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第1章
§1 戦火に咲く
しおりを挟む鉄同士が激しくぶつかる音と、それに混ざる呻き声や雄叫び。
血と鉄の匂いが喉の奥にへばりつくように濃い。
砂と粉塵が舞って視界が悪く、目の前を濃い霧が覆っているようだ。
「第一部隊! 殿の役目は果たせたッ! 砦まで戻るぞッ!!」
「おおぉぉぉぉ!!」
仲間たちの声が熱を失っていないことに少しだけ安堵する。しかし目の前のしつこい敵たちは休む間を与えてはくれない。
「逃がすかァッ!!」
「いいや、逃がしてもらうぞ、っと!」
敵が剣を振りかぶったのを見て、死角に回り込み脚を切る。疲労で鈍くなり始めた頭とは裏腹に、身体は反射的に動く。
同じように向かってきた敵の脚を次々に切る。その場で動けなくなるが、治療すればなんとか再起できるくらいの傷を与えていく。
「旦那! あんたが殿の殿やってどうすんだッ!!」
「ブラス! 無事でよかった~!」
「よかった~じゃなくて!! 早く戻ってくだせえ!!」
「は~いよっと」
俺が戦場を駆け回りすぎたために逸れていたブラスと再会できた。大きな傷は負っておらず、その豪快な声でぴんしゃん俺を叱ってくる。
話しているうちに、土煙の向こうからもう一人姿を表す。
「こちらから行きましょう」
「ティラ! お前も無事だったか~!」
「せっかく敵を引き離せたのです。静かにしてください」
「う……ごめんって……」
「はっはっはっ!」
「お前もうるさいですよブラス」
「やーい、怒られてやんの」
「くそぉ……」
ティラが敵を避けて砦へ戻れるルートを教えてくれるので案内に従ってひた走る。頼もしい背中を見つめ、少し肩の力が抜けるのを感じた。
途中、犠牲になった部下たちの屍を越える。この瞬間が何よりも苦痛だ。彼らの、生きていた頃の顔が脳裏に焼き付いている。しかし顔に出すようなことはしない。
こんな俺でも一応、この国の第三王子なのだから。
この痛みを押し殺し、士気を下げないのが「責務」だと、自分に言い聞かせた。
砦に戻ると、城からの伝令役が待ち構えていた。
「ライゼル様、お戻りになったばかりで恐縮ですが、今すぐ城へお戻りください」
「何があった」
「……ギルフォード様がお呼びです」
「分かった」
俺は部下たちに指示を出し、他部隊の隊長と騎士団長と短い打ち合わせをして砦を出た。
再びの襲撃に備えてティラとブラスは砦に残ってもらうつもりだったが、護衛として供をすると言って聞かないので仕方なく許可した。
早駆けで行くため、ついて来られなければ容赦なく置いていくつもりなのだが、それは二人も分かっているだろう。
雪解け後、冷たい土から顔を出し始めた草花を横目に愛馬のアリュールの足の早さに任せて駆け抜けた。
城に着いた時には二人は全身に汗をかいて脱水しているのではないか?と思うほど顔色が悪かった。馬も足が少し震えているようだ。護衛をしてくれた二人に感謝して休むように伝えた。
俺はアリュールの背を撫でて労った。体温の高い馬の毛皮の感触が、手のひらに心地よい。アリュールは他の馬とは段違いに体力があるので、まだまだ走りたそうにじゃれついてくる。
「すまないアリュール。また早駆けしような」
「ブルルゥゥ……」
「ああ、もちろん約束だとも」
それならよし、という顔をすると、さっさと水を飲みに行ってしまった。分かりやすい馬でもあるのだ、彼は。
鎧を脱ぐだけでろくに泥も落とさず、俺を呼んだ兄の待つ部屋へ早歩きで向かう。緊急なのだ、綺麗好きの兄も許してくれるだろう。
「ただいま戻りました」
「入ってくれ」
部屋の扉が開かれる。難しい顔をした二人が深く腰掛けている。
俺を呼んだ長兄のギルフォードだけでなく、次兄のアドリアンも待っていたようだ。
「お待たせしました」
「いや、大変な時に呼んだのは俺たちの方だ。すまないな」
「とりあえず座ったらどうだ?」
「あ、うーんと……、汚れてるから立ったままで!」
あはは、と笑って誤魔化したが、二人には「仕方ないな」という様子でため息をつかれてしまう。
「砦の方はどうだ」
「今日のところは退けました。ただ、明日以降はどうなるか……」
「……そうか」
「父上の容態は?」
「相変わらずだよ」
俺は返事の代わりに視線を落とした。此度この国に降りかかった災いは、なかなか過ぎ去ろうとしない。
二人の兄は、隠しているが疲労が溜まっているのが分かる。自分はなんと無力なのだろうと思う。
「お前も分かっているだろうが、少しでも事態が悪くなれば、この国は終焉へと向かう」
ギル兄が淡々と話す。そうだ、この国が滅ぼされる日は近い。その言葉で俺の身体はまるで冷たい水を浴びせられたように固まる。
北の大国、ノグタム王国はスフェーン王国に対して度々侵攻を仕掛けてきていた。
通常時であれば守りが得意なスフェーン王国は遅れをとらないのだが、つい先日国王……俺たちの父が病に倒れてしまった。
災厄はそれだけにとどまらず、大雨による川の氾濫と土砂崩れが起きてしまった。
騎士団は砦の守りと災害とで分散して対応することになった上、人望厚い国王が倒れたことで国中に不安が広がった。
ノグタム王国はこれ幸いと侵攻の足を早めてきた。
近隣の友好国にも援軍を要請したが各国共戦時中のため、大した援軍は期待できなかった。助けは来ない。そう確信していた。
俺は微力ながらも前線で戦ってきたわけだが、城に呼び戻された。剣を置け、ということか? もしや……と余計な思考が挟まる。
「先日、ゼフィロス王国に出した援軍要請の返答があった」
ギル兄の言葉に、ハッと顔を上げる。一瞬、呼吸が止まった。
兄たちが最後の希望として援軍要請をしたのが、スフェーン王国の南側に位置するゼフィロス王国だった。
ゼフィロス王国は別名“沈黙の国”と呼ばれている。ここ十数年に渡り他国との国交を最低限しか行っていないからだ。
完全に国を閉ざしている訳ではなく、戦っていない国とは人と物の行き来がある。ゼフィロス王国からスフェーン王国へ移り住む者もおり、スフェーン王国はそういった者を拒まない。
逆にスフェーン王国からゼフィロス王国へ入るのは至難の業と言われている。元々ゼフィロス王国に住んでいた者たちは別だが。
兄たちには悪いが、俺はほとんど期待していなかった。どう考えても、ゼフィロス王国にとって得をすることがないからだ。砂漠で水を求めるような、無意味な行為だと思っていた。
最後の希望である援軍要請を断られて、これから最後の足掻きとして何をしていくかという話をするのだろうと思った。
「要請に応じるそうだ」
「……え゛」
「ライ、あまり間抜けな声を出すんじゃないよ」
三人だけの部屋に、何かを喉に詰まらせたような俺の声が響いた。
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