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お別れと始まり編

目が覚めたらドラゴンがいた

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 ある人が私に「生きなさい」と言った。
だから私はとりあえず生きてみようと思ったけれど、考えれば考えるほどわからなくなることがある。

生きてみる…それはいったいどうすれば正しく「生きている」と言えるのだろうか?
何をしてどうやって、どう示せば…私は「ちゃんと生きたよ」って誰かに胸を張って伝える事ができるのだろうか。

――どうせ死ぬのに。
そう面と向かって伝えられた時はどうしたものかと思ったよね。
確かにそうだ。
生きている以上は何をどうやってもいつかは死んでしまうのが普通で、ならばしっかり生きるという事は…まっすぐに死に向かうという事で、なら生きているって何なのだろう…華々しく誰かの目の前で死んでみせればいいのだろうか?

ほら、考えれば考えるほどわからなくなってくる。
だから考えることに意味なんてなくて…確かなことは言えないけれど私は今日を生きていて、明日もきっと生きているのだろう。

必死にもがいて、泣いて、叫んで。
ゆるりと、適当に、なんとなく。
ちゃんと生きたよって伝えに行けるその日まで。

──────────

私はずっと眠っていた。
狭くて暗くて身動きが取れない…だけど居心地がとてもいい場所でスヤスヤと。
だけどある日ふと外に出たくなった。
なんというか…出なくちゃだめだと…なんとなく思った。
なので頑張って私の世界を形作っていた暗くて狭い壁に向かって拳を突き出して壊そうとしてみる。
…これが案外簡単に壊れてしまったので少し驚いた。
居心地がよかったけれどあまりにも頼りの無さ過ぎる場所で眠っていたのだと恐怖すら覚える。
こんな場所からは一刻も早くおさらばしてもっと安心安全な場所で眠ろう…いざ世界の外側へ。

割れた壁を押しのけると暗い世界にいたいほどの光が射して私の顔を照らすして、これが光というものか~と感心したところでなんで見たこともない物の名前がわかるのだろう?と疑問を覚えた。
そもそも私は誰で、どうしてこんな変な場所で眠っているのか…?まぁ考えるだけ無駄だ。
何もわからないのだから早く外に出てしまおう。
光に眩んだ目を庇いつつ、私を掻っ込んでいた何かから這うように抜け出す。
そして薄目を開けて少しずつ光に慣れていって…初めて私が見た外の景色はなんと…!!
めちゃくちゃでかくて真っ黒なドラゴンだった。
その大きなドラゴンは私の事を上から下へと眺めると…。

「私じゃなかったのか…」

とつぶやいた。

──────────

それからだいたい…200年くらい?が過ぎて色々なことがあったような、なかったような。
あの時の巨大なドラゴンの正体はなんと私の母親だった。
黒龍と言う種族という事で私が眠っていた狭くて暗い場所はとどのつまり卵だったわけだ。
ただ気になるのは私の容姿。
なんというか…あまりにも母と見た目が違う。
まさかこれが托卵か!?と思いはするものの正真正銘母の娘だという事なので安心というかなんというか…でも納得はいかない。

だって母はまさにドラゴン!って見た目をしてるんだよ。

巨大な体躯に黒光りする鱗、鋭い爪に牙!羽ばたけば周囲を吹き飛ばすほどの両翼!あまりにもかっこよすぎる。
なのに私は…。
黒龍と言う種族なのに黒いのは瞳と頭部から生えている毛だけ…そしてひょろっとした細くて白い手足。
鋭くもない爪に牙。
鱗なんて胸と背中の辺りにちょろっとついてるだけ…小さく頼りなさ過ぎる翼…情けないにもほどがある。

そもそも骨格とかも違う気がする…。
母曰く「龍と言うよりは人間に近い見た目をしているなお前は」との事。
なんだよ人間って。
見たことねえぇよ馬鹿野郎と叫びたい気持ちだったけど、以前母の知り合いという龍が遊びに来た時に初めて私と母以外の同種族を見たのだけれど…なんと見た目は私に近かった。
おかしいのは実は母のほうなのかもしれないと思う今日この頃。

「それはそれとしてなぜ龍の母から異種族にしか見えない私が産まれたんだ」

と疑問をぶつければ。

「知らん」

とそっけがなさ過ぎる返事が返ってきたのはいい思い出だ。
何もいくないわ。

「あんたは頭がいいわね。龍というものは卵の中で母体からある程度の記憶を経験として学び取るものだけど…それにしても最初から賢い。やっぱりそういう風にできてるのかねぇ」
「そういう風って?」

「…」

母はこんな風にたまに変な事を言う。
その度に聞き返してはみるのだけど答えが返ってきたためしはない。
まぁ別に知らなくても問題は無いから問い詰める気もないんだけどもね。
私は今のまま平和でのほほんとしていられればいい…あとはスヤスヤと眠れていればいう事はないのだ。

母と私はどこかの山の中で生活をしているみたいだけど、特に不便に思うことはない。
広さだけはあるので眠る場所や遊びまわるのに不足はないし、食べ物だって無限にあると言ってもいい。
どうも母はいわゆるこの辺り一帯の生物の中で頂点的な存在らしく、毎日毎日たくさんの動物…というかモンスター?が果物や何かの肉などの食料を献上してくるのだ。
ひゅ~親の七光りは最高だぜ~。

そんな生活をさらに100年くらい、最近の母はよく眠ることが多くなった。
一日換算で言うのならば寝ている時間のほうが長いくらいだ。
もしかしてどこか具合が悪いのだろうか?ちょっと心配になってくる。

そんなある日、母が突然私に話があると言ってきた。

「改まってどうしたの」
「…実はあんたが産まれてからずっと話すかどうか迷っていたことがある」

まじか。
私が産まれてもう300年は経ったぞ。
悩み過ぎだろういくら何でも。

「んでそんなに悩んだ何かを話してくれるの?」
「ああ…本当は話すつもりじゃなかったんだ。そう決まっているのなら変な横やりは入れないほうがいいと…だがやっぱりお前は私の子だから。情が湧いた」

「んー?何の話?」
「いいから聞け。お前は…」

──この世界における悪役にしてラスボスなんだ。
何を言っているんだこの女は。
私は心からそう思った。

「何を言ってるんだこの女は」

心の底から思い過ぎて口にも出てしまっていた。

「うるせぇボケナスが。いいから黙って聞けって言ってるだろ、ぶち殺すぞクソガキ」
「めっちゃキレるじゃん…こわ…」

誤解しないでほしいけどこれくらいのじゃれ合いは普段からよくやってるんだよ私たちは。
最近は母が寝てばっかりだからご無沙汰だったけど、50年くらい前までは私が運動にハマっちゃって毎日のように母に喧嘩を売っていた。
そのせいで以前住んでた山が消えることになったけどしょうがない。
だって楽しかったのだもの。
見た目が貧弱だけど、それでも私は母と対等に戦える…黒龍の娘なのだと実感できたのもちょっと嬉しかった。
まぁそれは置いておいて…。

「悪役って何よ。そしてラスボスって何?」
「…ふぅ。私にはこの世界でこれから起こる「未来の記憶」がある。正確に言えば物語としてそれを知っていると言えばいいか」

「ほぉ~?予言みたいなこと?」
「正確には違うが確かにお前にすれば予言と言ってもいいかもしれない。そしてその物語の内容はこうだ」

そうして母が語ったのは…なんというか興味がそそられる?ようなものだった。
人と言う私とよく似た種族が暮らしている国という大きな集まりの中に生を受けた「シュジンコウ」が己の身に降りかかる様々な不幸に立ち向かい、時にはくじけながらも立ち上がって進んでいき…やがてそんなシュジンコウに感化された仲間たちと共に世界に災厄を引き起こす「黒龍の魔女」と呼ばれる龍の血を引いた邪悪の化身と戦い世界を救う…らしい。

「なにそれかっこいい。あれかな、母が前教えてくれた本ってやつ?」
「いやあれはゲームだ」

「げーむ?」
「…そこは気にしなくてもいい。問題なのはその物語で倒されるべきラスボス「黒龍の魔女」がお前だという事だ」

「…ま?」
「ま」

す、すごい…私はどうやら世界に災いをもたらすらしい。
…どうやって?確かに山は消し飛ばしたけど世界どうこうってさすがに出来ない気がする。
出来ないよね?

「お前はすでに衰えたとはいえ私より強い。正直やろうと思えば世界をどうこうくらいは可能な気がせんこともない」
「ほんとに?凄くない?」

「凄いがその結果お前はラスボスとして主人公に殺されるんだぞ」
「…大変だ」

もし母の言葉が全て真実だとすれば力に溺れている場合じゃない。
私は死にたくはない。

「実は最初は黒龍の魔女とは私の事だと思っていたんだ」
「そうなの?」

「ああ…この世界にあの物語の記憶を持った状態で黒龍として生まれたからな。正直毎日毎日ワクワクしながら過ごしたよ。いつ私は人型になるんだ?とな」
「殺されるかもしれないのにワクワクしてたん?」

「うむ。主人公より悪役に惹かれるタイプだったからな。どうせおまけみたいな人生…龍生だしいっそのこと盛大に暴れて華々しく散ろうと思っていた」
「ヤバいな母」

この女正気じゃねぇぜ。
でも娘としてはそんなところもかっこよくていいと思うよ、うん。

「まぁそう褒めるな。そんな風に時間を過ごして卵を産んで…そしてお前が産まれた。あの物語で見た容姿、その面影があるお前を見たその瞬間理解したよ…私じゃなかったのか…ってな」

その言葉には聞き覚えがあった。
私が外の世界に出て初めて聞いた音が母のそれだったから。

「…何かごめん。落胆した?」
「少しはね。でも薄々あれって私じゃないな?って思ってたところもあったんだ。そしてあんたが産まれて確信に変わって…最初はそのままにしておこうと思ったんだ。私じゃないのなら余計な横やりは入れずに流れに任せるのが正しい事だと思ってた」

「じゃあなんで今になって話したのさ?」
「だから情が湧いたんだ。私にそんな感情がある事に驚いたけれど…娘が可愛くない母親なんていない、そういうこと」

なんだかちょっと照れ臭い…胸がこそばゆいと言いますか…。
まさか母にそんな事を面と向かって言われるとは夢にも思っていなかった。
ただ一つ言わせてもらえるのならば…。

「でも私は別に世界に対して何かなんてしないよ?めんどくさいし」

それが全てだ。
まぁやってみたい気持ちがこれっぽちもないと言えば嘘になるけれど、それをやると殺されるとまで言われて世界に対して災いを振りまいてやるぅうぅぅぅううとは思わない。
それを伝えると母は首を下ろして私と目線を合わせた。

「いや、お前は絶対にやる」

まさかの断言である。
心外の極みだ。

「なんでそんなに信用ないの私。最近は大人しくしてるのに」
「…信用、信頼をしているからこそ…やると断言できるんだ」

黒く大きな母の瞳が細められる。
私にはそれがなんとなく悲しげなものに見えた。

「…なんで?」
「これは私の責任…もっとあんたに色々な経験を積ませてあげるべきだった。でも娘を手放すのが惜しくて…ずっとこんな人目につかない場所で二人だけで過ごしてしまった。その結果、あんたの世界には自分と私しかいない」

それの何が問題なのだろうか。
別に不自由してないならそれでいいんじゃ?と思うし、なぜそれが私が「黒龍の魔女」になることに繋がるのかさっぱり分からない。

「何もわからないという顔をしているな。だが…今なら分かるんだ。なぜあの物語の黒龍の魔女が倒されるべきラスボスとなってしまったのか…それは唯一のよりどころだった母という存在がいなくなったからだ」
「…母どこか行くの?」

「ああ…もうじきな」
「そうなの?私も行くよ」

「いいや、お前はまだ行けない行くべきじゃないところに私は行くんだ。遠く離れた場所に…一人でな」
「な、なんで…?前住んでた山からここにもこれたし…少し遠いくらいなら一緒に行けばいいじゃん!」

ゆっくりと母が首を左右に振った。
意味が分からない。
なんでそんな話になるんだ。

「そもそも母が居なくなることが原因だって今言って…」
「そうだな。だがこれはどうしようもない事だ。どれだけ力の強い存在でも…時間に抗うことは出来ない。私たちが親子という関係である以上、逃れることのできない別れが来ただけだ」

「あ…」

そこで私はようやく理解した。
なぜ母が最近よく眠っているのか…。
知識としてだけ知っているそれの名は…寿命。

「私を置いていくの…?」
「置いていくんじゃない。先に行くだけだ…お前だって長い時間の果てに必ず行くことになる場所に。そして…私はその時に娘であるお前に満足して旅立ってほしいと願うから。だからこの話をしたんだ」

「…」
「これは私の…母として娘であるお前に託す願い。これから私のする話をよく聞いて…そして最後のその時まで後悔の無いように生きなさい」

「…うん、わかった」

いい子だと母が笑った。
後悔の無いように生きるというのなら…母にもそうであってほしいと娘は思うから。
だから安心させてあげたい。
それが…精一杯の強がりだとしてもここまで育ててもらった恩返しをしたいから。

「まずお前が殺されることになるのは…私の感覚が間違っていないのならあと十数年後の話になるはずだ。正確には分からないが十年近くの時間はある事は間違いない」
「十年…短いね」

「お前からすれば一瞬だろうが人と言う生き物からするとそこそこの長い年月なんだがなぁ…まぁだから出来るだけきびきびと動くんだぞ。初めにすることは主人公を探すこと。もうすでにこの世界に生を受けているはずの主人公をさがして仲を深めろ…お前を殺そうとなど思わないように絆を育むんだ」
「ふむふむ…ちなみにシュジンコウってどんな見た目をしてるの?居場所は?」

探すとなるとそれくらいの情報は無いとね。
なんせ私は人とかいう種族の事を全く知らないのでね。
知識としては知っているけれどもさ。

「居場所は…確か何とかって国だったはず…でかい城があってその隣にこれまた無駄に大きな協会があって…あとスラム街と呼ばれている場所がある国だ。主人公の見た目についてだが…正直な話よく分からん。男か女なのかもな…ただ一応今は幼子のはずだ」
「いやいや、待っておくれ母よ。それって国の方はともかくシュジンコウについてはほぼ何もわかってないじゃんか」

それでどうやって探せと言うのか…しっかりしておくれ母の予言。

「仕方がないだろ。一体何千年前の記憶だと思ってるんだ。それにあのゲーム…主人公の性別が選択式の奴だったから実際はどちらなのか分からんのだ」

性別が選択式ってなんじゃい。
摩訶不思議時過ぎやしないか人とか言う種族。

「そこまで何もわからないならいっそのこと関わらないほうがいいんじゃない?私、世界に災いをもたらしたりしないよ、約束する」
「いや…それだとむしろ状況が悪くなる可能性があると私は思っている」

「なんで?」
「それは主人公にも共通している事なんだが…お前が「黒髪」だからだ」

くろかみ?また良く分からない単語が出て来たな。
龍という種族の特性故か私は卵の中で母が知りえている知識は継承している…らしいけれど、だからと言ってそれらをすべて使いこなせているわけじゃない。
そこらじゅうの穴の中に食べ物を埋めてはあるけれど、ふとした拍子に食べたくなったお肉がどこに埋めてあるのかわからなくなるあれだ。

どれだ?

「黒髪ってなんぞ」
「あんたのそのうっとおしいほどに伸ばしている頭のやつだ」

「ああこれ」

頭から生えている長い毛の事だったのかくろかみって。
年々と伸びていくから結構邪魔だよね。
今は普通に立っていても地面につくくらいに伸びてしまっている。

「お前は毛と無造作に呼んでいるがそれを人は頭髪…髪と呼んでいてな。そしてこの世界では髪色というものはとても重要でな、髪色一つで人生が左右されることも珍しくない。そして黒髪は…世界からは唾棄されるべき最悪の色として認識されているんだ」
「ほぇ~?」

「黒髪をもって生まれた人の子はそれだけで迫害の対象となり、まともな生活は送れない…いや生きていられるのならそれだけで運がいいほどだ。酷い時には母の胎から生まれ落ちた瞬間に黒髪だからという理由で両親から捨てられることもあるからな」
「ええ?」

体毛が…いや髪?が黒いだけでなんでそんな事に?
正直ドン引きなんだが…ヤバいな人。

「ともかくそんな風にこの世界では黒髪と言うだけで悪なのだ。だからお前が何もしなくてもいずれ主人公はお前の元に現れそして殺すかもしれない。だから仲を深めていた方が確実だと私は思っているの」
「ふむふむ…でもやっぱりいくら何でも主人公の情報が…」

「先ほど軽く触れたが…お前のその黒髪は主人公にも共通している。つまりお前が探すのは先ほど私が言った条件に合う国にいる黒髪の幼子だ」
「ふんふん。あれ?主人公も黒髪なのにあと十数年も生きて行けるのか?」

先ほどの母の話だと黒髪と言うだけで人と言う種族は悲惨で生きていけない風に思えるのだけど。

「主人公だからな…いろいろとあるんだ」
「いろいろとは…」

「確か協会が関係していたはず…というかほんとによく覚えてないんだよ。如何せん記憶が古すぎる」
「むむむ~…まぁやれるだけやってみるよ。大きな城と、その隣に教会?があってさらにスラム街?とかいう場所がある国?にいる体毛…髪が黒い男か女かわからない幼子を見つけて仲を深めればいいのね?」

「そうそう、完璧だ」
「理解が完璧でも情報がふわふわなんよ」

正直やれる気がしない。
でも頑張ろう…母が私に生きていて欲しいと望むのなら。

「あ、思い出した…そういえば私が龍として生まれてすぐの頃に前世の記憶をウキウキで魔法で書き写した何かがあったな…どこにやったか…」
「お、新たな情報が?」

「…あったはずなんだがどこにやったか分からん。そもそもがそれこそ数千年前の話だからなぁ…以前住んでいた場所に置き去りにしてしまった可能性もある」
「期待だけさせておいて~」

「すまんすまん。あと気がかりなのは私がプレイしていたのは中古で安く買えた一作目で、私が一切内容を知らない2が存在してることなんだよなぁ…まぁそこは気にしても仕方がない。切り替えていけ」
「おい」

意味はよく分からなかったけれど、不安材料を遺していったことは分かる。
本当に私に生きていてほしいのかこの女。

「はっはっは。まぁまぁ本当に困ったなら「せーさん」を頼るのもありだと思うよ。あの人なら手を貸してくれるれるだろうさ」
「せーさんかぁ」

せーさんとは先ほどもチラッとだけ触れた母の友達のことで本名は知らない。
でもあの人もあの人でたしか少し前に卵を産んだから忙しいらしく、最近はめっきり姿を見なくなったのであまり迷惑をかけるのも忍びない…気がするけど命には代えられない。
本当に困ったら頼らせてもらうことにしようっと。

「ふぅ…。さて…結局助けに慣れたのかどうかも微妙なところだが…でも私がやれるだけのことはやったわ。残せるだけのものは残した…だからもう行かないと」

母がその大きな体を寝かせてゆっくりと目を閉じた。
いつもと何も変わらない…夜に眠るのと同じ姿勢だ。
だから少し期待してしまう…また少し眠るだけなんだと。
何時間かすればまた母は目を覚まして…いつもと変わらない日常が始まるんだって。

「…ねえ母」
「うん…?」

「明日…久しぶりに戦ってよ。身体を動かしたい」
「…」

「ちょっと興味も出て来たし母の予言の話もっと詳しく聞きたい」
「…」

閉じられていた母の瞳が少しだけ開いて、私の姿を映した。
とても不思議な事に私の視界はだんだんと霧がかかるように滲んでいき、母の姿がよく見えないくなっていく。

「母…何とか言ってよ」
「…イルメア」

母が弱々しい声で私の名前を呼ぶ。
返事をしたいのに、喉が詰まって声が出ない。

「泣くなとは言わない。悲しむなとも…でも覚えておいてほしい。私は…お前を愛していた。お前は私の生きがいだった…だからもう一度だけ願わせてほしい」

母が大きな顔を私にそっと触れさせる。
いつも一緒に眠ると暖かかったはずなのに…今はとても冷たい。

「イルメア…死ぬまでは生きなさい。生きて…いろんな経験をして…そして最後のその瞬間にいい生涯だったと笑って終われるように…」

再び母の目が…ゆっくりと閉じていく。
待ってお願い、もう少しだけ…どれだけ願ってもそれは叶う事は無くて…ここでなにか…最後に何か会話をしないときっと一生後悔する。
何故か滲む目を擦り、ヒクつく喉を無理やり抑える。

「っ…は…母は…いい終わりだって…っ…思えた…?」
「分かり切ったことを…当たり前じゃないか…お前が産まれてきてくれて…私は…幸せだった、よ…」

「うん…なら、よかっ、た…おやすみ…おかあさん」

ぐっすりと気持ちがよさそうに眠った母は…翌日も…その次の日も…二度と目を覚ますことはなかった。
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