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11.彼女から見た世界一後編
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北方に果てしなく続く大地。西方に広がる森。東方に微かに見える海。……眼下に人の群れ。
ローヴィの背から、先輩の肩越しに見える……『世界』。
まるで時間が止まったような感覚がしました。空から聴こえてくるようなローヴィの雄叫びは、私達の旅の始まりを告げているようでした。
ーー
「せっ!先輩っ!」
「喋るな!舌を噛むぞ!」
崖の腹に、着地とは言えない衝撃を受けたローヴィは、そのまま全速で駆け降ります。その振動は私達にも直に届き、身体を激しく揺らします。
逃げた。ギアさんが、逃がしてくれた。一先ずは、あの恐ろしい騎士の手から逃れた。でも残ったギアさんは、どうなるのでしょう。私はそれを先輩に訊かずにいられません。
「…………!」
数十秒の後、平地に下ったローヴィの手綱をしっかりと持ち直した先輩は、その勢いを殺さず、さらに加速します。
「先輩っ!ぎ、ギアさんは!?」
「ああ!奴に感謝だ!」
「助けに行きましょう!体勢を整えて!」
私達はそのままの勢いで街を抜け、北の荒野へと突入しました。
ーー
「はぁ……はぁ。疲れた……。ほら水」
「ありがとうございます。……荷物、ローヴィに積んでて良かったですね」
しばらく走りきってから、岩陰に身を隠します。先輩は水筒を私に渡してから、ローヴィの確認を始めました。
「今日はもう走れそうに無いな。傷が無いのはさすが『黒馬』だが、疲労はどうしようもない。ただ体調管理はきちんとしていたようだ。あの馬鹿も馬にだけは誠実だった」
「先輩の傷も見せてください」
「……ありがとう」
私も先輩を手頃な岩に座らせ、応急処置をします。
「……どうしますか」
「結論から言うと、ここで粘れるだけ待つ」
「えっ!?」
先輩の口からは、いつも予想外の言葉が出てきます。
「まあ最大3日だな。ああ、待て。私の考えを聞いてから、質問があるなら言ってくれ」
「……分かりました」
私が大声を挙げたのを宥めるように、先輩はゆっくりと話し始めました。
「まずは現状の確認だ。丘でレットに見付かった」
「はい。ギアさんが気付かなければあれで死んでいました」
「レットはそういう奴さ。それで、奴がこの街に着いたと言うことは、恐らくもう街に私達の戻る場所は無い」
そういう奴、で片付けて良いのでしょうか。いくら敵同士でも、同期をあんな勢いで、本気で殺しにかかるなんて。私には信じられません。
「今のタイミングで街を出られたのが最後の機会だったのですね」
「ああ。もう封鎖されただろう。逃走経路までは把握されていない筈だ。だが国境へ向かって真っ直ぐ来てしまった。身を隠さなければならない」
「……あっ」
「気付いたか?」
先輩がゆっくり話してくれたお陰で、私にもその考えを察することができました。
「……商隊と合流する手筈でしたよね。彼等の商圏はいくつかの国を跨ぐ。【蒼穹の街】へ寄った理由は、[阿僧祇の国]へ行くため。とすると、ここはそのルート上なのですね」
「その通りだ。ただ、前も言ったが今のごたついた街を見て、商隊がルートを変更する可能性がある。キースが上手く誘導してくれたら良いのだが」
「もし来なかった場合は?」
「私達で越境するしかない。幸いにもお前の脇差と私のナイフがある。ローヴィも居れば、成功率は低くない」
「……本格的に冬になる前に越境しないとですね」
私は空を見上げます。ここから北へ進めば進むほど、より気温は下がるでしょう。じっとしていても冬はやってきます。そうなると旅自体ができなくなります。今ここでなんとしても越境しなければなりません。
「ギアさんはどうなりますか?」
「死ぬ確率は70%くらいか。逃亡の加担は本来10年刑だが、レットに掛かれば死罪もありうる」
「……本当に、同期のよしみは無いのですね」
「無いな。元より私とギアが特に嫌われていた。私もギアもレットは嫌いでは無いから、それも奴の怒りを買っていたのだろう」
「何があったんですか。先輩達に」
先輩達の同期は凄い。私は思います。2年で騎士団の副団長補佐になったり、こんな大きな馬を持っていたり、私を連れて亡命する計画まで練ったり。普通士官学校を出てそうはなりません。司書見習いや商人になどならないのです。一体どんな学校生活だったのでしょう。
「……」
先輩は何か言いかけて、そして押し黙りました。
「何もないさ。普通に卒業した。ずっとこんな感じだよ、私達は。皆同じ場所に居たのに、ずっと違う方向を向いていた」
そう言って遠くを見た先輩の顔を、私は忘れることはできないでしょう。
ーー
状況を整理して、私はギアさんの脇差を手に立ち上がりました。
「では、ギアさんを助けてきます」
「……話、聞いていたか?」
私の言葉に、先輩が首を傾げました。
「ええ勿論。私が先輩のお話を聞き逃すことはありません」
説明を求める先輩の眼に、私は応えます。
「ギアさんもエルシャさんも、レット……さんも、勘違いしてますね。当然、先輩も」
「え?」
「これは、この旅は。『私と先輩の探求の旅』です。決して、『先輩が私を連れ去った逃亡劇』ではありません。私達が目的を達成するための知識は、先輩が担当してください。頼りにしています。では私は、私達の旅に於いて『私達である』という証明をし続けましょう。この旅に意味を生みましょう。価値を見出しましょう。『私はギアさんを助けてきます』」
「……」
ずっと思っていて、言い出せなかったこと。理由はささいなことです。だけど、大事なことだと私は思います。思えば私達は軍属から離れ、自由になったのです。もっと自由にして良い筈です。
先輩は少し黙った後、納得したように小さく笑いました。
「そうだな。これはお前の旅だ。お前の好きにすると良い。だが付き合った立場上、その自信の根拠くらいは聞かせてくれ」
私は自信満々に答えました。
ーー
さて、話はそれから数日後に飛びます。揺られる馬車の中で、先輩が私に訊ねました。
「なあ、エヴァルタ」
「なんでしょう」
「私がもし女になったら、どう思う?」
それは唐突な、ある意味不意打ちのような質問でした。
私はそれを想像します。完全に女性として分化した先輩。体つきも精神も、変化はあるでしょう。
「なんだか友人が増えたようで、わくわくします」
「……そうか。では男になったら?」
予想通りの次の質問。今より背も伸びるでしょう。体格もがっしりとする筈です。今まで何度も手を取って貰った先輩が男性になる。
「頼りになる男性との旅……どきどきします」
「……そうか」
先輩はまた、小さく笑いました。先輩はずっと悩んでいたのでしょう。私がどう答えても、結果があるなら変わらない筈です。
ただ、先輩が自分の道をどう決めても、私は尊重しようと思います。そして逆に、私の正体が分かった後でも、先輩の私に対する態度は変わらないでしょう。
決して、依存してはいけない。あの知識を、考えを、優しさを。甘えてはいけない。
「そろそろ[阿僧祇の国]だな」
「はい」
それはひとえに『信頼』。私が私である証明を、その行動によって為すように、先輩も、先輩である証明を考え続けるでしょう。
人は、世界は美しい。あの城に居たら、きっと知らなかったと思います。
ローヴィの背から、先輩の肩越しに見える……『世界』。
まるで時間が止まったような感覚がしました。空から聴こえてくるようなローヴィの雄叫びは、私達の旅の始まりを告げているようでした。
ーー
「せっ!先輩っ!」
「喋るな!舌を噛むぞ!」
崖の腹に、着地とは言えない衝撃を受けたローヴィは、そのまま全速で駆け降ります。その振動は私達にも直に届き、身体を激しく揺らします。
逃げた。ギアさんが、逃がしてくれた。一先ずは、あの恐ろしい騎士の手から逃れた。でも残ったギアさんは、どうなるのでしょう。私はそれを先輩に訊かずにいられません。
「…………!」
数十秒の後、平地に下ったローヴィの手綱をしっかりと持ち直した先輩は、その勢いを殺さず、さらに加速します。
「先輩っ!ぎ、ギアさんは!?」
「ああ!奴に感謝だ!」
「助けに行きましょう!体勢を整えて!」
私達はそのままの勢いで街を抜け、北の荒野へと突入しました。
ーー
「はぁ……はぁ。疲れた……。ほら水」
「ありがとうございます。……荷物、ローヴィに積んでて良かったですね」
しばらく走りきってから、岩陰に身を隠します。先輩は水筒を私に渡してから、ローヴィの確認を始めました。
「今日はもう走れそうに無いな。傷が無いのはさすが『黒馬』だが、疲労はどうしようもない。ただ体調管理はきちんとしていたようだ。あの馬鹿も馬にだけは誠実だった」
「先輩の傷も見せてください」
「……ありがとう」
私も先輩を手頃な岩に座らせ、応急処置をします。
「……どうしますか」
「結論から言うと、ここで粘れるだけ待つ」
「えっ!?」
先輩の口からは、いつも予想外の言葉が出てきます。
「まあ最大3日だな。ああ、待て。私の考えを聞いてから、質問があるなら言ってくれ」
「……分かりました」
私が大声を挙げたのを宥めるように、先輩はゆっくりと話し始めました。
「まずは現状の確認だ。丘でレットに見付かった」
「はい。ギアさんが気付かなければあれで死んでいました」
「レットはそういう奴さ。それで、奴がこの街に着いたと言うことは、恐らくもう街に私達の戻る場所は無い」
そういう奴、で片付けて良いのでしょうか。いくら敵同士でも、同期をあんな勢いで、本気で殺しにかかるなんて。私には信じられません。
「今のタイミングで街を出られたのが最後の機会だったのですね」
「ああ。もう封鎖されただろう。逃走経路までは把握されていない筈だ。だが国境へ向かって真っ直ぐ来てしまった。身を隠さなければならない」
「……あっ」
「気付いたか?」
先輩がゆっくり話してくれたお陰で、私にもその考えを察することができました。
「……商隊と合流する手筈でしたよね。彼等の商圏はいくつかの国を跨ぐ。【蒼穹の街】へ寄った理由は、[阿僧祇の国]へ行くため。とすると、ここはそのルート上なのですね」
「その通りだ。ただ、前も言ったが今のごたついた街を見て、商隊がルートを変更する可能性がある。キースが上手く誘導してくれたら良いのだが」
「もし来なかった場合は?」
「私達で越境するしかない。幸いにもお前の脇差と私のナイフがある。ローヴィも居れば、成功率は低くない」
「……本格的に冬になる前に越境しないとですね」
私は空を見上げます。ここから北へ進めば進むほど、より気温は下がるでしょう。じっとしていても冬はやってきます。そうなると旅自体ができなくなります。今ここでなんとしても越境しなければなりません。
「ギアさんはどうなりますか?」
「死ぬ確率は70%くらいか。逃亡の加担は本来10年刑だが、レットに掛かれば死罪もありうる」
「……本当に、同期のよしみは無いのですね」
「無いな。元より私とギアが特に嫌われていた。私もギアもレットは嫌いでは無いから、それも奴の怒りを買っていたのだろう」
「何があったんですか。先輩達に」
先輩達の同期は凄い。私は思います。2年で騎士団の副団長補佐になったり、こんな大きな馬を持っていたり、私を連れて亡命する計画まで練ったり。普通士官学校を出てそうはなりません。司書見習いや商人になどならないのです。一体どんな学校生活だったのでしょう。
「……」
先輩は何か言いかけて、そして押し黙りました。
「何もないさ。普通に卒業した。ずっとこんな感じだよ、私達は。皆同じ場所に居たのに、ずっと違う方向を向いていた」
そう言って遠くを見た先輩の顔を、私は忘れることはできないでしょう。
ーー
状況を整理して、私はギアさんの脇差を手に立ち上がりました。
「では、ギアさんを助けてきます」
「……話、聞いていたか?」
私の言葉に、先輩が首を傾げました。
「ええ勿論。私が先輩のお話を聞き逃すことはありません」
説明を求める先輩の眼に、私は応えます。
「ギアさんもエルシャさんも、レット……さんも、勘違いしてますね。当然、先輩も」
「え?」
「これは、この旅は。『私と先輩の探求の旅』です。決して、『先輩が私を連れ去った逃亡劇』ではありません。私達が目的を達成するための知識は、先輩が担当してください。頼りにしています。では私は、私達の旅に於いて『私達である』という証明をし続けましょう。この旅に意味を生みましょう。価値を見出しましょう。『私はギアさんを助けてきます』」
「……」
ずっと思っていて、言い出せなかったこと。理由はささいなことです。だけど、大事なことだと私は思います。思えば私達は軍属から離れ、自由になったのです。もっと自由にして良い筈です。
先輩は少し黙った後、納得したように小さく笑いました。
「そうだな。これはお前の旅だ。お前の好きにすると良い。だが付き合った立場上、その自信の根拠くらいは聞かせてくれ」
私は自信満々に答えました。
ーー
さて、話はそれから数日後に飛びます。揺られる馬車の中で、先輩が私に訊ねました。
「なあ、エヴァルタ」
「なんでしょう」
「私がもし女になったら、どう思う?」
それは唐突な、ある意味不意打ちのような質問でした。
私はそれを想像します。完全に女性として分化した先輩。体つきも精神も、変化はあるでしょう。
「なんだか友人が増えたようで、わくわくします」
「……そうか。では男になったら?」
予想通りの次の質問。今より背も伸びるでしょう。体格もがっしりとする筈です。今まで何度も手を取って貰った先輩が男性になる。
「頼りになる男性との旅……どきどきします」
「……そうか」
先輩はまた、小さく笑いました。先輩はずっと悩んでいたのでしょう。私がどう答えても、結果があるなら変わらない筈です。
ただ、先輩が自分の道をどう決めても、私は尊重しようと思います。そして逆に、私の正体が分かった後でも、先輩の私に対する態度は変わらないでしょう。
決して、依存してはいけない。あの知識を、考えを、優しさを。甘えてはいけない。
「そろそろ[阿僧祇の国]だな」
「はい」
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