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184. 特に意味もなくピンチに晒される俺5
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聖女の護衛としてついているはずのAランク冒険者二名が、北方都市のホテルへと戻って来たのは、十四時過ぎだった。
勇者様ご一行に緊急の用件があると最初に伝えられたのは、リーダーである公子バージルだった。
聖女の身に何かあったのかと思い話を聞き、険しい表情をしながら立ち上がり、装備を用意するよう秘書官達に命令した。
「アベル殿とロベルト王太子にも至急知らせろ。最高司祭は…どこだ?」
「本日は、聖教会にいらっしゃるかと」
「呼び戻せ!今すぐに!!」
「御意」
「十分で用意を済ませる。他が間に合わなければ先に行く。…一人は残れ。一人は案内を」
「は、はい」
秘書官達が迅速に動く中、Aランク冒険者二名は冷静な公子に頼もしさを感じていた。
二名の冒険者は、新たに追加されたメンバーだった。
人族の男レフと、熊獣人の女ミーナである。
彼らも冒険者ギルドから打診を受け、莫大な報酬につられて引き受けたクチだった。
蓋を開けてみれば、先に依頼を受けていたヤシュバルとアショクからは同情の視線を向けられ、実態は聖女とご友人の護衛、という名の奴隷だった。
それでも自分達はまだマシな扱いだったのだと気づいたのは、同行している魔術師と司祭達の扱いを見てからだった。
今代の聖女サマって、こんなんなの?
それが、人族レフが抱いた感想だった。
物語に語られる聖女様は、魔王を討伐する為に、異世界より遣わされし神の御使いであり、慈愛に満ち人々を助け、勇者と共に平和を取り戻してくれる、清らかで崇拝すべき存在だった。
実際に聖女様を奉る宗教も各地で人気であり、聖堂が建てられ聖地巡礼もされているのだ。
正体がコレだなんて、物語は嘘っぱちだな、と夢を打ち砕かれたような虚しさを覚えたのは、つい最近のことである。
勇者パーティーと別行動を取り、何かを探していることには気づいていたが、まさかあんなことをやらかすとは、思ってもいなかった。
一目見ただけで度肝を抜かれる、美貌のミカエル王子が魔法陣の光に吸い込まれたのは、ほんの一時間程前のことだった。
十年くらい前に船で助かった王子サマ、のことは、最近になって世界中で話題になっているから知っていた。
各国の新聞も雑誌も、「美しすぎる王子」としてこぞって取り上げ、経歴なども掲載されていた。
元気で良かった、本当に美人になったんだなぁ、などと、遠い親戚のおじちゃん気分で眺めていたというのに、こんな事態になってしまった。
人を転移させる魔法陣が、あんな場所にあるなんて、異常である。
Aランク冒険者として、長らく最前線を走ってきたレフ達も初見だったし、ダンジョンでも見たことのない代物だった。
ミカエル王子は、「緊急事態」と言った。
その緊急事態を引き起こしたのは、聖女だった。
どういうことかと聖女に尋ねたが、返ってきたのは、「たぶんボスフィールドじゃねーかなぁ?知らんけど」と、なんともいい加減な言葉だった。
聖女のスキルで発動するフィールドが、緊急事態でないわけがない。
転移した先に何が待ち受けているのか、聖女自身が知らなかった。
知らないのにスキルを使い、自分は範囲外に逃げていて、ミカエル王子とご友人を巻き込んだのだ。
「んじゃ、戻って来るまできゅうけーい!」
軽く宣い、聖女は天幕へと歩き出す。
レフ達四人は顔を見合わせ、即座に報告すべく二名を護衛に残し、二名で北方都市へと走ったのだった。
二人いれば、道中の魔獣はなんとかなる。
ルートは記憶していたので、リポップしていれば気づかれないよう、迂回して進めば良かった。
十分で着替える、と宣言した通り、公子は装備を整え現れた。
勇者と王太子もちょうど着替えて部屋へと現れたが、最高司祭は戻っている途中、ということで間に合わなかった。
ミーナを残し、レフと公子達は走り出し、魔法陣の場所へと急いだ。
「…聖女はなぜ、そんな愚行をしたのか?」
公子の問いに、レフが答えられるはずがない。
「…わかりません。デートがどうの、と、おっしゃっていました」
北門までは馬で、魔族領に入ってからは走りながらの会話だったが、息を切らすこともなく、勇者一行はレフについて来ていた。
「…スキルを使ってまで?」
「ご友人様が、崖の下にある場所に行きたかったようです。崖の下なら、スキルを使えば行けるんじゃないか、と、聖女様がおっしゃっていました」
「馬鹿か?」
「……」
それには、沈黙で答えた。
公子達も、気づいたのだ。
聖女のスキルを発動させて移動する場所など、碌な場所ではない。
この世界には、ボーナスステージ、なんてものは存在しない。
ひたすらにレベル上げをし、魔獣を倒し、魔族を倒さなければならないように、出来ていた。
魔王復活に呼応するかのように魔獣の数が増え、ランクの高いものが出現するようになり、魔族が悪影響を及ぼしてくる。
各国から依頼を受け、レベル上げを目的に魔獣を倒し、知名度を上げて支援を増やしながら、魔王討伐へと向かう導線が、出来ているのだ。
聖女のスキルが必要とされるのは、魔王戦のみ、とされていた。
なのにここで、必要になる意味とは?
魔王並の何かが、いる、ということではないのか。
「…ミカエルは、一人なんだろう?」
「…ご友人様もいらっしゃいますが」
「邪魔にしかならない」
「……」
公子達も、聖女とご友人のことはよく思っていないのだな、と、レフは思った。
勇者と王太子は、深刻な表情をしている。
ミカエル王子は、重要な戦力だった。
一人欠けたら、大変な損失だ。
おまけにこの国の、王子だった。
聖女に殺されたも同然となったら、どうなるのだろう。
政治に興味はなかったが、とんでもないことになるのではないか、ということはわかった。
「…間に合うでしょうか…」
勇者の呟きに、誰もが口を閉ざす。
ミカエル王子は、無事なのか。
これは夢なのか妄想なのか、ミカエルは判断が付かずただ目を瞠って、目の前の男を地面から見上げることしか出来なかった。
以前にも、死にかけた時に助けてもらったことがあったが、あの時は違う男だった。
今目の前にいるのは、ミカエルに最も近しい相手だった。
「…アル、…?」
「従魔を回復してくれて、助かった」
「……なん…?」
もう、まともに声も出ない。
うつ伏せで倒れているミカエルは、両腕をついて上半身を起こそうとしたが、途中で力が抜けて、地面に伏せた。
アルヴィスが防御結界を張って黒龍の攻撃を無効化しながら、ミカエルの身体を抱き起こす。
…え、攻撃、完全に弾いてますけど。
呆然と見ていると、アルヴィスはミカエルを抱き上げて、壁際へと凭れかからせてくれた。
「ここにいろ」
「…うん…でも」
「すぐ終わる」
「……」
緩やかに黒髪を風に靡かせ微笑むアルヴィスは、この場においては神に見えた。
余裕の表情でミカエルの汚れた頬を一撫でし、すぐさま立ち上がって黒龍を睨み据える。
戦闘中一声も発することのなかった黒龍が、初めて咆哮を上げた。
耳をつんざく音量は、防御結界の中にいれば耐えることが出来たものの、全身の震えまでは止められなかった。
怖い。
あの龍はやっぱり、とても強い。
下限レベルに達しているとはいえ、ミカエルが挑むには、まだ早かった。
…好きで挑んだわけではなかったが。
『古の王かと思ったら、何だ貴様は。脆弱な人間め』
「……は…!?」
龍が、喋った。
しかも、古代語だった。
アレは、魔獣ではないのか。
魔獣でも、喋れる個体がいるのか。
疑問に思うミカエルに答えてくれる者はなく、正面に立つアルヴィスは、無言だった。
彼が古代語を解するかどうかは、知らなかった。
チート魔族の彼なら理解してそう、と、根拠もなく疲労困憊の脳で考えていると、アルヴィスが右手を前に翳した。
『哀れな同類。さっさと死ね』
容赦のない、古代語だった。
右手を握りしめるように閉じた瞬間、黒龍の全身から夥しい量の血が噴き上がった。
握力の強さで林檎を握り潰すように、黒龍の身体がぐしゃりと潰れた、ように見えた。
「……」
ミカエルは言葉もなく、断末魔の絶叫を上げる黒龍を見ていた。
夢かな?
勝ち目もなく絶望していた相手が、為す術もなくアルヴィスに殺されるのだ。
ギャグかな?
巨体は見る影もなく、丸められた紙のような姿で地面へと崩れ落ちた。
赤黒い血が地面を染め、じわじわとその範囲を広げている。
死んだのか。
あっさりと。
…ああ、助かったのだ。
本当に、ありがたい。
龍とアルヴィスの間を、無意識に視線が行き来した。
助けに来てくれて、感謝しかなかった。
だが、敵を倒したのに、アルヴィスはこちらを見ることはなかった。
「…アル…」
「ラダーニエ」
ミカエルの言葉を遮り、アルヴィスが呼んだのは、彼を「我が君」と呼ぶ、魔族だった。
「御前に」
「…後を頼む」
「御意」
すぐさま姿を現した藍色の髪の美しい男は、ミカエルへと一礼し、「すぐに戻って参りますので、お待ち下さい」と言い置いて、アルヴィスを連れて転移していった。
一分も経たないうちにラダーニエは戻って来て、ミカエルの状態を確認してから、安堵の息を吐いた。
「…ミカエル様がご無事で、本当にようございました」
「…あ、ありがとう、ございます…。…アルは…?」
「戻られました。まずは、こちらの処理を優先致しましょう」
「…はい…」
アルヴィスの様子がおかしかったことについては一旦置いて、現状をどうするかへと目を向けた。
ずいぶんと離れた所で倒れていたノアを、連れて来てくれたラダーニエに礼を言いつつ受け取ると、今度こそノアは影の中へと沈んでいった。
しばらくゆっくり休んで欲しい。
その場から動けず座り込んだままのミカエルに代わって、ラダーニエは色々と動いてくれていた。
「まずはこちらが、ニーズヘッグの戦利品になります」
「…に、ニーズヘッグって…」
神話に出てくる、蛇じゃないですか。
「アレの名前が、ニーズヘッグと申します。アレを倒した最初で最後の勇者に与えられるべき剣、ダーインスレイヴです。お納め下さい」
恭しく差し出された剣は、黒い鞘に収まっていた。
精緻な装飾は美しいものの、なぜだか禍々しい印象だ。
柄に嵌った魔石は、虹色だった。
神話になぞらえているのなら、ダーインスレイヴは一度鞘から抜くと、生き血を浴びて完全に吸うまで鞘には戻らない、という魔剣のはずだ。
「…これは、アルがもらうべきでは?」
「ミカエル様に、と、我が君はお望みです」
「…そう…。では…ありがたく」
「ありがとうございます」
あとでアルヴィスに渡そうと考えつつ受け取って、マジックバッグへと収納した。
遠くに転がっていたミカエルの剣も拾って来てくれたので、礼を言った。
血や肉片や鱗の欠片などが付着し汚れているので、後で浄化しようと地面に置いた。
どうやって上に戻ろうかと思案していると、片膝をつき、低姿勢のラダーニエが案をくれた。
「冒険者が、北方都市の勇者の元へ、知らせに走っております。往復で二時間程で到着するかと思われます。それまでは、こちらでお休み頂くのがよろしいかと」
「…そうします」
どうして、とは問わなかった。
まず、ミカエル自身が休憩しなければ、もう動けない。
仮に動けたとしても、暗殺者と聖女のいるあの場所に戻って、自分が冷静でいられる自信がなかった。
揉め事を起こしたら、皆に迷惑がかかる。
頭を冷やす時間が、必要だ。
「…ご友人殿は?」
「あちらで、気絶してますね。放置でよろしいと思います」
「…あ、ハイ」
ラダーニエの、ご友人に対する対応が塩だった。
寝ていてくれるなら、面倒がなくていい。
「ニーズヘッグの死体ですが、あのまま放置されることを、おすすめさせて頂きます。聖女の罪を明らかに出来ますし、ミカエル様の功績にもなります。素材は通常、倒した者に占有権がございますので、どうされるかは、手に入れられてから、お考えになられるとよろしいかと存じます」
「…あ、ハイ」
これからの対応方法を教えてくれている。
ありがたかった。
ミカエルは、素直に頷いた。
そうしている間にも、眠気が強くなってきて、抗い難くなっていた。
瞼が落ちそうになるのを堪えていると、ラダーニエが「どうぞお休み下さい」と言ってくれたので、そのまま少し、眠ることにした。
「…後程、我が君の様子も、見に行って差し上げて下さい…」
遠く聞こえた言葉には、「当然そうする」と答えた気がしたが、口に出せていたかどうかは、わからなかった。
勇者様ご一行に緊急の用件があると最初に伝えられたのは、リーダーである公子バージルだった。
聖女の身に何かあったのかと思い話を聞き、険しい表情をしながら立ち上がり、装備を用意するよう秘書官達に命令した。
「アベル殿とロベルト王太子にも至急知らせろ。最高司祭は…どこだ?」
「本日は、聖教会にいらっしゃるかと」
「呼び戻せ!今すぐに!!」
「御意」
「十分で用意を済ませる。他が間に合わなければ先に行く。…一人は残れ。一人は案内を」
「は、はい」
秘書官達が迅速に動く中、Aランク冒険者二名は冷静な公子に頼もしさを感じていた。
二名の冒険者は、新たに追加されたメンバーだった。
人族の男レフと、熊獣人の女ミーナである。
彼らも冒険者ギルドから打診を受け、莫大な報酬につられて引き受けたクチだった。
蓋を開けてみれば、先に依頼を受けていたヤシュバルとアショクからは同情の視線を向けられ、実態は聖女とご友人の護衛、という名の奴隷だった。
それでも自分達はまだマシな扱いだったのだと気づいたのは、同行している魔術師と司祭達の扱いを見てからだった。
今代の聖女サマって、こんなんなの?
それが、人族レフが抱いた感想だった。
物語に語られる聖女様は、魔王を討伐する為に、異世界より遣わされし神の御使いであり、慈愛に満ち人々を助け、勇者と共に平和を取り戻してくれる、清らかで崇拝すべき存在だった。
実際に聖女様を奉る宗教も各地で人気であり、聖堂が建てられ聖地巡礼もされているのだ。
正体がコレだなんて、物語は嘘っぱちだな、と夢を打ち砕かれたような虚しさを覚えたのは、つい最近のことである。
勇者パーティーと別行動を取り、何かを探していることには気づいていたが、まさかあんなことをやらかすとは、思ってもいなかった。
一目見ただけで度肝を抜かれる、美貌のミカエル王子が魔法陣の光に吸い込まれたのは、ほんの一時間程前のことだった。
十年くらい前に船で助かった王子サマ、のことは、最近になって世界中で話題になっているから知っていた。
各国の新聞も雑誌も、「美しすぎる王子」としてこぞって取り上げ、経歴なども掲載されていた。
元気で良かった、本当に美人になったんだなぁ、などと、遠い親戚のおじちゃん気分で眺めていたというのに、こんな事態になってしまった。
人を転移させる魔法陣が、あんな場所にあるなんて、異常である。
Aランク冒険者として、長らく最前線を走ってきたレフ達も初見だったし、ダンジョンでも見たことのない代物だった。
ミカエル王子は、「緊急事態」と言った。
その緊急事態を引き起こしたのは、聖女だった。
どういうことかと聖女に尋ねたが、返ってきたのは、「たぶんボスフィールドじゃねーかなぁ?知らんけど」と、なんともいい加減な言葉だった。
聖女のスキルで発動するフィールドが、緊急事態でないわけがない。
転移した先に何が待ち受けているのか、聖女自身が知らなかった。
知らないのにスキルを使い、自分は範囲外に逃げていて、ミカエル王子とご友人を巻き込んだのだ。
「んじゃ、戻って来るまできゅうけーい!」
軽く宣い、聖女は天幕へと歩き出す。
レフ達四人は顔を見合わせ、即座に報告すべく二名を護衛に残し、二名で北方都市へと走ったのだった。
二人いれば、道中の魔獣はなんとかなる。
ルートは記憶していたので、リポップしていれば気づかれないよう、迂回して進めば良かった。
十分で着替える、と宣言した通り、公子は装備を整え現れた。
勇者と王太子もちょうど着替えて部屋へと現れたが、最高司祭は戻っている途中、ということで間に合わなかった。
ミーナを残し、レフと公子達は走り出し、魔法陣の場所へと急いだ。
「…聖女はなぜ、そんな愚行をしたのか?」
公子の問いに、レフが答えられるはずがない。
「…わかりません。デートがどうの、と、おっしゃっていました」
北門までは馬で、魔族領に入ってからは走りながらの会話だったが、息を切らすこともなく、勇者一行はレフについて来ていた。
「…スキルを使ってまで?」
「ご友人様が、崖の下にある場所に行きたかったようです。崖の下なら、スキルを使えば行けるんじゃないか、と、聖女様がおっしゃっていました」
「馬鹿か?」
「……」
それには、沈黙で答えた。
公子達も、気づいたのだ。
聖女のスキルを発動させて移動する場所など、碌な場所ではない。
この世界には、ボーナスステージ、なんてものは存在しない。
ひたすらにレベル上げをし、魔獣を倒し、魔族を倒さなければならないように、出来ていた。
魔王復活に呼応するかのように魔獣の数が増え、ランクの高いものが出現するようになり、魔族が悪影響を及ぼしてくる。
各国から依頼を受け、レベル上げを目的に魔獣を倒し、知名度を上げて支援を増やしながら、魔王討伐へと向かう導線が、出来ているのだ。
聖女のスキルが必要とされるのは、魔王戦のみ、とされていた。
なのにここで、必要になる意味とは?
魔王並の何かが、いる、ということではないのか。
「…ミカエルは、一人なんだろう?」
「…ご友人様もいらっしゃいますが」
「邪魔にしかならない」
「……」
公子達も、聖女とご友人のことはよく思っていないのだな、と、レフは思った。
勇者と王太子は、深刻な表情をしている。
ミカエル王子は、重要な戦力だった。
一人欠けたら、大変な損失だ。
おまけにこの国の、王子だった。
聖女に殺されたも同然となったら、どうなるのだろう。
政治に興味はなかったが、とんでもないことになるのではないか、ということはわかった。
「…間に合うでしょうか…」
勇者の呟きに、誰もが口を閉ざす。
ミカエル王子は、無事なのか。
これは夢なのか妄想なのか、ミカエルは判断が付かずただ目を瞠って、目の前の男を地面から見上げることしか出来なかった。
以前にも、死にかけた時に助けてもらったことがあったが、あの時は違う男だった。
今目の前にいるのは、ミカエルに最も近しい相手だった。
「…アル、…?」
「従魔を回復してくれて、助かった」
「……なん…?」
もう、まともに声も出ない。
うつ伏せで倒れているミカエルは、両腕をついて上半身を起こそうとしたが、途中で力が抜けて、地面に伏せた。
アルヴィスが防御結界を張って黒龍の攻撃を無効化しながら、ミカエルの身体を抱き起こす。
…え、攻撃、完全に弾いてますけど。
呆然と見ていると、アルヴィスはミカエルを抱き上げて、壁際へと凭れかからせてくれた。
「ここにいろ」
「…うん…でも」
「すぐ終わる」
「……」
緩やかに黒髪を風に靡かせ微笑むアルヴィスは、この場においては神に見えた。
余裕の表情でミカエルの汚れた頬を一撫でし、すぐさま立ち上がって黒龍を睨み据える。
戦闘中一声も発することのなかった黒龍が、初めて咆哮を上げた。
耳をつんざく音量は、防御結界の中にいれば耐えることが出来たものの、全身の震えまでは止められなかった。
怖い。
あの龍はやっぱり、とても強い。
下限レベルに達しているとはいえ、ミカエルが挑むには、まだ早かった。
…好きで挑んだわけではなかったが。
『古の王かと思ったら、何だ貴様は。脆弱な人間め』
「……は…!?」
龍が、喋った。
しかも、古代語だった。
アレは、魔獣ではないのか。
魔獣でも、喋れる個体がいるのか。
疑問に思うミカエルに答えてくれる者はなく、正面に立つアルヴィスは、無言だった。
彼が古代語を解するかどうかは、知らなかった。
チート魔族の彼なら理解してそう、と、根拠もなく疲労困憊の脳で考えていると、アルヴィスが右手を前に翳した。
『哀れな同類。さっさと死ね』
容赦のない、古代語だった。
右手を握りしめるように閉じた瞬間、黒龍の全身から夥しい量の血が噴き上がった。
握力の強さで林檎を握り潰すように、黒龍の身体がぐしゃりと潰れた、ように見えた。
「……」
ミカエルは言葉もなく、断末魔の絶叫を上げる黒龍を見ていた。
夢かな?
勝ち目もなく絶望していた相手が、為す術もなくアルヴィスに殺されるのだ。
ギャグかな?
巨体は見る影もなく、丸められた紙のような姿で地面へと崩れ落ちた。
赤黒い血が地面を染め、じわじわとその範囲を広げている。
死んだのか。
あっさりと。
…ああ、助かったのだ。
本当に、ありがたい。
龍とアルヴィスの間を、無意識に視線が行き来した。
助けに来てくれて、感謝しかなかった。
だが、敵を倒したのに、アルヴィスはこちらを見ることはなかった。
「…アル…」
「ラダーニエ」
ミカエルの言葉を遮り、アルヴィスが呼んだのは、彼を「我が君」と呼ぶ、魔族だった。
「御前に」
「…後を頼む」
「御意」
すぐさま姿を現した藍色の髪の美しい男は、ミカエルへと一礼し、「すぐに戻って参りますので、お待ち下さい」と言い置いて、アルヴィスを連れて転移していった。
一分も経たないうちにラダーニエは戻って来て、ミカエルの状態を確認してから、安堵の息を吐いた。
「…ミカエル様がご無事で、本当にようございました」
「…あ、ありがとう、ございます…。…アルは…?」
「戻られました。まずは、こちらの処理を優先致しましょう」
「…はい…」
アルヴィスの様子がおかしかったことについては一旦置いて、現状をどうするかへと目を向けた。
ずいぶんと離れた所で倒れていたノアを、連れて来てくれたラダーニエに礼を言いつつ受け取ると、今度こそノアは影の中へと沈んでいった。
しばらくゆっくり休んで欲しい。
その場から動けず座り込んだままのミカエルに代わって、ラダーニエは色々と動いてくれていた。
「まずはこちらが、ニーズヘッグの戦利品になります」
「…に、ニーズヘッグって…」
神話に出てくる、蛇じゃないですか。
「アレの名前が、ニーズヘッグと申します。アレを倒した最初で最後の勇者に与えられるべき剣、ダーインスレイヴです。お納め下さい」
恭しく差し出された剣は、黒い鞘に収まっていた。
精緻な装飾は美しいものの、なぜだか禍々しい印象だ。
柄に嵌った魔石は、虹色だった。
神話になぞらえているのなら、ダーインスレイヴは一度鞘から抜くと、生き血を浴びて完全に吸うまで鞘には戻らない、という魔剣のはずだ。
「…これは、アルがもらうべきでは?」
「ミカエル様に、と、我が君はお望みです」
「…そう…。では…ありがたく」
「ありがとうございます」
あとでアルヴィスに渡そうと考えつつ受け取って、マジックバッグへと収納した。
遠くに転がっていたミカエルの剣も拾って来てくれたので、礼を言った。
血や肉片や鱗の欠片などが付着し汚れているので、後で浄化しようと地面に置いた。
どうやって上に戻ろうかと思案していると、片膝をつき、低姿勢のラダーニエが案をくれた。
「冒険者が、北方都市の勇者の元へ、知らせに走っております。往復で二時間程で到着するかと思われます。それまでは、こちらでお休み頂くのがよろしいかと」
「…そうします」
どうして、とは問わなかった。
まず、ミカエル自身が休憩しなければ、もう動けない。
仮に動けたとしても、暗殺者と聖女のいるあの場所に戻って、自分が冷静でいられる自信がなかった。
揉め事を起こしたら、皆に迷惑がかかる。
頭を冷やす時間が、必要だ。
「…ご友人殿は?」
「あちらで、気絶してますね。放置でよろしいと思います」
「…あ、ハイ」
ラダーニエの、ご友人に対する対応が塩だった。
寝ていてくれるなら、面倒がなくていい。
「ニーズヘッグの死体ですが、あのまま放置されることを、おすすめさせて頂きます。聖女の罪を明らかに出来ますし、ミカエル様の功績にもなります。素材は通常、倒した者に占有権がございますので、どうされるかは、手に入れられてから、お考えになられるとよろしいかと存じます」
「…あ、ハイ」
これからの対応方法を教えてくれている。
ありがたかった。
ミカエルは、素直に頷いた。
そうしている間にも、眠気が強くなってきて、抗い難くなっていた。
瞼が落ちそうになるのを堪えていると、ラダーニエが「どうぞお休み下さい」と言ってくれたので、そのまま少し、眠ることにした。
「…後程、我が君の様子も、見に行って差し上げて下さい…」
遠く聞こえた言葉には、「当然そうする」と答えた気がしたが、口に出せていたかどうかは、わからなかった。
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「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
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