GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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手筋編

時には策に溺れる事もある

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 日本の中心都市・東京のさらに中心・六本木にアパレルショップ『FLAMMEフラム』はある。

 『フラム』は13年前に社長でデザイナーの清水あかねが立ち上げたレディースブランド。「働く女性のための動きやすい服」をテーマにフォーマルからカジュアル、ルームウェアまで取り扱っている。

 千葉出身の清水は地元の服飾専門学校を卒業すると、専門学校の学友と共にブランド『フラム』を設立。ネット販売で売り上げを伸ばし、4年前に商業施設が群雄割拠するここ六本木に店舗を構える事が出来、現在に至る。


 8月の終わり。通常ならそろそろ夏物から秋冬物へシフトチェンジする時期なのだが、昨今の異常気象で秋冬物の出番を2週間後ろ倒しする事にした。天気予報を見る限り、この暑さはまだまだ続きそうだ。


 正午過ぎ。店は暇になる時間だ。わざわざ昼食時間を削って服を買いにくる客は皆無と言っていい。いるとしたら緊急事態が起こってなんでもいいから服を買わなければならなくなった場合だろう。例えば突然生理になり服を汚してしまったとか。

 『フラム』の店員も暇を持て余している。今日出勤している店員の半数が昼食休憩に入っている。

 そんなだらだらとした時間が流れる中、店員の一人・桑野麻奈香まなかも仕事をしてるフリをして客のいない店内を見回る。

 桑野は群馬出身。大学進学を全く考えていなかった桑野は高校を卒業したらどうしても東京で生活したいと考えていた。通っていた高校に来た求人表の中に『フラム』の販売員募集を見つけ、晴れて採用、念願叶って今年から東京都民となった。

 女性しかいない職場だが、なかなか快適だ。「類は友を呼ぶ」とは言ったもので、店長がのほほんとした性格のせいか店員ものんびりとした者が集まり、女同士でよくある軋轢なんかは皆無。群馬から出て来た田舎者と笑い者にされないように気を張っていた桑野だが、店長も店員も全員地方出身なので田舎者を馬鹿にする者は無く、まさにアットホームな職場で、離職する者は寿退職のみ。

 でも仕事は厳しい。「お客様に似合う服を提供するのが販売員の務め」と、売り上げよりもお客様の満足度重視で服選びのアドバイスをする。そのせいかリピーター率は高い。気軽に店員に声をかけてくれる客も多くいる。


 そんな『フラム』のショーウインドウ外に、先程からじっと今夏の店長兼デザイナーの推し『膝丈ノースリーブの白いワンピース』を眺めている客がいる。

 服を眺めている客をじっと桑野が見つめる。

 (わぁ……すごい美人!モデルかな?)

 遠目には大学生に見えたが、近づいてみたらまだ幼さが残っている。高校生だろう。大人っぽい子だ。背は高くスタイルもいい。白い肌に黒髪がよく似合う。

 (似合いそうだなぁ。あの店長推しの白ワンピ。日本人の肌の色に合わせたあの白、絶対似合うと思う。あの子にあのワンピ着せて砂浜を歩かせたい!)

 桑野は脳内でそのモデルを着せ替えさせて砂浜を走らせてみる。

 (うん。絶対画になる!)

「なに見てるのぉ~」

 この間延びした喋り方をするのが店長兼デザイナーの清水あかねだ。身長は148センチと超小柄。おまけに童顔なのでとても34歳には見えない。先日も中学生に間違われたばかりだ。初めて店に来る客も「店長」と聞くと間違いなく驚かれる。桑野も初めて面接で会った時は、「この店、大丈夫なんだろうか?」と思ったが、面倒臭い女同士の格付けに振り回される煩わしさが無いので、この店に就職出来て本当に良かったと思っている。

「あ、店長。外で店長推しの白ワンピを見てる美少女がいるんです」

「え~、うれしぃ~!どこどこ~?」

 桑野は視線で店長に指し示す。ショーウインドウの外にモデルのようにスタイルのいい美少女が立っている。

「わ~。ほんとだ~。美人~!」

「あの白ワンピ、あの子に似合いそうだなーって。着てみてくれないかなーって思ってたんです。あの子、あんな感じでずっと服を見てるんですよね。もしかしてうちの店の服、高いとか思われてるんですかね?」

 土地が土地なので『フラム』の商品は値が張る。しかし手頃の服も置いてある。

「お店の中に入って来てくれないかなー。高校生でもおこづかいで買える値段の服を選んであげるのに」

 客引きは違法行為なので店員がこの子に声をかける事は出来ない。なので桑野は気を紛らわせようとずっと独り言を言う。店長は桑野の話を聞いているのかいないのか、ずっと黙り込んでいる。

 突然、店長はふらふらと店を出ていく。

「店長?どこ行くんですか?」

 桑野の呼び掛けにも応えない。前にもこんな事があった。

 (たぶん、新作の服のデザインが浮かんだんだ)

 こうなったら止めても無駄だ。どんなに話しかけてもこちらの声は聞こえない。

 桑野は店長が店を出ていくのを見送った。



 ●○●○●○



 今夏は少し長めの夏休みを取った畠山京子の休み明け最初の仕事は、六本木のとある企業での指導碁だった。

 大江戸線六本木駅で電車を降り駅を出てサウナ状態の街を日傘を差しながら汗だくで歩く。京子が生まれ育った角館は盆地なので夏は蒸し暑くなるのだが、東京とは暑さの質が違う。ビルやアスファルトの照り返しで更に暑さの増す東京のこの暑さには日傘もハンディファンも無駄な抵抗だ。

 京子は少しでも涼しい場所を歩こうとビルで出来た影の部分を歩く。それでも汗は吹き出してくる。

 (まいったな。絶対汗臭いよな。指導碁を行う会社に着いて涼しい部屋に通されて部屋中臭かったらどうしよう?)

 下着だけでも着替えを持って来れば良かったか?そんな事を考えながら歩いていると、とある建物のショーウインドウに目が止まった。ビジネス街には珍しいブティックがあった。

 そのショーウインドウに飾られていた服を、京子は足を止めてまじまじと見る。

 白いノースリーブの膝丈ワンピース。先日、真珠戦のために田村優里亜が選んでくれたワンピースとよく似ている。結局そのワンピは次点となったのだが。

 (うーん。こういう服を選べばいいのかな?)

 『畠山京子服選びサミット』は回数を増すごとに服選びにかかる時間の長さも増し、京子はそろそろ会を解散させたいのだが、人間関係を壊さずに解散させる良い方法が思い浮かばないのだ。


「もし良ければその服、試着してみない~?」

 ゆる~んとした口調で話しかけられ、京子は声のした方に振り返った。が、頭のてっぺんが見えるだけ。京子は視線を下に落とし、声の主と目を合わせた。

 身長176センチの京子の肩の高さほどしかない小柄な女性が、目を輝かせている。童顔だが、声の質からして恐らく20代後半だろうと読んだ。

「えっと……。どちら様でしょう?」

「あっ!突然ごめんなさ~い!私、この店……『FLAMMEフラム』の店長兼デザイナーの清水あかねっていいま~す。よろしくね♥️」

 見た目がほわほわなら喋り方もほわほわしている。脳内お花畑で蝶々を追いかけ回していそうな人だ。

 およそ京子の頭の中にあるデザイナーという職業をしている分類の人種には見えない。京子のイメージでは、デザイナーは奇抜なデザインの服装で街行く人々の目を引き、自分のデザイナーとしての才能をこれ見よがしに振り撒くものだと思っている。だがこの人が今着ている服はその辺によくいる会社員と変わりない。

 (なんだろう、この人は?本当にデザイナー?)

 京子は胡散臭いおじさんを見る目で、その小柄な女性に質問する。

「先程、試着と仰ってましたけど?」

「うん、そうなの!あなたが見てたこの白ワンピね、今年の私の自信作なの!とってもあなたに似合うと思うの!ね、試着してみない?」

 なんか詐欺師が「試食だけでも」と健康食品を売り付けるみたいだ。何かしらいちゃもんつけて服を買わせられそうだ。

「いいえ。この暑さで汗だくですから。服に汗染みが出来たら大変なので」

 当然のように京子はきっぱりと断った。

 が、一度断ったくらいではへこたれないのが商売で成り上がって来た商人だ。清水と名乗った女性はただでは帰らせない奇策を打ってきた。

「なら『フラムうち』でモデルをやってみない?」

 年頃で華やかな世界に興味のある女の子相手ならこの手は最善手だろうが、京子にとっては最悪手だ。

 京子が眉間に皺を寄せる。

 (ああ。またか)

 街中を歩けば声をかけられない日は無い。「芸能界に興味はないか?」だの「アイドルで世界制覇しないか」だの。これで何回目なのか、数えるのも面倒臭くなってしまった。

「あのね、あなたを見てたら新作のデザインがわさわさと浮かんできて、止まらないの!」

 清水と名乗った小柄な女性の目の輝きが一層増している。何かしらのスイッチを京子が押してしまったようだ。

 いつもなら適当にあしらう京子だが、その日は暑さで判断力が落ちていた。かなりきつめにこう言った。

「モデルの話、お断りします。私は高校生ですが、もう仕事をしています。私の仕事は代わりの効かない仕事なんです。モデルは体型の似た人で代役を立てられるでしょうけど、私の仕事は代役は立てられないんです。私が、本人がやらなければならない仕事なんです。ですからそんな時間は私にはありません。失礼します」

 こうきっぱり言うと京子は小走りにその場を離れて指導碁を行う会社へと向かった。



 『フラム』の専務・加藤ひかるは昼食休憩を終え、店に顔を出した。加藤は脳内お花畑の清水に代わり経理や商品管理等を一手に担っている。加藤がいなければこの『フラム』は成り立たない。

 裏方担当の加藤だが、時々こうして店内を見回る。脳内お花畑の清水が店内で奇行を暴走させていないか、見回るのだ。


「……何してるの、あの子」

 清水が店先でボーッと突っ立っているのだ。

「あ、専務。お疲れ様です。実は……」

 事の成り行きを一部始終見ていた桑野が事の顛末を話す。

「で、フラッと店から出ていって、しばらくその女の子と話してたら女の子は帰っちゃって、店長はあの状態に……」

「それであんな店先でさっきから棒立ちしてると!?回収!さっさと店長を回収するわよ!」

 桑野と加藤、二人がかりで清水を抱えて店内に連れて行こうとしたのだが、おかしなスイッチの入った清水を女二人だけでは移動させるのは無理で、従業員総出で清水をスタッフルームに移動させたのだった。



 ●○●○●○



「あかね。何があったの?」

 スタッフルームで加藤は清水の為にマグカップに麦茶を注ぐとソファに腰かけた清水に渡した。冬ならホットココアだが、真夏の今だけは麦茶だ。

「……ひーちゃん……。私、美人に振られる男の人の心情がわかったわ」

 加藤の質問に清水から全うな答えが返ってきたためしなど無い。二人は中学の同級生だが、清水は昔からこうだ。だから加藤は、清水は脳内お花畑の大きな木の下にでも雨宿りしているのだろうと思う事にしている。

「うん、そう。よかったね」

「あんな美人にあんな風にこっぴどく振られるのがこんなに辛いなんて……」

 清水が突っ伏して泣き出した。情緒不安定はよくある事なので、加藤は放っておく事にした。

 が、その判断は後々とんでもない事件を引き起こす事になる。

 暦変わって9月。来年の夏向けのデザイン画がデザイナーである清水から上がってこないのだ。

「ちょっと、あかね!もう工場にパターン渡さないと、来年売る夏服の製造が間に合わないわよ!」

 スタッフルームの奥にある社長室に加藤が乗り込む。すると清水は床一面切り離したスケッチブックの紙の上にダンゴムシのように丸まっていた。デザイン画を作成する時は寝食すら忘れてデザインに没頭するたちなので、見慣れた光景だ。

 加藤は足元に落ちていた紙を拾い上げた。

「なんだ。デザイン、出来てるんじゃないの」

 加藤の記憶の中にこのデザインの服はない。新しいデザインだ。

「ダメーッ!!これはダメ!!あっ!それもダメ!!!これ全部あの子に着てもらう為に描いたデザインなの!だからダメ!」

 清水は加藤が拾った紙を奪い取る。そして声を上げて泣き出した。よほどあの子に振られたのが応えたらしい。

 こうなったら頑として首を縦に振らないのが清水だ。



「という訳で、我が社『フラム』の危機です。この女の子を従業員総出で捜索します!」

 その日の営業時間終了後、休日の従業員も呼び出して緊急ミーティングが行われた。

 スタッフルームのパソコン画面に防犯カメラの映像が流れる。『フラム』の店の出入口に取り付けられた、斜め上から撮影された映像は、京子の顔は殆ど映っていない。しかも白黒だ。

「えーと……。こんな粗い画像からその子を見つけ出せと?」

 店員の一人がボソッと独り言のように言う。

「言いたい事は分かるけど、これしか画像が無いの。この子の特徴は身長およそ175センチ、細身、色白で黒髪。それからあかねを絶望させるほどの超美人!」

 従業員が全員絶句する。確定事項の少ない条件に東京の人口の何百人が当てはまるだろう。

「あとその子はもう働いているらしいの。でもその子曰く「モデルは替わりが利くかもしれないけど自分の仕事は替わりが利かない」と言ったらしいの。モデルやタレント以外で替わりの利かない仕事って、みんな、何か思い当たる?」

 従業員全員お互い顔を見合わせ、首を横に振る。

「とにかく桑野はその子を見てるのよね。桑野、頼んだわよ」

「ちょっ!?そんな無茶振りってあります!?」

「無茶振りってわかってるけど、他にその子を見てる者がいないのよ。だから桑野は接客よりも、店の前をその子がまた通らないか注意して見てて」

「……通りますかね?そんな事があった店の前なんて、私だったら避けて通るけど……」

「他に方法が思い浮かばないのよ。お願い!」

「はぁ……」

 店の存続の危機なので、首を縦に振るしかない。

 (でも店先で通る可能性の無い女の子を待ってるって……)

 もっと効率的に探し出せる方法はないか、桑野は考えていた。



 ●○●○●○



 洋峰学園放送室から全校舎内に畠山京子の声が流れる。

 文化祭に来ていた客は最初のうちは興味なさげにしていたものの、暫くすると生徒も客も殆どの者が耳を傾けていた。

《で、その翌日、囲碁の研究会の日だったので兄弟子にこの出来事を話したんです。そしたら兄弟子の一人が「お前がモデルをやれば服飾関係の人達にも興味を持ってもらえるんじゃないか」と言われまして。……聞き手を務めてくれている石坂嘉正くん。ここまでは大丈夫?どこか説明の足りていない箇所は?》

《う、うん。大丈夫……》

 訳の分からないまま放送室に連れてこられて、突然京子がモデルやってると聞かされて、ポスターの画像を見せられて。情報量が多すぎて嘉正は地蔵のように固まっている。とりあえず相槌だけ打っている。

《で、その時はそのまま別れたんですけど、後日、日本棋院を通して『フラム』の社長さんから連絡が来たんです》



 ●○●○●○



 その日は日曜日。しかも突然気温が下がり涼しくなり、大慌てで秋物の服を買い求める客で『フラム』はごったがえしていた。昼時になっても客の数は減らない。いつものように半数ずつ休憩に入ると店を回せられないからと、一人ずつ15分の昼食休憩時間が与えられた。

 桑野の昼食休憩の順番がきた。スタッフルームに入ると急いでマグカップにお茶を注いだ。出社前に買ったコンビニ弁当を必死で掻き込む。

 あれから2週間経ったが、美少女は見つかっていない。

 あの美少女はどんな仕事をしているのか知らないが、あの年齢で働くとなるとやはり人前に出る職業しか思い浮かばす、桑野はとにかくテレビや雑誌をチェックする日々を続けている。ネットに頼ってみるかとも思ったのだが、粗い画像なので色好い反応が得られるとは思えない。通らない確率は高いのに、暇さえあれば店の前の歩道を眺める日々。店長には悪いが、もうそろそろ諦めて欲しい。と思いつつも、そうなると今度は『フラム』の危機が待っている。八方塞がり状態だ。


 米をあと一口で食べ終わるという時、ちょっと大きめの地震が起こった。桑野は大急ぎでテレビをつけた。

 テレビをつけた桑野の動きが止まる。テレビに近づく。

 それから大慌てで専務である加藤を呼びに行った。


「良い判断だったわ。あかねを先に呼んでたら、あの子、間違いなく大騒ぎしてたもの」

 スタッフルームに戻り加藤と一緒にテレビを見るが、肝心の女の子が映っていない。

「間違いなく、あの時の子がテレビに映ってたんです!」

「わかったから落ち着いて。このチャンネルで間違いないのね?」

「はい。さっき地震があったから、慌ててテレビをつけて……。そしたらあの時の子が映ってたんです!」

「それだけ分かってれば大丈夫。放送時間もわかってるんだし、テレビ局に電話で問い合わせてみましょう」

 女の子の名前はあっさりわかった。そして職業も。



 ●○●○●○



 その翌週の土曜日。日本棋院に京子と清水と加藤の姿があった。

 先に清水と加藤が棋院の会議室におり、少し遅れて京子が会議室に入ったのだが、京子が部屋に入るなり、清水と加藤が立ち上がって京子に向かって深々と頭を下げた。

「あの時は本当にごめんなさい!気軽に「モデルをやらない?」なんて言って!囲碁の人とは知らなくて、本当に失礼しました」

 まるで悪戯をした小学生のような謝罪文に、京子がちょっと呆れる。おまけに土下座でもするくらいの勢いで頭を下げられたので、さすがの京子もドン引きしている。

「ちょっ、ちょっと待って下さい!顔を上げて下さい!あの……一体、どのようなご用件で?」

「私の事、忘れちゃったの?」

 清水が両手を組み、懇願するかのように京子に話かける。

 別れた恋人同士じゃあるまいし、と、京子がツッコミそうになる。

「いいえ。覚えてますよ。六本木にあった……確か『フラム』っていうお店の前でお会いしましたよね」

「そう!良かった~!覚えててくれて」

「良くはないでしょ!あんな失礼な事言っておいて!……コホン。失礼。ご挨拶が遅れました。私、『フラム』の専務で加藤と申します。こちらは店長兼デザイナーの清水です」

 加藤が京子に名刺を渡す。慌てて京子もバックパックから名刺ケースを取り出し加藤に名刺を渡す。渡された加藤は目を真ん丸にして名刺と京子の顔を交互に凝視する。京子からしたら見慣れた光景だ。

「……不躾にじろじろとお顔を拝見して申し訳ありません。学生でありながら会社を設立なさってらっしゃる方に、モデルをやれなどと、本当に失礼しました」

 清水と違い、加藤はさすが専務という役職を担っているだけあって、常識人間のようだ。

「え!?会社を経営してる人なの!?」

「店長」

 小学生の反応で京子に質問し返す清水に、加藤はたった一言で黙らせた。清水はしゅんと項垂れる。

 (うーん。いつもこんな感じなんだろうな。この二人)

 京子がこの二人の関係性をついつい分析してしまう。

「それより、今日はどのようなご用件で?」

 再び京子にこう聞かれて、加藤に肘で小突かれた清水が口を開けた。

「この前の事を謝りに来たの。テレビに出れるくらい囲碁の強い人なのにモデルをやれ、なんて失礼なこと言って……」

 どうやら先日放送された国営テレビ主催の棋戦のテレビ中継を見たらしい。そしてその放送で京子の身元を掴み、今日ここに謝罪に来たと、京子は推測した。

「あの……まさかそんなことを謝罪する為にわざわざ今日棋院までいらしたんですか?」

「うん!……じゃなくて、はい!どうしてもあなたに謝りたかったの!自分が大事にしているものがあるのに、その大事なものと一緒にいる時間を削ってまでモデルをやって欲しいなんて、私、なんて傲慢なんだろうって……」

 照れているのか、人見知りの性格なのか、清水は時折京子と視線が合うと視線を外す。

 (猫であれば敵意無しの合図だけど……)

 京子は清水と加藤のプロファイリングを続ける。

「あのぉ~。お詫びといってはアレだけど、これ、あなたに着てもらいたくてデザインした服なの。受け取ってくれる?」

 そう言って清水は京子に紙袋から取り出した箱を渡した。清水は箱を開ける。礼儀作法からしたら失礼だが、こういう人だから、と京子は目を瞑った。

 中に入っていたのは、真っ赤なジャケットとフレアスカートだった。

「これを着て囲碁をやってくれたらカッコいいな~って!私が作る服はね、「戦う女性」をイメージしてるの!「戦い」って「赤」のイメージが強いじゃない?あなたを見かけた時、真っ赤に燃えてる炎が見えたの!うちの店の名前『FURAMUフラム』は「炎」って意味なの!あなたにぴったりだと思って……この服を……」

 京子もあの時は店の名前も気になって足を止めた。店の奥に赤を基調とした服も数多くあった事も気になって、店の中も眺めていた。

 清水は京子の身元が判明すると、京子の為に作成したデザイン画の中から特に気に入った一着を大急ぎで拵えた。これを渡して謝罪する為に。

 清水は京子が囲碁棋士という仕事をしていると知った時、京子にモデルになってもらう事を諦めた。囲碁のルールは知らないが、大変な仕事だということは分かる。京子が「そんな時間は無い」と言っていたのも覚えていた。棋士という職業を続ける為にどれだけの時間を囲碁に費やさなければならないのかなんて、清水には分からない。ても、自分もデザイナーという仕事をしているから分かることもある。誰かに自分の時間を邪魔される事ほど煩わしいものは無い。京子が囲碁棋士だと知らなかったとはいえ迂闊にモデルをやれなどと言った自分への戒めのためにも、この服を渡して京子に謝罪したかった。それがデザイナーである自分に出来る一番良い謝罪方法だと思った。

 清水は、京子に伝えたかった事を全て伝えると俯いたまま黙ってしまった。しばし沈黙が流れる。

 京子が何か言った方がいいのか迷っていると、加藤が沈黙を破った。

「えー。では我々はこれで失礼します。お忙しい中お時間を割いて頂き、ありがとうございました」

 加藤が立ち上がると清水も京子との別れが辛いのかのように、ゆっくりと立ち上がり、京子に向かって礼をした。

「え?本当にこれだけの為に棋院に?」

「え?ええ……」

 答えたのは清水だった。


 京子は今まで「芸能人になれ」だの「モデルをやれ」だのとスカウトされた経験は数知れない。

 だが京子を探し出し、京子の職業まで調べ、謝罪に来たのはこの二人が初めてだ。しかもこの二人、謝罪だけの為に棋院に来てくれた。

 京子は顎に手をやる。そして高速で頭を回転させる。

「あの!ちょっとご相談があるのですが」

 京子は会議室から出ていこうとする二人を呼び止めた。



 ●○●○●○



《それからとんとん拍子に私が『フラム』の専属モデルになる事が決まりまして、私の身体のフルサイズ測定やら、ポスターの写真撮影やらで大忙しで、今日、この広告が六本木駅と新宿駅でお披露目となったんです》

 嘉正は京子のスマホで『フラム』の広告を見てみる。毎日のように顔を会わせている嘉正も、この派手に化粧した京子には驚いた。

 (僕だったら気付かずに素通りしそうだ……)

《それでこの場を借りて「畠山京子服選びサミット」メンバーに連絡事項がありますので、メンバーの方、文化祭にいらしてたら聞いて下さい。
 以降『フラム』様より衣装提供を受ける事に決まりましたので、これにて「服選びサミット」は解散いたします!メンバーの皆さん、ありがとうございました!
 それでは緊急校内放送「畠山京子はこうしてモデルになった」。長々とご清聴頂きありがとうございました!》

 嘉正は、聞こえないはずの田村優里亜の叫び声を聞いたような気がした。

 ……のは気のせいではなかった。

 京子と嘉正が放送室から出てくると、優里亜がすごい勢いで走ってきた。

「ちょっと京子!どういう事よ!聞いてないわよ!!何もかも!!!」

「あ、先輩。事後報告になってすみませんでした」

「本当にすまないと思ってる?詳しく聞かせてもらうわよ!」

「え?でもたった今、詳しく……」

「あんたが一方的にだらだら喋ってただけでしょ!私達が知りたい事は何も聞かされてないの!」

「へっ!?可憐さんから聞いてないんですか?」

 紅水晶戦挑戦手合い第二局の写真撮影時に可憐自ら役目を買って出てくれたはずなのに。

 (はっ!もしかして可憐さんに嵌められた!?)

 あるかもしれない。紅水晶戦に破れた腹いせに、ちょっとした意趣返しをされたのかもしれない。

「京子。文化祭終わったら、私達にちゃんと報告する時間を作りなさいよ。このままサミット解散なんて、させないから!」

 京子が白目を剥く。やっとサミットを解散させられたと思ったのに、一番嫌な状況に追い詰められてしまった。

「はい……。わかりました……」



 後日、京子は『服選びサミット』出の服選びの時間よりも倍以上の時間をかけて、メンバーに『フラム』の専属モデルになった経緯を説明したのだった。
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