後ろに下がる。
建物の壁まで下がり、ようやく息をついた。
この国唯一の王子である王太子と、伯爵令嬢の密会現場を見るのはこれが初めてではなかった。
王子が五歳の頃から、近い年齢の上位貴族の子女は王宮へと呼ばれ、定期的に茶会や勉強会などが開かれて、交友関係を深める決まりがあった。
その頃から面識があり、学園で接する機会が増えて恋心が燃え上がったのだろうと思われるが、生まれる前から決まっている婚約者がいるにも関わらず、あの所業である。
未だ落ち着かない動悸と眩暈に深呼吸しながら、帰宅するべく自家の馬車へと向かう。
本当は放課後、王太子と共に王宮へ向かい、王太子妃教育を受ける予定だったのだが行く気が失せた。
馬車留めで先に王太子の馬車へ行き、今日は欠席するということを護衛騎士の一人に言付けてから、待機している自家の御者に帰宅を告げ、馬車に乗る。
顔色の悪さを心配されたが大丈夫と返し、座席に着いてため息をついた。
なんだこれ。夢か。
身体を見下ろすと制服を着ており、馬車の中は居心地良く整えられた質の良い空間である。
いや、馬車て。
外を見れば西欧のような石畳と煉瓦、石造りの街並みが広がっており、とてもではないが生活していた日本国内とは思えなかった。
あらー…。夢じゃないならアレかー?わーすごーい。
内心で棒読みしながら現実を受け入れた。
これは異世界転生というやつかな、と思い、このタイミングで思い出せて良かったと胸を撫で下ろす。
エレミア・デュークとして生きて来た記憶はある。このバージル王国の公爵令嬢で、生まれる前から王太子となる者との結婚が決められており、四人兄妹の三番目、魔力量は桁違いだがその他の能力は至って普通の、兄妹の中にあって目立たない存在。それが私である。
親類縁者全員が飛び抜けて優秀な一族という、チート級に囲まれているおかげで内心とても肩身の狭い思いをしていた、ただの十七歳の少女である。
自分に自信が持てず、いずれ王家に嫁ぐのだからと全てを諦め、あるがままを受け入れて過ごしていた記憶があった。
あのクソ王太子、言いたい放題言っていた。
なんだ、「婚約破棄する」とは。
どんな理由をでっちあげるつもりか。
建国の頃から決められている王家と公爵家との約束を、違えるには相応の理由が必要となる。
こちらに責められるべき理由はない。慎ましやかに、従順に、真面目に、未来の王妃として学び、生きてきたのだから。
自分の不貞を認めることはあるまい。
こちらに瑕疵を作り、家ごと貶めて相対的に王家の力を強めようという、ゲスな思惑が透けて見える。
愛情の欠片も感じられない。
こちらに対する配慮もない。
呆れて物が言えないとはこのことだった。
誠実に王家と我が家に話を通し、あの伯爵令嬢と結婚したいから婚約を解消して欲しいと頭を下げるならまだしも、卒業パーティーで一方的に宣言する、と言うのだった。
婚約は古よりの決まりであり、覆すことは容易ではない。
だが本当に愛し合っているのなら、認めて欲しいと土下座してでもまず謝罪から始めるべきだと思う自分は間違っていないと思う。
時間をかけ根回しをしっかりし、根気を持って行うべきであり、婚約者に対してあまりに不誠実な行為を、許せるわけがない。
本当に婚約破棄宣言をするつもりかどうかはこれから見定めねばならないが、お花畑脳の王太子と伯爵令嬢に頭痛がぶり返す思いがした。
『私』は前世も女で、そこそこの年齢を生きていた。
仕事をし、恋愛をし、結婚もしたが子供には恵まれなかった。
人生山あり谷あり、地獄もあれば幸せもあった。
酸いも甘いも噛み分けて、生きた記憶を持っていた。
大丈夫だよエレミア。
あんな男の所に嫁がなくてもいいようにしてあげるからね。
向こうがその気なら、こちらも自分の幸せの為に行動を起こそうではないか。
やりたいことができるよう、環境を整えよう。
結婚したい、と思えるような相手も見つけられたら幸せかもね。
楽しく暮らしたいし、今度は出来れば子供も生み育ててみたいんだけど、どうかな。
幸せにしてあげるから、おばちゃんに安心して任せなさい。
返事は無論、ない。
自分自身であるのなら、今まで生きて来たエレミアもまた自分なのだろう。
だが気分的には、親戚のお子さんの成長を見守る目線なのだった。
そのうち慣れ、一体化していくことだろう。
さてこの世界は何かのゲームの世界か。それとも小説か漫画なのか。
いくつか原作のあるアニメ化作品を見た記憶はあった。残念ながらゲームや小説、漫画を手に取る機会はなかったが。
ファンタジー世界に異世界転生。そして婚約者のいる王太子に横恋慕する女。
あの伯爵令嬢がヒロインなのかな?と思うが、残念ながら思い当たる作品の記憶はない。
神様らしき存在に会った覚えもないし、転生者特典のようなものをもらった記憶もない。
まぁいい。
やることは決まっている。
婚約破棄をしてあの令嬢と婚約を結びたいというのなら、望み通りにしてやろう。
こちらとしても願ったり叶ったりである。
見えてきた我が家は王宮にほど近い、瀟洒な城である。
建国の祖である双子の兄弟を初代に持つ王家と公爵家を表すかのように、離れた所から見ると王宮と公爵家の城は対を成すようにそっくりな形をしていた。
とはいえ、王城はその後増築を重ねている為、実際の面積は倍以上はある。
公爵家は個人邸であるが、王宮は政治や軍事、国を動かす機関が詰まった場所なのだから当然といえば当然だった。
王家と我が公爵家は、対等な関係である。
蔑ろにされる謂れは、ないのだった。
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