ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-9.ひとりの休日

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☆☆☆


今週もこのまま、両親とは顔を合わせずに終わって欲しい。いつ帰ってきているのか分からないけど、土曜の午前中は比較的安全な時間帯。金曜の夜を楽しんだのだとすれば、土曜の午前中に家にいることはない。

通販で頼んでおいた食料品を受け取って、キッチンと自分の部屋に分けて片付ける。そうしないと、勝手に食べられて食べる物がない事態に陥る。

消費期限の近い買い置きのパンを食べて、ショルダーバッグに貴重品を入れて、家を出る。スーパーの隣にあるコインランドリーで自分の洗濯物を回しつつ本を読んで、一度帰って部屋干しする。休日用のトートバッグに勉強道具とお茶を持って、改めて向かう先は、図書館だ。

前野くんと会っていなければ、すでに行っていたはず。学生証をもらったのが昨日だから、結局何もできなかったかもしれないけど。


市役所も近くにあって、それと変わらないくらいの建物の大きさ。館内図は先にホームページで見た。貸し会議室とか自習スペースも充実してるらしい。

自転車を停めるスペースも広いけど、駅前なこともあって管理が入ってる。図書館を利用してカウンターで処理してもらえば、無料になる。

自動ドアを潜るとホールになっていて、エレベーターが二台と階段、お知らせの掲示板、それからカウンターが見える。まずは、利用登録からだ。





無事に貸出カードを受け取って、自習室のある三階へ向かった。各階にカウンターがあって、貸出はそこでやるらしい。ただ、三階と四階は自習室と貸し会議室、イベントホールの受付だ。一・二階がメインの閲覧室で、基本的に本はここにある。地下には図書館員しか入れない。

三階のカウンターで声を掛けると、貸出カードを読まれレシートを渡される。自習席の貸出がされて、帰りはまたカウンターで返却の処理が必要になる。

レシートに書かれた番号の席に座る。窓側で、隣に人はいない。席自体は向き合っているものの、目の前にあるのは照明付きの木目パーテーションだ。随分と、勉強しやすい環境の整った自習室だと思った。





勉強計画に修正を加えつつ、参考書を広げて課題を仕上げ、受験用に復習をする。どれくらいの時間が経ったのかは、特に気にしていなかった。外に居る時間は、長ければ長い方がいい。

ただ、今日はいつもとは違った。調べものができるように机の上に置いていた携帯が、光った。想定していなくて、必要以上に驚いてしまった。送ってくる人は、ひとりしかいない。


「来週土曜、休みもらえたよ」
「分かった」


送信できることを確認したスタンプの、直後の会話がこれだ。長々と送るメッセージは苦手で、一言返すだけ。用件だけを送ってきたところを見るに、前野くんも長文メッセージはやらない派なんだろう。

(ん?)

カフェで働いてる前野くんが、メッセージを送れる時間なのか。ランチの時間帯は過ぎていることになる。

もう少し頑張ったら、昼ご飯兼晩ご飯をフロイデに食べに行こうか。そこで、夕方まで過ごそう。





「あら、いらっしゃいませ」


前野くんによれば、この人が《ことねさん》だ。意外に、ちゃんと名前を覚えてた。結構親しそうだったからだと思う。

思った通り、とっくにランチの時間は過ぎていて、私以外にお客さんはいない。前と同じカウンターに座って、反対側の席を見る。前野くんが座ってた場所だ。


「…ふふ、気になる?」
「え、あ、いや」
「ごめんね、急に話しかけて。後で少しお話しても?」
「あ、はい」


こんなにすぐ、店員さんと定型以外の会話をするとは思ってなくて、あからさまに戸惑ってしまった。置かれた水を一口飲んで、カウンターに備え付けられたメニューを開く。ランチメニューはバインダーに挟まれていたけど、今日はもう終わってしまってるから。

メニューの最後のページには、カフェの名前が記されていた。《Freude》と表記するらしい。不定休とも書かれていて、フロイデに来たくても、休みに当たる事も想定しておかないといけない。

前に来たときは、人気順でデミグラスオムライスを頼んだ。今日はパスタの人気メニューを選んでみようか。メニューをめくりながら悩んでいると、ことねさんが声を掛けてくれた。


「お悩み中かしら」
「あ、はい」
「ランチのクリームパスタ、まだ出せるんだけど、どうかしら」
「え……」
「嫌いじゃなければ。もちろん無理にとは言わないわ」
「それで、お願いします」
「ありがとう、ドリンクはアイスカフェオレだった?」
「はい」


満足そうに、ことねさんが下がる。今、フロアにお客さんは私しかいない。だから、ランチがまだ余ってると教えてくれたんだ。たぶん、決めるのにまだまだ時間が掛かってただろうから、助かった。





「ここ、座ってもいいかしら」
「はい」


食後のアイスカフェオレを持ってきたことねさんが、そのまま隣に座る。前野くんがよく話すのも分かる、優しい雰囲気をまとった女性。たぶん年の近い、私の母親とは正反対のタイプ。

とりあえず、シロップとミルクを入れてかき混ぜる。ことねさんが、待ってくれてる気がしたから。


「……大きな荷物ね」
「勉強してきたので」
「図書館?」
「はい」
「自習室、大きいものね」


流石は都会、図書館の建物の規模からして、今まで過ごした場所の中で一番だった。ちらっと見た文庫本コーナーも充実してそうだったし、今の本を読み終えたらゆっくり見に行きたい。


「なりたい職業とかあるの?」
「特にそういうわけでは」
「そう、勉強は好き?」
「ある程度は」


自分でも分かる、歯切れの悪い回答。言い切るのが苦手というか、判断基準は親から離れられるかどうかだから、その手段のひとつが勉強であり就職だと思ってる。だから、嫌いじゃないけど好きでもない。いい暇潰しにはなるし、学生のうちは勉強が仕事みたいなものだ。なりたいものがあるわけでもない。

文学部に惹かれるのは、単に本が好きだから。いろんな小説とか読んで、その表現とか理解を深めたい。ただ、それが就職にどう活きるのかは分からない。出版業界とか、狙う人が多いのは調べがついてるけど、自分がその道に進む想像はついてない。

親から離れたいって思う動機のせいで、自分がないように感じてしまう。やりたいことが何なのか、思い当たらない。結局、親に縛られてると、思い知るだけだ。


「…ここにはどうして来てくれたの?」
「たまたま通りかかって」


アイスカフェオレを啜りながら、ことねさんの質問に応えていく。

(なるほどね……)

前野くんは、自分から話し出すタイプじゃない。たぶん、ことねさんが話を進めてる。だから、私にことねさんのことを話した時、あんなに仲良さそうな感じが漂ってきたんだ。


「ここ、入りにくくなかった?」
「前住んでたところにも、似たような雰囲気のカフェがあって」
「前?」
「引っ越してきたので」
「そうなのね、この時期に大変でしょう?」


うんうん、と頷きながら聞いてくれる。確かに話しやすいし、自分から毒素が抜ける感じがする。


「よければ、お名前教えてくれる?」
「長谷川です」
「下のお名前は?」
「妃菜です」


《きさき》に、草冠の《な》と説明すると、「綺麗なお名前ね」と褒められた。名前を気に入っているわけじゃないから、ちょっと複雑で、変な笑顔を作ってしまった。


「私はお琴に音で琴音。みんな『琴音さん』ってそのまま呼ぶわ。よろしくね」
「はい」


ドアのチャイムが鳴って、新しいお客さんが入ってくる。その対応で、琴音さんは離れた。

もう一度、前野くんがいた席を眺める。ずっと、琴音さん越しには見えていたけど、改めて。爽やか運動部系イケメンで、身長もある人だから、カウンターに座ってもたぶん足が届いてたんだろう。

もう夕方だし、バイト先からは帰ってる頃か。携帯をちらっと見て、何も通知が来ていないのを確認してから、本を開いた。

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