皐月 禅の混乱

垣崎 奏

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1.(……え、マジか)

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 社会人四年目の春。新しい企業に入社して、一ヶ月が経った。

 パソコンに張り付いて、産業機械の設計をするのがメインの仕事だ。それに付随する、案件の理解者である営業や機械を組み上げる技術部門との打ち合わせ、客先での会議や納入メンテナンスに伴う出張、報告事務もある。さすがにまだひとりで社外に出ることはないが、近々やるようになるのは間違いない。

 仕事の内容こそ前職と大きく変わりはしないものの、それぞれやり方は異なる。ひとつひとつ確認して覚えていくうちに、バタバタと慌ただしく過ぎていった。

 家に帰る時間は一般的には遅い方だろう。これでも前の会社よりはずっとホワイトだ。家に着くのが二時間は早い。

 地域を跨いだ転職をした。すぐ会える距離の知り合いは、この会社に誘ってくれた大学の先輩しかいない。同じ班の人たちが飲みに誘ってくれるのはありがたく、入社してすぐの今はとりあえず、顔を知ってもらうためにできる限り断らずに出ている。ただ、慣れない疲れが抜けないまま、休日が明けてしまう。

 少し息抜きをしようと、背伸びをしながら歩いて休憩室に来た。どの飲み物を買うかすら決め切れない。明らかに、疲れすぎている。

(はあ…………)

 数台並んだ自動販売機の前で、前髪をかき上げながらうろうろしていると、別の社員が入ってきた。

「お先にどうぞ」
「ありがとうございます」

(ん……?)

 その横顔に、見覚えがある気がした。迷わず無糖のストレートティーを買う、黒髪ボブからのぞく項を見つつ、顎に手をやり記憶を辿ると、ひとり、思い当たった。だいぶ古い思い出で、違っていてもおかしくない。この地域にいるのかは分からないし、胸から下げているIDカードも見えないから、尋ねてみるしかない。

「あの……、人違いだったらすみません。辰巳たつみさんじゃないですか、辰巳 楓羽ふうさん」
「はい、そうですが」

(え……、マジか)

 まさか、こんなところで再会するとは。この会社に入ってよかったと、これだけでも思えてしまう。

「覚えてるかな、ぜんなんだけど。皐月さつき 禅」
「……っ、え?」

 きりっとした一重が、丸く開いた。正面から見たその表情にも、昔の面影がある。

「やっぱり、ふーちゃんだ。久しぶり」
「いや、あの……、話が読めない」
「そうだよね」

 やっと決めた、楓羽と同じペットボトルを買って、一口飲んだ。自動販売機の前に用意された、楓羽が使っているハイテーブルに、オレも肘をつく。

 楓羽が驚くのも無理はない。地域が異なることもそうだけど、短髪だった昔と違って、長めの茶髪をセンターで分け、リバースパーマで後頭部へ流しているのだから。

 まだ蓋を開けていなかった楓羽に、「遠慮せず飲んで」と促した。頷いてくれたということは、多少ここで休憩できる時間的余裕はある。

「転職で先月来たんだよ。まさかだね」
「いや、こっちのセリフ……」

「覚えててくれてありがとう」
「まあ……、覚えてるよ。ずっと一緒に帰ってたし」
「マジで嬉しい」

 小学校の頃の話だ。登校はみんな時間が同じで他学年もいたし、下校も半分くらいまで同じ道の友達はいたけど、その先を一緒に歩くのは楓羽しかいなかった。六年間、帰り道の大半をふたりで並んで歩いた。仲が良かったのは必然かもしれない。

 オレが親の方針で中高一貫校を受験して、楓羽とは学校が離れ疎遠になった。適当に同じサッカー部の男子と過ごして、髪を伸ばして、外見に寄ってくる女子と付き合ってみた。中学以降も楓羽と同じ学校だったらと、考えることもなくはなかった。

 家が近いのは知っていたものの、正確な場所は知らなかった。練習や遠征、受験で入るくらいだから勉強もハードで、特別会いに行こうともしなかった。いつの間にか、楓羽は何も言わずに引っ越して、顔を見るどころではなくなってしまった。

「ねえ、今週金曜とか空いてる? 残業なかったらご飯どう?」
「うん」
「よかった、お店は?」
「あんまり分かんない」
「調べとくよ。何系がいいとかある? お酒は?」
「飲みたいなら付き合う」

 モテる自覚もあるが、自分から仕掛けることをしてこなかった。内心、かなり舞い上がった。食事に行くのを、許された。ものの数秒で思い出せるくらい、頭の片隅に残っていた女の子に。

 壁時計をちらっと見る。まだ戻らなくても、次の打ち合わせまでに時間はある。ペットボトルの紅茶は、そう簡単には無くならない。楓羽が話しかけてきたから、楓羽にもまだ戻る気はない。

「よく、転職なんて考えたね」
「大学の先輩に誘ってもらった。だいぶ忙しそうで、入社してからまともに話せてないけど。いわゆる引き抜きってやつ」
「優秀なんだ?」
「さあ、どうだろうね。連絡先もらってい?」
「うん」

 連絡先を交換した後、先に休憩室を出た。嬉し恥ずかし、我に返って、少し後悔もしていた。

 オレは高校受験を経験せず、内部進学を選んだ。高校から同じ学校になった外部の女子から、ぱっちり二重の可愛い系イケメンと騒がれたのをきっかけに、その頃にはすでに長かった髪を染め、生徒指導に文句を言われない程度に軽くパーマを当て始めた。

 それなりに似合っている気がして、社会人としてはギリギリのカジュアルさで保っている。黒髪清楚系の、ほぼ初対面に戻ったような女性を、勢いだけで食事に誘うなんて、見た目のチャラさそのものだ。

 すっかり忘れていたはずの相手だったのに、大人になった姿を見て思い出せるほど、記憶に残った女の子だったのは間違いない。せっかく連絡先ももらった。もう少し話して、距離を縮めてから誘えばよかった。

 いや、同じ会社に勤めているとはいえ、あの休憩室で出会ったのは偶然だ。多少強引でも、対面で約束を取り付けたのは大きい。

 自席に戻って打ち合わせの準備をしつつ、どんな店に連れて行こうかと考えていれば、自然と頭の中から後悔は消えた。
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