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Stage1_B

モリビトノシゴト_コウ_2

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「これは、地の利があれば逃げ出せそうな距離ではあるね? 子の二人はなかなかここに来るまでに時間をかけていたから、道をしっかりと記憶しようとしていたのかもしれない」
「単純に逃げるだけなら、左手の法則に沿えば出られるけど。ここはそもそも彼らにとっての出口はないし。逃げるだけじゃ死んじゃうし。残酷」
「だからこそ、みんな輝くんですよ~? 死にたくないですからね~? うふふ、大抵の人は、ですけどぉ~」

 丙たちが喋っている間も、鬼と子の間で膠着状態なのは変わらなかった。ただただ時間が過ぎていくだけで、お互い一歩が出ないようにも見える。ジッと鬼は子たちを、子たちは鬼を見据えている。時折イヤホンから聞こえる荒い呼吸が、モニタの中の人間が生きていることを証明していた。――あの風貌の鬼と、血のこびり付いている大きな鉈へ立ち向かう勇気は、自分だったら皆無だと改は思った。きっと恐怖に負けて今のこの二人のように立っていることさえ不可能かもしれない。それだけでこの二人は凄いとも言える。だが、時間だけが過ぎどちらからもなにも行動が起こされない苛立ちと、このままいけば時間切れになってしまう焦りとで、余計に改からは汗が噴き出ていた。涼しい顔で見ているなんてできない。集中してモニタを見ているようで、改の頭の中はこんなことでいっぱいになっていた。

「――おっと? さすがに時間を気にしたのか! 鬼が二人から視線を外したぞ!?」

 丙の言葉に改も意識を戻す。鬼は焦ったのか、遠くの壁にデカデカと表示されている残り時間に目をやった。――その瞬間を、子たちは見逃さなかった。

「あっ! 行ったぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 D君がまず、鬼の元へと走った。体勢を低くして、タックルするように。そのあとを、Cちゃんが続いた。

『!? ……の野郎!!』

 気付いた鬼が慌てて鉈を構えたが、既に距離を詰めて鉈の可動域よりも内側に入ったD君は、鬼の身体に腕を回し、拘束するようにしている。そのため鉈を振るうことができず、今までリーチのある鉈で子を仕留めてきた鬼にとって、予想外の出来事だった。

『邪魔だな! どけ! オラ!!』
『うっ……』

 身体をよじり、D君の顔を殴りつける。持ち上げるように髪の毛も引っ張り引きはがそうとするが、それでもなお離れない彼に対し鉈を持っている方が邪魔だと思ったのか、足元へと捨てた。そしてまたD君の顔を殴りつけ、片手で首を掴むと壁に打ち付けて首を絞めようと力を込める。なんとかしようともがくD君を壁に打ち付けて大人しくさせると、再度両手に力を込めた。
 相変わらず、打ち付けた後の壁は皮膚の一部と血液がこびりついて、耐性が無ければ見られたものではなかった。今にも漂ってきそうな、血と肉のニオイを容易に想像できてしまう。

 ――カタン――と音が鳴り鬼の手を離れたそれは、気付いていたはずなのに気にも留めていなかった人へと、新たな所有権を移していた。

『……おもっ……! よくこんなのオモチャみたいに持ち歩いてたわね……』

 Cちゃんは、引き摺るようにして鉈を何とか持ち上げると、全身の筋肉を使って鬼へをのきっ先を向けた。しかし、このままでは分が悪いと思ったのか、ゆっくりと後ずさっている。

『アンタが死ぬ番よ』
『オイオイ、そんなへっぴり腰じゃあ、俺を殺ることは無理だぜ? 振り上げらんねぇなら、無用の長物だ。……違うか?』
『あら? そんなのわからないじゃない』
『見りゃわかんだろ。このオッサンだって多分無理だぜ?』

 ゴッ――

『――ごぉ、っ』
『オッサン!!』

 首を絞められ何度も頭を打ち付けられたD君は、強く壁にぶつけられるように鬼に放り出されると、そのまま崩れ落ちた。まだ身体は動いている。しかし、意識は朦朧としているようで、彼の命はもう風前の灯火かもしれなかった。そんなD君を一瞥すると、鬼は背を向けてCちゃんへと向かってゆっくりと歩き始めた。一歩近づくたびに、Cちゃんは半歩下がる。

『ホラ、寄こせよ。今ならまだ、一撃で仕留めてやんぜ? どうせ死ぬなら、即死の方が良いだろ?』
『……死ぬ気はないわよ……』
『どうせ死ぬんだ。ま、俺は死ぬ気はないからな。お前たちだけで死んでくれ』
『……アンタに殺されるなら、爆発して死んだほうがマシよ』
『言ってくれるねぇ。意識がちょっとでも残ったら地獄だろうに』
『アンタに殺されるほうが地獄だわ! ……あぁ。えぇ。うん。……それにね?』

 虚勢を張っているのか、Cちゃんの声はずっと震えていた。大きな声を出して、精一杯誤魔化しているように感じる。だが、落ち着きを取り戻されたと思われた時、ゲームはまた動いた。

 ズズッ――

『――あ?』

 ポタポタと鬼の身体から血が溢れ出した。腰の位置に一本ナイフが刺さっている。

『……はぁ、はぁ……。さすがに、心臓まで起き上がる元気は、もう、ないね……』
『てんめぇ!!』

 ヨロヨロと音もなく起き上がったD君が、鬼へ持っていたナイフを突き刺していた。力はなかったが、全身でナイフの一点へ寄りかかり、深く刺し込んでいる。そのまま力なく地面へ倒れこむと、沸点に達した鬼がその頭を踏みつけた。

『死ね! 死ね!!』

 ガッ――ゴッ――

『ぐ、うぐ、う……』

 手の届く位置にあったため、鬼は抜こうとナイフの柄に手をかけたが、このまま抜けば出血が酷くなると察し躊躇っているようだ。


『……』

 そこへ追い打ちをかけるように、最後の力を振り絞って腕の下敷きにするように隠していたもう一本のナイフをふくらはぎへ刺すと、一文字を描くように腕を動かした。

『ぐ、あぁぁぁぁぁぁ――!!』

 鬼が叫ぶ。今まで子に恐怖を与えていた鬼が、初めて子から恐怖を与えられる瞬間だった。

『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』

 痛みに涙を流しながら、膝から地面へと崩れ落ちる。他人の血ではなく、今度は自分の血で自分自身を染めていた。両手をついて、なんとか身体を支えてはいたが、痛みで声は止まらず、腕も震えている。開きっぱなしの口からは唾液と血液の混じった液体が垂れ始めていた。

 ――残り時間はほとんどない。

 鬼はこの状況をなんとか打開できないか、必死で考えを巡らそうとするものの、初めて感じる強い痛みでそれどころではなかいようだった。

『――この位置なら、アタシにもできると思うの』
『――あ。やめ――』

 ――ゴッ――

 Cちゃんによって精一杯の力で振り下ろされた鉈は、思わず見上げた鬼の額をかち割って、大量の血を噴出させた。その返り血を浴びたCちゃんは泣いていて、その虚ろな瞳では一撃で仕留めたかどうかもわからないのに、額から抜くことはせずそのままだらんと両腕を下ろした。
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