ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

文字の大きさ
上 下
26 / 46

H-26.感覚

しおりを挟む

☆☆☆


登校して教室に入るなり、妙な視線が今まで以上に刺さるような気がする。無理もない。掃除の様子を見ていれば、小林が女子にどう思われているかなんて、すぐに分かる。

いわゆる、爽やかイケメン。ただし、基樹くんとは性格が違いすぎるけど。

外目がいいばかりに女子が近寄って、それが小林自身嫌じゃないし、女子は女子でそんな小林に構われたい。でも、私が転入して、小林の意識が私に向くものだから、気分がよくないんだろう。昨日の昼休みなんて、小林をひとり置いて教室を出たんだから、女子からは恨まれているかもと、理解はできないが想像はできる。

小林に絡まれたことで、他の男子からの目も向いているのかもしれない。転入初日の自己紹介で、私を気持ち悪い色目で見た男子は少なくなかった。できるだけ関わらないようにと思っていたのに。

誰が誰に近づこうと勝手だけど、私を巻き込むのは辞めて欲しい。ひとりで平穏に、残りの高校生活を過ごしたいだけだ。





「ひーなちゃん」


昼休みのチャイムとともに、小林がわざわざ対面の席に座って声を掛けてくる。名前を呼ばれるたびに悪寒が走る。冷や汗が出ないだけマシと思うべきかもしれない。

父親に話しかけられるよりは、耐えられる。


「ここで食べるね」
「なんで」
「オレがそうしたいから」
「私はしたくない」


自分がしたければ、していいと思ってる、何とも自己中心的な男子。これのどこがいいんだか。クラス中の女子の、敵意ある目線が自分に向いているのも、何となく分かる。女子の嫉妬は、怖いから。

基樹くんも、小林に向けられるような、視線を受けているんだろうか。休日はキャップとメガネで自衛できても、教室は難しいはず。明らかに、女子が苦手そうだから、この期待に溢れた目が辛く感じるのも、何となく読めてくる。


おにぎりをさっさと食べて、引き出しから本を取り出し立ち上がる。大回りしたつもりが、身を乗り出せば届く距離だったらしい。


「どこ行くの。オレまだ食べてるんだけど」


今までの学校生活で感じた中で、最大の悪寒が背中を這った。ぎゅっと握られた手を、大きく振り払う。動きが大きかったことで漂った小林の匂いは、嗅いだことのあるムスクの匂いだ。

(母親の洗濯物と、同じ…っ)


「…私には関係ない」


また本だけ持って、教室を出る。この昼休みは、絶対読み進められない。とにかく、手、手首を洗いたい。

廊下をひたすら歩いて、誰も人が来ない準備室の前にある水道で手を洗う。掴まれた左手を広範囲に、備え付けられた石鹸も使って流す。

父親に触れられた時と、似た感覚がした。流石に、父親の方が酷いけど、それでもこの感覚を学校で味わいたくなかった。

しまった、ハンドクリームは教室に置いたままだ。知ってる匂いで感覚を誤魔化せるかと思ったけど、授業が始まるギリギリのタイミングで教室に戻るから、そこまでお預けになってしまう。

時間潰しに、また校舎を散歩する。図書室に行けなくはないけど、先生に会ってしまえば絶対に《何かあった?》と聞かれるような顔をしてるはずだから、避けるしかなかった。





午後の授業が始まって、ハンドクリームを何度か塗ってみたけど、それでも違和感が消えない。父親に触れられた時も、大概気分が晴れるまで時間が掛かって、歩いてみたりカフェでケーキを食べてみたり、自分にとって楽しいと思えることで紛らわせようとする。学校だと、それが本しかなくて、でも文字を追う作業はしたくない。授業も身が入らず、散々だ。

掃除中は、嫌でもこの感覚を植え付けたあいつと顔を合わせることになる。どうやら今日の掃除は、あいつに纏わりつく女子がより一層多いらしい。離れられないのか、私に話しかける素振りはない。

どうか、そのまま捕まえておいて欲しい。できれば、私が学校を出るまで。

本当に、あいつのどこがいいんだろう。人が嫌がってるのが面白いタイプの人間。父親と、同じだ。


時間が経っても、左手の気持ち悪さが消えない。たぶん、昼休みほど顔にそれが出てることはないと思うけど、基樹くんは私が葦成に来てから一番関係が深い人。何か、感じ取ってしまうかもしれない。

(いや、感じ取ってくれている方がいいのか…?)

急ぎたいけど、左のブレーキを上手く握れない。本当に、冷や汗が出ないだけ、他の身体のパーツはちゃんと応えてくれるだけ、マシ。

いつも通りの裏道に自転車を停めて、その感覚を何とかしてくれそうな人の横に腰掛ける。


「……なにかされた?」
「え」
「表に出てる」


やっぱり、気付かれた。顔には出さないようにと思ってたのに。

(まあ、基樹くんの前だし…)

ある程度、表情を隠さないで居る方が、相手には明け渡している部分が多くなる。信頼とか安心に繋がるのは、間違いない。


「……手」
「手?」


改めて、自分の両手を広げて、目で確認する。何もされていないように見える、いつもと同じ肌色の手。握って、また開いて。何も変わらないはずなのに。


「……あいつに掴まれたのが、すごく不快」


分かってる、それだけじゃ伝わらないのも。あいつを悪く言いたくなるのを抑えつつ、言葉を選ぶ。


「わざわざ私とご飯食べようとしてきて、先に食べ終わって教室出ようとしたら、あいつはまだ食べてて『どこ行くの?』って」


昼休みの出来事なのに、まだ尾を引いてる。掃除も終わって、とっくに放課後になったのに。


「どっちの手?」
「こっち」


基樹くんに左手を差し出すと、その大きくて滑らかで骨張った手を、軽く重ねて握ってくれた。驚いて思わず顔を見ると、赤いけど気にしていないような表情で。


「…上書きできそう?」
「……うん」


デートの後の裏道で見た、気を許しているような微笑み。基本無表情な基樹くんから、そんな柔らかい顔を見せられるとは思っていなかった。


「触れられるのが嫌?」
「基樹くんは平気」
「オレは?」
「うん」
「…とりあえずオレは大丈夫なんだね」


何度か確認するほど、基樹くんは触れることに不安だったらしい。

(土曜にも、手は引かれてるんだけど…)

基樹くんは私に色目を使わないから、大丈夫。自覚してるけど言わなかった。だって、基樹くんの気を引いて好意を持たれていないと、離れられてしまうから。基樹くんは、好意を持っててもいきなり色目になることはない。急接近は、してこない。

その後もしばらく握ったままで居てくれたから、強く握ったり長く握ったり、しばらく基樹くんの体温を肌で感じさせてもらった。





たぶん、今日はよく歌える日だったんだろうけど、あいつの一件があって時間を取られてしまった。いつもよりあっという間に、歌声を聞ける時間が過ぎて、基樹くんがギターを片付ける。巾着を出して、中のおにぎりをひとつ、渡してくれる。


「なんか、手の込み方変わった?」
「んー、毎日同じ味だと飽きるからじゃない?」
「そう」


私は、何ならお昼もコンビニのおにぎりで、夜もこのおにぎりで終えてるから、朝はパンだしほぼ炭水化物しか食べてない。味は確かに変われば嬉しいけど、そこまで気にはしてなかった。





「明日図書館行ってもいい?」
「そのつもりしておくね」


ベッドに寝転がりながら写真集を眺めていると、携帯が光った。返信をしてから、スクールバッグの中身を確認する。

自習室に行くのであれば、ある程度時間の掛かる課題を持っていた方がいい。明日の授業で、そんな都合のいい課題が出るとは思えない。

かといって、休日のようなトートバッグを持ち出すほどでもない。とりあえず、受験対策本を一冊、忍ばせておく。予習を先に進めるのも、ひとつの手だ。
しおりを挟む

処理中です...