駒扱いの令嬢は王家の駒に絆される

垣崎 奏

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2.留学帰りの第二王子

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 主役とのファーストダンスを、オリヴィアが担うことになってしまった。皆が待ち望んでいた場で、第二王子の手を取りたい令嬢しかいない。ひっそりと時間をやり過ごそうと考えていたのは、オリヴィアくらいだろう。

 婚約破棄をされたばかりで、能無しだと思われているオリヴィアが、選ばれてはいけなかった。

 かといって、下を向くわけにもいかない。第二王子への不敬となってしまう。
 オリヴィアを選んだ第二王子が恥をかかないよう、精一杯貴族令嬢らしく努める。他の令嬢に比べ圧倒的に経験値のないオリヴィアは、少しでもまともに見えるよう、注意深くステップを踏まなければならない。

 第二王子のエスコートは、経験の少ないオリヴィアにも全く違和感がなかった。
 歩く速度もダンスのステップも、オリヴィアを気遣ったものだった。王子の技量を誇示するものではない。
 軽く握られた手は、第三者から見てもオリヴィアを引き立てる角度を保っていただろうし、身体に回されたもう片方の手が腰より下がることもなかった。

 さすがというべきか、元婚約者との格の違いを見せつけられた気がした。元婚約者と第二王子は、オリヴィアがはっきりと感じ取れるほどに、ダンスも心の広さも余裕が違った。
 デビュタント以降、オリヴィアのダンスの相手は必ず元婚約者で、そもそも夜会に出ることも珍しかった。経験の乏しいオリヴィアが主役のファーストダンスの相手となってしまい、申し訳なく思っていると、第二王子が口を開いた。

「……君は、プレスコット侯爵令嬢だよね?」
「左様でございます。自己紹介が遅れ申し訳ありません。オリヴィア・プレスコットと申します」
「いや、いいよ。咎める気はないし、崩して。堅いのは苦手なんだ」

(苦手なの、理解はできるけれど……、誰が何をどう噂するか分からないし、ご希望には沿えないわ)

 高位から話しかけられて無視するようなオリヴィアではないし、初対面の高位に「崩して」と言われてその通りにするオリヴィアでもない。
 オリヴィアたちの周囲には数組、踊り始めたペアがいる。噂の出所など、皆気にしない。自分たちが楽しめるかどうかだけが、判断基準だ。オリヴィアの一挙一動が都合のいい話の種であることも、自覚している。

 そもそも、元婚約者が騒いだから注目されたのだ。これ以上、主役の王子に迷惑を掛けられない。

「正直、あの場ではっきり言うタイプには見えなくて、ふたりで話したくなって誘った。留学帰りで国内貴族の現状には詳しくないし、人伝てで聞いたことは間違ってることも多いね。たとえ兄様の言葉でも」
「……ダンスへのお誘い、ありがとうございます」

 理由はともかく、婚約を破棄され皆に注目され、ひとりその視線に耐えていたところをダンスに誘ってもらったのは事実だ。
 第二王子からすれば、王家主催の夜会なのだから、王太子に処理を任せてそっとあの場を離れることもできただろう。ほとぼりが冷めたころに戻ってくればよかったのに、王子はそれをしなかった。

 王族が公の場で言葉を崩すのは嗜められるはずだが、第二王子は元婚約者と同じようにもう十分に大人で、多少の無礼を改めさせる人はいないのかもしれない。
 オリヴィアをダンスへ誘ったほうが場を治められると思ったのかもしれないし、王太子が止めないほどに、他国で修めた学業が優秀だったのかもしれない。

(何にせよ、私ごときがうかがっていい話ではないわ……)

 ずっと、オリヴィアが何か言おうとすると、内容に関わらず「お前ごときがうるさい」とずっと遮られてきた。だが、目の前にいるのは元婚約者でも、父でも兄でもない。
 少し顎を上げると、目に入る蒼い瞳が元婚約者を咎めた時より鋭さを潜めて、不思議そうにオリヴィアを見ている。

(色が、薄い……?)

「……何を考えているの?」

 高位を前にして動悸もしないオリヴィアは、どう答えようか迷った。気の利いた返事が浮かばない。質問に応えないのも不敬に当たるだろう。仕方なく、気付いたことをそのまま口に出した。

「……瞳の色が、先程よりも薄いように感じます」

 第二王子は目を見開いたが、次の瞬間には細め、口元を緩めた。その瞳が、段々と色を強める。

「他には?」

 その表情で、触れてはいけなかったことだと悟り、オリヴィアは慌てて謝罪を口にしようとするが、くるりとターンさせられ、機を逃してしまった。

「他には? 怒らないから、教えて?」

 オリヴィアを引き寄せつつ、にこやかに笑いかけてくる王子の言葉を信じていいのかは、判断できない。かといってオリヴィアには、回避する策も思いつかなかった。言うしかない。

「……殿下は、この場でもフランクにお話になりますね」
「あー、確かに、一応ここは公だね。気分を害したなら謝るよ」
「いえ、そうではなく……、申し訳ありません」
「謝る必要はない。そこを疑問に思うのも正しいよ。よく気付いたね」

(高位の方に、謝らせてしまった……!)

 父や兄、元婚約者と話す時、非がないと分かっていても、謝るのはいつもオリヴィアの役目だった。パニックを起こしそうになるが、目の前の第二王子から向けられる表情は優しいまま、変化がない。

「珍しい自覚はあるよ。元から堅苦しいのが好きじゃないし、国外だと敬語が微妙に異なるから、みんなに同じように話してたんだ。どのみち僕が王族なのは、他国に行っても変わらないし」
「そう、ですか」
「ねえ、今度、ティールームの招待を送るよ。もう少し、落ち着いたところでゆっくり話したい。今まで、君宛の手紙は家族に処理されていたんだよね?」
「っ……」

(……え? それは、マーサとテッドしか知らないはずでは?)

 オリヴィアの専属使用人マーサとプレスコット侯爵家の執事テッドは、普段の仕事では関わりが薄いものの、合間に父や兄の目を掻い潜って屋敷内の状況を共有するらしい。その中で、父と兄がオリヴィアに対して行っていることを、マーサは聞き出してくる。

 戸惑ったオリヴィアは、辛うじて第二王子の足を踏まずに済んだ。実践の場がなかったオリヴィアに、ダンスの基礎を教えてくれた元婚約者に、初めて感謝したいと思った。

 嫌な思い出を追い払うように、第二王子のフォローを受けステップを立て直し、言葉を探した。
 王子の瞳は濃いままだが、威圧感はない。素直に、疑問を口にしてもいいのだろうか。

「……どうしてそれを、ご存知なのです?」
「僕は第二王子だし、弾かれないと思うけど、もし返事がなければ押しかけるから」
「『押しかける』、とは?」
「大丈夫、身を隠すことには慣れてるんだ」

 質問に答えていないことを隠さない整った顔が、オリヴィアに向かって微笑む。
 オリヴィアと踊り始めてからずっと、瞳に鋭さはない。濃淡の変化はあるが、王太子とともに元婚約者を咎めた時の視線とは別人だ。

「一曲だけだと早いね。どの辺りに戻りたい?」

 混乱の中で告げられた現実に、このダンスが終わった後を想像して、背筋が凍った。

 婚約破棄された上に、第二王子と踊った侯爵令嬢がオリヴィアだ。ただでさえ注目されたのに、さらにヘイトが向けられるに違いない。
 非難の視線を浴びる覚悟を決めなければならない。慣れているとはいえ、負の感情を受け流すにも心構えが要る。王子の前で、上手く表情を繕えただろうか。

「……出口へ、お願いします」
「そっか、帰るんだね。使用人に話を聞いてもらうといいよ」

(っ……)

 専属使用人のひとりに、心を許していることも把握していると、その視線で訴えられている気がした。
 使用人は表に出ることがないし、今の言葉でだけでは第二王子がマーサを本当に知っているとは信じきれないが、王子はオリヴィアに手紙が正しく届かないことを知っていた。

「僕は、そういうことが得意なんだよ」

 そう耳元で囁いた後、出口の扉近くにオリヴィアを導き、くるっと回転させられる。ひゅっと息を呑み、ホールの内側を向いたオリヴィアの目の前に、第二王子がすっと膝をついた。

 ホールから繋いだままの手袋越しの甲に第二王子の顔が寄せられ、自然な流れの中、無抵抗でキスを受けた。拒否をするタイミングはなかったし、もし何か抵抗をすれば不敬だっただろう。
 令嬢の悲鳴でかき消されそうな王子の声を、オリヴィアはその蒼い瞳を見て、しっかりと拾う。

「楽しかったよ、またね」
「……お心遣いに感謝いたします、殿下」

(……それ以外に、何を言えと?)

 多方面から向けられた視線を感じながら、第二王子の言葉を受け入れるしかなかった。

 立ち上がった王子が踵を返し、ホールへ戻っていくのを見送る。話したかったのだろう未婚令嬢たちに、あっという間に囲まれていた。

 第二王子に近づきながらも、オリヴィアに対して品のない目線を送ってくる令嬢からは顔を逸らした。「役立たずのくせに」と、わざわざ聞こえるように暴言を吐きに来る令息とも目を合わせず、ホールに深く一礼をしてから会場を出た。

 王子と踊った時間は、とても不思議なものだった。王子とのダンスは、いやらしく触れられることも不快さを感じることもなく、身体を預けていられた。
 婚約者だったパトリックから婚約を破棄されたことよりも、第二王子と私的な会話をしたことのほうが、大きな出来事だ。しかも口約束ではあったとしても、ティールームへの招待まで受けてしまった。
 あの場を治めるための冗談かもしれないが、何やら第二王子を、プレスコット侯爵家とフェルドン辺境伯家の面倒事に巻き込んでしまった気がして、申し訳なく思った。

 こういった夜会は、元婚約者とともに顔を出して主役や高位への挨拶回りが終われば、しばらくやり過ごした後にひとりで帰るため、馬車留には御者がひとり、それから信頼のおけるマーサが待っている。
 今回も同様で、マーサの顔を確認してから、ほっと肩の力を抜いた。「お疲れ様でした」と促されるまま乗り込み、御者が扉を閉めマーサが鍵を掛けると、馬車が進み始める。

「普段より長い滞在でしたね、何かありました?」
「婚約を破棄されたわ」
「っ、なんてこと……!」
「それから、第二王子殿下に気に入られたみたい」
「まあ……、一度にたくさんの事が起こったのですね。さぞお疲れでしょう、お屋敷まで少し眠られますか」
「平気。マーサ、それよりも話を聞いてほしい」
「ええ、私でよろしければ」

 対面に座っていたマーサが、隣に移動して手を握ってくれる。八歳年上で仕事のできる使用人は、気配りも上手だ。オリヴィアがそれを好んでいることも、当然知っている。

「少し、混乱して……、いつもみたく頭が回らないの」
「そうお見受けいたしましたよ」
「マーサは、何が聞きたい?」
「……当主様には、どのようにお伝えされたのかと」

(うん、私も、そこが最難関だと思ってるの)

 マーサと懸念が同じことに安堵しつつ、対策を考えようとする。あの場で第二王子の手を取ったことが、間違っているとは思わない。ただ、その理由をどう答えるか次第で、オリヴィアに食事を与えられるかどうかは変わる。
 大抵の場合、罰は食事抜きだ。夜会ではフィンガーフードの提供もあるが、ひとりで目立ちたくないオリヴィアが手を付けることはない。貴族の集まる夜会で粗相をしたら何が待っているか、考えるのも避けたい。

「直接はまだ喋っていないの。殿下と踊ったのはみんなが見ていたし、お父様とお兄様も例外じゃないわ。殿下の手を取ってしまったのをどう話すべきか……。たぶん、婚約破棄に関しては何も言われない。知らなかったのは私だけ、いつものパターンよ」
「お嬢様……」

 マーサが心配そうに覗き込んでくる。疲れた顔をしているのは分かっているが、微笑み返して、言葉を続けた。

「殿下からティールームへのお誘いが届くはずで、お父様とお兄様が許してくださるかどうか。殿下は断れないとおっしゃっていたけれど」
「お嬢様は、いかがなされたいですか」

(そう、いつもマーサだけは、私の希望を聞いてくれるの)

「……正直に言うと、少し興味を持ってしまったの。パト……、フェルドン辺境伯嫡男様とは違って、嫌な感じはしなかったから」
「ご準備させていただきますね」
「ええ、でも……」
「もしお誘い自体を知らされなかったり、出席を許されなかったりしても、いつか着られる日は来ますから。いつも通り、当主様とメイナード様には偽装いたします。あまり華美なものは不審がられるので選べませんが、新しい訪問着の注文など、今までも行ってきましたから」
「ありがとう、マーサ」

 父と兄から、一般的な令嬢として育てられなかったのを、デビュタントで社交に出てから思い知った。理由は簡単で、オリヴィアが、母の死の上に生きているからだ。

 今までもこれからも、父と兄を立て、その指示通りに動くことを求められている。家族の言いつけを守っていれば、何も罰は与えられない。
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