GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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定石編

川上光太郎と立花富岳(12歳9ヶ月)

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金緑石アレキサンドライト戦 本戦 決勝 三番勝負 第三局

川上光太郎七段 対 立花富岳二段


 新人王戦にあたる金緑石アレキサンドライト戦の出場資格は『入段から五年以内』『五段以下』。

 川上は現在七段で本来なら出場資格は無いが、予選が始まった時点では四段だったため。たった一年でいきなり四段から七段へ昇段した理由は、大三冠の一つ『金剛石ダイヤモンド戦本戦リーグ入りにより七段昇段』によるものだ。


 まだ新築の建物特有の匂いが残る日本棋院六階『青雲の間』で行われる。


 立花富岳とは今回の金緑石アレキサンドライト戦が初対局。『原石戦優勝により』プロ入りした注目株だ。

 夏にイベントで一緒だった畠山京子と、五月末に対局している。畠山はなかなか面白い子だった。そして豪快な碁を打つ子だった。

 イベント後の打ち上げで「鋭い手だったね」と伝えたのだが、お世辞と捉えられたようで、「岡本先生や兄弟子のご指導のおかげです」とサラリと定型文で受け流されてしまった。

 あれだけトークでイベントを盛り上げた子だから、小洒落た返答を期待していたのだが、優等生らしい答えで少しガッカリした。しかし会話を進めるうちに気づいたのは、どうやら彼女は僕の解説をお気に召さなかったようだった。それも元を辿れば、そもそも僕の碁には興味がないような印象を受けた。

 しかも気づいたら碁とは全く関係の無い話題に切り替わっていて、付き合ってる彼女の事を詳らかに話してしまっていた。畠山は『ただのお喋り』ではなく『聞き上手』でもあった。両面性のある、まだ中学生ながら侮れない子だと思った。


 そんな子と半目勝負の碁を打つような打ち手だから一筋縄ではいかないだろうとは思っていたが、案の定一敗を喫してしまった。

 どうしても自分はここ一番で弱い。自分が院生時代「万年院生三位」と陰で揶揄されていたのを知っている。

 『こども囲碁大会』の準決勝の時も、院生試験の時も、初の院生順位一位になりプロになれるかもと思った時も、プロ試験であと一勝という時も、プレッシャーに飲まれてしまった。

 そして今、出場できる最後の年の金緑石アレキサンドライト戦で初戦勝利し、「棋戦優勝者タイトルホルダーになれるかも」と思った矢先に一敗し、イーブンにされてしまい後が無い。

 どうしたらプレッシャーに打ち勝てるのか、どうやったら平常心でいつも通りの碁を打てるのか。たぶん、これは僕が棋士を続ける限り、ずっと付きまとう課題だ。


 そんなことを考えながら川上は六階に着いたエレベーターを降り、『青雲の間』に向かおうとした。

「おはようございます」

 静かだったので誰もいないと思っていたら、後ろから声をかけられ飛び上がった。なんとかギリギリ悲鳴はあげなかったものの、かなりのオーバーリアクションで反応してしまった。

 振り返るとそこにいたのは、今日の対戦相手だった。

「……い、いたんだ立花くん。おはよう」

 落ち着け、俺。声が震えてるぞ。

「すみません。驚かせるつもりはなかったんですけど」

 富岳は息を切らしていた。

「もしかして階段で来たの?」

「はい、体力づくりです」

 これから大一番を迎えるというのに、体力づくり?それ、今やらなきゃいけないことか?

 ……考えてみたら立花とはちゃんと話したことないな。いい機会だ。そういや畠山に投げられて病院送りになったって聞いたな。少し揺さぶりをかけてみるか。

「立花くん。足を骨折したって聞いたけど、もう大丈夫なの?」

 富岳はちらっと右足に目をやった。

(ふうん。右足なのか)

「はい。もう全然大丈夫です。皆さんにそれ、言われるんなですけど、箝口令はどうしたんでしょうね」

「あははっ。棋院の外に漏れなきゃOKなんじゃない?」

「なるほど。ところで川上さん。金緑石アレキサンドライト王になれたら彼女にプロポーズするとか聞きましたけど」

「えっ⁉︎なんで君が知ってるの?」

「僕の骨折理由を棋士の皆さん知ってるんですから、川上さんのプロポーズの話も知れ渡ってても不思議ではないんじゃないですか?」

 ちょっと待て。それはおかしい。

 優勝したら彼女にプロポーズすると決心したのは金緑石アレキサンドライト戦の第一局の前日だ。一戦目を快勝したので、仲の良い院生同期にだけ話したが、それからまだ一ヶ月経っていない。いくら狭い囲碁界だからといって、去年の新入段の立花にまで噂が広まるには期間が短すぎないか?

 俺、他に誰に話した?

 川上はぐるぐると記憶を巡らせたが、八月最後のイベントの打ち上げの時しか棋士には話していない。安田・黛・古賀・槇原・畠山・院生の田村の六人の誰かだ。

 可能性が高いのは富岳と同期入段の槇原か、もしくは同い年の畠山か?新入段免状授与式の時、槇原とは仲が良さそうな雰囲気ではなかった。となると畠山がクロか。

「畠山さんから聞いたんだ?彼女と仲が良いんだね」

「いいえ。六月始め病院にお見舞いに来てくれたきり、会ってないです」

 嘘か?本当か?どちらにしても今は真実を確かめようがない。

「本当ですよ。情報源は畠山の兄弟子です。一緒に研究会やってるんで」

 川上はギクリとした。

(立花に思考を読まれた⁉︎俺、そんなにわかりやすく顔に出てたか?それとも声に出ていた?)

「大丈夫ですよ。声には出てません。では碁盤を清めるんで、お先です」


 侮れないのは畠山だけではなかった。役者はここにもいた。俺が揺さぶりをかけるつもりだったのに、逆に揺さぶられた。餓鬼のくせになかなかの食わせ物だ。

 それにしても畠山京子。やっぱり侮れないな。しかも他人の個人情報をベラベラ喋るなんて、信用できない。

 川上は自分も『青雲の間』に向かおうとした。が、手が震えていることに気づいて足を止めた。

 クソッ。こんな些細なことで動揺するなんて。こんな気の小さい自分が大嫌いだ。

「ふう」

 川上は頭を振って深呼吸した。そしてエレベーターホールの脇にある自動販売機で烏龍茶を買い、半分ほど飲んで気持ちを落ち着けてから『青雲の間』に入った。



 ●○●○●○



 立花富岳はすでに碁盤を清め終え、目を閉じて椅子に腰掛けていたが、川上が入室した気配を感じとると目を開けた。

「おはようございます」

 先程挨拶したばかりだが、富岳はわざわざまた挨拶してきた。

「おはよう」

 仕方なく川上も挨拶した。

 記録係が一人だけいる。棋譜を取られる。何度か経験しているが、やはり自分の打った碁が世に出ると思うと緊張する。

 カメラを構えた記者がいる。見知った顔だ。若手限定戦の中で一番重要度の高い棋戦。写真つきの記事になる。

 そして碁盤の真上にはネットの生配信用のカメラが設置されている。

 三局目なのでこれで三回、この状況を経験しているが、まだ慣れない。

 いつもと違うことがあると、どうしても緊張する。早く慣れなければ。

 対局開始時間を知らせるブザーが鳴る。このブザーは最近やっと慣れたが、気を抜くと未だにビクッとする。


 三番勝負の第三局なので、ニギリを行う。

 黒を持ちたい。黒なら落ち着いて打てる。川上は神にも縋る思いで白石を握った。

 富岳が盤上に黒石をひとつだけ出した。

 川上が掴んだ白石を数える。

(頼む!偶数であってくれ!)

 川上が掴んだ白石は三十四個だった。

(ははっ。不安過ぎて多く握り過ぎたな。よし、黒だ。やれる!)

 川上は富岳に気づかれないよう、小さく深呼吸した。



 ●○●○●○



 立花は序盤から飛ばしてきた。大ナダレ外マガリ定石で、白カタツギせずにカケツいだ。

(なんだコレ?まさか研究していた手?アリといえばアリだけど……)

 富岳の顔色を伺おうと川上が顔を上げると目が合った。すると富岳はニヤリとほくそ笑んだ。

(コイツ、俺をおちょくってんのか?)

 さっきのエレベーターホールでの出来事といい、半年前まで小学生だった餓鬼のくせに大人をおちょくるなんて、いい度胸してるじゃないか。

 いいだろう。その挑発に乗ってやる。

「椅子での対局になって、よかったよね。昔は全室畳部屋だったから、足に怪我するとただでさえ立ち上がるのも大変なのに、長時間座りっぱなしだと体が鈍ってさらに大変だし。立花くんも骨折した時、右足を気にせず対局できて、気が楽だったろう?」

 嫌な思い出を甦らせて情緒不安定にさせてやる。

「え?僕、骨折したのは右足だなんて言いましたか?左足ですよ。骨折したのは」

「え?だって対局前にエレベーター……」

 ……言ってない!富岳は右足を見ただけだ。それを俺は先入観で右足だと……。

 さっきから何やってんだ俺は!こんな餓鬼にいいように遊ばれて!大人に喧嘩を売るぐらいだから勝算ありだと踏んでから喧嘩をふっかけてきたんだろ!

 俺のこういう所だ。相手を自分より格下だと見下して、痛い目にあう。子供の頃から何度も経験してるじゃないか‼︎


 川上は目を閉じた。


 俺のあがり症の原因が分かった気がする。

 俺が見下した、俺より格下だと思っている人間に負けたくないからだ。

 格下の人間に負けて「俺はこんな奴より下なのか」と認めたくないからだ。

 なんだよ「上」とか「下」とか‼︎

 相手は自分と同じ棋士プロじゃないか‼︎

 いくら年下だろうと、俺より後にプロになろうと、それだけでは実力は俺より下とは限らない!

 もういい加減認めろよ!俺は立花や畠山のように、プロになろうと思ったその年にプロになれたような天才ではないんだ!

 そうだ。俺は認めたくなかったんだ。

 自分は凡人だったんだと。

 ただの人がちょっと努力しただけで囲碁が強くなって、周りの大人に煽てられて調子に乗って、勘違いして日本棋院の扉を叩いた。

 勝てば「俺、天才だから」と天狗になり、負ければあがり症のせいにする。

 そんなろくでなしなんだよ、俺は。

 いい加減認めよう。自分はこういう人間なんだと。

 受け入れよう。弱い自分を。


 でも弱いままではいけない。何故なら結果を求められるプロだから。強くならなければならない。

 それにもう一つ強くなりたい理由。

 生まれて初めてこの人と共に生きていきたいと思えた、彼女のとの将来のために。


 川上は目を開けた。


 盤上の黒と白の石が、ぼんやりと目に映る。徐々にはっきりするに従って頭もはっきりしてきた。

 黒石を掴むと川上は富岳に喧嘩を売られた大ナダレ定石もどきに戦いを挑んだ。


 凡人でもこれだけやれるんだと見せつけてやる!



 ●○●○●○



「負けました」

 富岳はギュッと唇を噛み、鼻息のほうが大きいのではないかと思われるほどの小さな声で投了した。結局、富岳がヨセの勉強の成果を披露するチャンスは訪れなかった。

 富岳の得意の形に出来たのに、それを上回る川上の力に押し切られた。

 川上は天上を仰ぎ、大きく息をついた。

 何故だろう。込み上げてくるものがない。タイトルを獲ればもっと達成感や高揚感が湧くかと思っていたのに。何故こんなに落ち着いているんだろう。

 緊張感がMAXを超えてしまって、頭がおかしくなったんだろうか?棋戦保持者は皆こんな感情なのだろうか?

 川上は今度は下を向き、しばらく呆けていたが、目の前にいる対局相手が何かを喋りだして、やっと正気を取り戻した。

 ああ、そうだ。言わなきゃいけない事がある。
 
「ありがとう立花くん。勉強になったよ」

 立花はあからさまに「礼を言われる筋合いはない」というような顔をした。

「こちらこそ勉強させて頂きました。プロポーズ、上手くいくといいですね」

 すっかり忘れていた。そんなに集中していたのか。

 対局前の慌てようとは打って変わって、川上は今度は落ち着いていて、「うん」とだけ返事した。

「失礼します」

 富岳は検討もそこそこに席を立った。すると、川上が対局前の仕返しとばかりにこんな独り言を言った。

「もしかしたら畠山さん、来てるかもな」

 声にはならなかったが、富岳の口が「あ」の形に動いた。

(ん?)

 エレベーターホールで畠山の名前を出した時とは明らかに違うリアクションだ。

 畠山の名を出したのはただの意趣返しのつもりだったのだが、明らかに富岳は動揺している。

 どうやら手順前後したようだ。交換しておけば良かった。やっぱりまだ中学生になったばかりの、年相応の子供らしい所はあるんだな。


 富岳は小走り気味に部屋を出て、階段を駆け降りていった。

(会いたくないなら暫くこの部屋に留まるだろうし、会いに行ったのか?入院するほどの怪我をさせられた相手になんて、俺だったら会いたくないけどな)


 川上は『青雲の間』に残り、金緑石アレキサンドライト王として記者からの質問に答えた。
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