GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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次の一手編

「他人の夢に乗っかる」か「自分の夢を見つけるまで放浪する」か

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 保護者に三者面談に関する一斉メールを送ったと、放課後のホームルームで担任教師から聞かされた。

 (どうしよう……)

 石坂嘉正よしまさは囲碁将棋部部室に行かず、教室に残っていた。自分のスマホを両手で握り、虚ろな目で画面を眺める。


 廊下をバタバタと大きな足音を立てて歩いている者がいる。

 (あ。この足音、畠山さんだ)

 大きな足音は男子が歩いているかのようだが、規則正しいリズムを刻むのは畠山さんしかいない。

 教室の扉が勢い良くガラッと開いた。

「うおっ!人がいた!」

 京子は誰かがいるとは思わず、飛び上がって大袈裟に驚いた。 

「石坂くん?どうしたの?部活、行かないの?」

「うん。ちょっと……。畠山さんは部活は?」

「これから行くよ。生徒会に行ってたんだ」

「そっか。大変だね。生徒会副会長って」

 そう言ってまた俯く嘉正に、京子は何かを察知したようだ。

「もしかして部活に行くの、嫌なの?部長の荷が重すぎた?」

 嘉正も三年生になり、大方の予想通り囲碁部の部長になった。

 新入生の部活勧誘は来週だが、囲碁部の部員数が数なので、殆ど嘉正一人でやっているようなものだが、気の利く将棋部部長が何かにつけ手伝ってくれている。

「ううん!部長の仕事のほうは問題ないよ。将棋部の人も手伝ってくれるし」

「そっか。じゃあどうしたの?元気ないじゃん」

 そう言うと京子は嘉正の隣の席の椅子を引き、座った。

「話、私でよければ聞くだけでも聞くよ」

 京子が顔をグイと嘉正に近づける。

 あまりの近さに嘉正は思わず身を引いた。

 (時々、畠山さんて、距離感おかしい時があるよな。自分で気づいていないんだろうか?)

「もしかして石坂くん、いじめられてる?」

「それはないよ!」

「そう?」

「うん!」

 三年生になっても相変わらずぼっちだが。ただひとつ、嘉正は気づいたことがある。このクラスの生徒の殆どが、ぼっちだという事に。

 よそのクラスの女子はトイレに行くのも大勢でゾロゾロと仲間を連れだって行くが、このクラスの女子は特定の友人を作らずトイレに行くのもその時その時で連れを変える。

 畠山さんにも、特定の仲の良い友達は無く、女子全員と仲良くしている感じだ。しかしクラスの雰囲気は悪くないし、全員誰とも壁を作らず、適度な距離を保ち、仲良くしているという印象を嘉正は受けている。


「うーん。いじめじゃ無いとすると、今日あった出来事でいうと、三者面談かな?」

 (畠山さんは勘がいい。推理がピタリと当たる)

 京子の問いに、嘉正は返事をせずにいた。

「石坂くん、確か入学式後の自己紹介の時、「将来は医者になりたい」って言ってたよね?」

「覚えてたの!?」

 この学校にはクラス替えがない。中等部三年間クラスメイトは同じだ。学級委員長すら未だに存在を忘れるほど存在感が薄い僕の、まだ名前と顔の一致しない入学式当時の事を覚えてるなんて!畠山さん、もしかして僕のこと……。

「うん。ちゃんと全員の自己紹介、覚えてるよ!」

「ああ……。全員……」

 (そうですよねー……)

「学校で無いとなると、家で何かあった?」

 京子にこう言われて、嘉正は思い悩む。ここで誰かに話したところで解決する問題じゃない。それに問題というほどの大層な問題じゃない。それにこれを話すのは自分の弱いところを話す事になる。正直話したくない。変なところで自分はプライドが高い。他人に弱みを見せたくない。しかしそう思う反面、大層な問題じゃないなら話しても良いんじゃないかと思っている自分がいる。

 AとBの二択で、嘉正はBを選んだ。

「今年、僕のお兄ちゃ……兄が、東大の医学部に入学したんだ」

「へー!石坂くん、お兄さんいたんだ!知らなかった!そういえば、全然そういう話、した事ないよね。2年間同じクラスなのに」

 言われてみればそうだ。畠山さんとの会話は全部囲碁絡みだ。

「で、お兄さんと喧嘩でもした?」

 変なところで、畠山さんは察しが悪い。

「ううん。してないよ。なんていうか……、おにい……兄は小さい時からなんでも出来る優等生なんだ。勉強もスポーツも」

「へー。すごいお兄さんだねー」

「うん。それで僕は何かにつけ、兄と比べられて……」

 ここまで話して、やっと京子がハッとする。

「聞いたことある!コンプレックスってやつだね!」

 京子にこう言われて今度は嘉正がハッとする。

 (そうだよなぁ。畠山さんにコンプレックスなんて無いだろうなぁ)

 勉強もスポーツも出来て囲碁も強くて。おまけに誰もが振り返る美少女で。コンプレックスなんて微塵も無いんだろうな。

「ごめーん!私、一人っ子だからさ、そういうの分かんなくて。そっかぁ。でもお兄さんと同じ道を……、医者になりたいなら、ある程度比較されるのはしょうがないんじゃない?それが嫌なら……。うーん。そうだなぁ。……今、医術にもITを導入しようって動きがあるよね?AIで手術の手順を記憶させて無人で手術しちゃうとか、遠く離れた地から遠隔操作で手術しようとか。あれ、私、すごいなぁって思ってるんだ。秋田にいながらでも、東京に住む一流の外科医の手術を受けられるって、すごくない?」

 東京に住む嘉正には、京子のこの発言は予想だにしていなかった。住んでいる地で受けられる治療が異なるなんて、考えもしなかった。しかし、東京から直線距離で500キロも離れた地に住んでいる者には、高度な治療を受けられるかどうかは、まさに死活問題なのだろう。

 京子はさらに話を続けた。

「例えばだけどさ。医者になる、だけが医療で大事な訳ではなくない?患者からしたら術後のほうが大変なんでしょ?「命を救いたい」って志で医者になりたいって言うなら、医師を支える分野も大事だよね。医療器具をもっと良い物を作ったりだとか。新薬の開発だとか。色々あるよね」

 京子のこの提案は、嘉正は考えた事がない分野ではない。

 しかし、外科医の次男として生まれ、子供の頃から父の話を聞かされて育った嘉正には、「医者になる」ことこそが、あの家に生まれてきた者の運命なのだと思ってきた。

 (医者になりたくないなんて言ったら、父さんになんて言われるか)

 小学校低学年の夏休みの宿題に「父の仕事」をテーマに宿題を出された事があった。嘉正はこの時初めて手術室に入った。臭いに我慢出来ずに吐いた。以降、トラウマになっている。

 兄も小学校低学年の時、同じ宿題を出され、同じように手術室に入ったらしいが、兄は大丈夫だったそうだ。

 兄の出来が良いゆえに、兄と比べられ、その都度がっかりする父の顔を見てきた。父親の顔色を窺いながら生きてきた嘉正には、「医者にならない」という選択肢は、「親子の縁を切られる」ぐらいの覚悟が必要なのだ。


 嘉正は俯いて机をじっと見つめる。


 京子がここまで言っても、嘉正からなんの反応も返ってこない。とうとう痺れを切らしてしまった。


「じゃあさ。石坂くん。いっそのこと、医者よりも私と一緒にノーベル賞を目指さない?」

「はっ!?ノーベル賞!?」

 突然の荒唐無稽な誘いに、嘉正は唖然とする。

「うん!石坂くんにも話したよね?子供の頃からの夢なんだ!【どこでもドア】を作りたいの!そうすれば今、私が言ったような遠隔操作で手術を受ける話、遠隔操作じゃなくて、医師に直に患者のいる地に来てもらえるじゃない!患者が行くのでもいいけど。それに【どこでもドア】があれば、私も秋田から囲碁の対局に通えるし!すっごく移動が楽になる!」

 東京に住む嘉正には考えもしなかった。地方に住む人間が、東京に出てくるだけでも、どれ程の負担になるのかなんて。

 でも、今の京子の一言でわかった事がある。

 (畠山さんは、秋田がいいんだ……)

 囲碁棋士になるために東京に来たと言っていた。言い換えれば、囲碁棋士にならなければ、ずっと秋田に居たということか。

 (畠山さんは、東京に来て3年になるになるはずだ。それでもまだ秋田の方がいいんだ)

 東京の、秋田よりもいい所を見つけられなかったのか、見つからないのか、それとも元々見つけようとは思わなかったのか。3年暮らしていても、畠山さんにはまだ東京は『住めば都』にはなっていないらしい。


 京子がまた嘉正にグイと顔を寄せ、白い歯を見せた。

「どう?一緒に【どこでもドア】作らない?」

 ドクンと嘉正の心臓が音を立てる。

 (コレなんだよなぁ……。勘違いしそうになる)

「すぐに返事しなくてもいいよ。いつでも誰でもウェルカムだからさ!さぁて、部活に行くか!じゃあ石坂くん。また明日!」


 そう言うと京子は通学鞄代わりのバックパックを担ぎ、教室を走って出ていった。



 嘉正は暫く京子の出ていったドアを見つめていたが、大きく息を吐くと、鞄を手に取り、囲碁将棋部の部室へ向かった。
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