身に覚えはありませんか?

三嶋トウカ

文字の大きさ
6 / 25
夏:第1便~第3便

第5話:【第1便】特選ハンバーグ_5

しおりを挟む

 皿を洗い終えるころには、外の雨がやんでいた。窓枠の近くに、ひんやりとした湿り気のある匂いが留まっている。
 換気扇を止めると、部屋が急に静かになった。水滴が落ちる音と、スポンジの擦れる音だけが残る。流しのステンレスが光を反射して、白く光っていた。

「あー、美味しかったなあ。何度でも言っちゃう」

 思わず独り言が溢れる。ちゃんと料理して、最後まで食べ切った。それだけで一日が報われた気がする。

 手を拭き、冷蔵庫のドアを開ける。何か冷たいものでも飲もうと思った。あの美味しい脂を、喉の奥の奥へと流し込みたい。
 一番上の棚に、ソースを入れた小さなタッパーを置く。その奥から、微かにまた甘い匂いがした。

「ソースかな……強いね」

 自分に言い聞かせるように言って、すぐにドアを閉めた。

 テーブルの上には、まだアンケートの紙が残っている。夕食前に封筒から出しておいたままだ。
 座って、ボールペンを手に取る。美味しいものを食べられたのだ、これくらい協力したい。ライトを少し明るくして、悩みながら書き始めた。

 テーブルの上に広げたアンケート用紙を、私はペン先を軽くトントンと叩く。

「えっと……まずは『味はいかがでしたか?』」

 声に出して読んでみる。

「……『とても良い』」

 丸をつけながら、小さく笑う。

「ほんとに、美味しかったもんね。びっくりするくらい」

 次の欄を指でなぞる。

「ええっと……『香り・見た目はいかがでしたか?』……ふふっ、香りね。香りは……『上品』。あ、でも懐かしかったから、『懐かしい』って書いとこ。……あのときの匂いと似てた。あの、焦げ目のときの」

 少し手が止まる。視線が空中を彷徨い、とりあえず頷いてみる。

「……まあ、気のせいか」

 またペンを動かす。

「『調理方法』……『焼く』っと。煮込みにしても美味しそうだけど、やっぱりハンバーグは焼くよね。あ、でも、ソースは彼……じゃなくて、えっと……昔作ったやつを思い出して作っちゃった、と」

 自分で苦笑して、首を振る。

「変な話。懸賞のモニターに私情入れちゃだめだよね」

 そういえば、アンケートの類は苦手かもしれない。

「次、『その他お気づきの点』か。……うーん」

 少し考えて、ぽつりと呟く。

「『脂の香りと歯ごたえに、噛むたびに幸せな気持ちになりました』……これでいいか」

 ペンの先で句点を打つ。

「ほんとにそうだったし」

 書き終えてから、用紙を少し離して眺める。

「字、まっすぐ書けてるかな……うん、悪くない」

 軽く息を吐いて笑う。

「『毎月お届け』って書いてあったもんね。ほんとなら、来月も……来るんだよね」

 その声が小さくなっていく。

 アンケートはポストへ入れるつもりだったが、そういえば住所がわからない。この紙は自分の備忘録にするとして、QRコードを読み込んだ先のフォームから、同じように回答する。
 静かな空気の中、私は満足だなと思った。まるで宿題を提出した学生のような、すっきりした気分だった。

 書き終えてから、読み返す。文末の「幸せな気持ち」という言葉が、少し照れくさい。けれど、嘘ではない。心の底からそう思っていた。
 ペンを置き、軽くストレッチをして背伸びをする。窓の外は夜の色。雨上がりの空気が窓をつたいひんやりして、街灯の光が白く滲んでいた。遠くで電車の音が聞こえる。その音が、不思議と落ち着く。
 封筒にアンケートを入れて、テープで軽く留めた。出さないと決めたのに、この状態についしてしまう。

「アンケート、参考になると良いなぁ」

 呟いて、ペンをペン立てに戻す。そのとき、ペン立ての底から鉛筆が一本転がり出た。大学時代に彼とお揃いで使っていたものだ。芯が折れたまま、短くなっている。指で拾い上げ、しばらく見つめた。
 彼のことを思い出そうとした瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。

「……まだ残ってたんだ」

 泣きそうになりながら、引き出しの中に戻す。

 リビングの照明を落とすと、部屋に静けさが戻った。
 換気扇も止まっているのに、どこかで小さな音がした気がした。続いて、冷蔵庫のモーターが鳴る。すぐに止まり、また静かになる。
 まるで呼吸をしているようなリズム。

 ソファに座ってスマホを開く。昨日のハンバーグの投稿に『いいね』が増えていた。タグは『#おうちごはん』『#懸賞当選』『#モニター生活』。
 コメント欄に『美味しそう』『レシピ教えてください』『どのお店のお肉ですか?』と書かれているのを見て、思わず口角が上がった。

「ほんとにありがたいな」

 ふと、視界の端に何かが映った。冷蔵庫の扉だ。少しだけ光が反射している。照明の角度のせいかもしれない。それでも、一瞬だけ扉が動いたように見えた、風もないのに。

「……気のせい」

 そう言って、スマホをテーブルに置く。
 お湯を沸かしてハーブティーを淹れる。マグカップから立つ湯気が、ほんのり甘い香りを運んでくる。ラベンダーの香りと、どこかで混ざる肉の香り。
 少しだけ喉が詰まったが、落ち着いた気持ちで椅子に座る。

「幸せって、こういうのだよね」

 独り言がぽつりと落ちた。声に出すと、部屋の空気が少し柔らかくなった気がした。

 マグカップを持ち上げ、カーテン越しに外を見る。街灯の下、雨上がりの道がしっとり濡れている。
 その真ん中を、宅配トラックが一台ゆっくり走っていった。白い車体に小さく「モニター便」と書かれていた。

「へぇ……そんな会社もあるんだ」

 部屋の電気を消す。窓の外の光が薄く差し込む中、テーブルの上の封筒がわずかに光を返した。その白さが、冷蔵庫の銀色と同じ色をしている。

 冷蔵庫の中で、何かが小さくコトリと鳴った。まるで誰かが「ごちそうさま」と言ったみたいな小さな音。

 私は気にせず、寝室のドアを閉めた。
 静かな部屋に、ハンバーグの香りがほんの少しだけ残っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...