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天童寺 茜の章

買い物に付き合ってくれませんか?

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 その日のアスファルトは陽炎で揺れていた。
 降り注がれる日射は殺人的であり、もし人類が滅ぶとしたらきっと太陽のせいだろうな、とか下らないことを思う。

 扇子でパタパタしても生ぬるい風が当たるだけで、なんの助けにもなってくれない。
 これが外回りのキツいところだよ。良く言えば一年という季節を肌で感じられるお仕事だ。あーあ、やんなっちゃう。

 ブツクサ言いながら雑踏を歩いていると見慣れた姉妹が視界に入る。前もこの辺りで会ったけど、俺の回っている営業ルートと学校が近いのかね。しかし俺も後ろ姿だけで二人だとすぐ分かるようになったんだな。

「あ、お兄さーーん!」

 と、振り返った姉からパタパタと手を振られた。夏の制服姿で真っ白な腕を振り、笑顔を見せてくれるのだから嬉しくないわけがない。
 こちらも「おーす」と手をあげると、遅れて千夏ちゃんも振り返る。異なる制服姿なので待ち合わせをして帰るところだったのかもしれない。

「徹! うっわ、暑そうな顔ー。また仕事なの?」
「見ての通りだよ。来月成績を出すために下準備の真っ最中。二人はこれから帰るところ?」

 そう問いかけると姉妹は顔を見合わせてニコッと笑う。美人姉妹の眩しいほどの笑顔は、しがないサラリーマンにも分け与えてくれるらしい。こちらに向けられる満面の笑み。だけどなぜかちょっとだけ意地悪そうな顔をしている。

「今日から私たち夏休みなんです!」
「やーい、社畜には羨ましいだろー!」

 なぬっ!
 暑いからという理由だけで、一ヶ月ものあいだ休むという信じられないほど忌々しいあの行事か! くっそ、すごく羨ましいよおお!
 しっかしなんで長期休暇は学生だけに許されているのかね。間違いなく俺のほうが暑いと感じているし、同じ人間のはずなんだけど。むしろ納税している人のほうが偉くない?

 そう不満たらたらな顔をしていると、悪戯心に火がついたのか千夏ちゃんが腕に抱きついてきた。うん、嬉しいというよりも非常に暑苦しいですね。

「ねー、徹ー、夏休みの宿題手伝ってー」
「今かよ! そういうのは休みの終わりぎわになって顔を青くして泣きつくものだろ!」
「うん、だって終わりぎわまでなんにもしないし。だから今のうちに徹を予約ー。じゃ、決まりね」

 けらけらと屈託なく笑ってから彼女は視線を下に落としていく。そして彼女が握っている俺の手をしばらく眺め、なぜか全身を震わせる。どきゅっという衝撃が直に伝わってきたが、すぐに彼女は身を離す。少しだけ驚いたのは、頬を赤く染める表情を初めて見たからだ。

「千夏ちゃん、どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない! ボク、友達と会う約束してたから先に帰るね!」

 学生鞄を胸に抱いて、焦った表情でそう言ってくる。お姉さんも「あ、千夏!」と慌てて声をかけたが、もうすでに背中を向けて駆けているときだった。
 取り残された茜ちゃんは、呼び止めようとしていた手をプランと下げる。そして何を言うでもなく、しばし俺と視線を合わせた。

「お兄さん、今日はまだお仕事は忙しいんです?」
「いや、そんなことはないよ。前にも言ったけど今月はノルマを終えているし、あとは適当に回って適当に帰る感じ」

 ふうんと呟かれて、なんとなく一緒に歩き始めた。
 よくよく考えてみたら一介の社会人が並んで歩けるような相手じゃない。ちらりと見ると彼女はまだ怪訝そうな表情をしているもののお嬢様然としており可愛らしく、また夏の学生服が眩しさに拍車をかけている。
 顔が小さく、清潔に整えた黒髪を伸ばしており……と、まつ毛の長い瞳が見あげてきて胸がドキッとした。

「お兄さん、ちょっと買い物に付き合ってくれませんか?」
「買い物? 俺はお洒落な店なんて知らないぞ」

 きゃー、このお洋服かわいー、なんて感じのお店だったら生き地獄だよ。しかし「あそこです」と指さされたのは、杞憂していたものと正反対の店だった。



 へー、最近だと炊飯器ってこんなに高いのもあるんだなー。でもお釜と同じ構造やお焦げを大々的にアピールするのなら、いっそお釜を売ったらいいんじゃない? そのほうがずっと安いしさ。

 などと胸中で突っ込みを入れながら展示品を順に眺めていく。
 空調が効いていて外よりも快適だし、新しい製品を見ていると少しだけ感心するし面白いから時間が経つのも忘れてしまう。
 しかしどうしてこんな店に連れてきたのか……と思ったら、学生服の彼女から袖をクイっと引かれた。

「見せたいのはあっちですよ、お兄さん」

 気のせいか彼女の瞳がきらきらしていて、目当ての品を心待ちにしている風だ。しかし今どきの女子高生の欲しがる家電製品ってなんだろね。ドライヤーとか? それともアレな用途もあるマッサージ器?
 好奇心をわずかに刺激されながらついていくと展示場たどり着く。振り返るその子はパンフレットを手にしており「じゃんっ!」と口で効果音をつけ足した。うん、可愛い可愛い。

 そこにあったのは数々の珈琲メーカーで……あ、そういえば、ずっと前に興味津々で彼女は家電品を見ていたか。漫画喫茶でのやり取りを思い出しながら彼女の手にするパンフレットを覗き込む。
 ふむふむ、全自動、エスプレッソ機能つきでカフェラテまで楽しめる高級志向な人に向けた製品か。
 続けて実物を目にすると……うーわ、お高いっ!

「でもいいなぁ、欲しいなぁ。こういうのが家にあったら、わざわざ喫茶店とかコンビニに買いに行かなくてもいいし」
「そうなんです! んーー、やっぱりお兄さんだ。こういうのが欲しいって言うと、クラスの子から変な目で見られちゃうんですよ。おじさんくさいって……あ、お兄さんはおじさんじゃないですから!」

 急にフォローされたけど、僕はおじさんじゃないから平気です。臭くないし平気だもん。
 まあ友達から変な目で見られるのは分かるかな。普通なら化粧とか洋服とかに興味がある年ごろだし。茜ちゃんの場合は可愛さがマックスを振り切ってるから、そういう悩みが乏しいのかもしれん。

「で、これを買う予定なの? すごい値段だけど大丈夫?」
「うーん、その、お兄さんが買う予定にしてくれないかなーって」

 そうパンフレットから上目遣いだけを覗かせる様子に、ぱちくりとした。
 もじもじと彼女は腰を揺らしており、俺の答えを待っている。とっても可愛いし、いますぐに笑顔で「じゃあ一括払いで」と黄金色のカードを取り出したいところだが、少しばかりお値段が現実的すぎて辛い。

 しかし思うのは、これを飲むために彼女が頻繁に訪れてくれるということだ。やっぱり美味しいと言い、ありがとうと笑いかけてくれる。しばし悩み続ける俺だったが、そんな光景を思い浮かべて答えに結びついた。

「店員さーーん!」

 右手をあげて大きな声で呼ぶ俺に、店員さんはぎょっとする。茜ちゃんも目を丸くしていて、ほんの少しだけ期待で頬を赤くしていた。
 慌ててやってきた店員さんに当の製品を指さす。

「これすごく気に入りました。でも他の店で見たよりも高くって困ってたんです」

「え、はあ、こちらですか。近所の店でしたら同価格かと思いますが」

 ぬう、速攻で値引きを拒むとは……やりおる。
 こいつらなー、値引き争いをしたがらないから同価格で調整してんだよなー。値引くのは型落ちのやつだけで、それだってお客を騙くらかして売りつけているし、ネット販売に対して極めてサービス精神が低い。低すぎて営業マンとしてイライラする。でも決して笑顔は崩さないよ。なぜなら俺は営業マンだから。

「ですが、今ならなんと!?」
「え? いえ、そういうショッピング番組みたいな値引きは私にはちょっと……」
「じゃあネット注文だなぁ。妹と一緒に母の誕生日プレゼントを今すぐに買いたかったけどしょうがない。ところで、幾らくらいまでなら値引きできます?」

 少しだけ「今すぐに」を強調しながら問いかけると店員さんは初めて即答しなくなった。
 商品の値札ではなく天井を見あげるのは、彼の頭のなかで最大値引き額が計算されているからだろう。
 やがてその計算をし終えると、にこやかに店員さんは懐から電卓を取り出した。


 ガーッと開かれる自動ドアから出ると「ありがとうございましたー!」と威勢の良い声を背中にかけられる。
 俺はというと大きな箱を抱えており、また後ろにはそわそわとした足取りでついてくる妹……ではなくて茜ちゃんがいた。
 まだパンフレットを手にしていた彼女は、店員さんが見えなくなってからやっと声をかけてくる。

「3万円! そんなに値引きできるものなんですか!?」
「見たところそんなに新しい商品じゃないからね。他メーカーからも押されていたし、さっきのは値引き額が多すぎたからもうすぐセールを考えていたんじゃない? それよりもちょっと高めに買ったんだし、ウィンウィンの関係だよ」

 にやっと意味もなく男前の笑みをすると彼女は頬を赤くしたまま、にこーーっと笑ってくれた。
 そして俺の営業鞄を受け取って、右腕にむぎゅっと抱きついてくる。その勢いの良さは、この場にはいないけどまるで千夏ちゃんみたいだった。まあ、もちろん柔らかさとかボリュームとかはぜんぜん違うけど。

「ありがとう、お兄さん。ね、ちょっとだけ屈んで」
「ん?」

 腕を引かれて思わず屈むと、ふにゅっと柔らかい感触が頬に……。
 思わず彼女の顔を見ると天使みたいに可愛い笑顔があって、突如として始まる胸のときめきと股間の勃起よ。静まれぇ、静まりたまえーー!
 などと慌てる俺の胸中など知るよしもなく、彼女は腕に絡んでくる。そして機嫌よさそうな声で話しかけてきた。

「徹さん」
「はい、なんですか?」

 彼女から名を呼ばれたのは初めてで、やっぱりドキッとするけど大人だから平然と返事をする。
 るんるんと歌を口ずさみそうなほど声がご機嫌だ。彼女の良いところは感情を真っすぐに伝えてくれることだと思う。そのぶん俺まで嬉しくなって、重い荷物を持っても足取りは軽くなる。

「あなたが本当の兄だったら、きっとこうして甘えてます。お兄ちゃんっ子になっていた自信があるんですよ」
「うーん、それは光栄だ。もしも天童寺姉妹に挟まれたら、俺なんてコロッだよ。なんでもしてあげたくなっちゃう……けど、お高いお買い物は早々しないからね」
「はぁーい。ありがとう、お兄ちゃん」

 ぺろっと桜色の舌を出して、茜ちゃんは笑う。
 まるで本当の妹みたいに甘えており、出会ったときよりもそれなりに信用してくれたのだろう。
 学校では優等生だと聞いていたけど、実の兄がいたとしたらこんな顔をするのかもしれない。だからたぶん、これは他の誰にも見せない顔だ。千夏ちゃんや克樹にも見せない幾つめかの顔。それが分かり、ちょっとだけ嬉しくなる。

 雑踏を抜けていくと俺の家が近づいてくる。
 ご近所の目もあるので腕から離れてもらうと、少しだけ不機嫌そうな表情に変わった。
 ついこのあいだは心底軽蔑されていたのに、今ではこうなのだから俺としても感情の浮き沈みがありすぎてちょっとだけ辛い。

 でも、もっと辛いのはこれから弟に会うことだ。
 すぐ隣を歩いている子を、俺は舐めた。気持ちよくなると分かっている場所をしつこく丹念に舐め、痙攣させ、そして俺の舌を感じてくれることがとても嬉しかった。
 粘液にまみれた秘部は、すごく敏感だった。
 舌先でグッと押しながら円を描くと彼女はもだえ、上半身をねじれさせる。そして中指で天井をこするとたまらなそうにギュッギュッと絞めつけてくるんだ。
 人知れず裏切っていたことを兄として後悔している。でも、ず、ず、と舌を奥まで入れていくと、ふかふかの太ももが顔を挟んでくれてたまらなかった。もっと舐めて、とねだられたのは絶頂しそうだった。

 俺は彼女を愛している。
 まだ学生で、肩を並べて歩いてくれる子に対して心底夢中になっている。全ての物事において最優先にできる相手だ。
 不思議そうに見上げていた彼女は、ふと気づいたのか頬を赤く染めながら瞳を逸らす。視線だけで感情が伝わってしまう仲になったのを後悔なんてしない。

 だから呼び鈴を押し、家の玄関が開かれたとき、俺はただ普通の兄としての顔となる。俺が持っているひとつめの顔を。

「茜ちゃん! 兄貴!」

 飛び出してきた相手はもちろん俺の弟だ。
 半袖と短パン姿で、サッカー日本代表にでも選ばれたいのか髪の毛を染めており、スポーツだけは任せてくれという外見をしている。しかし軽そうに見えて実は相手を思いやれる性格がこいつの魅力だろう。
 会う約束をしていた彼女、そしてなぜか俺が一緒だと気づいて目を丸くする。その表情に、茜ちゃんもまた異なる顔を見せた。

「こんにちは、克樹君。遊びに来たら、ついそこでお兄さんとばったり会ったの。ここまで楽しくお話しをしながら来たわ」

 そうだったんだと呟きながら、弟の視線は俺の持っているものに吸い寄せられる。高級品と思わしき家電品の箱を見て、きらきらと目を輝かせた。

「どうしたんだよ、その荷物は!?」
「ああ、お前たちが仲直りしたと聞いたから、その記念の品だぜ」

 どっすと弟に手渡してやる。
 ここまで重くて運ぶのは大変だったけど……いや、彼女と一緒だったおかげでぜんぜん平気だったか。ともかく贈り物を手渡すと、ようやく肩の荷が降りてくれた。

「重っ! うわー、すげえ! ありがとう、さっそく使ってみようぜ!」

 その提案に、にまーっと俺たちも笑う。そもそも正直なところ珈琲派の俺たちが独占的に使うつもりだったしね。ちなみに克樹と千夏ちゃんは紅茶派だ。

 ソファーに腰かけ、いそいそと箱を開いてリビングに設置していく二人の様子を眺める。距離が近くて笑顔を交わし合う光景は、どこからどう見てもお似合いのカップルだ。

 茜ちゃんはこいつを選んだ。
 お付き合いをまた再開することを望んだ。

 硬く口を閉ざされてしまい、その理由は聞けずじまいだったが、彼女との約束があったので追及することは許されない。
 分からないが、恐らくは俺と彼女のためだったと思う。周囲から後ろ指をさされず過ごすために、それが最良だと考えたのでは?

 そして俺はというと仲を邪魔しないと決めた。一生ぶん彼女の匂いや味を覚えて、その代わりじゃないけど普段通りの兄になると決めたんだ。
 本当はすごく苦しくて彼女を独占したかったけど、今だって葛藤しているけど、あのときの約束は果たさなければいけない。

 二人の仲直りを取り持つのはすごく簡単で、彼女は浮気をしていないと伝えるだけで良かった。
 茜ちゃんからの涙ながらの訴えを俺が聞き、弟に伝える。実際は浮気なんてしていないし彼一筋だ。そんな筋書きだけで弟は信じてくれて、誤解をして済まないと逆に頭を下げて謝ったのは……さすがに胸が痛んだ。

 ずくっと胸が痛む。
 ソファーから身を起こし、そばを離れても視線のひとつも向けてくれないことに。
 階段を一歩ずつあがり、だんだん声が聞こえなくなっていくのが辛い。
 ドアを閉じ、自室のベッドに寝ころぶと普段とまるで変わらない光景に戻ってしまったのが辛い。

 ごろんと寝がえりをうって、また悶々と過ごす日々が始まった。



 ジャッと水洗トイレを流し、廊下に出る。
 するとお風呂あがりの彼女とばったり出くわして、互いに足を止めたのだが間に合わず、のしっと乳房が乗ってきた。
 はう、と驚いた彼女は声を漏らし、だけどその姿勢のまま一歩も引かず、とくとくと心音を伝えてくる。

「こ、こんばんは……っ!」

「う、うん、その、こんばんは!」

 そう答えているあいだも、のしっとした重さは変わらない。下着をつけていないらしく、ふわふわの柔らかさとお風呂上がりの温かさを伝えてくる。まるで湯たんぽを当てられているみたいだ。

 出会ったときと同じように彼女は距離を間違える。
 つい、うっかり、たまたま、などという表現はこの場合まったく当てはまらない。なぜなら今回は意図的に間違えられているのだから。
 やがて俺のものまで硬くなっていくと、彼女の下腹部に触れてしまう。なのに彼女はさらに一歩近づいて、ぐいと下腹部で挟みこんでくるのはどういうことだ。なんとなく、ぬくぬくしているのはお風呂あがりというだけではない気がした。

「その、千夏がまたお兄さんと遊びたいと言ってましたよ」
「そ、そっか、夏休みなんだっけ。じゃあ週末はプールとかに誘ってみようかな」
「なら彼に聞いて水着を用意しておきます。あれ、私も誘ってくれるってことで良いのですよね?」
「もちろんもちろん」

 どういう意味か、彼女はさらに一歩ぶん押してくる。
 しかしこちらはもう後が無いし、下げられたぶん自然と便器に座ることになって……きぃぃと茜ちゃんは後ろ手に戸を閉じてゆく。予感が無かったわけじゃないが早鐘のように鳴る胸は止められない。
 そして乳房を当てたまま、彼女はそっと耳元に囁いてきた。

「お兄さん、勃起、しています……」

 上品な声で下品な言葉を混ぜてくる。
 ふうっと吐息ごとの囁きを当てられて、俺のものがさらに膨れてゆくのを、また同時に理性が消えていくのを感じた。



―― 天童寺 茜の章 END ――
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