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64.『高い城』攻防戦 二日目 夜(3) 奇跡って起きないよね
しおりを挟む光が全くささない闇の中。
この区画は、放置されてるから灯りもついていない。
持ってきた靴を手探りで履いてから、足元と壁の感触だけを頼りに進む。
「たまに水たまりがあるから気をつけて、滑るから」
「わかった。ここは……?」
マリーがぴったりとオレに寄り添いながら小声で訊いてくる。
先も見えない暗闇を、オレの手だけに導かれて歩いているのに、声には不安の色がなかった。
そこまで信頼してくれてるんだ。
「5000人兵隊さんがいたときの、居住区の一部。すごいよな。前に灯りをもって入ったことあるけど、どこも壊れていないんだ」
「バルガスさん達はここのことを?」
「知ってはいる、と思う。入り口の階段が隠されてるわけじゃないし。だけど入ったことは……ほとんどない、と思う」
「あんたのことだから、全部見て回ったんでしょ」
「仕事場だから」
2年間ここで仕事をしていたオレは、仕事場を把握するべく、不完全な図面を見ながら何度も何度も関所中を見て回った。どこにどんな部屋があるかは全部知っている。
よほどの古参以外は知らない場所も。
ひょっとすると古参さえも知らない場所まで。
幾つもの分岐と長い長い廊下をひたすら通り抜けていくと、突き当りに朽ちかけて半分開いた大きな扉があった。
そこからわずかだが光が漏れている。
マリーの白い肌が、ぼんやりと浮かび上がる。
「ここは……聖堂?」
「うん。昔はね。ここに聖職者なんかも常駐してたらしい。ちょっとだけ道具とかも残っていた」
扉の間から入ると、天井が高い空間に出る。
ところどころ剥げてはいるものの壁は真っ白に塗られ。
両脇には明り取りの巨大な縦長窓が並び。
正面には祭壇。巨大な燭台が聳えている。金箔が全部剥がされて鉄の素材が剥き出しになっている。
燭台の背後の壁には、大きなステンドグラス。
「きれい……」
昔の建国神話。太古の神々が人間に知恵をさずける光景だ。
奇跡的にこれだけは壊れていない。
月と星の光で、夢みたいにきらきらとしている。
だけど見上げるマリーの横顔の方がきれいに見えた。
肩までで切られた髪は、ほこりまみれの筈なのに、かすかに光っているみたいだった。
鼻はひくめだけどかたちがいい。
どうしよう、ちょっとしたことで、彼女のうつくしいところや愛らしいところを見つけてしまう。
「ここってもしかして……王都側?」
「あっ、ああ、そうだよ」
『高い城』はかつて、ミリオンとの最前線だった。
ガブリアス峠を塞ぐように作られた『高い城』には、当然、ミリオンの反対側にあたる部分にも施設がある。
「来た時に、ちらっと、ステンドグラスが見えた気がしたの。見間違えかと思ったけど。本当にあったんだ」
「ミリオンが攻めてきた頃は、こちら側のほうが安全だったからね。居住区とか倉庫は大部分こちら側にあったんだ」
祭壇の後ろ、ステンドグラスの下には、小さな扉があった。
扉の表面は、壁と同じ白に塗られている。
知らなければ、見つけることさえ出来ないだろう。
「隠し扉みたい」
「隠し扉だよ。奇跡を起こすためなんだそうだ」
扉を開けると、石造りの急な螺旋階段が現れる。
「奇跡?」
「この階段を登れば判るよ」
オレが先に立って階段を上る。
後ろでマリーが扉を閉めたので、真っ暗で、闇の中に放り込まれたみたいだ。
でも、ふたりでいれば怖くない。
高い天井と同じだけの高さを登ると、小さな部屋に出る。
人がふたり並んで寝たらいっぱいになってしまう広さだ。
少しかがまないと立てない部屋に窓はない。
窓の代わりに、外から見ると装飾に偽装してあるらしい明り取りがついている。
「ほら見て、床に小さなふたがあるだろ? これを開けて、細い光を下に当てて聖職者を照らしたり、金粉を降らしたりしたらしい。使う装置はなくなってたけど、落ちてた手書きの手引書にそう書いてあった」
「昔にも、ヒースみたいになんでもきっちり書く人がいたんだ」
「ずいぶん昔のものだったらしくて一度読んだらバラバラになっちゃったよ。他にもいろいろ落ちてるけど、みんな古い字体なんでほとんど読めなかった……学者さんでも連れて来れば」
「ここにある紙くずって、みんなそういうの?」
「うん。じっくり読みとれば貴重なことが書いてあるのかもしれない……って、マリー!?」
マリーは明り取りがついた壁の反対側の壁あった小さな暖炉に、バラバラの紙くずと化した古い書物を次々と放り込んでいく。
「ヒースはすっかり忘れてるらしいけど。今、冬だよ。暖がないとふたりとも風邪ひくよ」
「あ……」
考えてもいなかった! こんなに寒いのに!
「あんなに緻密で考え抜いた作戦計画を立てられるのに、咄嗟の計画は立てられないんだから」
マリーは火打石で、かちかちと火花を出すと、暖炉に入れた紙くずに火をつけた。
「うわぁぁぁ! 貴重な書物かもしれないものが!」
「それは同意だけど、ここで二人そろって震えてたい? 風邪じゃすまないかも」
容赦なくくべていく。
ぼわっと燃え上がり。温かさが辺りに広がってくる。
「だ、だけど、あ、明り取りから暖炉の光が漏れたら」
マリーは、あのサイズがあっていない制服を脱ぐと、明り取りの上についた釘(絵が入った額でもかけてあったのかな)にひっかけて、オレの異議をあっさり黙らせた。
ああ……貴重かもしれない記録が……。
だけど、部屋があたたかくなってきたのは事実だった。
「うん。よく燃えてるから大丈夫みたい。これなら空気が悪くなることもなさそう」
……ごめんなさい昔の人。
オレがここでの仕事を続けるために、少々の破壊をお許しください。
暖炉のそばで、ふたり膝を抱えて身を寄せ合って座り込む。
暖炉の炎や制服より、マリーのほうがあたたかい気がする。
「もう気づいたかな?」
「多分」
バルガスはすぐ気づいただろう。
シーツと毛布で作ったヒモでは、オレ達のどちらかひとりすら支えられない。
マリーが下へ投げ落とした制服の上着だって、大した時間稼ぎにはならないだろう。
オレ達は生きていて関所内へ逃げた、と判断するはず。
だが、兵隊さん達全員に、オレ達がいなくなったと告げて、捜索に協力させられるか?
無理だろう。
この状況で、帝国軍への警戒を中止出来ない。
3交代で警戒してるから、三分の一は警戒中で、三分の二は休憩中。
明日のことを考えれば、休憩してる兵隊さんを、無理やり参加させるのは自殺行為だ。
バルガスと仲間達だけで、しかも、他の兵員達に気づかれないように捜索することになる。
当然、こんな場所までは捜索の手が足りない。
「……ここに隠れていれば、朝まで見つからないだろう」
なぜ朝までなのか。
敵には時間がない。だが夜に攻めて来るとは考えずらい。
足元が見えない状況で、不安定な石だらけの傾斜を進むのは難しいからだ。
それに石の堆積は踏めば音を立てる。奇襲にもならない。
攻めて来るなら朝からだ。足場が悪くても、夜よりははるかに安全だ。
だから日が昇ってすぐに戻ればいい。
そうなればバルガス達がオレ達送り返す余裕はなくなる。
「じゃあ、それまでふたりきりね」
これが最後の夜になるかもしれないんだな。
明日。敵は必ず攻撃してくる。
ここを突破して王都を落す以外は、活路がないからだ。
2000強VS200弱。
まだもう2手用意しているが……余り期待できない。
一つは残った左翼を崩壊させること。
だが、あれだけ迅速にこちらの戦法に対応して来た敵が、思いつかないはずがない。
おそらく、崩壊した右翼方面から攻撃をかけてくるだろう。
もしかしたら、左翼へは攻撃すらしてこないかもしれない。
そして右翼残骸が作った石だらけの巨大な傾斜は、左翼を崩壊させたとしても、その破壊の勢いを止めてしまうだろう。つまり安全地帯になってしまっているのだ。
もう一手は、右翼崩壊ほど強烈じゃない。
圧倒的な人数差をどうにか出来る手ではない。
「……うん。ふたりきりだ」
オレは軍服の上着を、ふたりの膝小僧を覆うようにかけた。
「あたたかい……ヒースのにおいがする」
「臭かった……? 今日は水でぬぐってもいないから」
「それはあたしだって同じ。上等で上品なお貴族なら百年の恋もさめるようににおうでしょ?」
彼女のにおいは、オレを安心させる。
「隣にいてくれて安心する」
寒くて、反乱も起きてるっぽくて、明日の希望もないのに、心は穏やかだった。
「あたしも」
ふたりで何も言わずに、暖炉の火がはぜる音を聞いていた。
燃料の古い紙を火にくべる以外、オレ達は動かなかった。
しばらくして、マリーが口を開いた。
「ここってさ、奇跡のネタの部屋だったって言ってたよね」
「大したネタじゃなかったけどな」
「奇跡か……ネタがあってもいいから起きてほしい……」
それこそ今まさにオレ達に必要なもの。
だけど、起きないから奇跡だよなぁ。
オレもマリーも、まだ二十そこそこなのに。
平凡で凡庸な人生だったら、まだまだこれからの歳なのに。
明日が来なければいいのに。
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