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 9 婚儀

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 静まりかえる東の国の軍。


 その気配は森だ。殺意を孕んだ森だ。


 先頭を駆ける男は笑う。快活に笑う。

「皆の者よ! 我らは常敗と言われる男を追い詰めたのだ!

 五十に満たぬ我らから逃げるわけにはいかぬからな!」


 男は珍しく背後を振り返った。


 女がいた。

 副官を含め四十七騎の狂犬どもがいた。

 一人も欠けていなかった。


 男は、彼らを目に焼き付けるように、しばし見つめた。

 そして前を向き、叫んだ。


「突撃せよ!」


 森が発火した。

 無数の火矢が放たれ、満点を紅に染め、男と女と四十七騎の狂犬を照らし出した。

 平原の下草は燃え上がり、狂犬達の姿を浮かび上がらせる。

 だが臆せず狂犬は駆ける。人工の夕暮れを駆ける。


 東の軍から声があがる。

 敵を少勢と侮るな! あの大王の戦士、一騎当千の強者つわもの揃いと心得よ! 放て! 放て! 


 星を隠すほどの凄まじい矢の雨が狂犬の群を襲う。

 何者も避け得ぬ死に対し、狂犬どもは快活に笑う。


 我らが王の婚儀にふさわしきいくさば。我ら今こそ王のために死すべき時ぞ!


 これが最後の御奉公とばかりに、彼らは死にゆく者だけが可能な速度で前へ飛び出す。

 加速。加速。加速! いつもならありえない速度だ。


 王よ! 我らが王よ! お先に御免!


 ますます速く駆けながら最後の挨拶をすると、彼らの王の前へ飛び出して無数の矢を浴びる。


 御武運を!


 その言葉を最後に事切れていく。

 だが矢の塊となっても彼らは落馬しない。もはや人馬とも死んでいる筈なのに、駆け続ける。


 東の軍から漏れるのは、初めての狼狽。


 馬鹿な! 有り得ぬ! あの矢の雨を突破すると言うのか!? 弓兵下がれ! 槍隊を前へ! 

 恐れるな! 奴らは弓さえもたぬ騎馬の群れ! 槍には勝てぬ!


 遅い。

 いや普通なら問題ない。だが遅い。

 迫る狂犬どもに対しては遅すぎた。


 慌てて作られる槍衾が整わぬまま、獣に躍りかかられる。

 狂犬どもは歩兵の陣列を噛み千切る。首を振り回し引き裂く。


 止めろ! 奴らを止めるのだ!


 男に立ち塞がろうと次々と現れる勇者達。

 いずれ狂犬どもに劣らぬ武勇を誇る者たち。

 いや狂気でなく武勇なら、彼らの方が上回ってさえいただろう。

 だが、彼らが狂犬の王に立ち塞がろうと躍り出るやいなや、全て鎧の隙間を射貫かれて命を散らす。


 女が弓を射る。その度に勇者が命を散らす。

 男が愉快そうに

「俺の獲物を全て狩るとは、欲どしい女よ!」

「全て我が夫へ捧げる供物で御座います」



 一瞬出来た陣列の隙間、男は身を躍らせて貫く。

 前衛を率いる将軍の首筋を、男の振るった槍が薙ぎ払う。

 馬の背から投げ出された首なしの胴体を振り返りもせず、その脇を駆け抜ける。
 

 東の軍の前衛は崩壊する。狂犬は突破する。


 追い立てろ! 狂犬に喰い殺されたくなくば逃げるのだ! 地の果てまでもな!


 夜は狂犬どもの土地。彼らの領土。

 濃厚な血のにおいは故郷の香り。


 だが、今までとは違う。

 前衛が崩れても、東の軍は崩れない。

 狂騒と崩壊に見舞われた前衛の背後で、第二陣は既に槍衾を構えている。

 武器と胆力が作り上げた不抜の陣。堅固なる長城。

 その長城の背後。誇らかに掲げられた軍旗は小揺るぎもしない。


 男は賛嘆する。

「素晴らしき威厳! 大将の威令が行き届いている印!

 流石は幾たび敗れても軍を乱れさせぬ男。

 我ら最後の戦にふさわしき敵!」


 副官が声を張り上げる。


「生き残った者たちよ! 今こそ我らの死に時!」


 応! と狂犬どもは咆吼する。


 今更決死の覚悟を固める者なし。

 なぜなら、常に死へ向かって疾走していたのだから。


 だが騎馬が槍衾をどう破るというのか。

 長槍の城壁は、騎馬にとって難敵。忌々しき天敵。


 副官は、彼の唯一無二の主へ、ニッカリ、と笑いかけ


「王よお先に行かせていただきます」


 その声を残し、槍衾など目の前にないとでもいう風に真一文字に駆ける。

 だが、そこに槍はある。

 馬を副官を十数本の槍が貫く。

 副官は血を吐き、散り際の微笑みを浮かべて絶命する。

 だが馬と副官の質量は全力で駆けた速度と合成され、天から落下した隕石にも等しい。

 その威力、破壊力が、槍衾を構えた歩兵戦列に投げ出される。炸裂する。

 馬体が槍兵達を押し潰す。槍衾の林は乱れ薙ぎ払われる。


 なるほど!

 要は真一文字に突き進めば良いだけか!


 得心と賛嘆の声と共に、狂犬どもは次々と槍衾に身を投げる。

 馬体と狂犬の砲弾が、槍衾に次々と炸裂する。

 狂気と威力に槍衾は綻び、喰い千切られ、突破された。


 まだ狂犬は生きている。

 男と女を除けば二十五人が、槍衾を突き抜け、前へ前へ! 


 だが、今までとは違う。

 槍衾が破られても、東の軍は崩れない。


 狼狽えるな!

 奴らは魔ではない! 単なる人だ!

 首を切るか、心の臓を貫けば死ぬ!


 歴戦の指揮官達は兵を叱咤し、狂犬どもに立ち向かってくる。

 
 間違いだった。

 いや、普通なら問題ない。だが間違っていた。

 今の狂犬どもに対しては間違っていた。


 声を張り上げる指揮官達は、どこからともなく飛来する矢によって、次々と射殺されていく。

 兜の鎧の隙間を縫う正確無比なる狙撃。

 多くは一撃で絶命する。

 幸運と反射に恵まれ、辛うじて回避した者も、姿勢を崩される。

 そこへ男やそれに続く狂犬どもの斬撃を浴びて死んでいく。


 恐れるな! 弓騎兵は一人だけだ! 矢筒の矢は無限ではない!


 歴戦の指揮官達の冷静な声が、戦列の崩壊を押しとどめる。


 誤断だった。

 いや、普通なら誤断ではない。だが誤断だった。

 女に対しては誤断であった。


 飛来する矢は途絶えることなく、指揮官達を狙撃し続ける。

 無限に矢を納める矢筒があるとでもいうふうに。

 声を出すこと、すなわち死。

 婚礼の薄衣をまとった白衣の女は、死神であり狂犬達の守護天使だ。


 指揮官の一人が目を血走らせて叫んだ。


 なぜあの女の矢は尽きない!?


 声に一拍遅れて死が飛来した。それは正確に額の中心を射貫いた。

 叫びをあげた指揮官は、こときれる寸前に見た。

 今まさに落馬しつつある自分の背中の矢筒から、女が矢を抜き取って補充するのを。


 ――矢筒に補給していたのは我らであったのか――


 それが彼の最後の意識。


 声を出すこと、すわなち死。

 それは、無意識のうちに歴戦の指揮官達の喉を締め上げ、僅かにだが指示を躊躇わせる。

 対処は徐々に後れ、ほころび、今や東の軍は崩壊の淵にある。 


 誰かがつぶやいてしまった。

 歴戦の指揮官の誰かがつぶやいてしまった。


 奴らは魔か!? 人でないのか!?


 それは小さなつぶやきだったのに、たちまちにして伝播した。

 誰もが言語化を恐れていたものを、形にしてしまったのだ。

 原初的な恐怖。

 まだ人間が地上で脆弱な一族でしかなかった頃の恐怖が、東の軍を飲み込んでいく。


 ついに、ついに、東の軍は崩壊した。

 まだ朝までは僅かに時間のある夜の野原を、逃げ回る羊の群と化した。、


 だが、今までとは違う。

 東の軍は完全には崩れない。

 幾度もの敗軍を経験し、一度も崩れる事を知らぬ中核は崩れない。

 誇らかに掲げられた軍旗は小揺るぎもしない。

 磨き抜かれた鋼の輝きに守られた、重装騎兵と重装歩兵の壁。

 馬と不抜の鋼をもって狂犬どもを鏖殺する構え。


 朝の光がにじみ出し始めた平原で、両者は相対する。
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