駒扱いの令嬢は王家の駒に絆される

垣崎 奏

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1.望まれない令嬢

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 手入れもそこそこに伸ばした茶髪に、一重の薄く切れ目の茶色い瞳。地味な見た目通り、オリヴィアは誰からも注目されたくなかった。

 ホールに面した廊下の角に立って、時間が過ぎるのを待っている。侯爵当主の父とそれを継ぐ兄の指定の元、淡い茶色、よく言えば橙色で、首の詰まったドレスに、二の腕まで覆い隠す手袋を重ねている。

 特筆すべき女性らしい身体の特徴はない。きっと胸が強調されるような、縦のレースが気持ち程度施されているが、コルセットを着けていても平気なほど、凹凸はうっすらしている。その幼児体型を、むしろ強調しているデザインとも言い換えられるかもしれない。

 会場となる王宮に来てからずっと、クスクスと笑い声がする。
 夜会など貴族が大勢集まる場所に来るといつものことで、「顔を出さずに身を隠していろ」とでも言われているようだが、それでも王家からの招待を「他の貴族からは出席を望まれていません」といった私情で断るわけにもいかない。

 何しろ今回は、五年もの長期留学を経て、第二王子が無事に帰国されたことを祝う夜会だ。婚約者を決めずに留学へ旅立った王子はその期間、公式には一切国へ帰ってこなかったらしい。

 もちろん、お忍びで帰ってくることはあったのだろう。婚約者探しのための留学などと報道されていたのも覚えている。
 その噂は王子の兄である王太子が一蹴していたし、王太子は弟がいないうちに自身の結婚式を上げ跡継ぎを儲けた。第二王子の留学は何か一線を画すものだと示しているようで、印象に残っていた。

 そんなわけでこの五年間、一切公の場に出てこなかった第二王子を披露しようと、よほど仲の良い貴族にしか送られない王家の招待状が、下位貴族にまで出されたらしい。
 もともと夜会には数回しか出たことがないが、あまり見たことのない子爵や男爵令嬢を含め、大勢の未婚令嬢がその父親や兄弟、または婚約者にエスコートされ出席している。

 すでに婚約者がいても、第二王子に見初められれば婚約を結び替えることもできる。令嬢のいる家の大出世が見込めるため、ともに出席している婚約者は気が気でないだろう。
 貴族令嬢であればきっと、第二王子の妻の座は狙って当然だ。おかげで、皆が主役の登場を待っている。

 オリヴィア・プレスコットは、侯爵家という貴族の中でも高めの身分のおかげで、この場に呼ばれた。

 オリヴィアの婚約者は、三年前に出席した十六歳時のデビュタントより前に、父によって決まっていた。詳細を知らされないのはいつものことで、その後尋ねることもなく、結局知らないままだ。

 デビュタントの夜会会場でフェルドン辺境伯嫡男へ嫁ぐと聞かされ、その足で対面し、相手の自己紹介を聞いた。
 オリヴィアと同じ茶髪に茶色い瞳を持つ、目線の合いやすいあまり背の高くない男性で、オリヴィアに選択権はなく受け入れるだけだった。

 今日の夜会も彼のエスコートで来るはずが断られ、その時点で異変には気付いていた。彼に限らず父や兄も含め、他人には何を期待しても、オリヴィアの希望は通らない。

 婚姻歴のある父と兄は、女性を伴っていなくてもこの場に来ることができる。仕方なく兄のエスコートで会場入りしたものの、その後は放置された。会場の至るところから向けられる視線と笑い声を浴びながら、時間が過ぎるのを待つはずだった。

 目の前に、令嬢を伴った婚約者が現れるまでは。

「時代遅れの仏頂面より、学院での成績もよく、可愛く笑いかけてくれる、このジョアンナ・コーネリー伯爵令嬢と婚姻を結びたいんだ。賢い君なら分かってくれるだろう、オリヴィア」

 公衆の面前でそう垂れ流すのは、今この瞬間まではオリヴィアの婚約者だった、パトリック・フェルドン辺境伯嫡男だ。ホールにいる全員に呼びかけるように片腕を広げ、もう片方に収まっているのが相手の令嬢なのだろう。
 オリヴィアと同じ茶髪だがくるくると豊かな巻き毛で、瞳の色も茶色よりは橙色に近く、確かに愛嬌はあるのかもしれない。何より胸の谷間もしっかりと見え、いかにも彼が好きそうな体型だった。

(こんなに大勢がいるところで、主役もまだお見えになっていないのに。それに、学院のことを持ち出せば、私に勝ち目がないことも知っているのに……)

 溜息を表に出したいのを抑える。ここは王宮、夜会の場だ。

(両家での話し合いはもう終わっているはずね。私はまた、お父様の手のひらの上で転がったのね……)

 パトリックはデビュタントで紹介された時から、自信家だった。兄の学友で四歳年上なこともあり、初めは不慣れなオリヴィアを先導してくれるのだと、ありがたく思った。
 よくよく過ごしていくうちに、好ましい感情を持つようになると信じた。父と兄が都合と理由をつけ、彼とふたりで会うようになり三年が経って、残念ながらむしろ嫌だと感じることが増えた。

 オリヴィアが学院に行っていないことを理由に、彼はオリヴィアを支配しようとした。確かにオリヴィアは教育を受けていないのだが、屋敷にいる時間が長い分、ひとりで考える癖がついた。
 結局、彼は親の言いなりで、父であるフェルドン辺境伯に従っているだけだ。オリヴィアに、辺境伯の意見を自分の意見だと言い張って、押し付けてきた。

(この新しい婚約者は、ご自分で選ばれたの? 好みの体型の方を、辺境伯閣下に許していただけたのね……)

 婚約者、そして将来は妻として、この人と一生を過ごすと思い彼に接していたため、それなりに情はあるが愛ではない。婚約を破棄された衝撃よりも、第二王子の帰国を祝うこの場にふさわしくないという呆れが勝った。

 ひとりで思案していることが好きなオリヴィアが、その感想を口に出すことはない。出しても、否定されるだけだ。
 父、兄、そして元婚約者が「何も考えていない役立たず」と事あるごとに言いふらし、その通りだと貴族社会でも思われている。

 この注目も「ついにフェルドン辺境伯嫡男が見限った」と、大勢が元婚約者に味方するだろう。だから、抵抗しない。オリヴィアに向けられる醜聞は諦める。
 オリヴィアが何か言っても、それを受け止めてくれる人は貴族社会にいない。元婚約者の気が済むまで、好きにさせる。

(ふう……)

 話を聞いてくれる例外はひとりだけ、オリヴィア専属使用人のマーサがいるが、マーサに意見を言っても身分違いのため、何かが大きく変わるわけではない。
 それでも、オリヴィアにとって貴重な、話を聞いてくれる存在で、この会場から出れば馬車で待ってくれている。主役が来るのを見届けて、退出許可が出るまで、もう少しの辛抱だ。

「そこっ、何か問題でも?」

 低いがよく通る、聞いたことのある威厳のある声が、カツカツと靴を鳴らしながら近づいてくる。オルブライト国で演説をするのは国王だが、最近は王太子が行うことも増えていた。

 元婚約者の後ろに、すらりと背の高い、白銀の髪に濃い蒼い瞳をした若い男性がふたり、立ち止まった。二重から放たれる鋭い眼差しや、すっと通った鼻、薄い唇も、オルブライト王家の兄弟はよく似ている。

(え……)

 見分けるのに、胸につけられた勲章の数を見たほうが確実などと、父や兄から聞いた。今日の王太子と第二王子には、大きな見た目の差があり、オリヴィアは少し目を見開いてしまった。

 王太子は清潔感のある男性として許される長さの、首の見える重めの髪を耳に掛けている。
 対して留学帰りの第二王子は、騎士のようなすっきりとした短髪で、耳のあたりは頭皮が見えるほど刈り込まれていた。

「で、殿下……」

 オリヴィアの目の前には、振り返って確認した高位の姿に怯える元婚約者がいる。これだけの騒ぎを起こせば、主催や主役は良い気分にならないことくらい、想像してほしいものだ。

 主催の会場で何かあれば、王太子はいつも率先してホールに降り、その場を治めようとする。今回は弟の第二王子が主役で、心なしか気合いが入っているようにも見える。

(はあ……)

 元婚約者は王家兄弟のオーラに圧倒され、それ以上言葉が出ないようだった。オリヴィアは、ドレスの裾を摘み膝を折って頭を下げる。
 元婚約者の失態だが、婚約を破棄されたオリヴィアも当事者ではある。鋭い眼差しで不快感を露わにするふたりに理由を述べ、この場を治める必要があるだろう。

「お騒がせしまして申し訳ありません、王太子殿下、第二王子殿下。フェルドン辺境伯嫡男様より婚約破棄を言い渡されましたので、私はお暇いたします」
「待って。それなら、僕と一曲どうかな?」

(っ……?)

 第二王子に手を差し伸べられたら、身分的に逃げられない。周囲にいる貴族がざわつく中、見覚えのない貴族女性に寄り添われた父と兄のぎろりとした目が刺さるが、了承するしかない。

 この方は今日の主役で、王家の一員だ。この手を払うほうが不敬だろう。後から父と兄に何を言われようと、この蒼い瞳に従っておくべきだ。

「……かしこまりました、第二王子殿下」
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