8 / 12
騎士<4>
大通りに戻り、アーベルの姿を探す。アーベルのことだ、おそらく先に見つけて近づいてくる。今回は馬車を留めていないため、すぐには来られないだろうが。
大きなつばに隠れるように、トリシャが俯いている。踊り子として活躍していた身体は細く、たいていの服は緩いだろうが、その分調整だけで済む。新しく一から用意しなくとも、既製品や在庫で対応できると思ったのは間違いではなかった。
トリシャの手をぎゅっと握り、しばらく待っていると、アーベルの操る馬車が見えてくる。特別目立つ動作をしなくても、アーベルは大柄なニコラスの目の前に止まる。
「お待たせしました。トリシャ様、素敵です。綺麗な色を選ばれましたね」
「ああ、二時間ほどすれば、数着は持って帰れる」
「かしこまりました。個室のあるカフェを探しておきましたよ」
「さすがだ、アーベル」
おそらく見目を気にしているトリシャだ。個室でニコラスしかいない場所で待てるなら、それが得策だろう。
トリシャを先に乗せた後、ニコラスも飛び乗って揺られる。帽子を取ってしまうと被り直すことが難しそうだったため、ニコラスは身体を倒し、対面に座るトリシャを覗き込んだ。
「その色を、外に見られたくないんだね?」
トリシャが口を開けて、すぐに閉じた。言葉を探しているようだ。膝の上で握りしめられた小さな両手に、手を添えた。
「……サーカスに入る前、指を差されていたような気がして。あまり覚えてはいないのですが、ぞわっとして……」
「僕がトリシャを外に連れ歩くことはないと、約束はできない。でも普通の貴族と比べれば少ないはず。今日は屋敷で過ごすために必要な物を買うから、避けられないんだ」
「はい、ありがとうございます、ニック様」
揺られること十分ほどでカフェに着いた。街からここまで離れると厩務員がいる。馬車を預けるアーベルを待つ間、トリシャの腰をそっと引き寄せた。騎士のニコラスは大柄で、軽い気持ちで近づいてくる輩はそれだけで減る。
「今はとにかく、僕か足元だけ見ていればいい。こうしていれば、周りは見えにくいだろう?」
「はい、ニック様」
どこへ行っても、扉が開くまではアーベルに任せている。馬車留めから少し歩くことになってしまったが、トリシャをニコラスの身体で隠すよう歩き、アーベルの先導でカフェに入った。個室なこともあり、ニコラスの希望でアーベルも同じ席についた。
◇
トリシャの手を引き、片手には包んでもらった服を持った。ニコラスの想定よりも多くの服を仕上げてくれたため、チップを弾んでおいた。アーベルによれば、顧客管理もしっかりしているとのことで、次回も先触れを出せばすんなり通されるらしい。
「隣に座ってもいいかな、荷物を席に置くから」
「はい」
一応の許可を求めたものの、やはりトリシャは断らなかった。少しでも言い淀むことがあれば、見逃さずに聞き入れてやりたかった。
旅のトランクとは異なり、今回はトリシャの新品だ。足元に置きたくはなかった。
対面に紙袋を並べ、トリシャが端に寄って作った空間に隣に腰を下ろす。
大柄のニコラスに合わせた特注の馬車ではあるが、大きすぎても使い勝手が悪い。今回のように、特に人の多い街へ行った時、停める場所を探すのに苦労することになる。トリシャと出掛ける用に、注文し直してもいいかもしれない。
(いや、そもそもトリシャは出掛けたくないか)
出発前に、アーベルが声を掛けてくる。
「ニコラス様、屋台には寄られますか?」
「ああ、寄ろう。休めはしないけど」
「僕は構いません。馬には少し水をあげます」
「トリシャもそれでいい? 夕食代わりに、パンとチーズをこの中で食べることになる」
「はい」
宿は人が少なくアーベルの配慮もあったが、服屋での店員の反応を見てしまうと、客入りの読めない飲食店には入れない。トリシャの見目が、人の気を引いてしまう。
舞台の上ではないところで注目を集めるのは、トリシャにとって不快なことなのだろう。アーベルも気付いていて、女性を連れていれば普通は外す、屋台の食事を提案してきた。
◇
アーチボルト伯爵邸は、グローヴナー公爵領にある。ニコラスは貴族当主となったが領地を持たず、国王の親族である公爵の別荘を褒賞に賜った。
執事と使用人ふたり、料理人に庭師と、伯爵家に仕える者全員が主人の帰還を出迎えた。もともとオースティン侯爵家出身でれっきとした貴族であるニコラスは、この出迎えに疑問を持たない。
伯爵家に仕える者たちから名乗られたトリシャは、それぞれに会釈を返していた。踊り子として、夜ごとにいろんな客の相手をしてきたはずだ。そういった部分の対処は鳴れているのだろう。
屋敷での生活を知らないトリシャには、建物すらも珍しく見えるだろうが、帽子を取ることはなかった。
「私たちに、何なりとお申し付けください」
挨拶の締めとして、息を揃え一斉に礼をする使用人一同に、少し驚き怯えたトリシャが一歩下がった。そっと腰に手を当て、前を勧める。
「大丈夫、すぐに慣れるよ。今日のところは僕が」
「かしこまりました、ニコラス様」
使用人たちが馬車から下ろした荷物を手に屋敷に戻ったところで、馬屋からアーベルが歩いてくる。厩務員を雇うほど馬の数はおらず、騎士であるニコラスも馬の世話をすることがある。アーベルが兼務しているのはそのせいだ。
「アーベル、お疲れ様。今日はもう休んでいい」
「ありがとうございます。では明日に。失礼します」
アーベルの礼を見送ってから、トリシャの手を引き、屋敷へ入った。ホールから伸びる階段を上り、廊下を突き当たるまで進む。皆で相談しながら設えを選んだトリシャの私室を、最初に確認してほしかった。
「ここが、トリシャの部屋だよ」
「ありがとうございます、ニック様」
表情を変えることもなく、トリシャはそう返事をした。華やかなサーカスの世界に身を置いていたトリシャには、十二分にリラックスして、気楽に過ごしてほしい。この部屋が、それに一役買うはずだ。ニコラスが好きなこともあって、部屋は緑と木のぬくもりで統一されている。
「何か変えたいところはある? カーテンの色とか」
「いえ、心地よさそうです」
「それはよかった」
相変わらず帽子を被ったままのトリシャの顔が、一点から動かない。視線を追うと、その先にあるのはベッドだ。トリシャは元踊り子で、ニコラスはトリシャを買った。それしか目に入らなくても、不思議ではない。
「ベッドが気になる?」
「こちらのベッドは、ニック様の?」
「いや、これはトリシャの物だ。僕のは隣の部屋にあるよ」
トリシャは、世間的にニコラスの愛人だ。夫婦ではないため、夜に本邸の同室で休むのは一般的ではない。アーチボルド伯爵邸に別邸はなく、トリシャは本邸に住むことになる。
当然、ともに使えるようになれば嬉しい。そのための、大きなものを運び込んである。
「では、ご一緒に」
「……それは、奉仕したいと?」
「はい」
トリシャは、客に対して奉仕するよう躾けられているのだ。ニコラスは確かにトリシャの身体が好きだが、今はもう、踊り子と客の関係ではない。
(ひとつひとつ、言葉で伝えていくしかないんだろうな……)
「今日は何もしないつもりだった。トリシャがしたいならできるけど、隣で横になる?」
「……はい」
「じゃあ、身支度を整えた頃に来る。一旦使用人を呼ぶね」
(当然か。トリシャが知っているのは僕だけだし、居住テントは狭かっただろうから、この部屋は広すぎて、落ち着かないのか)
ベルの使い方を教え、身支度や飲食など、用があれば遠慮なく使用人を呼ぶように伝えた。ひとりでできてしまうのだろうが、荷物の運搬を使用人に頼んだ以上、今回は呼ばざるを得なかった。
◇
トリシャの私室にあるベッドは、騎士であるニコラスが寝てもゆっくりと休めるよう特注で大きく作らせたものだ。トリシャと並んでも、ゆったりと余裕がある。
「ニック様」
「うん?」
「本当に、これでいいのですか」
「うん、いいんだよ。疲れただろう、灯りを落とすね」
トリシャは気分が乗っているというより、踊り子として買われ連れてこられた屋敷で、奉仕をしない選択が頭になかったと言った方が近そうだった。ニコラスが奉仕を断ると、少し食い下がった後、受け入れてくれる。
(客の、言うことだから)
やはり何か、従わせる方が落ち着けるのだろう。好きに過ごしてほしいと思っても、トリシャには踊り子としての人生しかなかった。少しずつ、伝えていくしかない。
「じゃあ、代わりに……」
トリシャを引き寄せ、腕の中に収める。抱き枕と言うには細いが、体温はあたたかく女性ならではの香りも漂う。
ぎゅっと抱き締めてしまいたいが、慣れない移動に疲れただろうトリシャを気遣うことは忘れない。騎士として、理性のコントロールには長けている自負もある。
「苦しくない?」
「はい」
「おやすみ、トリシャ」
「……おやすみなさい、ニック様」
あなたにおすすめの小説
『お前の針仕事など誰でもできる』——なら社交界のドレスの裏地を、めくってごらんなさい
歩人
ファンタジー
「地味な針仕事しかできない令嬢は要らない」——公爵家の嫡男にそう言い渡された伯爵令嬢ティナは、
裁縫道具だけを持って屋敷を出た。その翌週、社交界が凍りつく。王妃の夜会服も、公爵令嬢の舞踏会
ドレスも、第一王女の外交用ローブも——仕立てた職人が消えたのだ。しかもティナが十年かけて縫った
全てのドレスの裏地には、二重縫いで隠された署名が残されていて——。
辺境の小さな仕立て屋で穏やかに暮らすティナの元に、王都から使者がやってくる。
【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
兄妹じゃないとわかったのでお兄様と結婚したら、全部仕込みでした
こじまき
恋愛
【20260401読みやすいように話を分割しました】
伯爵令嬢ヘイゼルは、兄アリステアに恋をしている。叶わないと知りながら、それでも諦めきれなかった。
しかし子ども時代の「取り違え」が発覚し、子爵令嬢ロレッタとして“正しい場所”で生き直すことに。
そして妹ではなくなった彼女に、アリステアは求婚する。
運命のねじれは正されて、望んだとおりに最愛の人と結ばれた――
けれど――その「正しい運命」は、兄アリステアによって用意されたものだった――
※「小説家になろう」にも投稿しています。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
お兄様はやさしく笑って、逃げ道だけをなくしていく
星乃和花
恋愛
縁談に悩む子爵令嬢リゼットが助けを求めたのは、名門侯爵家の長男アルフレッド。
穏やかでやさしく、理想のお兄様のような彼は、「君のことは僕が見ている」と甘く手を差し伸べてくれる。
送り迎え、花や手紙、完璧なエスコート。
守られているだけのはずが、気づけば周囲には「彼女はもうノースウェル侯爵家のもの」という空気ができあがっていて――。
ふわふわ優しいのに、実はかなり策略家。
やさしく逃げ道をなくしてくるお兄様系ヒーローに、恋愛に疎い令嬢がじわじわ囲い落とされていく、甘くて幸せな溺愛ラブストーリー。
――「待つよ」と言いながら、外堀はきっちり埋めてくる――
(完結済ー本編10話+後日談2話)
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
夫婦戦争勃発5秒前! ~借金返済の代わりに女嫌いなオネエと政略結婚させられました!~
麻竹
恋愛
※タイトル変更しました。
夫「おブスは消えなさい。」
妻「ああそうですか、ならば戦争ですわね!!」
借金返済の肩代わりをする代わりに政略結婚の条件を出してきた侯爵家。いざ嫁いでみると夫になる人から「おブスは消えなさい!」と言われたので、夫婦戦争勃発させてみました。