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第一篇
19.各見世の稽古 2
しおりを挟む一通りの稽古を終えて、休憩を挟む。この後は空き時間で、稽古をするもよし、生活する宮に戻って芸者の準備をする世話係を手伝うもよし。芸者を名乗れるようになるために何が必要か、自分で決めて自由に使っていい時間だ。翠月の暮らす翠玉宮には芸者がおらず、侍女の春霖・秋霖しかいないから、帰っても日記を書くくらいしかすることはない。
稽古場から出てすぐ、子どもの声が耳に入った。
「うわ、ここ人間いるの?」
「こら、謝りなさい。蒼玉の一番手に向かってなんてことを」
「いいですよ、暁さん。慣れてます」
天月が言葉を返した相手を見る。水色の扇で、天月を差した子どもの指を叩いている。まだ会っていなかった藍玉宮の宮番、暁だ。
「ん、もうひとりいる?」
「あれ、紹介してませんでした? こちら翠月です」
「よろしくお願いします」
暁は、他の宮番よりも少し年上に見えた。妖の見た目年齢が人間と同じかは分からないが、暁は三十代後半、他の宮番は二十代後半くらいだろうか。翠月が顔を上げると、暁は一度頷いて、天月に話しかけた。
「天月、見世前はここに来るのか?」
「緑翠さまの許可が出るまでは。僕の見世が早い時は、翠玉に籠ってもらうか、暁さんに頼むと思います」
「そうだよな、ひと声掛けてくれ」
「はい」
(天月は楼主さまから、私の稽古に付き合うように言われてるんだ)
さっき会った子どもの言葉も含め、少し複雑な思いを感じながら、挨拶を終えた。食堂に移って茶をもらい、座卓に着いて、翠月は天月に早速聞いた。
「さっきの子どもは?」
「どこかの働き手になるんだろうね。風呂番も料理番も火があるから、まずは掃除番とかかな。大きくなったら芸者を目指すのかも」
言葉だけでなく、床見世のあるこの深碧館に、子どもが居る違和感が拭えない。それが通じたのか、天月が話してくれる。
「ほとんどの妖は、身請け目的でここに来るって聞いてる。でも、親に捨てられてここに来る妖もいるよ」
「親に捨てられて?」
「ひとりひとりの詳しい事情は知らない。でも向こうでも孤児はいたでしょ?」
「まあ…、近くにはいなかった」
「ああ、そうだね、珍しいよね。慣れが要るかも。世話係とか近侍になるために、自分からここに来る妖もいるくらいだし」
翠月の頭にぱっと思い当たるのは、春霖・秋霖の双子だ。仕事としてここで働くことを選んだのか、仕方なく来たのか。なんとなく、あのふたりは選んだ気がした。翠玉宮への献身ぶりが、そう思わせる。
「翠月はすごいね、他を気にする余裕があるんだから」
「うん?」
「僕が来てすぐの頃は、所作も稽古もいっぱいいっぱいで、気付いたら世話係がいることなんて普通だったよ。守破離って分かる?」
「うん」
「さすが。僕はまだまだ型を守ることで精一杯。破ったり離れたり、自分で見世を工夫するには経験値が足りないんだ」
(守破離…。久々聞いた)
向こうでの筝曲の稽古で、経験豊富な年齢を重ねた先生が来た時に、言われた言葉だ。まずは先生を真似てやり方を守ること。それが十分にできるようになれば、自分の考えで型を破ってみること。そして最後には、型から離れて新しいものにしてしまうこと。この段階をまとめて、守破離と呼んでいた。
翠月は、とっくに自分なりのやり方で筝曲も書も進めていたから、婆は何も言わなかったのかもしれない。もう型を離れている翠月には、同系統の型は要らないものだ。全く違う型があれば、やってみるのも手だが、翠月は十二分に見世で通用すると、認められている。
(結局、ここでも普通じゃない。稽古に入った段階で、もうできるなんて)
「…私は、普通じゃないって言われ続けたから。書道もお琴も、あと宝石も、みんなは知らないこと」
「確かにね。瞳の色も違う」
「そう」
「目立つよね、向こうはみんな茶色いもんね」
天月も、向こうの世界では思うところがあったのだろうか。翠月に同意しながら、どこか寂しそうだ。
「『普通』がよかった?」
「うん、憧れてた。ここだと、それができて『普通』」
「そうだね」
少し考えたような天月が立ち上がって、翠月は慌てて茶を飲み切って後を追う。
「もうすぐ見世だし、戻らないと。翠玉まで送る」
「それって、いつになったら止められるの?」
「うーん、座敷に出るようになるまでかな。僕も宵さんに送り迎えしてもらってたけど、いつからなくなったのか覚えてない」
「分かった、頑張る」
翠月は、人間だから送り迎えが必要なことは分かっているが、それでもずっと続くのは気を遣ってしまう。そもそも、向こうの世界ではひとりで居るのが普通になっていたから、こうして天月が一対一で居てくれることに違和感を持ち始めていた。
夕方が近づけば、こうして翠玉宮に送り届けられ、春霖・秋霖と話したり、ひとりで日記をつけたりする。決してひとりの時間が欲しいわけではなく、天月が今まで何かに使っていた時間を、翠月が奪っているような気になるのだ。
(確認してもいいけど、天月は天月で、楼主さまに頼まれてそうだし…。離れることはないんだろうな)
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