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定石編
研究会での立花富岳(12歳9ヶ月)
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立花富岳が三嶋大成・木幡翔・若松涼太の三人で行っていたこの研究会に参加するようになって三ヶ月が経つ。
この研究会は日曜日に行うので、富岳は学校の終業時刻を気にしなくて済むので助かっていると言っていた。
埼玉県民だけで結成したこの研究会、名付けて「埼玉研」。始めた頃は月曜日に研究会を開いていた。院生研修が土日にあるので、その翌日である月曜日に検討を行いやすいからだ。
当時はメンバーが八人いた。殆どが小学生だった。その八人で一番先に入段したのは当時中学一年の三嶋だった。続いて木幡が高校一年で入段。
院生の年齢制限が近づくにつれ一人辞め、二人辞めと減っていき、十八歳を過ぎてプロになれなくても研究会を辞めずに残ったのは若松だけだった。研究会を日曜日に開くようになった理由だ。メンバーに院生がいなくなったからだ。
院生でなくなったからといって、プロになるチャンスを完全に失ったというわけではない。
プロ試験は二十三歳まで受けられるし、もし二十三歳までにプロになれなくても、実力さえあれば救済措置はある。アマチュア棋戦で結果を残せばいい。
若松は「絶対プロになる!」と救済措置狙いで、高校卒業後、飲食店で皿洗いのアルバイトをしながらアマチュア棋戦に参加しまくった。
しかし救済措置までの期間は必要無かった。三嶋・木幡の一歳年下の若松は高校を卒業した半年後、棋士採用試験に合格した。
若松がプロ試験を合格した時の三人の歓喜は一入で、すっかりのぼせ上がった若松は勢いでこう言った。
「こうなったら三人で七大棋戦総ナメにしてやろうぜ!」
しかしその直後、三嶋が妹弟子を連れてきて「今の入段レベルがわかるから」と若松を練習手合の相手に指名、サンドバッグのようにボコボコにし、ついでに木幡の鼻っ柱もへし折って、入段のお祝いムードを消沈させて帰って行ったのだが。
富岳は学ぶことに貪欲で、対局後の検討がとにかく長い。こちらから「じゃ次」と切り出さないと、いつまでたっても終わらない。学者気質の感はある。『囲碁好き』熱が半端ない。
こういう所は京子と似ている。京子も検討が長いタイプだ。
違う所は、京子は気分転換にバスケや家庭菜園やPCの改造やカラスの捕獲(?)と、その日その時の気分であれもこれもと手を出すのに対し、富岳は碁の気分転換にも碁を打つといった感じだ。
追求し出したら止まらない富岳が今、腐心しているのは、課題のヨセだ。
富岳との練習手合で、小ヨセに入った時点で三嶋が手を止めた。
「……」
「……」
「……」
富岳以外の三人、三嶋、木幡、若松は盤面を見たまま閉口してしまった。
子供の頃についた悪い癖はそう簡単に治るものではない。しかし、その分を差し引いてもこれは酷い。
「……えーと、先手先手はここなのは分かってるよね?」
三嶋が上辺を指す。
「はい……。でも」
「いや、「でも」じゃなくてさ、いくら大きい所でもヨセで後手に回ったら不利になるんだって!」
黙って見ていられなくなった木幡が口を挟む。
「ヨセの手順の基本は?」
「先手先手、後手先手、先手後手、後手後手ですよね。わかってるんですけど……」
どうやら早く終わらせたいという欲が出てきて、大きい所からヨセてしまうようだ。
「そんなんでよく京子ちゃんのヨセを凌いだなぁ」
若松は去年の棋士採用試験後、京子の練習手合に「もう勘弁してくれ」と泣きつきたくなるほど付き合わされた。京子のヨセの強さを一番よく知る人物と言っても過言ではない。
「畠山……さんは弟子入りした時からヨセは強かったんですか?」
富岳が三嶋に聞いた。富岳も京子のヨセの強さは認めているようだ。
「そうだなぁ……。ヨセで間違えたのは見たことないかな」
「どうやってヨセの勉強したのか、聞いてませんか?」
「んー……そこまではなぁ。まぁ、人それぞれだしな。練習方法なんて。一番手っ取り早いのは詰碁じゃないか?基礎だし」
「詰碁……」
富岳はボソリと呟くと黙り込んでしまった。
「おい富岳、どうした?」
若松が不自然に黙り込んだ富岳を見かねて聞いた。
「なんていうか……。詰碁って、どういう流れでそういう形になった?っていうの、多くないですか?だから、その形に納得できないと、どうしても解く気になれないっていうか……」
実践的な形でなければダメらしい。どうやら学者気質ゆえの問題のようだ。
「うーん……。となるとタイトル戦の棋譜並べかなぁ……。途中まで並べてヨセに入ったら……、あ。この方法だと一人で勉強できないな」
「となるとネットかな。対局アプリで、相手が格下だったら途中まで手を緩めて、ヨセから本気出すとか」
「それが富岳に一番合ってるんじゃない?」
三人で案を出すが、富岳自身が納得しなければ先には進まない。
プロともなれば、少なからず『こだわり』がある。ただ、その『こだわり』に首を絞められる時もある。なので時には『こだわり』を捨てなければならない。
富岳は『こだわり』を捨てられる棋士になれるかどうか。それが出来るか出来ないかで成長度は変わる。
富岳は夏休みの間、入院で学校を休んだ分の補習を受けながら、囲碁棋士としての仕事をこなしていた。
イベントなどで京子と一緒になる事があるかと思っていたが、結局夏休み中は一度も顔を合わせることは無かったようだ。
病院で富岳に「京子と仲直りしてくれ」と言ってからもう三ヶ月経ってしまった訳だが、未だ会えずにいるそうだ。
富岳は理事長の横峯弘和に京子の処分を軽くするよう嘆願したらしいが、京子の夏休みの仕事のスケジュールと公式戦の対局通知が未だ届いてないのをみると、富岳の嘆願は小童の戯言と処理されたらしい。
「ちょっと休憩しようか。何飲む?」
「俺、麦茶」
「俺も」
「僕も麦茶で」
蝉が咽ぶように鳴くまだまだ暑い九月最初の日曜日。今日は三嶋のアパートで研究会を行っている。いつもは大宮にある福祉センターの会議室を借りているのだが、今日は近くの町内会の行事で借りられず、東京で一人暮らしをする三嶋のアパートに集まった。
三嶋は冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出して、まず皆のコップに注いでいき、最後に自分のコップに注いだ。
「そういえば今週だな。金緑石戦決勝第三局」
新人王戦にあたる金緑石戦。出場資格は『入段から五年以内』『五段以下』。
プロ入り二年目、つまり金緑石戦初出場で本戦決勝まで富岳は駒を進めた。
「はい……。それまでになんとかヨセをと思ってたんですけど、無理っぽいですね……」
金緑石戦 本戦 決勝 三番勝負
川上光太郎七段 対 立花富岳二段
現在一勝一敗。次の第三局で今年の金緑石王が決まる。
「どう?川上さんとの対局は」
川上は三嶋と木幡の一歳年上で、院生時代は若松を含めた三人と同期だったが、棋士としては三嶋・木幡が先輩だ。
実力はあるのに、あがり症でここ一番という所で弱い。「万年院生三位」と陰口を叩かれていたほどだ。小心者なところなど、三嶋には兄弟子の武士沢とキャラが被って見える時がある。
しかしここ半年~一年、何かきっかけを掴んだようで本来の力を発揮出来るようになり、今年四月に三大棋戦のひとつ金剛石戦本戦リーグ入りを決め、七段に飛び昇段し、トップ棋士入りを果たした。
「川上さんは基礎に忠実って印象です。一か八かの博打を打つような勝負手は打ってこない。読み切った手でないと打たない」
第一局は「さすが金剛石戦本戦リーグ入り棋士」と思わせるどっしりと構えた碁を打たれ、富岳は全く歯が立たなかったが、二局目は自分の持ち味である序盤から仕掛ける碁にできたようで、一勝一敗のイーブンにした。
「川上さん、今年で金緑石戦に出場できるのは最後だからな。気合い入ってるだろうな」
木幡が麦茶を飲みながら言った。
「あ。気合い入ってるで思い出した。川上さん、金緑石王になれたら彼女にプロポーズするらしいよ」
三嶋の突然の暴露話に、木幡と若松が麦茶を同時に吹き出した。
「……は?あの川上さんが⁉︎」
若松に「あの」と言われるほど川上は残念な男ではない。むしろ若松よりモテる。
「え⁉︎彼女いたの⁉︎」
彼女いない歴=年齢の木幡が恨めしそうに聞いた。そして二人の尋問は止まらない。
「最近、調子が良いのはソレか!」
「相手は誰?俺たちも知ってる人?っていうか、いつから?」
三嶋は「きったねーなー」と文句を言いながら、ふきんで木幡と若松が吹き出した麦茶を拭き、質問に答えた。
「付き合って一年ちょいだってさ。相手は高校の同級生らしい。なんでも成人式で久しぶりに会って話が盛り上がって付き合い始めたんだとか」
「調子の上がり始めた頃と、時期的に合うな」
「ちょっと待った。やけに詳しいけど、三嶋、そんなに川上さんと仲良かったっけ?」
「だよな。誰情報?それ」
「京子だよ」
「「え⁉︎京子ちゃん⁉︎なんで京子ちゃんが知ってるの⁉︎」」
事情聴取している二人の声が綺麗に揃った。
「こないだイベントで一緒になって、打ち上げの時、聞いたんだってさ」
「はー、イベント……の打ち上げ……。っていうか、そんな話をするほど仲良くなったの……?京子ちゃん、コミュ力高いな」
それまで黙って話を聞いていた富岳が微妙な表情をしている。
「どうした?富岳」
「あ。悪い。置いてけぼりにしちゃったな」
「木幡。若松。お前らはしゃぎ過ぎ」
「あ、いえ、大丈夫です。そうじゃなくて、普通イベントが一緒になっただけで、そんな話をするほど仲良くなるものなのかなと思っただけで……」
富岳もこの夏、いくつかイベントに出たが、女性棋士とは恋愛系の話は話題にも上らなかった。
ただ富岳のこの推測を聞いた三人は、ある憶測を生んだ。
「……そんな話を川上さんから聞き出したってことは、もしかして京子ちゃん、川上さん狙い……?」
「いや、京子は江田さんに一番よく懐いてるから、それはないと……」
「え⁉︎江田さんなの⁉︎おっさんじゃん!」
「京子ちゃんて実力主義みたいなとこ、あるよな」
「あー。だから最近三嶋にあたりがキツい……」
「うるさい。黙ってろ」
「棋士としては後輩の川上さんに先を越されて七段に……」
「言うな!」
三人の京子を廻る憶測は脱線して、いつの間にやら三嶋をディスる話にすり替わってしまったが、下世話な世間話はしばらく続いた。
富岳は今まで、研究会をやる意義は「お互いの技術を高める場」だと思っていた。
しかし情報交換の場でもあるようだ。囲碁棋士になったら一生日本棋院で暮らすようなものだ。終の住処の住人の情報はいくらあってもいい。
しかもこの情報……。
(チャンスがあるかどうかはわからないけど、使えそうだな)
富岳は三人の世間話に時折相槌を打ちながら、聞き漏らしのないようしっかり記憶していった。
この研究会は日曜日に行うので、富岳は学校の終業時刻を気にしなくて済むので助かっていると言っていた。
埼玉県民だけで結成したこの研究会、名付けて「埼玉研」。始めた頃は月曜日に研究会を開いていた。院生研修が土日にあるので、その翌日である月曜日に検討を行いやすいからだ。
当時はメンバーが八人いた。殆どが小学生だった。その八人で一番先に入段したのは当時中学一年の三嶋だった。続いて木幡が高校一年で入段。
院生の年齢制限が近づくにつれ一人辞め、二人辞めと減っていき、十八歳を過ぎてプロになれなくても研究会を辞めずに残ったのは若松だけだった。研究会を日曜日に開くようになった理由だ。メンバーに院生がいなくなったからだ。
院生でなくなったからといって、プロになるチャンスを完全に失ったというわけではない。
プロ試験は二十三歳まで受けられるし、もし二十三歳までにプロになれなくても、実力さえあれば救済措置はある。アマチュア棋戦で結果を残せばいい。
若松は「絶対プロになる!」と救済措置狙いで、高校卒業後、飲食店で皿洗いのアルバイトをしながらアマチュア棋戦に参加しまくった。
しかし救済措置までの期間は必要無かった。三嶋・木幡の一歳年下の若松は高校を卒業した半年後、棋士採用試験に合格した。
若松がプロ試験を合格した時の三人の歓喜は一入で、すっかりのぼせ上がった若松は勢いでこう言った。
「こうなったら三人で七大棋戦総ナメにしてやろうぜ!」
しかしその直後、三嶋が妹弟子を連れてきて「今の入段レベルがわかるから」と若松を練習手合の相手に指名、サンドバッグのようにボコボコにし、ついでに木幡の鼻っ柱もへし折って、入段のお祝いムードを消沈させて帰って行ったのだが。
富岳は学ぶことに貪欲で、対局後の検討がとにかく長い。こちらから「じゃ次」と切り出さないと、いつまでたっても終わらない。学者気質の感はある。『囲碁好き』熱が半端ない。
こういう所は京子と似ている。京子も検討が長いタイプだ。
違う所は、京子は気分転換にバスケや家庭菜園やPCの改造やカラスの捕獲(?)と、その日その時の気分であれもこれもと手を出すのに対し、富岳は碁の気分転換にも碁を打つといった感じだ。
追求し出したら止まらない富岳が今、腐心しているのは、課題のヨセだ。
富岳との練習手合で、小ヨセに入った時点で三嶋が手を止めた。
「……」
「……」
「……」
富岳以外の三人、三嶋、木幡、若松は盤面を見たまま閉口してしまった。
子供の頃についた悪い癖はそう簡単に治るものではない。しかし、その分を差し引いてもこれは酷い。
「……えーと、先手先手はここなのは分かってるよね?」
三嶋が上辺を指す。
「はい……。でも」
「いや、「でも」じゃなくてさ、いくら大きい所でもヨセで後手に回ったら不利になるんだって!」
黙って見ていられなくなった木幡が口を挟む。
「ヨセの手順の基本は?」
「先手先手、後手先手、先手後手、後手後手ですよね。わかってるんですけど……」
どうやら早く終わらせたいという欲が出てきて、大きい所からヨセてしまうようだ。
「そんなんでよく京子ちゃんのヨセを凌いだなぁ」
若松は去年の棋士採用試験後、京子の練習手合に「もう勘弁してくれ」と泣きつきたくなるほど付き合わされた。京子のヨセの強さを一番よく知る人物と言っても過言ではない。
「畠山……さんは弟子入りした時からヨセは強かったんですか?」
富岳が三嶋に聞いた。富岳も京子のヨセの強さは認めているようだ。
「そうだなぁ……。ヨセで間違えたのは見たことないかな」
「どうやってヨセの勉強したのか、聞いてませんか?」
「んー……そこまではなぁ。まぁ、人それぞれだしな。練習方法なんて。一番手っ取り早いのは詰碁じゃないか?基礎だし」
「詰碁……」
富岳はボソリと呟くと黙り込んでしまった。
「おい富岳、どうした?」
若松が不自然に黙り込んだ富岳を見かねて聞いた。
「なんていうか……。詰碁って、どういう流れでそういう形になった?っていうの、多くないですか?だから、その形に納得できないと、どうしても解く気になれないっていうか……」
実践的な形でなければダメらしい。どうやら学者気質ゆえの問題のようだ。
「うーん……。となるとタイトル戦の棋譜並べかなぁ……。途中まで並べてヨセに入ったら……、あ。この方法だと一人で勉強できないな」
「となるとネットかな。対局アプリで、相手が格下だったら途中まで手を緩めて、ヨセから本気出すとか」
「それが富岳に一番合ってるんじゃない?」
三人で案を出すが、富岳自身が納得しなければ先には進まない。
プロともなれば、少なからず『こだわり』がある。ただ、その『こだわり』に首を絞められる時もある。なので時には『こだわり』を捨てなければならない。
富岳は『こだわり』を捨てられる棋士になれるかどうか。それが出来るか出来ないかで成長度は変わる。
富岳は夏休みの間、入院で学校を休んだ分の補習を受けながら、囲碁棋士としての仕事をこなしていた。
イベントなどで京子と一緒になる事があるかと思っていたが、結局夏休み中は一度も顔を合わせることは無かったようだ。
病院で富岳に「京子と仲直りしてくれ」と言ってからもう三ヶ月経ってしまった訳だが、未だ会えずにいるそうだ。
富岳は理事長の横峯弘和に京子の処分を軽くするよう嘆願したらしいが、京子の夏休みの仕事のスケジュールと公式戦の対局通知が未だ届いてないのをみると、富岳の嘆願は小童の戯言と処理されたらしい。
「ちょっと休憩しようか。何飲む?」
「俺、麦茶」
「俺も」
「僕も麦茶で」
蝉が咽ぶように鳴くまだまだ暑い九月最初の日曜日。今日は三嶋のアパートで研究会を行っている。いつもは大宮にある福祉センターの会議室を借りているのだが、今日は近くの町内会の行事で借りられず、東京で一人暮らしをする三嶋のアパートに集まった。
三嶋は冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出して、まず皆のコップに注いでいき、最後に自分のコップに注いだ。
「そういえば今週だな。金緑石戦決勝第三局」
新人王戦にあたる金緑石戦。出場資格は『入段から五年以内』『五段以下』。
プロ入り二年目、つまり金緑石戦初出場で本戦決勝まで富岳は駒を進めた。
「はい……。それまでになんとかヨセをと思ってたんですけど、無理っぽいですね……」
金緑石戦 本戦 決勝 三番勝負
川上光太郎七段 対 立花富岳二段
現在一勝一敗。次の第三局で今年の金緑石王が決まる。
「どう?川上さんとの対局は」
川上は三嶋と木幡の一歳年上で、院生時代は若松を含めた三人と同期だったが、棋士としては三嶋・木幡が先輩だ。
実力はあるのに、あがり症でここ一番という所で弱い。「万年院生三位」と陰口を叩かれていたほどだ。小心者なところなど、三嶋には兄弟子の武士沢とキャラが被って見える時がある。
しかしここ半年~一年、何かきっかけを掴んだようで本来の力を発揮出来るようになり、今年四月に三大棋戦のひとつ金剛石戦本戦リーグ入りを決め、七段に飛び昇段し、トップ棋士入りを果たした。
「川上さんは基礎に忠実って印象です。一か八かの博打を打つような勝負手は打ってこない。読み切った手でないと打たない」
第一局は「さすが金剛石戦本戦リーグ入り棋士」と思わせるどっしりと構えた碁を打たれ、富岳は全く歯が立たなかったが、二局目は自分の持ち味である序盤から仕掛ける碁にできたようで、一勝一敗のイーブンにした。
「川上さん、今年で金緑石戦に出場できるのは最後だからな。気合い入ってるだろうな」
木幡が麦茶を飲みながら言った。
「あ。気合い入ってるで思い出した。川上さん、金緑石王になれたら彼女にプロポーズするらしいよ」
三嶋の突然の暴露話に、木幡と若松が麦茶を同時に吹き出した。
「……は?あの川上さんが⁉︎」
若松に「あの」と言われるほど川上は残念な男ではない。むしろ若松よりモテる。
「え⁉︎彼女いたの⁉︎」
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「最近、調子が良いのはソレか!」
「相手は誰?俺たちも知ってる人?っていうか、いつから?」
三嶋は「きったねーなー」と文句を言いながら、ふきんで木幡と若松が吹き出した麦茶を拭き、質問に答えた。
「付き合って一年ちょいだってさ。相手は高校の同級生らしい。なんでも成人式で久しぶりに会って話が盛り上がって付き合い始めたんだとか」
「調子の上がり始めた頃と、時期的に合うな」
「ちょっと待った。やけに詳しいけど、三嶋、そんなに川上さんと仲良かったっけ?」
「だよな。誰情報?それ」
「京子だよ」
「「え⁉︎京子ちゃん⁉︎なんで京子ちゃんが知ってるの⁉︎」」
事情聴取している二人の声が綺麗に揃った。
「こないだイベントで一緒になって、打ち上げの時、聞いたんだってさ」
「はー、イベント……の打ち上げ……。っていうか、そんな話をするほど仲良くなったの……?京子ちゃん、コミュ力高いな」
それまで黙って話を聞いていた富岳が微妙な表情をしている。
「どうした?富岳」
「あ。悪い。置いてけぼりにしちゃったな」
「木幡。若松。お前らはしゃぎ過ぎ」
「あ、いえ、大丈夫です。そうじゃなくて、普通イベントが一緒になっただけで、そんな話をするほど仲良くなるものなのかなと思っただけで……」
富岳もこの夏、いくつかイベントに出たが、女性棋士とは恋愛系の話は話題にも上らなかった。
ただ富岳のこの推測を聞いた三人は、ある憶測を生んだ。
「……そんな話を川上さんから聞き出したってことは、もしかして京子ちゃん、川上さん狙い……?」
「いや、京子は江田さんに一番よく懐いてるから、それはないと……」
「え⁉︎江田さんなの⁉︎おっさんじゃん!」
「京子ちゃんて実力主義みたいなとこ、あるよな」
「あー。だから最近三嶋にあたりがキツい……」
「うるさい。黙ってろ」
「棋士としては後輩の川上さんに先を越されて七段に……」
「言うな!」
三人の京子を廻る憶測は脱線して、いつの間にやら三嶋をディスる話にすり替わってしまったが、下世話な世間話はしばらく続いた。
富岳は今まで、研究会をやる意義は「お互いの技術を高める場」だと思っていた。
しかし情報交換の場でもあるようだ。囲碁棋士になったら一生日本棋院で暮らすようなものだ。終の住処の住人の情報はいくらあってもいい。
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