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第4章
§34‐2 再会
しおりを挟む「少し別室に移りましょうか。タイク、案内を」
「かしこまりました、どうぞお二人ともご案内いたします」
俺は別室へ移動する前に、アド兄から受け取った葡萄ジュースをぐっと煽る。冷えたグラスの感触が心地良い。甘酸っぱい果実の雫が喉を通り、ゴルダの残した悪寒を洗い流していくようだ。
パーティー広間から少し離れた応接室に移動した。ジェイドが兵を二名呼び、扉の前に待機させた。
分厚い扉が閉じられると、あれほど耳についていた喧騒が嘘のように遠ざかる。タイクとジェイド以外が席に座ったところで、早速ギル兄が口を開く。
「剣舞の時、何やら予定外のことが起きたのでは?」
真っ直ぐにグレンを射抜く視線は、もはや俺の長兄ではなくスフェーン王国次期国王のそれだった。
「……さすがですな。おっしゃる通りです」
グレンは一瞬目を細めたが、隠すことなく事実を認めた。事の経緯をギル兄とアド兄に説明する。
話を聞いた二人は驚いた様子で、ぐりんっと俺の方へ首を向けてくる。まさに音がしそうなほどの勢いで、二対の瞳が俺を捉えた。
「ライ、怪我は?」
「無いよ、大丈夫」
「よかった……」
ギル兄はこめかみに伝った汗を拭い、アド兄は深く息を吐いた。心配してくれるのはありがたいが、あまり呑気なことは言っていられない状況だ。
「先ほど話していた鹿獣人、彼が旧王族派の筆頭。ゴルダ・ムージェという男です。昼間の攻撃はおそらく彼の手の者による犯行と見ています」
「証拠もあるのですか」
「いえ。ですが、ライゼルが止めてくれた暗器を分析させています。私の結界を抜けてきたので、正直危ないところでした」
「結婚式でそういう類のお手柄になるとはねぇ」
「笑えないよアド兄」
俺が睨むとアド兄が両手をあげて降参の様相。全く、弟を揶揄う癖は変わっていない。その変わらない様子に、また少し救われている自分もいるのだが。
「現状ゼフィロスで注意すべきは旧王族派の動きではあるのですが、隣国の様子も気がかりではあります」
「ユーディア王国、ですね」
「えぇ。旧王族派も私を狙うだけなら泳がせておいても構わないのですが、ここ最近、ユーディア王国と内通しているものがいるのではないかという情報が入りました」
グレンが厳しい表情でギル兄とアド兄に伝える。
この情報を得て来たのはティラだった。旧王族派に探りを入れていたら、偶然拾った情報。
ユーディア王国。
スフェーン王国とゼフィロス王国の東側に隣する国。両国にとって、無視できない位置にある。
国土はスフェーンとゼフィロスを合わせた広さの三分の二ほどの大国だ。
国境が接する面でいうとゼフィロス王国の方が多く接している。
ユーディア王国は昔から人族と獣人族が争いを繰り返してきた国だ。
100年ほど前に大きな内戦が起こり北と南に分断され、現在は行き来できない状態だという。
北側の人族至上主義が“ヴァンディニ”、南側の獣人至上主義が“ヘリオド”と自称している。もちろんそれぞれを“国”として認める周辺国などない。
そんな不安定な状況の中、ゼフィロス王国の一派がどちらかの派閥に肩入れすれば、争いに巻き込まれる可能性が高い。
ゼフィロス王国としてはそれは是が非でも避けたい事態だ。そしてこの問題はユーディア王国に接するスフェーン王国にも大いに関係がある。
「ユーディア王国にはスフェーンからも密偵を忍ばせています。未だ噂の域を出ない情報ですが、どうやら彼らは魔獣を改造した兵隊を作ろうとしていると」
「なっ……魔獣を改造ですと!?」
魔獣。自然の中やダンジョンに生息する獣。自然の摂理の中に存在する、荒ぶる力。
ただの動物とは違い、身体能力が高く魔法を使う個体もいる危険な生物だ。
もっぱら冒険者たちが狩る対象ではあるが、数年に一度災害級の魔獣が現れることもある。その時は冒険者のみならず、国をあげて騎士団も防衛に参加するのが基本だ。
その魔獣を、改造……?
一体ユーディア王国で何が起ころうとしているのだろうか。
「推測の域を出ませんが、恐らくヴァンディ二、ヘリオド双方が改造魔獣を兵器として操り、大規模な戦争を起こそうとしているのではと見ています」
ギル兄もアド兄も憶測でものを言うのを嫌う。そんな二人がここまでの予測を出すのであれば、それに足る情報が集まり始めていると言うことだ。
「ユーディア王国の戦火がスフェーンとゼフィロスに降り掛かる可能性が大いにあります。恐らく残された猶予はあまりありません。此度は我が国の国王の名代として、ゼフィロス王と同盟の要談に参りました」
元々姿勢のいいギル兄が改めて背筋を伸ばし、グレンに相対する。これは二国間の未来を左右する重い提案だ。
グレンは少しだけ目を見開き、すぐに口元を引き上げる。やる気を出す時の悪役顔が出ている。
「ぜひ、前向きに検討させていただきたい。今夜はもう遅いですので、明日の午後一番に改めて会合のお時間をいただけますでしょうか」
「もちろん構いません。急なお話でしたのでゼフィロス王国側の準備もおありでしょう」
「それはうちの優秀な宰相が準備いたしますゆえ、明日の午後までには必ず」
「……お任せください」
ジェイドの奥歯がぎりりと鳴った気がしなくもないが、恭しく一礼をしてさっさと部屋を出て行こうとする。
「タイク。ジェイドを手伝ってあげて」
「しかし……」
「護衛なら大丈夫だから」
「かしこまりました」
流石にジェイド一人では大変だろう。長年の経験で軍事と政治にも精通したタイクなら力になれるはずだ。
二人が出て行った部屋はしばし静寂が流れる。
破ったのはワインを飲み、何かを思い出したらしいアド兄だった。
「そういえば大事な話を忘れているじゃないか、ライゼル、今日の剣舞素晴らしかったよ」
「あぁそうだ、その話もしなければと思っていたんだ」
先ほどまでの重苦しい空気はどこへやら。
二人はグラスをローテーブルに置いて身を乗り出す。
「グレン王のダンスを見るのも楽しみだったのですが、剣舞にして大正解でしたね」
「いやはや、お恥ずかしながら私はダンスはからっきしでして……ライゼルが剣舞を提案してくれていなければ、大恥を晒すところでした」
「またまたご謙遜を。しかし見事な魔法との融合だった。筋書きは全てライが?」
「そうだよ。二人に見られるのが一番緊張した」
ギル兄とアド兄に筋書きや魔法の使い方などを一から十まで聞かれる。全て話さなければ解放されそうになかったので、結局全て話した。
特に国全体で剣舞を広めようとしているアド兄は興味津々で、早速スフェーンでも試してみようと言う。
「その内、ゼフィロスとスフェーンを行き来する旅芸人の一団を作るのも面白いと思わないかい?」
「確かに……なかなか面白そう」
「そうだろう、そうだろう」
「グレン様は剣舞をやってみていかがでしたか?」
「とても面白かったですよ。魔法の操作と剣舞を両方同時に行うのはなかなか神経を使いましたが」
剣舞にまつわる将来の展望を話し合って盛り上がる。国境を越え、文化が混じり合う。素敵な未来だ。
ふと、俺はまだ兄二人に言っていないことがあると思い出した。
「あ、そういえば手紙では伝えられないことがあったんだよ」
「なんだ?」
ギル兄とアド兄が少し首を傾げる。
「神の眷属ふたりと契約したんだ」
「は……?」
「ライ、頼むから端折らずに説明してよ」
目を丸くしたギル兄。アド兄はずれ落ちた眼鏡を慌てて直す。
俺はアリュールとカウカとの契約、グレンとサノメの契約について話す。
二人は俺が精霊と契約できなかった理由が、すでにアリュールと仮契約を交わしていたからだということで得心がいった様子だ。
「それは俺たちの精霊が教えてくれないわけだ」
「精霊よりも神の眷属の方が上位になるらしいからね。そしてグレン様もだとは……」
「お伝えするのが遅れて申し訳ありません」
「いえ、国の最高機密でしょう。むしろ教えていただけたことにこちらが感謝したい」
律儀に頭を下げたグレンへギル兄が慌てて言う。俺はさらに続けた。
「……でさ、精霊との契約のことで今まで気を使わせてただろ? ごめん」
小さな声で謝った俺に、ギル兄がくすっと笑う。
「何を謝ることがある。お前はずっと頑張ってきただろう」
「そうだよ。いい加減、もう少し自信を持ちなさい」
「……うん、ありがとう二人とも」
アド兄がわざわざ席を立って俺の頭をぐりぐりと撫でる。ちょっと痛いな。けれどその感触すら少し懐かしく、胸が温かくなる。
そうして俺たちはもう一度グラスを掲げ合った。しばしの間、俺は兄弟の気安い会話を楽しむことができた。
グレンも以前より兄たちと打ち解けて話せているようで、俺はまたひとつ安心していたのだった。
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