Falling tears2

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5.言葉

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 キッチンに備え付けられている食器洗浄機の中に、汚れた白の小さな器とカップを入れる。中に食器を入れると、食器洗浄機は自動的に中に入れられたものを判別し、静かな音を立てながら水と洗剤を入れて動き始めた。機械の中で洗われていく食器をしばらくの間、レノはただそれを見つめていたが、突然向きを変えるとそのまますぐそばにあった木製のダイニングチェアに座った。レノの口元は閉じられていたが、水色の瞳にはしきりに今の心境を物語るかのように、宙に向けられたまま焦点は合っていなかった。

 駄目だったか。

 そんな言葉がレノの頭の中に浮かんで、その感情は表情から現れている。こちらに来てから、レノはこれまでゼリー状の流動食ばかりリンに食べさせようとしては失敗していた。それ以外にも栄養剤の含まれた液状の食事などを与えてみたりもしているが、それらは全てリンの食べるという本能を復活させることはできずにいた。キニスに頼んで、町で購入してもらったスープや食事に栄養剤を加えて、リンの目の前に置き、食欲を出させようとしたりもした。けれど、それらは全て受け付けてもらえず、リンに必要な栄養はこれまで点滴で補われている。

 レノ自身、料理を作ってリンに与えてみようかともこれまで何度も考えた。けれども、それは実行に移すことができなかった。出来ることと言えば、既に出来上がっている流動食などに栄養剤を必要分だけ加えることだった。今のリンにはすぐに身体に吸収できる、栄養剤の含まれた食事が必要であると判断していたし、それよりもこちらが本心なのだが、レノ自身が食事を作る、ということを行動に移せなかったのはアンドロイドである自分が、果たして人間の食べるものを作れるのだろうか。というところにあった。作り方は無論知っている。ただ実際はこれまで一度も作った事はないし、作る機会もなかったが、料理を作るに辺り、必要な全てのことはトップレベルと言われるコックの知識や技能よりも多く知っていた。そして一流のコックと同じように身体を動かすこともできた。けれども、レノには作れなかった。人間とほぼ変わらないアンドロイド、自我を持ち人間と同じように思考し、喜びや怒りなどの感情もあわせ持つ。だけど、やはりレノは自身がアンドロイドであり、人間ではない。人間と同じように行動したり考えたりはするが、人間ではなく、人によって造られた機械である。その考えがレノに制限をかけていた。人間ではない機械に人間が食べたいと思う食事など作れないのではないか、そう思っていた。人間に代わり、巨大な食品製造工場内では機械が人の食べるものを製造し、それらは多くの人々の胃の中に収まっているではないか、とも考える。それならば自身の手で作ることになんの違いがあるのだろうという考えも当然ある。だけど、レノには出来なかった。それは初めて愛するという感情を知ったレノがリンを想うばかり、躊躇させているようでもあった。

 今日、突然食料の入った大きな紙袋を持ってやってきたテスは、思い悩んでいたレノにとって、表には出さなかったものの、非常に嬉しい出来事だった。自分ではなく、しかもリンと同年代の人物が作る食事ならば、同じ人間が作るものであれば、リンの中で食べたいという欲求が生まれて、ほんの一口でも、食べてくれるかもしれないとレノは期待したのだった。いつもの味気ない流動食や栄養剤を混ぜた既に出来上がった食品ではなく、手作りの野菜のスープ。テスがデュリィの家に生まれて、これまでその家庭で作られたものを食べて育った。家庭の味を知るテスが作ったものならば、食べてくれるかもしれない。レノは"家庭の味"という言葉や意味を知識では知っていた。リンは生まれながらの孤児であり、難民だった。そのリンがこれまでの短い人生の中で家庭の味というようなものに出会った事はなかったであろう、惑星ゼムリアのイヴァンの家にいた時もアンドロイドであるチェセがリンの食事全てを作っていた。だが、リンは人間だ。遺伝子が記憶しているかもしれない、そんなことも考えていた。けれども、リンは全く食べようとしなかった。何度も口にスプーンを持っていったが一向に開かれない口。何度も「おいしいよ」、「食べてごらん」、という言葉をリンに投げかけただろうか。ここへ来てから三ヶ月近く経つ。その間レノは毎日、なんとかリンに食事をさせようと努力していた。けれども、レノの強い願いは全くリンには届かない。
 
 どうすればいいんだ。どうすればリンは戻ってきてくれるんだ。

 レノはまるで人間のように両手を頭に当てて、回復の兆しが一向に見えないリンの事を思い、悲嘆していた。食器を洗う正確な機械音だけが部屋の中を支配し、日はとうに暮れた暗い部屋の中はまるでレノの心の中のようでもあった。部屋の隅から機械音が鳴り、食器洗いが終了したことを告げる合図が鳴ると、両手で頭を抱えていたレノは暗い表情のまま食器とカップを取り出すと、棚へと閉まった。そして再び、リンのいる二階へと足を運んだ。
 
「……」

 ベッドの中で目を僅かに開けたままのリンは、細い腕から栄養剤の入った点滴をされている。リンの両腕には点滴の跡がたくさんあった。点滴用の針がこれまで何度リンの腕に赤い跡をつけたであろう。その光景は痛々しく、レノはリンの腕を見ると一瞬だけ眉を潜めた。この先、これからもずっと、リンの腕には無数の針の跡が絶え間なくついていくのだろうか。そんなことは耐えられない。レノはベッドに腰掛けると、薄明かりの灯る部屋の中で感情のなくなったリンの頭をそっと撫ぜた。

「リン、お願いだ…戻ってきて欲しい。どうすれば戻ってきてくれる? もう私には分らないんだ。あらゆる治療法を調べた、手術以外の治療法だ。そして該当すると思われる治療法をこれまで試してきた。だが、リンは戻ってきてくれない。……お願いだ、どうすれば戻ってきてくれるんだ。教えて欲しい、リンは今何を思っているのか、何を必要としているのかを…」

 レノはリンの頭を撫でながら、どうにもならない自身の感情をストレートに声に出していた。食事以外にもレノはあらゆる知識を自身の電子脳から引っ張り出しては、感情を失ってしまった者に対する治療法や、まだ彼の知らない治療法を求めて、外部の情報を探し回ってもいた。レノの世話役であるキニスに頼んで、必要な薬を持ってきてもらってはそれをリンに処方したり、精神を安定させる為に音楽を聞かせたり、レノは有効だと思われる治療を行ってきた。だがリンに一切の兆候も現れなかった。惑星リースに降り立ち、病院で目覚めたリンの時間はそこから時が止まったいるかのように、何も変わらない。けれど、一つだけ回復の兆しを言えるのかどうかはレノにも分らなかったが、初めてテスがこの家に訪れた時にリンはふらつく足で自らテスの前に姿を見せた事はあった。ただ、それ以降もリンにはなんの変化も訪れていない。レノのすぐそばにいる人形のようになってしまったリンは僅かに開いた黒い瞳を動かすこともなく、ただベッドに横たわっていた。レノの記憶の中にあるリンの姿と、今目の前にいるリン。あまりにもかけ離れた現実を前に、レノの内側からだんだんと奥底に溜まっていた感情が沸き上がってくる。レノは何も反応することのないリンに向かってさらに話しかけた。

「…私が全ての原因だ。あの時、リンや他の子供達をG7から連れてこなければこんなことにはならなかった。全て私の責任だ…連れて来なければ、リンは今もG7で友人や知人と過ごしていられただろう。ゼムリアで起きたあの事件もなかった…。ここで人形のようになる事もなかった…。すまない、私が全て悪かった。本当に…すまない」

 心が押しつぶされそうになりながら、レノはかろうじて出てきた掠れた声で言うと、リンの頭を撫でていた手はいつしか腫れ物にでも触れるかのような手つきになり、そのままリンに触れることを止めてしまった。目の前にいるリンと目線が合わない。どんなに自分を気づいてもらおうと真正面から見つめても、名を呼んでもそこに彼はいなかった。見て欲しかった、再び自分の名を呼び、笑顔を向けて欲しい。レノはリンに対して感じる罪悪という感情とともに、愛するいう感情が渦巻く中、リンの唇に自身の唇をそっと触れさせた。そして点滴の終わっていた針を抜き取り、止血剤を腕に塗ると、逃げるように部屋を後にした。



 深夜、夕方から強まりはじめていた風は夜中になると強風となり、イオの町の家々の窓をしきりに叩いていた。アンドロイドと少年の住む小さな古い家は特に風のぶつかる音が響き、一階で調べ物をしていたレノは二階にいるリンのことが気になり、PCの電源をつけたまま数時間前、逃げるように降りてきた階段を再び登っていた。

「リン、大丈夫か?」

 感情を失ってしまったが、心のどこかで風の音を恐がっていないか心配したレノはベッドのすぐ傍までくると、静かに寝息を立てているリンを見て安堵した。そして起こさぬように軽くリンの額に手を当てて熱がないか確認した。
 
 静かに眠っているが、微熱があるな。

 触れただけで温度を測ることができるレノは、手の平から伝わるリンの体温を瞬時に計測すると、僅かに見えていた肩にシーツを被せた。リンの乱れた長い前髪を綺麗に梳いてやると、レノはベッドに静かに座った。相変わらず風は轟音を立てて、窓ガラスに容赦なくぶつかってきている。その時、不思議な気持ちがレノの中に舞い上がった。これまで自然の音に対して、いや、どのような音であろうともなんら感情を伴うことなどなかったレノは妙に窓ガラスを執拗に叩く風の音に対して、腹立たしい気持ちになっていた。その音はリンを取り戻すことが出来ないレノをあざ笑っているかのように聞こえたのだった。レノは無言のまますぐ近くにある窓を一瞥すると、これまで一度もしたことのなかった行動にでた。レノはベッドから立ち上がると、リンにかかっているシーツをそっと捲り、自身の身体をベッドの中に慎重に滑り込ませたのだった。途中、リンが目覚めないか注意深くベッドの中に入ったレノは身体を横に向けたまま左腕で自身の頭を支えながら、右腕をそっとリンの左肩に置いた。

「……リン、すまなかった。どんな状態だろうとリンはリンだ。私はずっと傍にいる」

 先ほど、逃げるように部屋を後にしてしまったことに対して、レノは謝っていた。その言葉はリンには伝わっていないであろうと思いながらも、それでもレノは謝らずにはいられなかった。

「それに以前言っていたな。リンが大人になったら一緒に暮らそうと…こういう形になってしまったが約束を果すことができた」

 強い風の音でかき消されてしまいそうな程とても小さな声でリンに囁くと、本来ならば眠る必要のないアンドロイドである身体をレノは強制的に眠りに落としていった。

 何かが身体に触れる。その感覚が、神経を通り脳に伝達された。意識がゆっくりと深く暗い深海の中から浮上していく。暗闇の中でまどろみながら目が覚めた。何かが身体に触れている。でも、それがなんなのか分からない。分らないけれど、なんだかとても暖かかった。その熱は前から知っているような感じがした。懐かしさを感じる、安心できるような暖かさ。ずっとその熱に触れていたいと感じた。―離れたくなかった、もっと強く感じたいと思った。

 心を多い尽くしていたどす黒く、分厚い何かがドロリと溶けるような感覚に襲われた。

「……レ…ノ」
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