拝啓、透明な貴女へ

あの

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拝啓、透明な貴女へ

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真っ白な部屋で1人の女性が目を覚ます。

女性はぼんやりと何もない空間を眺め、ゆっくりと瞬きだけを繰り返した。

ただ静寂の時間だけが流れる。

その静寂を壊したのはカチャッという、部屋の引き戸が開かれた音だった。

そこで女性は初めて頭を動かし、音がした方を見る。

そこには引き戸の取っ手に手をかけたまま驚いた表情で部屋の入り口に立つ、中年の女性が居た。
次の瞬間、その中年の女性は「セイ!」と叫びながら、ベッドの上でまだぼんやりとしている女性の側へと走って近づき、抱きしめる。
だが、女性は自分を抱きしめている人も、彼女が呼んだ名前も、自らの名前さえもわからなかった。
だから女性は彼女に問いかけた。「あなたはだれですか?」と。


三日後、女性は自分の実家だという家に来ていた。いや、実家であるなら帰った、という表現が最適であろうか。

この三日の間にいろいろなことを聞いた。

自分の名前はセイ。
あのとき抱きしめてきたのは母親。
そして、自分は記憶喪失であるということ。

自分には心臓の病気があり、余命宣告もされていたそうだ。
ドナーが見つかれば助かる命だったが、なかなか見つからず、絶望して飛び降り自殺を図った。幸い、飛び降りに使った建物はそこまで高くなかったため命に別状はなかったが、頭を打ったらしく、なかなか目を覚まさなかった。その間にも病魔は体を蝕み続け、かなり危ないところまできていたが、そんな折にドナーが見つかり、仕方なく意識のないまま手術をした。そしてそのまま眠り続け、手術から二ヶ月ほど経った三日前、やっと目を覚ました…というわけらしい。

「何か思い出したかしら?」

と、横から母親……富美子さんが声をかけてきた。記憶がないため、母親という実感も湧かず名前で呼ばせてもらっている。
相変わらず記憶は戻らないので頭を横に振って変わらないということを伝えた。

「でも…どこか懐かしい感じがします……」

すると富美子さんはニコリと笑って

「無理に思い出そうなんてしなくて大丈夫よ。ゆっくりでいいからね」

と言ってくれた。

一瞬、寂しそうな、苦しそうな顔をしていたような気がしたが、今はニコニコと優しそうに微笑んでいて、実際はどうだったのかわからなかった。


それから更に1週間ほど、実家らしい家で、自分の家族だという人たちと暮らした。未だに何も思い出せないが、みんな自分に優しく接してくれるし、無理に思い出させようとはしてこない。それが逆に申し訳なくて頑張って思い出そうともしたが、ひどく頭が痛んで、どうにも思い出せそうになかった。

そして今日は大学に入ってから一人暮らしをしていたというアパートに行ってみることになった。

富美子さんたちも一緒に着いてくると言ってくれたのだが、なんとなく一人で行きたい気分で断らせてもらった。

教えられた住所まで、電車やバスに揺られながら外を眺めていた。
バスが住んでいた家のある場所の近くになると、やはり既視感のある道や建物が多かった。
バスを降りると、今度はスマホアプリの案内に従いながら目的地まで歩いていく。

そして、自分の部屋らしい場所のドアの前まできた。事前に渡された鍵を差し込み、ゆっくりと回すと、ガチャっと鍵の開いた音がした。
中に入って靴を脱ぎ、廊下の突き当たりにある部屋のドアを開ける。
部屋の中には机とベッドと小さなテレビが置いてあり、壁には三ヶ月前の月のままになったカレンダーがかかっていた。カレンダーのある日付には赤いペンで丸が付けられていた。
ぱっと見は何か思い出せそうなものはなかったが、それでも何かないだろうかと引き出しの中や置かれていた鞄の中などを探す。
すると、クローゼットの奥に隠すように金庫が置かれてあった。

暗証番号を入れないと開かないが、その番号がわからない。

と、その時ふと思い出したのはカレンダーに赤マルがつけられた日付。

全く違う番号かもしれない。でもその時はなぜか、それが正しいという確信めいたものがあった。

丸が付けられた日付は8月26日。
金庫にある数字のボタンを0、8、2…と順番に押していき、6を押した瞬間に鍵の開いた音がする。
金庫の扉を開けると、出てきたのは小さめの段ボールで、今度は段ボールを取り出し、そっと蓋を開けた。
入っていたのは、いくつかの小物とくしゃくしゃになったハンカチ、そして、裏返しにされた写真立てだった。
その写真を見たくないという想いとともに、見なければいけないという想いもあった。

震える手を写真立てにのばし、裏返してみる。
そこに写っていたのは笑顔でこちら側にピースサインをする自分と知らない男性。でも、その男性を見たとき、懐かしさが溢れ出して、頬を涙が伝った。

瞬間、彼が誰なのかを思い出す。

「ぁ…あぁ……陸…!」

それは愛しい人の名前。
そしてもう、この世界のどこにも存在しない人の名前。

「あぁ…もう、このまま…思い出さなければよかったのにッ……」

今まで忘れていた思い出が次々に流れ込んできて、頭が割れるように痛くなる。
頭の痛みに耐えかねてその場に蹲っていたが、ついに意識を手放してしまった。


ーーあの日、8月26日は恋人である陸の誕生日だった。

病気のせいで入院していたが、誕生日である陸を祝いたくてその日だけ若干無理矢理に退院にこぎつけた。
流石にいつ倒れるかわからない自分を一人にはできないと、祝う場所は実家の方になったが、陸は嫌な顔ひとつせずに了承してくれた。

私は陸へのプレゼントもケーキも用意して、家族が飾り付けを手伝ってくれた部屋で陸が訪れるのを待っていた。
しかし、約束の時間が過ぎても陸が来ることはなく、時間だけが流れていった。

そんな時私のスマホから電話の着信が鳴った。
知らない番号だった。

たまにあるよく知らない会社から来る営業電話だろう、そう思うのに妙な胸騒ぎがして、いつもはほとんどとらない知らない番号からの電話をとった。

『〇〇病院のものですが、相川セイさんでよろしいでしょうか。』
「……はい」

病院と聞いて嫌な予感がした。

そして次に続いた言葉を聞いた瞬間頭が真っ白になって、それ以上話が頭に入ってこなかった。

陸が交通事故で緊急搬送され、とても危険な状態らしい。

「そんな…陸……どうして…」

陸はこっちに向かってた。

「私が…呼んだから……?」

上手く呼吸ができない。
家族が何か言っている気がするが、頭を埋め尽くすのは陸のことばかりで、何を言ってるのかはわからなかった。
そのうち心臓の方まで痛くなり、すぐに気を失ってしまった。


次に目が覚めたとき、目に入ってきたのは最近は随分と見慣れてしまった自分の病室だった。

「セイ…?よかった、目が覚めたのね……!」

ベッドの横にある椅子に座っていた母が気づいて声をかけてくる。

少しの間は頭がぼんやりとして状況が掴めなかったがすぐに陸のことを思い出す。

「お、お母さん、陸は?!陸はどうなったの?」

「……陸くんは、その…お亡くなりになったそうよ」

母は言いにくそうにして私にそう告げた。
陸の名前を聞いた瞬間に顔が暗くなったのでもしかしたらという予感はあった。

それでも事実を突きつけられるとやはり衝撃をうけてしまった。

「あぁ……う、嘘よ…だってずっと一緒にいよう、って……」

私はあまりの衝撃に泣き続けることしかできなかった。

どれぐらい経ったかはわからないが、かなりの間泣き続け、落ち着いてきたところで母が色々話してくれた。

特に驚いたのは、私にドナーが見つかったということ。しかも手術も終わってるときたら驚きは一入だ。

私がパニックになってしまったときに心臓に負荷がかかってしまい、救急車で運ばれた後、医師にすぐに手術をしなければ危ないと言われたそうだ。
しかし、奇跡的にもドナーが見つかり、移植手術は成功し、今に至るらしい。

家族は病気が治ったことを泣いて喜んでくれた。

でもそこに陸はいなくて。
彼ならきっと家族と同じように喜んでくれた。
この場のどこにもない彼の姿に、本当に彼はいなくなってしまったのだと改めて言われた気がした。


どうせ陸がいないなら…
あのまま死んじゃえばよかった、なんて。
ドナー提供をしてくれた人にも、病気が治ったことを純粋に喜んでくれている家族にも、失礼なことを考えてしまった。

それから時間は流れ、退院の日が来てもその考えは心の隅に住み着いたままで。
自分だけが時間に取り残されてしまったような気がした。

退院の手続きが終わってアパートに戻ると部屋にある陸からもらった小物や陸と撮った写真が入った写真立てなどが目に入ってきて、嫌でも陸と過ごした日々が思い出させる。

思い出すのが辛くて、消してしまいたくて。

全部近くにあった小さめの段ボールに仕舞い込んで。
プレゼントに用意していたハンカチも入れて。
更に金庫の中にまで入れて隠した。

それでも生きている限り、思い出は心の中にあってどんなに消そうとしても忘れることができない。

そのときずっと心をくすぐっていた考えがぽろりと零れ落ちてしまった。

思い出を消してしまいたいなら、
自分ごと、消してしまえば……

それに、ずっと一緒にいようと約束したのだ。
陸は私が病気だって知ってもずっと側にいてくれた。
ならば私もそっちに行ってしまおう。

その考えに思考は埋め尽くされ、いつの間にか近くの屋上がある建物へと足を運んでいた。
そして気が付けば視界を空色に染めながら下へ下へと落ちていた………


「…ィ……セイ、起きて」

懐かしい声に呼ばれて目を開ける。

「りく……?」
「うん、セイの恋人の陸だよ」

陸が優しく微笑みながら答えた。
久しぶりに見た陸の姿に目が熱くなる。

「これは、夢…?だって陸は……」
「うーん、夢みたいなものだけど、ちょっと違うかな。どっちかというとキミの中にある残滓的なもの」
「それってどういう…」

よくわからなくて聞こうとするも、陸はそれには答えず話し続ける。

「セイはさ、僕が死んじゃったから僕のところに来ようとしたんだよね?」
「………」
「セイ、お願いだからもう死のうなんて思わないで」
「……ずっと、一緒にいようって言ったじゃん」

涙を堪えようとして声が震えてしまった。

「僕はずっとセイの側にいるからさ」
「…嘘つき」
「嘘じゃないよ。」
「………」

陸が困ったように笑って再び口を開く。

「……本当はこれ、言うつもりじゃなかったんだけど………セイの気持ちが変わらないならそうもいってられないな」
「陸……?」
「セイにさ、ドナーが必要だって知ったとき、僕のものが使えないか調べたんだ。そしたら奇跡的に適合してね。万が一の時は僕の心臓を使って欲しいって先生に話しておいたんだ」
「え……?じゃあ、私のドナーが見つかったのって………」

陸は静かに首肯した。

「どんなときでも僕は君の側にいる。それを忘れないで」

なんとか堪えていた涙がついに決壊してしまった。

「泣かないでよ。僕は君にはいつでも笑っていてほしいんだ」

それでもなかなか泣き止むことはできずにいる私の背中を彼は黙ってさすってくれた。
それが嬉しくて次々に涙が溢れてきてしまっていることを彼は知らないのだろう。

涙も落ち着いてきた頃に、お互いにぽつりぽつりと思い出話をした。
楽しかったことや悲しかったこと。
沢山話した。

しかし、しばらくしてうっすらと視界が白み始めた。
別れが近づいていることを悟る。

悲しいけれど、もう取り乱したりはしなかった。

彼は私の中で生きている。

思い出だけじゃない、彼が確かに存在していた証として。


「陸……ありがとう」

透明な彼女は再び色づき、鮮やかに咲った。
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