隠密王子の侍女

垣崎 奏

文字の大きさ
1 / 10

<1>

しおりを挟む
 ノインには生まれつき、背中の肌に色の濃い部分があった。皆が痣と呼ぶその箇所を気味悪がられ、ひとりで歩き回れるようになった頃には親に売られた。

 幼すぎて、当時の記憶は曖昧だ。それでも、親からも痣を嫌われたのは覚えていた。自分が何歳なのかも正確には分からないが、貴族の主人に買われた後、親代わりとなった使用人から見た目で年齢を決めてもらい、今は十五歳として生きている。

 奴隷として働かされ、屋敷にいないことが分かった時の体罰を覚悟で、ひとりで街に出た。使用人より奴隷の方が命が軽いことは知っていたから、「調味料が足りなくなった」と料理人に面と向かって言われてしまえば、差し出された貨幣を受け取って、気を利かせるしかなかった。

 街には、数回出たことがある。親代わりの使用人が、休暇にこっそりと連れ出してくれた。ノインがまだ幼く、帰省の荷物に紛れられた頃の話だ。

 奴隷ではあるものの、物の買い方は知っていたし、文字も多少読めた。今はもう、親代わりだった使用人は亡くなって、こうして隠れてひとりで街に出る。人混みに紛れながら、たまに通る車に引かれないよう気を付ける。

 使用人たちはそんなノインを便利だとこき使う。当然だ。奴隷は使用人とは違い、無給の下働き。使用人は、主人と正式に契約関係がある。街に出て屋敷の買い物をすることは、契約の範囲外なのだ。

 無事に調味料を買い店を出て走ろうとした時、前がちゃんと見えていなかった。誰かにぶつかり、姿勢を乱してしまった。

「大丈夫か」
「……っ」
「あっ……」

 声を掛けられたが、本来ノインは街に居てはいけない。頭を布で覆った謎の人物の、一瞬合った紫色の瞳が、脳裏に焼き付いた。


 ◇ ◇ ◇


 走って逃げてしまった少年の、表情が気になった。少しでも立ち止まってはいけないと、脅迫されているようにすら見えたが、その環境で生き抜く意思を持っている、強い瞳は印象に残った。

 茶髪に茶色の目。貴族の生まれではないだろう。庶民だったとしても、あんな勢いで去る必要はないだろうに。

「…………ルー」
「気になりますか」
「ああ」
「少し、調べてみます」


 ◇


 後日届けられた側近ルーファスとその部下たちの調査結果は、王子セオドアを大変満足させた。王国有数の名家のひとつが、大昔に禁止された奴隷取引をしていたことが判明したのだ。

 三年ほど、たっぷりと時間をかけ証拠を集め取り囲み、王国の損害も少なく告発した。これから、逃げる間も与えないほど迅速に、王国の部隊がその屋敷に向かうことになるだろう。

「他の家も、探らなければ」
「ええ」

 使用人など、関与していなかった人物に対しては、再就職を斡旋する。奴隷とされていた子どもたちは、使用人として別の貴族に雇われるか、幼ければ孤児院へ送られる手筈になった。当然、親元が分かり拒否されなければ、そこへ帰すことが優先された。


 ◇ ◇ ◇


「これで家に居る者は全員か?」
「そのはずです。地下まで確認いたしました」

 玄関ホールに、公に知られていないはずの奴隷まで集められている。屋敷には色とりどりの勲章をつけた衛兵がたくさんやってきて、主人や執事は手枷を嵌められ先に連れて行かれた。

 表に出された以上、これからの人生がどうなるのかは分からない。いっそ、処刑されてしまって人生が絶たれるのもひとつ、手ではある。

 奴隷として働くことは、自分を殺すこと。給金もなく、とにかく体罰を受けないように動くだけだった。

 体罰を受けて身体が動かなくなれば、奴隷としての価値もなくなり、屋外に放置される。その結果を、十八歳になったノインは知っていた。屋敷の敷地の端、街への抜け道の近くで、白骨を見たことがある。

 たぶん、それよりはまだ、一日中何かしらの労働を与えられ、時間が過ぎる方がよかった。痛いと感じることも、徐々に無くなってはいた。

 ノインの目の前に、ひとりの大人が立ち止まった。自分に用があるのかと顔を上げようとすると、相手はしゃがみ、ノインと目線を合わせた。衛兵服ではなく、執事服よりもかっちりした衣服に見えるその人の瞳は、優しかった。

「君は、こちらへ」
「……はい」

 王家の側近を務めるという、ルーファスに引き取られた。ルーファスは車の中で、ノインが今後働く場所は王宮、しかも「セオドア王子付きの使用人になって欲しい」と言った。

 何故、奴隷として働いてしかこなかった自分が、そんな立場に選ばれたのかと混乱したが、慌てたところで何も変わらない。自由になれるわけでもなく、流れに任せることにした。

 セオドア王子については聞いたことがなく、何も知らなかった。そもそも、世間のことを何も知らないに近い。使用人の噂話を小耳に挟む程度で、王家はとても遠い存在だった。

 車はルーファスの屋敷には寄らず、そのまま王宮に直行した。奴隷として生地の薄い服を着ていたこともあり、王宮前にいた衛兵が顔を歪めるほど、身体検査の必要もない身なりだった。

 こんな格好で会うことは普通ではないと、その反応を見て思いつつ、ルーファスと共に王宮の廊下を進む。ルートが分からなくなるほど歩いて、立ち止まった。

 ルーファスに「待っていなさい」と指示され、素直に従った。ルーファスが扉をノックし、室内を窺っている。

「セオドア様、連れてまいりました」
「入って」
「…………」

 ノインは顔を伏せたまま足を動かし、書斎机の前で止まった。こんな大きな机、公爵家でも見たことがない。ノインが入るのを許されていなかった部屋にはあったのだろうか。

 ゆっくりと顔を上げると、声の主がいる。目に入った王子は、紫色の瞳をしていた。

「……っ!」
「三年ほど前になるが、覚えていたか。あの時はお忍びだったんだ。セオドアと言う」

 ノインは驚き、その場に立ち尽くした。三年前とはいえ、街に出て人にぶつかったのはそれ以外にない。使用人や奴隷、仕えた貴族を含め、ノインが知る限りのどの人間にも紫色の瞳はおらず、印象的だったのだ。

「……王子だったんですね」
「そうだ。あの時の君が気になって、今回、君の……、主人だった公爵を拘束することができた。奴隷制度はとうの昔に禁止されている。だから、きっかけとなった君を僕の使用人にしたかった。出世と言えるかは分からないが」
「そういう……」

 話を理解した。今回ここに連れてこられたのも、納得できる気がした。

「名前を聞いても?」
「あ……、えっと、ノインと、呼ばれていました」
「呼ばれていた?」
「奴隷はみな、番号で……。ここに、数字が彫られてて」

 ノインは自分の服の襟を引いて、鎖骨の下辺りを見せた。目の前にいるのが王子でも、ノインは作法を知らない。

「そうか、奴隷になる前の名は?」
「小さかったので、覚えていません」
「では、僕が名付け直そう。そうだな……、ノアはどうだろう」
「はい、なんでも」

 ノインにとって、名前などただの呼び名に過ぎない。何と呼ばれようと、誰かと区別できればそれで問題がなかった。

「今から、君はノアだ。僕の使用人で、屋敷全体に関わることは別の者に任せて問題ない」
「はい」
「一旦は、今までの侍女から仕事を引き継いで欲しい。後々、この部屋に立ち入れるのはノアと、君の後ろに立っている側近のルーファスだけにしたい」
「分かりました」

 王子の使用人がどれだけのことをやる必要があるのか、ノアは知らなかった。ただ、奴隷だったノアひとりでも、できる作業量なのだろうと、想像はついた。実際、昨日までのノアは奴隷として、他の者よりも働いていた自覚はある。たぶん、要領は良い方だ。

「それからノア、非常に言いにくいことだが、性別を偽ることを、罪だと感じるか?」
「え?」
「基本、身の回りの世話をするのは女性だ。僕の立場もあって、男性として出入りが見られると少々ややこしい。侍女の制服を着ることに、抵抗はあるか?」
「いいえ、服がもらえるならそれで」

 ノアにとっては、仕事が不自由なくできるなら、服も名前同様、何でもよかった。


 ◇


 ノアには、王家や貴族の常識が分からなかった。

 セオドアが私室で食事を摂り、誘われるまま同じ席でノアも食べた。給仕室からふたり分の食事を持ち出すと、不思議そうに見られたが、話は通っているのだろう、声を掛けられることはなかった。セオドアと同じような、様々な道具を使う食べ方はできなかったものの、咎められなかった。

 湯浴みも、セオドアを手伝うだけではなく、ノアも一緒に入った。元奴隷のノアが、王子であるセオドアの命令を拒否することはできないし、背中を見られることはどうでもよかった。それに、痣を見ても、セオドアは何も言わず、むしろ背中を流してくれた。

 ノアが寝るための部屋は用意されているらしいが、一度も入ることなく、セオドアのベッドへ誘われた。セオドアがノアの手を握ってくる。王家ではこれが普通なのかと、ノアは受け入れた。確実なのは、主人である王子の言動が絶対であることだけだ。

「ノアは、何故あの屋敷に?」
「親に売られました。生まれつき痣があって、気味が悪いと」
「ああ、背中のか……。誰かに見られることに、抵抗は?」
「『抵抗』?」
「僕に見られるのは、嫌ではなかった?」
「嫌……、じゃなかったです」
「ん……? 痛くはないのか?」
「全く」
「そうか……、辛かった?」

 ノアは、少し考えた。痛みを感じることは、ここ数年、いや、もっと長い期間なかった。嫌とか辛いとか、そんな感情を抱いたことはあっただろうか。今みたく、何か言葉を発するために、待ってもらったことはあっただろうか。

「……『嫌』も『辛い』も、分かりません。忙しく働いて、感じる余裕はなかったので」
「ここでの生活なら、時間はずっとゆっくり流れる。無くした感覚も、徐々に知っていけばいい」
「……? はい」

 奴隷として生きてきたノアは、それが自分にとってメリットがあるのかどうか、この時はよく分かっていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

【8話完結】恋愛を諦めたおじさんは、異世界で運命と出会う。

キノア9g
BL
恋愛を諦め、ただ淡々と日々を過ごしていた笠原透(32)。 しかし、ある日突然異世界へ召喚され、「王の番」だと告げられる。 迎えたのは、美しく気高い王・エルヴェル。 手厚いもてなしと優しさに戸惑いながらも、次第に心を揺さぶられていく透。 これは、愛を遠ざけてきた男が、本当のぬくもりに触れる物語。 ──運命なんて、信じていなかった。 けれど、彼の言葉が、ぬくもりが、俺の世界を変えていく。 全8話。

【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった

ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。 生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。 本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。 だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか… どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。 大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

血のつながらない弟に誘惑されてしまいました。【完結】

まつも☆きらら
BL
突然できたかわいい弟。素直でおとなしくてすぐに仲良くなったけれど、むじゃきなその弟には実は人には言えない秘密があった。ある夜、俺のベッドに潜り込んできた弟は信じられない告白をする。

完結·囚われた騎士隊長と訳あり部下の執愛と復讐の物語

BL
「月が綺麗ですね。あぁ、失礼。オレが目を潰したから見えませんね」  から始まる、国に利用され続ける隊長を自分のものだけにしようとした男の欲望と復讐の話  という不穏なあらすじですが最後はハッピーエンドの、隊長×部下の年下敬語攻めBL  ※完結まで予約投稿済・☆は濡れ場描写あり  ※Nolaノベル・ムーンライトノベルにも投稿中

【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。

明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。 新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。 しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…? 冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。

処理中です...