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第16話 花屋
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「アリスは、俺を裏切るんだな」
名前も知らない男性が、すっと空を指差すように手を上げる。瞬間、先ほどまで彼の近くを二本の足で歩いていた住人達が、まるで角砂糖を溶かすかのように人の形を失って花びらへ変化した。
数え切れないほど大量の束と化した『それ』は、一度ふわりと空へ舞い上がってから一枚一枚が意志を持っているかのように空中を移動し、風もないというのに私の周りを旋回し始める。
(なに、これ……!?)
胃がもたれそうなほど甘ったるい香りに包まれ、私の体を取り囲む花弁のせいで逃げ場はどこにもない。
わずかな隙間から辛うじて見えたのは、
「信じていた俺を裏切るなんて、悪い子だ」
細められる、綺麗な緑の瞳だった。
男性の指先が私へ向けられたのを合図に、旋回していた大量の花びらは大きな蛇の形を模して私に襲いかかってくる。
「……っ!!」
ああ……私はなぜ「どうせいつものように、ぎりぎりでサタンか時計屋さんが助けに来てくれるはずよ」などという甘ったれた考えを持っていたのだろうか?
「俺は、ずっとアリスを信じて待っていたんだぞ?」
とっさに両腕で顔を庇うが、花びらは一枚一枚が剃刀のように鋭くて次々に私の腕や足を切り裂いた。
はじめこそ大きな声を出しそうになったが、少しすると「痛い」という感覚が少しずつ麻痺してくる。
甘い香りのせいなのか、思考にもやがかかり脳がうまく機能しない。
(しんじゃうの?)
出血のせいなのか、足に力が入らなくなり膝をついてしゃがみこむと、急に花びらの動きが止まりまるで何事もなかったかのように人型を形成して街中を歩き始めた。
(……?)
カチリ。時計の針が進むような音が耳に届き我に返る。
目の前にあるのは、先ほど怒り心頭の様子で私に攻撃してきた男性……の、体。少しの間をおいてから、彼に抱きしめられているのだとようやく理解した。
「!?」
「ごめん、アリス。ごめん……いや、謝って許されることじゃないな……それでも、言わせてくれ。本当に、ごめん。俺は……怒りで我を忘れて、とんでもない間違いを犯した。ごめんな……」
痛いほど力強く私を抱きしめ、泣いているのだろうか?絞り出すような震える声で謝罪を繰り返すその男性。
「本来なら、死んで詫びたいところなんだが……」
「そ、そんな……! そこまでしてもらわなくてもいいわ! それに……私のせいで貴方が死んじゃったら、とても悲しいもの」
「……本当に、アリスは相変わらず優しくて良い子だな……そう言うだろうと思った。俺が死んだら、アリスだけは悲しんでくれるんだろうなって。俺は、アリスを悲しませることは絶対にしたくない。だから、死んで詫びることはできないし……これは、俺のわがままだ。アリス……どうか許してほしい」
少し涙の滲んだ瞳を細めて困ったように笑い、私の顔を覗き込みながら頬を指先でなぞるように撫でてきた。
顔が整いすぎているため、そんな一挙手一投足にいちいち心臓が高鳴ってしまう。
先ほど殺されかけたと言うのに、だ。
「え、ええ。わかったわ……うん、大丈夫……許します」
「ありがとう、アリス。うんうん、そうだよな……何がどうなってるのかわからないが、アリスが俺を忘れてしまったのなら……また初めから関係を築き上げて、俺に惚れ直してもらえばいいだけの簡単な話だ!」
目を閉じたまま顎に片手を置いて二、三度頷いたかと思えば、片手で自身の胸をドンと叩くという……こう、なんとも芝居じみた仕草と共に言葉を落とすその男性。
「……」
彼とそんな仲であった覚えは断じてないけれど『百年の恋も冷める瞬間』とはまさにこの事である。先ほどのときめきを返してほしい。
***
「ちょっ、結構よ……!」
「ははっ、昔はよくこうしてくれってせがんできただろ? ああ、なるほど……久しぶりだから恥ずかしいんだな、可愛いアリスだ」
その後。手を繋いだままお店の奥の部屋へ連れて来られ、座敷の床ではなく男性の膝の上に、いわゆるお姫様抱っこのような形で座らされる。
口で抗議してみたものの、整った顔と芝居がかった仕草とポジティブさで上手くかわされてしまい、力で抵抗しても徒労に終わることは今までの経験で理解していたため、結果大人しくそこにおさまることになってしまった。
「忘れたのなら、初めから……手取り足取り教えようじゃないか」
顔の周辺にキラキラとしたエフェクトが舞いそうなキメ顔に少しだけイラっとくる。
「……遠慮するわ」
「俺の名前は、花屋だ」
かっこつけていても、言っていることはなんだか間抜けだ。「よろしくな」と再びキメ顔をする男性――花屋さんをほんの少しだけ鬱陶しく思いながら、唯一難癖の付けどころがない顔を眺めていてふと気がつく。
「あれ? そういえば私、傷がない……」
いや、それどころか血の一滴も見当たらないし服も綺麗なままだ。
あれだけのことをされて痛みも確かに感じていたのに、無傷だなんて……私はいたって普通の人間だと思って過ごしていたが、いつの間にこんな化け物へ変貌していたのだろうか?
「ああ、それはな……服と血は時計屋の能力だが、アリスの傷は俺が治した」
私の顎を指でくいっと持ち上げ、流し目でこちらを見てくる花屋さん。
かっこつけようとしているのが丸わかりだ。わざわざ芝居がかった仕草などせず普通にしていれば十分かっこいいはずなに……という話ではなく、怪我をさせた加害者が被害者の治療をするのは特に褒められるべきではない当然のことではないだろうか。
「これは、さっきのお詫びだ」
花屋さんが指をパチンと鳴らすと、彼の手に一輪の薔薇があらわれる。
(手品みたい……)
それを私に差し出しながら「受け取ってくれるか? 俺のお姫様?」とキメ顔をする花屋さん。うっかりときめいてしまったけれど、ようやく彼の本質がわかった。
この人はきっと、ものすごくナルシストなのだろう。実際たしかにとてもかっこいいけれど、
(色々と残念ね……)
哀れみを込めた目で整った顔を眺めていると「ははっ、俺がかっこいいからってそんなに見つめるのは目に良くないぞ」と大袈裟な仕草で前髪をかきあげる。
(残念……)
「……ああ。そういえば、アリス。女王様の前では、あまり時計屋の話はするなよ? 前のお茶会の時、せっかく俺が手入れした薔薇を無残な姿にされて……」
芝居がかったポーズは無く、素のままに優しく落ち着いた声で言葉を紡ぐ花屋さん。やっぱり、こうして普通にしているだけで十分かっこいい。
同時に、彼の話を聞いてから以前のお茶会を思い出してしまい自己嫌悪に陥った。
(……私が、余計なことを言ったせいで)
「……なあ、アリス? 俺は、アリスを責めているわけじゃないぞ?」
桜が舞うようにふわりと微笑みながら、私の頬を伝い落ちた涙を長く綺麗な指で拭い取り頭を優しく撫でてくる。
「女王様は、アリスが嫌いなわけじゃない。むしろ、大好きだ……嫉妬に狂ってしまうほどにな。そして、俺もアリスが大好きだ」
余計な一言を相変わらずかっこつけて言うものだから、(せっかくかっこよかったのに)と小さく笑ってしまうと、花屋さんは私の額に触れるだけの口づけを落とした。
(……っ!?)
「だから……アリスには、いつでも笑っていてほしい。これからは、幸せであってほしい……そう願っているのは、俺だけじゃない。この世界の住人……『ランク』のある奴はみんな、同じ想いを持っているはずだ」
「……花屋、さん……」
「だから、笑ってくれ。アリス」
言葉と共に、薔薇を差し出す花屋さん。
なぜか棘が一切ついていない茎を片手でしっかり持って「ありがとう」と笑って見せれば、花屋さんは慈しむような眼差しを向け私の頭を撫でた。
「……よし。それじゃあアリスが笑顔になったところで、次はアリスと俺がいかにして大きな愛を育んできたのか、思い出してもらうために昔話を、」
「長くなりそうだから遠慮しておくわ」
薔薇の茎を指先でつまんでくるくる回していると、「謙虚なアリスも可愛いな!」と片手で前髪をかきあげる。ああ……本当に、色々と残念な人だ。
名前も知らない男性が、すっと空を指差すように手を上げる。瞬間、先ほどまで彼の近くを二本の足で歩いていた住人達が、まるで角砂糖を溶かすかのように人の形を失って花びらへ変化した。
数え切れないほど大量の束と化した『それ』は、一度ふわりと空へ舞い上がってから一枚一枚が意志を持っているかのように空中を移動し、風もないというのに私の周りを旋回し始める。
(なに、これ……!?)
胃がもたれそうなほど甘ったるい香りに包まれ、私の体を取り囲む花弁のせいで逃げ場はどこにもない。
わずかな隙間から辛うじて見えたのは、
「信じていた俺を裏切るなんて、悪い子だ」
細められる、綺麗な緑の瞳だった。
男性の指先が私へ向けられたのを合図に、旋回していた大量の花びらは大きな蛇の形を模して私に襲いかかってくる。
「……っ!!」
ああ……私はなぜ「どうせいつものように、ぎりぎりでサタンか時計屋さんが助けに来てくれるはずよ」などという甘ったれた考えを持っていたのだろうか?
「俺は、ずっとアリスを信じて待っていたんだぞ?」
とっさに両腕で顔を庇うが、花びらは一枚一枚が剃刀のように鋭くて次々に私の腕や足を切り裂いた。
はじめこそ大きな声を出しそうになったが、少しすると「痛い」という感覚が少しずつ麻痺してくる。
甘い香りのせいなのか、思考にもやがかかり脳がうまく機能しない。
(しんじゃうの?)
出血のせいなのか、足に力が入らなくなり膝をついてしゃがみこむと、急に花びらの動きが止まりまるで何事もなかったかのように人型を形成して街中を歩き始めた。
(……?)
カチリ。時計の針が進むような音が耳に届き我に返る。
目の前にあるのは、先ほど怒り心頭の様子で私に攻撃してきた男性……の、体。少しの間をおいてから、彼に抱きしめられているのだとようやく理解した。
「!?」
「ごめん、アリス。ごめん……いや、謝って許されることじゃないな……それでも、言わせてくれ。本当に、ごめん。俺は……怒りで我を忘れて、とんでもない間違いを犯した。ごめんな……」
痛いほど力強く私を抱きしめ、泣いているのだろうか?絞り出すような震える声で謝罪を繰り返すその男性。
「本来なら、死んで詫びたいところなんだが……」
「そ、そんな……! そこまでしてもらわなくてもいいわ! それに……私のせいで貴方が死んじゃったら、とても悲しいもの」
「……本当に、アリスは相変わらず優しくて良い子だな……そう言うだろうと思った。俺が死んだら、アリスだけは悲しんでくれるんだろうなって。俺は、アリスを悲しませることは絶対にしたくない。だから、死んで詫びることはできないし……これは、俺のわがままだ。アリス……どうか許してほしい」
少し涙の滲んだ瞳を細めて困ったように笑い、私の顔を覗き込みながら頬を指先でなぞるように撫でてきた。
顔が整いすぎているため、そんな一挙手一投足にいちいち心臓が高鳴ってしまう。
先ほど殺されかけたと言うのに、だ。
「え、ええ。わかったわ……うん、大丈夫……許します」
「ありがとう、アリス。うんうん、そうだよな……何がどうなってるのかわからないが、アリスが俺を忘れてしまったのなら……また初めから関係を築き上げて、俺に惚れ直してもらえばいいだけの簡単な話だ!」
目を閉じたまま顎に片手を置いて二、三度頷いたかと思えば、片手で自身の胸をドンと叩くという……こう、なんとも芝居じみた仕草と共に言葉を落とすその男性。
「……」
彼とそんな仲であった覚えは断じてないけれど『百年の恋も冷める瞬間』とはまさにこの事である。先ほどのときめきを返してほしい。
***
「ちょっ、結構よ……!」
「ははっ、昔はよくこうしてくれってせがんできただろ? ああ、なるほど……久しぶりだから恥ずかしいんだな、可愛いアリスだ」
その後。手を繋いだままお店の奥の部屋へ連れて来られ、座敷の床ではなく男性の膝の上に、いわゆるお姫様抱っこのような形で座らされる。
口で抗議してみたものの、整った顔と芝居がかった仕草とポジティブさで上手くかわされてしまい、力で抵抗しても徒労に終わることは今までの経験で理解していたため、結果大人しくそこにおさまることになってしまった。
「忘れたのなら、初めから……手取り足取り教えようじゃないか」
顔の周辺にキラキラとしたエフェクトが舞いそうなキメ顔に少しだけイラっとくる。
「……遠慮するわ」
「俺の名前は、花屋だ」
かっこつけていても、言っていることはなんだか間抜けだ。「よろしくな」と再びキメ顔をする男性――花屋さんをほんの少しだけ鬱陶しく思いながら、唯一難癖の付けどころがない顔を眺めていてふと気がつく。
「あれ? そういえば私、傷がない……」
いや、それどころか血の一滴も見当たらないし服も綺麗なままだ。
あれだけのことをされて痛みも確かに感じていたのに、無傷だなんて……私はいたって普通の人間だと思って過ごしていたが、いつの間にこんな化け物へ変貌していたのだろうか?
「ああ、それはな……服と血は時計屋の能力だが、アリスの傷は俺が治した」
私の顎を指でくいっと持ち上げ、流し目でこちらを見てくる花屋さん。
かっこつけようとしているのが丸わかりだ。わざわざ芝居がかった仕草などせず普通にしていれば十分かっこいいはずなに……という話ではなく、怪我をさせた加害者が被害者の治療をするのは特に褒められるべきではない当然のことではないだろうか。
「これは、さっきのお詫びだ」
花屋さんが指をパチンと鳴らすと、彼の手に一輪の薔薇があらわれる。
(手品みたい……)
それを私に差し出しながら「受け取ってくれるか? 俺のお姫様?」とキメ顔をする花屋さん。うっかりときめいてしまったけれど、ようやく彼の本質がわかった。
この人はきっと、ものすごくナルシストなのだろう。実際たしかにとてもかっこいいけれど、
(色々と残念ね……)
哀れみを込めた目で整った顔を眺めていると「ははっ、俺がかっこいいからってそんなに見つめるのは目に良くないぞ」と大袈裟な仕草で前髪をかきあげる。
(残念……)
「……ああ。そういえば、アリス。女王様の前では、あまり時計屋の話はするなよ? 前のお茶会の時、せっかく俺が手入れした薔薇を無残な姿にされて……」
芝居がかったポーズは無く、素のままに優しく落ち着いた声で言葉を紡ぐ花屋さん。やっぱり、こうして普通にしているだけで十分かっこいい。
同時に、彼の話を聞いてから以前のお茶会を思い出してしまい自己嫌悪に陥った。
(……私が、余計なことを言ったせいで)
「……なあ、アリス? 俺は、アリスを責めているわけじゃないぞ?」
桜が舞うようにふわりと微笑みながら、私の頬を伝い落ちた涙を長く綺麗な指で拭い取り頭を優しく撫でてくる。
「女王様は、アリスが嫌いなわけじゃない。むしろ、大好きだ……嫉妬に狂ってしまうほどにな。そして、俺もアリスが大好きだ」
余計な一言を相変わらずかっこつけて言うものだから、(せっかくかっこよかったのに)と小さく笑ってしまうと、花屋さんは私の額に触れるだけの口づけを落とした。
(……っ!?)
「だから……アリスには、いつでも笑っていてほしい。これからは、幸せであってほしい……そう願っているのは、俺だけじゃない。この世界の住人……『ランク』のある奴はみんな、同じ想いを持っているはずだ」
「……花屋、さん……」
「だから、笑ってくれ。アリス」
言葉と共に、薔薇を差し出す花屋さん。
なぜか棘が一切ついていない茎を片手でしっかり持って「ありがとう」と笑って見せれば、花屋さんは慈しむような眼差しを向け私の頭を撫でた。
「……よし。それじゃあアリスが笑顔になったところで、次はアリスと俺がいかにして大きな愛を育んできたのか、思い出してもらうために昔話を、」
「長くなりそうだから遠慮しておくわ」
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