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第66編「私は、この光景を知っている」
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先ほど靴の着用を却下された際、暗に『今日は出かける』と伝えられた事に気づいた恋幸は慌てて布団を片付けようとしたのだが、
「今日の主役は貴女ですから、何もしなくて良いですよ。それから……サプライズにしたかったとは言え、当日になって出かける旨を急に伝えてすみません。時間は十分にありますので、ゆっくり準備してください」
(はわ……王子様……?)
敷布団に伸ばした手を裕一郎の大きな手に包み込まれ、ひどく穏やかな微笑みと共にそう伝えられてしまっては頷くほかなかった。
◇
――……約50分後。メイクやヘアセット、着替えと最終チェックを入念に済ませた恋幸は小走りで床の間へ向かい襖を開く。
「お待たせしました!」
「とんでもない。貴女を待つ時間も楽しいですよ」
「~~っ、……とき、ときめきすぎて……心臓が止まるかと……っ」
「……ふ」
恋幸が芝居がかった仕草で左胸を抱えて見せると、珍しいことに裕一郎の表情が花開くようにふわりと和らいだ。
瞬間、恋幸の心臓は再びドキリと大きく跳ねる。
(わ、笑った!?)
「さて。では行きましょうか」
◇
運転席から進行方向を真っ直ぐに見据える横顔は、先ほど浮かべられていた微笑みは幻だったのだろうか? と思わせるほどに見慣れた殺風景である。
助手席に座って外の景色を眺めつつ、時おり横目で裕一郎の顔を盗み見ること約40分。
視界に入った建物を認識すると同時に、恋幸はやや前のめりになりながら弾む心を抑えつつ口を開いた。
「……!! ここって……!!」
「ああ、さすがにバレますよね」
ガラス張りの壁とホール状の大きな建物が陽光を反射して煌めき、『関東港水族館』と書かれた看板の横を次から次へと家族連れやカップルが通り過ぎて行く。
そこでふと、数日前のあの言葉を思い出した。
『動物園と水族館。直近の作品では、どちらを資料に使いたいと思いますか?』
(ここ、こういう意味だったんだ……!? 裕一郎さま大好き……)
ときめきでドキンと胸を高鳴らせたのも束の間。恋幸はすぐにハッとして、建物に向けていた目線を隣でハンドルを握る恋人へと移動させる。
「あ、チケッ」
「今日一日、金銭に関する言及をしたらその都度つむじを強めに指圧します」
チケット代は私が払います。倉本さんにはここまで車で連れて来てもらいましたから!
ガソリン代を配慮して彼女が唇から落としかけたそのセリフを、裕一郎の低い声が先回りして抑え込む。
「痔になっちゃう……」
「なりたくなかったら言及は避けるのが賢明だと思いますよ」
(ま、また笑った!!)
笑ったと言っても、表情をよく見ていなければ気づかない……いや、もしかすると恋幸でなければ気づけない程度の小さな微笑みでしかないのだが、彼女にとっては裕一郎が表情を変えるという事象そのものがとても嬉しいものなのだ。
◇
「わあ~! 水族館に来たの、すごく久しぶりです!」
「私も大学以来ですね」
「……」
落ち着きなくきょろきょろと辺りを見渡していた恋幸は、大学というワードを聞いた瞬間にピタリと動きを止めていつになく真剣な表情を浮かべる。
「小日向さん? どうかしましたか?」
「いえ。ただ……」
「ただ?」
「大学生の倉本さんを想像したら、ちょっと……いえ、すごく興ふ、萌えちゃって」
「どこから周ります? 特に見たい場所はありますか?」
(す、スルースキル高い~!! 冷たい裕一郎様も萌え!!)
「あっ、写真撮っても良いですか?」
「勿論」
「やったー! ふふ、可愛い~」
水槽の中でぱたぱたと懸命にヒレを動かして遊泳する小さなハコフグに、両手で持ったスマートフォンのカメラを向けながら楽しそうに笑う恋幸。
「……そうですね。可愛らしい」
そんな彼女を隣で静観していた裕一郎が独り言のようにぽとんと言葉を落とすと、恋幸は首だけでそちらを向いて笑顔を咲かせた。
「倉本さんもハコフグ好きなんですか?」
「……嫌いではありませんよ」
(ん? でもさっき『可愛らしい』って言って、)
「向こうも見ますか?」
「はい! 見ます!」
◇
入口から順に眺めていくだけでも時間はあっという間に過ぎていく。
そろそろ昼食の時間を迎えようかという頃、2人は『水中ゾーン』と名の付いた大水槽に辿り着いた。
広大な空間で床から天井まで張り巡らされた分厚いガラスの向こう側では大中様々な魚やサメ・エイ・ウミガメなどが自由に泳ぎ回っており、水上から降り注ぐ光が神秘的な演出に拍車をかけている。
ガラスのすぐそばまで歩みを進めた恋幸は「ほう」と感嘆の声を漏らし、どこまでも広がっているかのように思えるその景色を仰ぎ見た。
「すごい……本当に海の中にいるみたいですね」
「……」
「?」
何も答えない彼を不審に思って振り返ると、裕一郎は大水槽へ目線を向けたまま瞬きも忘れて立ち尽くしており、恋幸は不安げに眉を寄せる。
今この瞬間、裕一郎の頭の中では聞いた事がないはずの声が反響していた。
「倉本さん?」
――……私が、あなたのそばを離れたりしなければ。
『――……き様!! 和臣様!! ご無事ですか!?』
愛しいあなたの命一つすら救えず、
『なぜこんな真冬に海へなど……!!』
なにが“医者になりたい”だ、笑わせる。
「幸音さん、」
「……え?」
「今日の主役は貴女ですから、何もしなくて良いですよ。それから……サプライズにしたかったとは言え、当日になって出かける旨を急に伝えてすみません。時間は十分にありますので、ゆっくり準備してください」
(はわ……王子様……?)
敷布団に伸ばした手を裕一郎の大きな手に包み込まれ、ひどく穏やかな微笑みと共にそう伝えられてしまっては頷くほかなかった。
◇
――……約50分後。メイクやヘアセット、着替えと最終チェックを入念に済ませた恋幸は小走りで床の間へ向かい襖を開く。
「お待たせしました!」
「とんでもない。貴女を待つ時間も楽しいですよ」
「~~っ、……とき、ときめきすぎて……心臓が止まるかと……っ」
「……ふ」
恋幸が芝居がかった仕草で左胸を抱えて見せると、珍しいことに裕一郎の表情が花開くようにふわりと和らいだ。
瞬間、恋幸の心臓は再びドキリと大きく跳ねる。
(わ、笑った!?)
「さて。では行きましょうか」
◇
運転席から進行方向を真っ直ぐに見据える横顔は、先ほど浮かべられていた微笑みは幻だったのだろうか? と思わせるほどに見慣れた殺風景である。
助手席に座って外の景色を眺めつつ、時おり横目で裕一郎の顔を盗み見ること約40分。
視界に入った建物を認識すると同時に、恋幸はやや前のめりになりながら弾む心を抑えつつ口を開いた。
「……!! ここって……!!」
「ああ、さすがにバレますよね」
ガラス張りの壁とホール状の大きな建物が陽光を反射して煌めき、『関東港水族館』と書かれた看板の横を次から次へと家族連れやカップルが通り過ぎて行く。
そこでふと、数日前のあの言葉を思い出した。
『動物園と水族館。直近の作品では、どちらを資料に使いたいと思いますか?』
(ここ、こういう意味だったんだ……!? 裕一郎さま大好き……)
ときめきでドキンと胸を高鳴らせたのも束の間。恋幸はすぐにハッとして、建物に向けていた目線を隣でハンドルを握る恋人へと移動させる。
「あ、チケッ」
「今日一日、金銭に関する言及をしたらその都度つむじを強めに指圧します」
チケット代は私が払います。倉本さんにはここまで車で連れて来てもらいましたから!
ガソリン代を配慮して彼女が唇から落としかけたそのセリフを、裕一郎の低い声が先回りして抑え込む。
「痔になっちゃう……」
「なりたくなかったら言及は避けるのが賢明だと思いますよ」
(ま、また笑った!!)
笑ったと言っても、表情をよく見ていなければ気づかない……いや、もしかすると恋幸でなければ気づけない程度の小さな微笑みでしかないのだが、彼女にとっては裕一郎が表情を変えるという事象そのものがとても嬉しいものなのだ。
◇
「わあ~! 水族館に来たの、すごく久しぶりです!」
「私も大学以来ですね」
「……」
落ち着きなくきょろきょろと辺りを見渡していた恋幸は、大学というワードを聞いた瞬間にピタリと動きを止めていつになく真剣な表情を浮かべる。
「小日向さん? どうかしましたか?」
「いえ。ただ……」
「ただ?」
「大学生の倉本さんを想像したら、ちょっと……いえ、すごく興ふ、萌えちゃって」
「どこから周ります? 特に見たい場所はありますか?」
(す、スルースキル高い~!! 冷たい裕一郎様も萌え!!)
「あっ、写真撮っても良いですか?」
「勿論」
「やったー! ふふ、可愛い~」
水槽の中でぱたぱたと懸命にヒレを動かして遊泳する小さなハコフグに、両手で持ったスマートフォンのカメラを向けながら楽しそうに笑う恋幸。
「……そうですね。可愛らしい」
そんな彼女を隣で静観していた裕一郎が独り言のようにぽとんと言葉を落とすと、恋幸は首だけでそちらを向いて笑顔を咲かせた。
「倉本さんもハコフグ好きなんですか?」
「……嫌いではありませんよ」
(ん? でもさっき『可愛らしい』って言って、)
「向こうも見ますか?」
「はい! 見ます!」
◇
入口から順に眺めていくだけでも時間はあっという間に過ぎていく。
そろそろ昼食の時間を迎えようかという頃、2人は『水中ゾーン』と名の付いた大水槽に辿り着いた。
広大な空間で床から天井まで張り巡らされた分厚いガラスの向こう側では大中様々な魚やサメ・エイ・ウミガメなどが自由に泳ぎ回っており、水上から降り注ぐ光が神秘的な演出に拍車をかけている。
ガラスのすぐそばまで歩みを進めた恋幸は「ほう」と感嘆の声を漏らし、どこまでも広がっているかのように思えるその景色を仰ぎ見た。
「すごい……本当に海の中にいるみたいですね」
「……」
「?」
何も答えない彼を不審に思って振り返ると、裕一郎は大水槽へ目線を向けたまま瞬きも忘れて立ち尽くしており、恋幸は不安げに眉を寄せる。
今この瞬間、裕一郎の頭の中では聞いた事がないはずの声が反響していた。
「倉本さん?」
――……私が、あなたのそばを離れたりしなければ。
『――……き様!! 和臣様!! ご無事ですか!?』
愛しいあなたの命一つすら救えず、
『なぜこんな真冬に海へなど……!!』
なにが“医者になりたい”だ、笑わせる。
「幸音さん、」
「……え?」
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