ふたりで居たい理由-Side M-

垣崎 奏

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M-29.衝撃 1

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☆☆☆


(ん……)

ヘッドボードで鳴るアラームを止める。全然眠れていない。身体が重い。何を言われるかなんて、どんな反応をされるかなんて、学校に行ってみないと分からないのに。


「母さん」
「うん?」
「今日、一回帰っては来ないと思う」
「ああ、そうね…」


ギターを弾いていた場所が公開されてしまったから、弾ける場所がない。一度帰って、持ち出しても意味がない。


「おにぎりは、どうする?」
「あ…」
「握っておくわ。取りに帰ってきても、そのままでもどちらでも」
「…ありがとう」


やっぱり、バレている。妃菜ちゃんと分けて食べていたことも、母さんは見抜いてた。


「基樹、どうしても無理だったら早退してくるのよ」
「うん」


母さんが休ませたいのも分かるし、休むべきな体調なのも自覚できている。でも、学校を休んだら、家から出ないことになる。妃菜ちゃんに会えなくなる。それが一番嫌だった。

何も知らない妃菜ちゃんが、本当にひとりになってしまう。僕の前では表情をころころと変える人だけど、第一印象は違った。だからこそ、ちょっとでも、会っていたい。

ただ、横になってたいと思うくらいには、体が重い。少し、熱っぽい気もする。朝ご飯も予想通り、食べる気がしなかった。お茶だけ啜って、自転車を押してゆっくり学校へ向かった。





「……基樹、保健室行こう。その顔じゃ、教室に居られない」


自転車庫で会った隆聖が、挨拶よりも先にそう言った。顔を見て、保健室に直接連れて行ってくれた。

学校に来てしまえば、ある程度気も張る。普通に歩けはするけど、息は意識していないと上がりそうだし、顔が青白いのも隠せない。

朝からバタバタと保健室に入った僕に、「お昼に高橋くんから聞くわね」と、毎日一緒にご飯を食べてる先生たちは、何も聞かずに寝かせてくれた。





(…………)

目を閉じてみても、眠りに落ちることはなく、どうしようもなく頭が回っている。無になれたら、楽なのに。浮かぶのは、幼い頃からずっと変わらない、この心配性だ。

幼稚園のお遊戯会の前は、歌を間違えるんじゃないかって不安になって、冷たいものを飲みすぎたわけでもないのに、お腹が緩くなった。

小学校に上がってからも、単元テストの点数が低かったら嫌だって思うと食欲がなくなった。いくらドリルを解いて満点を取っても、テストを受ける日は落ち着かなかった。

体力テストがある日も、身体が自分のものじゃないみたいに重たかった。

心配する人たちから声を掛けてもらっても、それに驚いて動悸が止まらなかった。

不安や心配が大きすぎて実力が出にくい。昔から、みんなが乗り越えられる些細なことで、身体が言うことを利かなくなる。身体が大きくなっても、小さな心は変わらない。

これでも、見通しを持ってやれることをやって自信を持てるようになって、ここ最近は人との距離もそれなりに取れるようになって、なんとか普通に過ごせるようにはなってきた。

近くで見ていた隆聖と福永さんが騒がれたあの時に、初めて運動したてじゃないのに息が上がって、その場から立てなくなった。学校だったのがまだ幸いだった。安藤先生に、過呼吸と呼ぶことと、その対処の仕方を教えてもらった。

隆聖は幼馴染で、唯一メッセージでも話す友達で、福永さんとの関係は応援したかった。でも、僕が関わることで福永さんはクラスに居られなくなって、距離を置くことになった。

勉強して対策して、多少は自信を持ってテストとか受けられるようになって、結果も出るようになった。ひとりでできることは、まだ自信が持てるようになってきた気がする。それでも、こういう突発的な動揺には耐えられない。

いつか、克服できるとは思ってる。受け流し方を、自分の中で確立させるだけだ。言葉で分かっていても、難しい。





「……基樹、起きてる? 体調はどう?」
「寝てるとまだ楽。いろいろ考えないように寝るのは難しいけど」
「起き上がれる?」
「うん」
「食べるもの、持ってきてる?」


隆聖がいつも通り養護事務所に来て、シャーっと仕切りのカーテンを開ける。僕が寝てないのも、本当は分かってたんだろう。

はいかいいえで応えられる質問しか聞こえてこない。気を遣ってくれてるのが分かる。

僕が教室に行けなかったのを、クラスメイトはどう思っているだろう。朝、僕たちを見た人はいるはずで、学校にいるのは分かってる人もいる。知りたがりな人の対応に、隆聖が質問攻めに遭ってなければいいけど。

こうなってしまったら、妃菜ちゃんも同じ目に遭っているかもしれない。あの写真が出た以上、僕との距離が近いのは知れ渡ってしまった。

ずっと保健室にいて、他に保健室に来る生徒もおらず、ひとりで過ごした。その分呼吸も落ち着いてて、内容はともかく声を出すのはそんなに苦じゃない。

養護事務所のいつもの席に座って、ゼリーを食べる。つるんとしてて喉を通りやすい。


「…教室、どんな感じ?」
「気になる?」
「それなりに」


隆聖は僕の体調を知ってるから、話すのを迷ってくれる。最後の一口を食べて、ゴミを捨てて戻ると、話し始めてくれた。


「…まあみんな、しゃべってるよ。本人いないし、オレですら普通に聞き取れるくらい。小林からの情報なんて、スルーすればいいのに」


隆聖とは、保健室登校をしていたあの時期に、感覚の擦り合わせをしたことがある。話し声に限らず、教室内外の物音や目に入る物を全て口に出す。教室の中の情報に、どれだけ意識を向けているのか、安藤先生同席の下、確認し合った。

結果、僕の方が明らかに感じ取っているものが多かった。隆聖が無意識に受け流していることも、僕の頭には残ってしまう。

だから、その隆聖が聞き取れるくらいに、クラスメイトの話題になっていることがどれだけの事態なのか、想像するのは容易だった。


「オレに直接は来なかった。とりあえず、今のところは」
「そっか、よかった」
「よくはないだろ、本人の知らないとこで基樹の話されてんだから」
「まあ……、実際に目に見えないだけマシかな」
「進歩してんじゃん、基樹」


(進歩、ね……)

追い詰められても、もっと酷いのを想定して、それよりも今は楽な状態だと言い聞かせる。妃菜ちゃんと出掛けた日も、食欲があるから、まだ最悪の体調じゃないと、駅前にふたりで行くことを選んだ。今はまだ大丈夫だと思い込めば、身体が動く場面もあった。

それすらできなかった時期を、隆聖は知ってる。話しかけては来ないけど、耳を澄まして会話を聞いている先生たちも、そうだ。


「…基樹、長谷川さんの写真持ってないの?」
「え」
「すごい美人さんじゃない?」
「あー……、うん、そうだね」


初デートのときに撮った画像を、隆聖に見せる。先生たちも、普段なら見たいと寄ってきただろう。


「いいじゃん。基樹、その顔忘れんなよ」


写真を見て、隆聖の反応も見て、ちょっとほっとした自分がいる。教室には、まだ行きたくないけど。





隆聖が様子を見に来た物音で、目を開けた。一日ベッドで過ごして、今はもう自転車庫へ歩く時間なんだろう。


「どう?」
「だいぶマシ」
「顔色も朝より良い。前と同じか、朝と教室がダメなんだな」
「たぶん」
「今日どこで会うつもりなの。そのために学校来たんだろ」


流石というか、普通にバレてた。たぶん、福永さんにも僕の話は伝わってて、そこまで急がなくてもいいはず。ゆっくり身体を起こして、軽く背伸びをする。


「神社、行こうかなって」
「あー、守成神社か。宿木を守るための幽霊が出るって噂の」
「うん」

「確かに誰も居ないだろうな。無理するなよ、話してないんだろ?」
「うん」


妃菜ちゃんには、体調のことも裏道を撮られたことも話してない。写真のことは、もしかしたら誰かから耳に入ってるかもしれない。

とりあえず、一日が終わったから、多少身体が軽い気もする。自転車にも、普通に乗った。母さんが握ってくれると言ってたのを思い出して、おにぎりを取りに一旦家に帰ってから、ゆっくり息を吐く意識をしつつ、神社へ向かう。

石段の下にある公園に自転車を停める。掃除当番がある妃菜ちゃんは、ここに着くまでにまだ時間がかかるはず。誰にも絡まれず、辿り着けるといいんだけど。

石段をゆっくり上って、小さな神社にお賽銭を投げて、鐘を鳴らした。

(場所、お借りします)

別に、幽霊が出てもいい。それで、他に人が寄り付かず、妃菜ちゃんとふたりになれるなら。





妃菜ちゃんが、あまりに遅い。ギターがなくて、時間を弄んでるのは確かだけど、それにしても遅い。一応、「何かあった?」とメッセージは送ってみたものの、既読すらつかない。石段に寄りかかって、手持ちの単語帳を開いてみても、内容は一切残らない。

待ち望んだ通知が来た時には、びっくりして、石段に携帯を落としそうになった。


「今から学校出る」
「気をつけて」


何かあったのは、間違いないんだろう。そうじゃなければ、連絡もなしにこんなに遅くなるはずがない。そわそわしつつ、オレにはただ待つことしかできなかった。

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