【完結】捨て猫少女

百崎千鶴

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第7話 嫉妬

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 毎日テレビを見ていると、曜日や時間が少しずつわかるようになってきた。
 今は、水曜日の午後八時三十分。

 それから、ヒロトは“ニート”っていう職業なのもわかった。
 毎日家にいる“ロクデナシ”は“ニート”。


「!!」


 いつものように私はテレビを眺めて、ヒロトはパソコンとにらめっこをしていた時。
 不意に、玄関のチャイムがピンポーンと鳴り渡る。

 これは、お客さんが来たことを教えてくれる親切な音。 


「はーい!」


 大きな声で返事をし、立ち上がって玄関へ向かうヒロト。

 それからしばらくすると玄関先から話し声が聞こえてきて、少しの間を置いて彼は知らない男の人を連れてリビングへ戻ってきた。


(……!! 巨人!!)


 ヒロトも私から見れば大きいのだけれど、『その人』はもっと大きい。

 切れ長で二重の目に射ぬかれた瞬間、ヘビに睨まれたカエルのごとく身動きを止める。 


「!!」
「うん?」


 そんな私を見て、その人は薄い唇で三日月を描いた。

 男の人なのに、とても綺麗。どこか妖艶で、ふと『大人の色気』とかいうものを思い出す。


(こんな人のことを言うのかな……?)


 ふわりと鼻をくすぐる甘い香水の香り。


「君が、ちょびちゃん?」


 低い、大人の声が言葉を紡ぎ落とした。 

 なんの合図もなくぬっと伸びてきた片手に驚き、慌ててヒロトの後ろに身を隠す。


「あらら、逃げられちゃったか」


 男の人はからからと笑って、綺麗に整えられたオールバックの前髪を片手でかきあげた。


(誰!? この人、誰!?)


 すがりつくようにヒロトを見上げると、


「ちょび、大丈夫だよ。この人は俺の上司で、親友」


 彼は笑い混じりにそう言って、「出ておいで」と私の背を軽く押す。


(上司?!)


 上司は、自分より偉い人のこと。だからつまり、


(ヒロトより偉い、“ニート”の上司?)


 ヒロトの体を盾にしたまま、恐る恐る『上司』さんに目をやった。
 上司さんは持っていたカバンをテーブルの横に置いて、こちらへ向き直ると微笑んで見せる。


「とって食べたりしないから、安心して? ちょびちゃん」
(……食べない? 本当に?)


 若干戸惑いを残しながらも、上司さんの近くに腰をおろした。 

 すると、上司さんはずいと距離を詰めてきて、驚きのあまり後ろへひっくり返りそうになった私の体を彼がしっかりと抱きとめる。


「大丈夫?」


 上司さんが柔らかく笑うだけで、なぜだか頭がぽーっとしてしまった。


(……! これが、噂に聞く“フェロモン”……!?)


 頭を下げて感謝を示せば、大きな手が髪をすくようにして撫でてくる。

 ヒロトより、少し大きい上司さんの手……でも、ヒロトに撫でられている時の方が安心する。 


「ちょび、気をつけろー。その人、手出すのすっげー早いから」
「おいおい、人を遊び人みたいに言うなよ裕人」
「事実でしょう?」


 ヒロトは冷蔵庫からビールを二本とジュースを一本取り出し、器用に両手で運び私と上司さんに渡してからもう一度キッチンに消えると、どこからかスルメイカを取り出して戻ってきた。

 それから、ヒロトは座椅子に腰掛けて、スルメイカの入っている透明な袋を破り、食べやすいようテーブルの上に広げてくれる。 


「はい、ちょびの分」
(わーい!!)


 私も一つお裾分けしてもらって、あぐあぐと噛みついた。

 その間に、優しいヒロトは私の缶ジュースを開けてくれていたので、目線で「ありがとう」の気持ちを送る。


「さて……じゃあ、自己紹介しますか」


 上司さんはおもむろに口を開くと、ソファーに座り直して体ごとこちらを向いた。


「俺は、立花涼哉。二十八歳、独身。裕人の上司兼親友です!」
「独身って情報はいらないでしょう」
(タチバナ、リョーヤ……)


 爽やかな笑顔で片手を差し出すドクシンのタチバナ。
 なんて呼んだらいいのかわからないから、とりあえずタチバナ。 

 ドクシンってなんだろうと首を傾げたあと、ぺこりと一つ会釈した。
 すると、タチバナは目を細めて、


「ちょびちゃん……噂に聞いていた通り、本当に可愛いね」


 なんてことを言う。


「裕人が先々週一週間も有給とって、先週と今週は自宅勤務させてくださいーとか言うから、いったい何の病気かと思えば……」


 タチバナは私の輪郭をなぞるように顔を見てから、悪戯っぽい笑みを口元に作りヒロトに目をやった。

 ヒロトはなぜかばつが悪そうな表情を浮かべて彼から顔を背ける。 


「……なるほど? 恋患いか」
(こいわずらい?)


 ドラマではよく耳にした言葉だけれど、経験したことのない私には全然わからない。


(恋ってなに……? どういう感じなの?)


 問いかけるために向けた私の目線をヒロトはするりとよけてしまい、それを見たタチバナは小さく声を出して笑った。 


「裕人……お前、いい拾い物したな」
「うるさいっすよ」


 まぶたを伏せてビールを一口飲むヒロト。


「まあ、仕方ないか……可愛いもんなー? ちょびちゃん」
「!?」


 タチバナは私の背中に腕を回し、そのままぐいと抱き寄せた。
 突然のことで抵抗する暇もなく、ぽすりと腕の中に閉じ込められる。


「さっきから、俺が見るたびいちいち反応しちゃって……ほんと、かーわいい」
「……っ!」


 直接、吹き込まれる低い声。
 耳たぶに吐息がかかり、肩が跳ねた。 

 するりと移動したタチバナの手が、服の上から私の胸に触れる。


「……すごくドキドキしてる。俺のこと、意識しちゃった?」


 チェロみたいに、綺麗な低音。
 緊張とか驚きとか恥ずかしさとか、色んな感情で心臓がうるさい。

 すると、


「涼哉さん、ちょびいじめるのはやめてください」


 今まで黙っていたヒロトが、冷たい声で抗議した。

 その顔は心底不愉快そうにしかめられていて、タチバナは、


「……ごめんごめん、ちょっとからかいたくなっただけ。悪かった。そんな顔するなよ」


 そう言って、私を解放する。


(……ヒロト?)


 それでも、相変わらずヒロトは苦い顔のまま。
 そこでやっと、彼が怒っているのだと理解する。


(……どうして?)


 けれど、理由はわからないままだった。 



 ***



 私とヒロトの様子を見たかっただけらしいタチバナは「お幸せにな! あと、在宅もいいけどたまには出社しろよ!」と言い残し、何事もなかったかのように爽やかな笑顔を浮かべて手を振りながら帰っていった。


(お幸せにって? 何が?)


 玄関の扉を閉め、鍵をかけているヒロトの背中を見ながら首を傾げる。 


「……ちょび」


 名前をなぞったその声は、初めて聞いた音をしていて。“それ”がヒロトのものだと、一瞬認識できなかった。

 返事をしようと思った次の瞬間には、荒々しい手つきで腕を引っ張られ、背中を玄関の扉に押しつけられる。


「!?」


 そのまま、逃げ道を塞ぐかのように顔の横へ置かれる彼の両手。 


「ちょび、」


 耳元に口が寄せられ、低い声がもう一度名前を撫でた。

 そのまま、かぷりと優しく耳たぶに噛みつかれる。……くすぐったい。


「……ひっ!?」


 突然、熱い舌が耳たぶを這い、大袈裟なくらい体が跳ねた。


(なんか、へん)


 ヒロトも、私も……へんだよ。 


「ねえ、ちょび」
「ひ、ろっ、と……」


 とんと、ヒロトの片手が服越しに胸に触れる。
 さっき、タチバナに触られたのと同じ場所。


「……あの人に、どこ触られたの? ここ?」
「……っ、……っ、」


 何回も頷くと、


「……ちょび、すごいドキドキしてる」


 ふっと、ヒロトは息を吐くように小さく笑う。 

 ヒロトに聞こえるくらい、ドキドキしていたなんて。


(恥ずかしい……聞かないで、ヒロト)


 ぎゅっと目をつむり、ヒロトの手を引き剥がそうとしてみた。


「ちょび」


 今度は囁くように声が揺れて、


「……っ、」


 唇に一瞬、やわらかいものが触れる。 


「!?」


 驚いて瞼を持ち上げるとすぐ目の前にはヒロトの整った顔があって、その綺麗な黒い双眸に捕まってしまう。


(……ヒロト……これも、キスって言うの?)


 心の中で落とした疑問にヒロトは答えず、もう一度ふわりと唇が触れてから、


「俺以外に拾われないで、ちょび……」


 彼は、苦しそうにそう言った。

 まるで、すがりついて祈るみたいに。 


(……ねえ、ヒロト)


 私は、あなた以外のご主人様なんていらないよ。

 何度捨てられたって、何回でも……必ずあなたの所に帰ってきて、あなたにだけ拾われる。

 だから――……、


「……ひ、ろと、」


 ヒロトの方が捨てられた猫に見えて、大きな背中に両手を回して抱きついた。 

 彼は驚いたのかぴたりと動きを止め、少ししてから私を抱きしめ返してくれる。


「……いきなりこんなことして、ごめん。すごい大人げないな、情けない……ぜんぜん余裕なかった。ごめんな、ちょび」
(いいよ。ヒロトだから、平気だよ)


 そんな気持ちを込めて笑顔を向ければ、ヒロトは微笑みながら私の額にキスを落とした。

 たったそれだけでどきどきと高鳴るこの心臓は、なんという病気なんだろう?
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