ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-46.広いホール

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 ☆☆☆


「迎え行こうか?」
「大丈夫、ありがとう」

 コインランドリーで洗濯物が回るのを眺めていたら、そんなメッセージが届いた。

 風が強いのは玄関のドアを開けてすぐに感じて、でも洗濯物を歩いて運ぶ気にもなれず、自転車に乗った。軽く雨に振られ、携帯で雨雲レーダーを見るとタイミングが悪かっただけだった。すぐに止むらしいし、帰って干してから歩いて行っても、バイトには十分間に合う。迎えに来てもらうとなると、基樹くんがこの風の中待つことになる。さすがに、申し訳なかった。


 ☆


 台風が通過中でも、家に居る選択肢はない。バイトがなかったとしても、どこか外に居場所を求めたのは変わらない。朝ご飯にパンをかじった後、鎮痛剤を飲んで家を出た。

 シューペまでの道のりはそこまで遠くはないけど、強風のせいで進みにくく、いつもより体力を使った気がした。

「おはよ」
「…おはよう」

 後ろから声を掛けられて、少しびっくりしたのは伝わっているだろうか。いつものキャップをかぶっていない、風にあたる面積の広い基樹くんも、それなりに頑張って歩いていて、もしかしたらバレていないかもしれない。それ以上話すことはなく、とにかく先にシューペに着くことを目指した。

「天気痛はどう?」
「思ったよりマシ」
「ん、無理しないでね」
「ありがとう」

(やっぱり、覚えていてくれるんだ)

 その声掛けと共に、確実に顔色を確認された。基樹くんは自分から目を見ようとはしないけど、目以外なら見られていると思う時がある。目が合うとふいっと逸らされて、赤くなった頬が見えるのはもう慣れてしまった。

「外、雨酷かったか?」
「雨より風ですね」

 店長は相変わらずパソコンで事務作業をしていて、挨拶と一緒に軽く世間話もする。きっと、この光景にも見慣れていくんだろう。

「基樹、今日ちょっと頼んでもいいか」
「あ、はい。暇なら」
「それはもちろん」

 私用のロッカーにバッグを入れて、軽く髪を手で梳いた後エプロンを着けて、メモを持ってホールに出てしまう。店長がわざわざ基樹くんだけを呼び止めて頼むのであれば、私は居なくていい。基樹くんが指示を受けている間、私はできることをやっていくだけだ。

 事務所から出て来た基樹くんは何やら紙束を持っていて、それをカウンターに置きつつ座った。

「どう? 準備問題なさそう?」
「たぶん」
「オレここで折ってるけど、見えてるから。忙しそうなら手伝うからね」
「…うん」

(『忙しそうなら手伝う』……)

 つまり、今日の接客は基本私ひとりでやるんだろう。先週もある程度はやっていたし、いつまでも基樹くんと同じ仕事をするわけじゃない。基樹くんは基樹くんで、別の仕事をやらないと、シューペのホールにふたり要る意味がない。今までは、基樹くんひとりで回せていたんだから。


 基樹くんのいないホールは、広く見えた。お客さんの座る席までが遠くて、焦り気味になっている自覚はある。

 料理を受け取った時に、店長が自信ありげに口角を上げてきたから、今のままで大丈夫なんだろうと思うことにした。グラスを倒したりこぼしたりする方が、面倒なのは間違いない。基樹くんもいるし、ふたりが手を出してこないうちは、ホールを私ひとりで回せていると判断されている。声を掛けて手伝ってもらうのは、最終手段だ。


 ☆


「今日の賄い何ですか」
「小鉢盛り合わせ」
「おお、豪華ですね」

 休憩に入って、座って一息吐いて水を飲む。落ち着いてしまったからか、若干頭が痛い気がする。気が抜けると、天気痛が戻ってくるけど、バイトがあった分マシで、忘れられていてよかったし、たぶん台風の影響も弱まってくる。

「夜の余りもあるからな。高校生には少ないか?」
「オレ大食いじゃないです」
「基樹は分かってるよ。長谷川さん足りる?」
「あ、はい」
「賄いだからって気にすることないからな。成長期にはちゃんと食べた方がいい」

(そんなに、食べるように見える?)

 誰に似たのか、割と細めで、特別何もしなくても体重は増えない便利な身体だと思っていた。店長からすれば、そうではなかったらしい。

 食事は、お腹を満たせればそれでよかった 。多少、野菜不足は感じるから、野菜ジュースでも通販で買っておけばいいかと思うくらいで、そこまで意識していることではない。週末の賄いだけでも、プロの作る料理が食べられるのはありがたかった。

「今日ほぼひとりだったが、どうだった? 不安に思うことは?」

 食べながら、店長にそう聞かれて、今日の自分を思い出してみる。何か困ったことがあればその場で確認していたはずで、それがなかったということは、何もなかったんだろう。

「…分からないことが分からないです」
「仕事ができてるんだな、見てても問題なかったし。これからやっていく中で見えてくるものも絶対あるから、このまま続けてくれれば」
「はい」

 隣で話を聞いていた基樹くんが、大きく頷いている。バイトの先輩として、言わないといけないことがあれば言ってくれる。どうやら、私の仕事ぶりはこのふたりの期待に沿ったらしい。

(…慢心しないこと)

 基樹くんにできて私にできないことは、気付けてないだけでたくさんあるはず。これからの勤務で、そこを埋めていく動きを求められるんだろう。


 ☆


「映画館、行ってもいいんだよね?」

 シューペの裏口から出て、基樹くんに尋ねた。土曜のバイト終わりは図書館へ行くのがルーティンになりつつあったけど、同じ駅前だし、その場所が変わっても問題はないはず。基樹くんが、ショッピングモールに近づけるなら。

(本人に、確認しないと分かんないし)

 カウンターだと店長もいて、たぶん茶化されただろう。店長を知ってからはまだ日が浅いけど、基樹くんはああいう言い方を嫌うと思った。店長が年の離れた大人だから、許容できているだけだ。

「観たいのあるんだ?」
「ううん、ポスターとか見たいだけ」
「観はしないの?」
「興味持てたら考える」
「もし観たいのあったら観ちゃってもいいよ」
「今から?」
「うん、予定ある? あ、体調きつい?」

 予定なんて、普段通り何もない。基樹くんが付き合ってくれないなら、ひとりで図書館やカフェへ向かうだけ。天気痛も、私ですら賄いを食べている時に思い出したくらいだ。基樹くんが覚えていたことに、驚いた。

「いや…、まだ人多くない?」
「駅前はね。映画館は空いてると思うよ、話題になってた映画も終わりかけだし」
「そうなんだ?」
「もし観たいのが大きいスクリーンでやってるなら、小さいスクリーンに移る公開終了に近いあたりで観れば、ほぼ貸し切りで観れる」
「なるほど」
「それも含めて、見に行こ。体調が大丈夫なら」
「うん」

 まだ吹いている風になびく髪がうっとうしい。払いながら、基樹くんよりも先に一歩踏み出した。

 ひとりで過ごしていた頃には、無償でこういうことを言ってくれる人はいなかった。みんな、何かしらの下心や契約関係があった。

 基樹くんには、それがない。気を遣われることに、慣れたくはない。だから、甘えすぎないように、でも繋ぎとめておきたい。この地域で、頼りたいのはこの人だから。


 ☆


 結局、基樹くんも私も観たいと思う映画はなく、いつも通り図書館で本を読んで帰って来た。

(今回は、フライヤーももらって来なかったな)

 映画のポスターは、観に行く話を決めるために見たいのも当然あるけど、たまに見返す材料としてもいい。寝る前に見る、写真集の代わりになる。クリアファイルにまとめて、教材と一緒に並べて保存してある。

 自分の好みのものを持っていても、妙に親も分かる物であれば否定される。自然の写真集に関しては、何が良いのか両親には理解できないようで、見つかった時も貶されただけで、取り上げはされなかった。

 映画のポスターとなると、親が内容を知っている場合もある。「観るな」と否定され、その場で破り捨てられるだろう。特に母親は、美術とか音楽とか、文化的な物への興味が薄い。私からすれば、あの大量のドレスの方がよっぽど無意味なのに。

(男に買ってもらったとすれば…、いや、思いやったところで分かり合えない)

 バイトのメモを眺めて、バッグにしまってからベッドに入る。早く、基樹くんが別の作業をできるように。その方が、シューペにとってプラスだから。服部店長もいい大人、いざと言う時は頼っても助けてくれる人だと思った。基樹くんと違うのは、店長と従業員、契約関係があることだけだ。

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