【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

文字の大きさ
18 / 66

第17話 理性の砦

しおりを挟む
「ただいま」

 やっと花屋さんから解放され、時計屋さんの家に帰ってくることができた。
 もらった数輪の薔薇を片腕で抱いたまま後ろ手に玄関の扉を閉めると、ソファに座ってくつろいでいた時計屋さんは私を見るなり少し驚いたように目を見開く。

「……花屋に会ったのか?」

 なんだか、焦りが入り混じったような声音。

「ええ。少しだけ鬱陶しいけど、良い人だったわ。時計屋さんは、花屋さんを知っているの?」

 彼の隣に腰を下ろし、花屋さんを真似て微笑みながら薔薇を差し出してみる。すると、時計屋さんは薔薇と私を交互に見てからしどろもどろに「いらない」と言いつつそっぽを向いてしまった。
 その耳たぶが赤く染まっているように見えるのは、きっと気のせいなのだろう。 

「……知ってるも何も、花屋は……俺の、友達だから」
「……時計屋さんにも、ちゃんとお友達がいたのね……」

 わざわざこんな森の奥に住居を構え、ジャックが遊びに来るとあからさまに嫌そうな顔をするし、仕事以外ではほとんど外出する事もない時計屋さん。
 そんな、引きこもり同然で人嫌いに見えた彼に『友達』と呼べる関係の人物がいたことに少しだけ驚いた。

「……意外と失礼だよな、アリスって」
「あっ、馬鹿にしているわけじゃないわよ……?」

 時計屋さんは、訝しむような眼差しで私をちらりと見て「……まあ、いいけど……」と呟き、一呼吸置いてからこちらへ向き直る。
 どうしたの?と問う暇もなく突然手を握られ、時計屋さんはいつになく真剣な表情で距離を詰めてきた。
 少しでも身じろぎをすれば、唇が触れてしまいそう。

「あ、あの……時計屋さん……?」
「なあ、アリス」

 あいている方の手が横髪をすくい上げて、指の腹でするりと撫でられる。

「……アリスは、この国が気に入った? ずっと、ここに居たい……元の世界になんて、帰りたくない。そう思ってる?」
「そ……んな、わけ……ないでしょう……?」

 緑の隻眼をまっすぐに見据えて否定を口にすれば、時計屋さんの眉間に深いしわが刻まれた。
 幾度か目にしたこの表情は、不機嫌の表れ。しかし、やはり私には彼が怒っている理由はわからない。 

「アリス……嘘をつくのは良くないよ」
「う、嘘なんてついていないわ……! 私は本当に帰りたいと思っているし、記憶だって……」
「……だったら、おかしいだろ……そんなわけないんだよ、アリス」

 時計屋さんはわずかに震える声でぽつりと呟き、内ポケットからナポレオンケース型の懐中時計を一つ取り出す。
 光を反射してキラキラと輝く金色で、蓋に繊細な模様の彫られたそれを時計屋さんが私に向けた瞬間、眩しい光を放って彼の手元に拳銃が現れる。

「時計、屋さん……?」
「……アリス、」

 その銃口は私の眉間を捉えており、なんの拘束もされていないというのに体が動かせない。
 潔く死を覚悟した瞬間、今までこちらに向けられていた銃口と目線は私の頭上へ移動し、直後に弾丸を放つ音が狭い室内で鳴り響いた。

「……え?」
「……アリスが前に会いたがってた、この街の住民たちだよ」

 時計屋さんの目線を辿って振り返ると、我先にと窓から侵入してくる住民が、少し数えただけでも十五人。窓枠の真下には、足を引きずるようにこちらへ這って来る者もいた。
 どういうわけか、住民たちは揃いも揃って窓ガラスをすり抜けている。
 あまりにも『不気味』としか言いようのない光景だ。住民達が必死になにかを求めるように伸ばす手の先にいるのは――私。

「……アリスは動くな、じっとしてて」

 異様な住民達の頭を、時計屋さんは淡々と撃ち抜いていく。
 弾丸に貫かれた人々は血の一滴も流すことはなく、ただ真っ黒いトランプの形をしたもやに変化し、風で吸い出されるかのように窓の外へ消えていった。 

「な、に……? 今の……」
「……アリスがこの国を気に入るほど、ランク持ちに会えるようになる。その分、偽物ジョーカーに遭遇する確率は上がり、アリスは命を狙われる。それがルールで、皆にとってこれは“ただの”ゲームでしかない」

 時計屋さんは拳銃を懐中時計に戻して内ポケットへしまうと、深いため息を一つ吐き出してうなだれる。

「……本当に、この国を気に入っていないなら……帰りたい、死にたくないと心から願ってくれているなら……ランク持ちでもない住民は、アリスの前に現れる事はできないし、今みたいなことは絶対に起こらないんだよ。あいつらは、アリスに恐怖を与えて『帰りたい』『こんな世界にいたくない』と心の底から思わせるために、アリスをこの国から追い出すために……そのためだけに存在する、最後の“理性”だ」
(理性……? 誰の……?)
「アリス……自覚が無くても、その感情を覚えていなくても、アリスは嘘を吐いているんだよ」

 彼は絞り出すような声でそう言って、苦しげに歪められた緑の隻眼に私を映した。
 私は……私は、こんな国を気に入ってなんていない。死にたくもないし、早く帰りたくて仕方がない。それなのに、私の言うことを時計屋さんまで「嘘だ」と否定するの?

「何で……どうして、そんなことを言うの……? 時計屋さんは、私の言うことを……!」

 ……あれ? 

「……アリスの言うことを、なに?」
「だから……時計屋さんは、私のこと、」

 私のことを、何……?

「私を……」

 そこから先の言葉を紡ごうとすると、途端に頭の中が真っ白になって声が出なくなる。
 いったい何を伝えたかったのか、自分でもわからなかった。

「……っ、時計屋さんのバカ!!」

 衝動的に湧いた怒りに任せて罵倒をぶつけ、時計屋さんの家を飛び出してしまう。「バカ」なんて八つ当たりもいいところだというのに、「だけど」「私だって」と言い訳ばかりが心の中で繰り返された。
 ああ、本当に……バカなのはどっちだろうか。



 ***



「……本当に帰りたいなら、死にたくないと願ってくれているなら……その先の言葉だって簡単に出てくるはずなんだよ、アリス……本気で帰りたいなら、思い出したいなら……花屋も、ジャックも、俺も。今頃、とっくに……」

 気に入ったのなら、アリスはこの世界に居続けるべきだと思うのも本当だ。
 ここには、アリスを守ってくれる人がたくさんいる。
 こんなゲームなんて中止にしてしまえばいい、アリスにはそれができるのだから。思い出せないのなら、そのままでいい。何もかも、忘れたままで。

「……『現実』なんて、アリスは知らないままでいい……そんなものは俺に任せて、ずっと忘れたままでいいんだよ。アリス……」

 悲しみに歪められた時計屋の顔。その唇からこぼれ落ちた言葉を、直接アリスに伝える勇気など『元・王様』は持っていなかった。 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

さくら長屋の回覧ノート

ミラ
ライト文芸
三連続で彼氏にフラれ おひとり様として生涯過ごすことを決めた32歳の百花。 効率よく最速で老後費用の 貯蓄2000万円を目指す【超タイパ女子】だ。 究極の固定費である家賃を下げるために、築50年のさくら長屋への入居を決める。 さくら長屋の入居条件は 【「回覧ノート」を続けることができる人】 回覧ノートとは長屋の住人が、順々に その日にあった良かったことと 心にひっかかったことを一言だけ綴る簡単なもの。 個性豊かで、ちょっとお節介な長屋の住人たちと 回覧ノートを続けて交流するうちに、 百花はタイパの、本当の意味に気づいていく。 おひとり様で生きていくと決めたけれど、 <<少しだけ人と繋がっていたい>> ──そんな暮らしの物語。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

処理中です...