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4.悲しみの中で
しおりを挟むもう一生このままなのだろうか。ゼムリアにいた頃のあの嬉しそうな顔や、やや高いトーンの声で話したり、笑ったりすることはもうないのだろうか。勉強熱心で、いつも今何を習っているか興奮したような声で、私に語りかけたりしないのだろうか。惑星G7にいた頃の彼はとてもきつい目をしていた、初めは何度も大声でG7に帰して欲しいと騒いでいた。怒ったり、泣いたり喚いたりして……このまま彼は何一つの感情を現さないまま、ずっとベッドで人形のように横たわるだけなのだろうか。時折熱を出したり、癒えたはずの身体の傷を痛がり苦しむ表情を浮かべるが、それもまた心を閉ざしてしまう前の時とは全く違うようだ。私はどうすればいいのだろう。やはりあの時、退院させずに精神療法などの治療を施せば良かったのだろうか…。直接頭の中をいじってあの忌まわしい記憶を全て抹消すれば、元通りになっただろうか。だが、私にはそれがどうしても納得できなかった。それを行えば彼は彼でなくなると感じた。もし私ではなくキリアであったなら、彼の頭の中をいじっただろう。私は、人間ではない。アンドロイドだ、限りなく人間に近い機械だ。科学がここまで発達し、生命体のような機械を作り出すことに成功した人間は、なぜこれほどまで弱いのだろうか。そして人間の新たな進化とも呼べる私はなぜこれほどまで無力なのだろうか。…それに私は結局イヴァンに今までに感じたことのないほどの怒りという感情を抱いたが、何もできぬまま惑星リースに逃れた。彼を粉々にしてやりたいと、私の全ての力を使い壊してしまいたかったにも関わらずだ。頭の中にインプットされたプログラムは私の感情ではどうすることもできなかった。どうして私はこんなにも無力なのだろうか。…だけれど守らなければならない、私は決めたのだ。リンを一生、永遠に守ると。だが、私の中でなにか苦しく感じる部分がある。リン、以前のような君にはもう会えないのだろうか。
レノとリンがイオという町に住み始めてから三ヶ月近く経とうとしていた。惑星一、積雪の多い町イオはもう三月に入っているにも関わらず、相変わらず大地は雪に覆われていた。だが僅かだが気温も上昇してきおり、一月のような寒さは幾分和らいでいるようにも感じられた。惑星リースは恒星ラクロから五番目に位置する。元々は人の住めるような惑星ではなかったが、人類の技術革新によって、幾つもの天候制御衛星がリースの軌道にあり、そのおかげでこの惑星に人が住めるようになった。だが惑星全体、どの地域でも人が住めるわけではなく限界があった。ここ、イオはその限界ギリギリの地点にある町で、ここよりも北は人も生物も住めない大地であった。
「これでよしっ、ファレンズさんあとなんかすることある?」
「いや、もうないな。わざわざ来てもらってすまない、ありがとう」
「いいよ、俺好きでやってるんだから。料理するのは得意だし」
イオの町外れ、畑と栽培用のハウスと住居が点々とあるだけで、それ以外には草と木、そしてなだらかに敷かれた広い道のみしかない。その数少ない住居の一つ、レノの住む家のキッチンで、料理をしていたテスはちょっと恥ずかしそうな顔をすると、出来上がったスープを丁寧に器に盛った。
「でもこの家もほんと家らしくなりましたね。初めて来たときはなんにもなくてガランとしてたのに」
「マリーが全部やってくれたからな、彼女は元気か?」
「おばさんは元気だよ、昨日も電話きてじいさんとなんか喧嘩してたし」
「そうか」
レノが越してきて、年明けから三日間続くお祭りが終わった後、すぐにテスの叔母であるマリーはこの家を訪れていた。そして何もない家を見て愕然とした彼女はすぐさま行動にでたのだ。テスと同じ茶色の髪をひとつに纏め、袖をたくし上げた彼女はリビングに置くソファやテーブルや棚、カーテンやインテリア、果てには食器や調理道具など、生活に必要なものを全て揃えるようレノに強要し、次々と家に持ち込まれる家具などを配置していき、彼女が訪れた日から僅か一週間であっという間に、以前から住んでいたような落ち着いた雰囲気の家に作り変えられていた。
「俺、あのとき以来ここに来てなかったから、ほんとすごい変わりようですね。でも前よりもずっといい感じです、これならリンも良くなってるでしょう?」
マリーがこの家の大改造をおこなっている時、テスは年明けに出会ったリンのことがどうしても頭から離れず、病的な細さと人形のような状態を恐がっているわけではなかったが、なんとなく気が引けて今日まで、この家を訪れる事はなかった。けれども、昨夜、叔母であるマリーから電話がかかってきて、テスはマリーにレノの家に行くよう言われたのであった。忘れたわけではなかった。逆に毎日この家のことを思い出しては、リンの事を考えていた。多分、元々リンと友達であったならば足しげく通っただろう。テスははっきりとは意識してなかったが、この家に見えない壁を見ていたのかもしれなかった。
「いや、あまり変わっていないんだ。まだ話すことが出来ない、出来ないというか、心がどこかへ行ってしまったままだ」
「あ…、っでも絶対この家で毎日落ち着いた生活をしていたら、いつかきっと良くなりますよ!」
テスは慌ててレノを元気づけるような言葉を返した。レノはそれまで端末を手にゼムリア連邦に関するニュースを調べていたのをやめると、テスの料理を見るために完全な仕切りのない隣の部屋からキッチンにやってきた。
「私もそう信じている、何年かかってもいい。必ず元のリンに戻れるよう努力する」
「俺、全然リンのこと知らないけれど…大丈夫ですよ。だってこんなにもリンを大事にしているファレンズさんがいるんだから」
「君はやさしいな、料理を作りに来てくれて、それに私を元気づける言葉をかけてくれる」
レノは顔色一つ変えず、感謝の言葉を言った。
「そんなことないです、料理を作りにきたのはおばさんに言われて来たわけだし…。あ、でも前からファレンズさん達の事は気になってましたよっ」
レノに感謝の言葉を述べられて、テスは慌てて今日来た理由を打ち明けた。そして、今日までずっと訪れなかったことに対して罪悪感のようなものを感じた。
「理由はどうあれ、感謝するよ。それよりテス、…リンに会ってくれないか?」
「え、でも…いいんですか? 俺に会ってなんかあったら…」
「多分大丈夫だろう、もしかしたら寝ているかもしれないから静かに二階へ上がろう」
「は、はいっ」
初めて会ったときのリンの姿が鮮明に浮かんだ。この姿はテスに強烈な印象を与えていた。例えれば、まるで幽霊のような、でも恐いという印象ではなく、なにか頭に強くインプットされたような感覚に陥っていた。前回はテスから隠すようにレノがリンを急いで二階に連れて行った。その時、テスはリンを人に見られたくないのだなと思っていた。だから今日、叔母であるマリーに言われ料理を作りにきたテスはあえてレノにリンと合わせて欲しいとは言えなかった。だけれどレノから意外な言葉が出て、テスは緊張の色を隠せなかった。キッチンの隣の部屋にある直線の階段を、レノの後ろからゆっくりと上がっていった。二階に上がると、すぐにそこはリビングになっており、その部屋もマリーの趣味で作られた落ち着いた雰囲気の空間となっていた。
「二階にリビングって、なんか不思議ですね。普通は一階のキッチンの隣の部屋がリビングになりそうだけど」
「一階と二階、どちらにもベッドを起きたくてこうなったんだ。マリーにも初めそう言われたが、それだけは譲れなかった。私が一階に長くいるときはリンを見える範囲においておきたかったんだ。それにこに家にはほとんど来客はないからね、来ると言えばキニスが時々来るぐらいだ」
「そうなんですか」
リビングの右側の壁にある木製のドアを静かに開けると、レノはテスに入るように視線だけで促した。リビングの隣の部屋は書斎のようになっており、重厚な広いデスクが部屋の左隅に置かれ、その横にはデスクと同じ木材を使用した天井まで届くシェルフが置かれていた。そして、長方形の部屋の右奥、大きな窓辺にベッドが置かれている。レノは静かにリンのいるベッドに近寄ると顔を覗き込み、話しかけた。
「リン、起きていたんだね。この前一度だけ会ったと思うが、リンと同い年のテスを紹介するよ。テス、こちらに来てくれないか」
レノに呼ばれて、緊張しきっていたテスは慎重に足を運びベッドの傍へ近寄った。レノは仰向けに横になっていたリンの身体をゆっくりと起こした。
「リン、この子がテス・デュリィだ。越してきたばかりの時に一度会っているけど覚えてるか?」
「初めまして、テス・デュリィって言います」
「今日はテスが夕食を作ってくれたんだ。私が作る食事はどれも簡単なものばかりで味気なかっただろう? 今日は家庭的な料理だ、これならリンも食べられるだろう」
「口に合うかどうか、わかんないけど食べてくれたら嬉しいよ」
「これからは私も人間的な食事を作るよう心がける。リン、テスに挨拶できるか?」
レノに抱きかかえられるようにしてベッドの上で座っているリンは相変わらず虚ろな瞳をしたままテスのほうを見ようとはせず、目の前にある白い壁だけを見つめていた。レノはその様子をしばらく見守っていたが、少し困ったような表情を浮かべてテスに言った。
「リンは、テスのことを認識していないかもしれない。すまないテス、せっかく自己紹介してもらったのだが、リンがこんな状態で」
「俺は全然構わないですよ、それより…もう少しリンに近づいてもいいですか?」
「? 構わないが」
レノの了承をもらったテスは、ゴクリと喉を鳴らすとベッドの傍まで行き、リンを覗き込むような姿勢をとった。前回は暗がりでリンを見た、けれど今は明るい部屋の中で彼を見つめる。間近で見てもやはり、リンは人形のようだった。だがリンの顔を近くで見ると同い年とは思えないほどずっと幼く見えた。そして、その瞳は見れば見るほど悲しげな瞳をしていた。
「初めまして。俺、テスって言うんだ、よろしく! リンが元気になったら一緒に学校に通おう? 勉強はあんま好きじゃないけど、友達がたくさんいるし、毎日放課後になったら友達と遊びに行くんだ。元気になったらリンも一緒に遊ぼうよ! 俺、学校でリンが来るのを待ってるからっ、話せるようになったらたくさん話しよう! なっ? リン、約束だよ」
テスは大きな声でリンの目の前で満面の笑みを浮かべながら元気に言った。まるで昔からの友達のように。レノは多少驚いた顔つきでその様子を見守っていたが、すぐに笑顔を浮かべた。テスはありったけの陽気な姿をリンに見せて、何かきっかけが作れればと思いそんな行動を起こしていた。
「ありがとう、テス。リン、彼が学校でリンが来るのを待っているそうだ、楽しみだな」
二人は心がどこかへ飛んでしまったリンに、ありったけの笑顔を向けた、そしてリンの様子を伺っていた。何か変化が見られないかと。だがリンは何一つ反応を示さず、あいかわらず人形のように微動だにしない。
「リン、俺本当に待ってるから。まだリンの事全然知らないけれど、早く良くなって欲しいって心から思うんだ。それに、ファレンズさんはもっと強く願っているよ? ここに来てからずっと家にいて、毎日リンの看病している、全ての時間をリンにまわしているよ。それだけリンの事が大事なんだ」
「……」
「…じゃあ、俺そろそろ帰るけど、俺の作ったスープ食べてくれよな。絶対うまいから!」
「ありがとう、テス」
「それじゃファレンズさん、俺帰ります。またなっ、リン」
テスはベッドから離れるとリンに軽く手を振ると部屋を後にした。
「リン、私はテスを見送ってくるから。待っててくれ」
レノはやさしく話しかけて軽く頭を撫でると、そっとリンを寝かせるとテスを追って部屋を後にした。階下に下りたときには既に玄関のドアを開けて、テスが帰ろうとしているときであった。
「テス、リンに会ってくれてありがとう。またいつでもいいからここへ来てくれないか? お礼はきちんとしよう」
「お礼なんていいです! また時間見つけて、料理作りに来ます。…もっとリンと仲良くなりたいし」
テスは靴を履きながら、レノに真っ直ぐな瞳を向けながら言った。
「話したこともないリンと? 仲良く?」
レノは驚いていた。一度も会話を交わしたことのない人と仲良くなりたい、という感情はどこから沸いてくるのであろう。それはレノには理解できないものだった。相手を見た瞬間、その人の表情や服装など外見のみの情報で、その人物と仲良くなりたいと感じる心は、自我を持つアンドロイドのレノでも持ち合わせていなかった。
「えぇ、話したことないし、心がどこか遠くにいってしまってるようだけど、なんとなく…、なんかよくわかんないんですけど、仲良くなりたいなって思ったんです」
「私にはよく分からないな」
「そうですか? でもそういうことってないですか?」
テスは不思議そうにレノに訪ねた。訪ねられてレノは両腕を組み、眉を寄せる。けれど、幾ら考えてもやはりレノには理解できない類のものであった。
「分らないな。見ただけで仲良くなりたいと思うのか? 確かに視覚情報のみである程度のことは判断できると思うが、それだけでどうして仲良くなりたいという感情が芽生えるんだ?」
「んー、なんかその人のなんだろう? 雰囲気? オーラ? なんかよくわかんないけど、そういうような目には見えないものを感じるっていうか…あっ! 一目惚れとかじゃないですよ! そういうんじゃなくて、あーもうわかんないや! とにかく仲良くなりたいと思っただけです! それじゃ俺帰りますんで!」
「おい…」
テスは突然顔を赤くして、レノの前から逃げるように玄関から出て行ってしまった。レノは一人呆然と立ち尽くし、先ほどテスが言った言葉を反芻していた。そしてテスが言っていた事は第六感のことを指すのだろうと解釈したレノはテスの作ってくれたスープを持ってリンのいる二階へと再び上がっていった。
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