あの人、勇者の物語にはいない。

ゼリオニック

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1-2 故郷への旅 1 (改)

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 大きな馬車の車輪が、石畳の橋の上をゴロゴロと転がっていく。
 硬い木製の座席が、道の凹凸に合わせて体を揺らし、開けた野原から乾いた草の匂いが流れ込んできた。
 灰色の髪をした少年――リースは、遠ざかっていくランタナの街をじっと見つめていた。
 ランタナ……英雄の街。冒険者たちが集う街。
 けれどリースにとって、ここはもう別れを告げた場所だった。
(これから、アッシェンブルクに着いたら……)
 木箱をぎゅっと握りしめた手。
 顔はまだしっかりしているつもりでも、瞳はどこか空っぽで、息遣いさえも魂が抜けたように浅い。
(ニシャの宿も、まあ悪くはないか……)

 と馬車が石畳の凸凹を越えた瞬間、リースは思考から引き戻された。
 視線はまだ外に向けているのに、自分がどれだけ遠くまで来てしまったのか、もうわからなくなっていた。
 けれど、ふと視線を馬車の中に戻した瞬間――
 リースは、何組もの冷ややかな視線に気づいた。
 (……まあ、そうなることはわかっていたけど)

「お前、ヴィクターの仲間だったよな? 何しに来たんだよ」

 一人の男が、蔑むような声で吐き捨てる。
 ヴィクターのパーティーを嫌うのは、ランタナでは当たり前の感情だ。

「僕……もう、あのパーティーからは追い出されたんですよ……」
「はははっ! 五人目の呪い、発動したってわけか!!」

 男は大声で笑いながら、リースに向かって指を突きつけた。

「……はい。僕が……ただの足手まといだったから、追い出されたんです」

 リースの視線は下に落ち、相手の顔ではなく自分の足元をじっと見つめていた。

「ざまあみろ!」

「スレス!!」

 三度目の嘲笑の声が響いた瞬間、隣に座っていた人物が大声で制した。
 リースはゆっくりと顔を上げ、その男の名を、ほとんど声にならないほど小さく呟いた。

「……ハンザムさん」

 目の前にいるのは、大剣を抱えてどっしりと座る大柄な男。
 長年の戦いで刻まれた傷跡が顔に走っている。
 彼こそがこのキャラバンを護衛するパーティーのリーダー
 ――自らの名前をそのままつけた「ハンザム・パーティー」の頭領だ。
 視線を隣に移すと、そこにはスレスという名の弓使いがいた。
 足を組んでリースから顔を背け、不機嫌そうにしている。
 その隣にはパーティーの女性魔法使いが座っており、彼女はリースに向かって優しい、けれどどこか哀れむような微笑みを返してきた。
 彼らはヴィクターのパーティーと敵対関係にある。
 やがて、馬車の中に重い沈黙が広がった。
(みんながヴィクターのパーティーを嫌うのは、当然のことだ)
 リースはよくわかっていた。
 会話が途切れた原因は、自分自身にある。
 だから彼は再び顔を外に向けて、視線を遠くの景色に投げた。

 だが突然、馬車が急停止した。
 続いて、先頭の馬車から怒号が連鎖するように響いてくる。

「モンスターだ!」

 リースが乗っている馬車は護衛団のものだった。
 ハンザム・パーティーの面々は一瞬で愛用の武器を手に取り、ためらうことなく飛び降りていく。
(これからは、もう冒険者じゃない……僕が助けに行くべきなのか?)
 心の中で自問する。
 リースは手に持った木箱を苦々しい目で見つめた。
 パーティーから追い出された自分が、まだ誰かの役に立てる価値なんてあるのだろうか。
(あの人たちは強い。僕なんかいらないんじゃないか?)
 考えているうちに、しかし――リースの手は勝手に木箱を座席に置き、
 丸い盾を掴んでいた。
 気がついたときには、もう馬車から飛び降りていた。
 地面に足がついた瞬間、彼は気づく。
 自分の心さえも、自分を拒絶しているのだと。
(はあ……最後にしてしまおうか)
 大きく息を吸い込み、リースは心のない体を動かして、ハンザム・パーティーの後を追いかけた。

「ふう……毒バッタが獲物を食ってる最中に見つかって、ラッキーだったな」

 一番前の馬車の近くで、ハンザムが小さく息を吐いた。
 構えていた大剣を緩め、駆けつけてきた仲間たちの方へ振り返る。
 馬車と同じくらいの巨体を持つ毒バッタ型のモンスター
 ――両腕の巨大な鎌で鎧猪を引き裂き、頭を突っ込んで内側から貪り食っている。
 周囲の木々は赤い液体でべっとりと汚れ、辺り一面に血の生臭い匂いが立ち込めていた。
 その翼は満足げに震え、自分が完全に包囲されていることなど、まるで気づいていないようだった。
 毒バッタは単独で狩りをするモンスターだ。
 群れを作らない。
 繁殖期ですら仲間を近づけさせない。
 なぜなら、複数で集まれば互いに殺し合うから。
 今は獲物にうっとり夢中で、処理するのも簡単すぎるくらいだった。

「こいつは雑魚だな。俺が片付けるよ」

 スレスが荷台の前に足をかけ、背筋をピンと伸ばして立ち上がった。
 弓をしっかり構え、静かに弦を引く。

「オイ、こっち向けよ!!!」

 大声で叫んだ瞬間、血まみれの顔を上げた毒バッタの巨体が振り向く。
 八つの充血した赤い目が、ギラギラと光を反射した。
 矢は空を切り裂き、正確無比に毒バッタの首を吹き飛ばした。
 首のない巨体は糸の切れた人形のようにドサリと倒れ、頭部は勢いよく吹き飛び、近くの地面に転がった。

「ナイス! あとは本体を仕留めるだけだな」

 スレスはそう言いながら、次の矢を番え、倒れた巨体にトドメを刺す準備をした。
 経験豊富な冒険者なら、この手のモンスター相手に本気で力を使う必要すらない。
 遠距離から攻撃できるなら、すべてが簡単だ。
 何もミスさえなければ――

 だがその時、商隊の少年が飛び出してきた。
 彼は大声で叫びながら、倒れた毒バッタの巨体に向かって駆け寄っていく。

「僕がこいつを道からどかしますね!!」
「ガキ!! 近づくな!!!」

 ハンザムが制止の声を上げたが、もう遅かった。
 首のない毒バッタの鋭い鎌が、少年の脚を薙ぎ払った。
 小さな体が地面に転がった。
 頭のない巨大な体躯がゆっくりと立ち上がり、もう片方の鎌を振り上げたその瞬間――
 ハンザムの大剣が間一髪で割り込み、受け止めた。
 大剣が激しく振り回され、毒バッタの鎌を弾き返す。
 隙を見計らってハンザムは足を振り上げ、巨体を蹴り飛ばした。
 毒バッタの体が大きくよろめく。

 その一瞬の隙に、リースは丸盾を脇に置き、短剣を収めると、
 負傷した少年の元へ駆け寄り、腕を引っ張って引きずり出した。
 リースは素早くナイフでズボンを切り開き、傷口を露出させる。
 幸い、斬られたのは外側の太ももで、骨までは達していない。
 それでも血が流れ続けていた。

「少し我慢してね」

 リースは小さな声で囁きながら、手際よく作業を進めた。
 傷口を消毒液で拭き、清潔な布で拭い、ポーションを塗って傷を癒し、最後に包帯を巻きつける。
 一通りの手当てを終えると、リースは周囲を見回した。

「後はお願いします」

 キャラバンの主が頷き、少年を抱き上げて馬車の上に乗せた。

 リースはようやく自分の丸盾を拾い上げ、ハンザムのもとへ駆け寄った。
 しかし、視線を向けた瞬間――
 毒バッタの体が膨張し、ぶちっと破裂した。
 黄色い毒液が広範囲に飛び散り、緑色の煙が爆発の勢いで一気に広がる。
 吐き気を催すような腐臭が辺り一面に充満した。
 毒バッタはそれほど恐ろしいモンスターではないが、三つの危険性を持っている。
 一つ目は、死んだふらが非常に上手いこと。
 二つ目は、頭がなくても正確に攻撃できること。
 そして三つ目は、長引く戦闘で体力を消耗すると、自爆して毒の霧を撒き散らすこと。
 そして、霧状に広がった毒の粒子が少しでも火花に触れれば――
 一瞬にしてすべてが炎の海と化してしまう。
 だからこそ、爆発する前に一刻も早く倒さなければならないのだ。
 パーティーの女性魔法使いは、そのことをよく知っていた。
 だが彼女は火の魔法使い。
 杖を握りしめ、腕が震えるほど力を込めながら、ゆっくりと後ずさるしかなかった。
 毒の煙が馬車に届く前に、リースは両手を胸の高さまで上げ、大きく息を吸い込んだ。
 そしてゆっくりと吐き出す。
(水よ、風よ)
 声に出さずとも、小さな水の塊が両手の掌の上に浮かび上がった。
 軽い風が水塊に吹きつけ、霧のような細かな粒子へと変えていく。
 広がる毒の粒子を森の奥へと押し流した。
 やがて煙が晴れ、ハンザムが地面に倒れ、震えている姿が露わになった。

「くそ……っ……」

 ハンザムは歯を食いしばった。
 外見に致命傷はないものの、破片が何カ所も刺さり、毒液が傷口に染み込んでいる。
 さらに麻痺効果のある毒煙を吸い込んでしまい、全身が動かなくなっていた。

「どうするんだよ! 頭がダメになったら、もう持たねえぞ!」

 スレスが焦った声で叫びながら、リースと一緒にハンザムの体を引きずって馬車の近くまで運んだ。

「早く着替えさせて、傷の手当てをしてください! このままだと傷が悪化します。僕、緊急用の薬を用意してあるんです」

 ハンザムの体をそっと地面に下ろすと、リースはすぐに自分が乗っていた馬車の方へ走り、荷物の中から自分の鞄を引っ張り出した。
 皆で協力して着替えさせ、傷の手当てを終えた後、リースは紫色の液体が入った小瓶を取り出した。
 それは中級の解毒薬で、よく使われるものだ。
 彼は瓶の蓋を開け、ハンザムの頭を優しく支えて持ち上げた。

「飲んでください」

 ハンサムは抵抗しなかった。
 リースが飲ませた薬を、素直に口を動かして飲み干す。
 飲み終えると、彼は呼吸を整えるように息を吐き出した。
 それは、まるで笑っているかのようだった。

「本当に大丈夫か? こいつ、結構いい値段するぞ」

 パーティーの女性魔法使いが、ハンザムが薬を飲み終えた後で口を開いた。
 彼女は眉をきつく寄せ、敵対するパーティーの少年が頭領を助けている姿を、じっと見つめていた。

「いいんですよ。この薬、保存期間が短いので、温存してても結局捨てるだけです。それに、急いで飲ませないと、ハンザムさんは何日も苦しむことになりますから」

 リースは静かで丁寧な声で言った。
 ハンザムの目が、少しずつ動き始めたのを、じっと見つめながら。

「高い薬を人にバンバンあげちゃうから、クビになったのか?」

 スレスが妙な調子で言葉を投げかけた。
 ハンザムは目だけを動かせ、睨むようにスレスを睨みつけた。

「関係ないですよ。ただ、僕の腕が……もうヴィクターたちに追いつけなくなっただけです」

 リースは微笑みながら答えたが、視線は自然と下に落ちた。
 ヴィクターが大なモンスターの死体に足を乗せ、笑い声を上げていたあの光景が、今も心に焼き付いている。
 リースが視線を落としたのを見て、スレスは次に何を言おうとしているのかすぐに察した。だから、言葉を遮った。

「大丈夫だって、ガキ。今はもうあいつらの仲間じゃねえんだろ?」
「はい……僕、もうあの人たちの仲間じゃないです。アッシェンブルクに戻って、冒険者を引退します」

 その言葉を聞いた周囲の人々――パーティーの女性魔法使いも含めて――眉をひそめてリースを見つめた。

「本気で辞めるの?」

 ハンザム・パーティーの女性魔法使いが、静かに尋ねた。








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