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第6章
§46‐2 疑惑のスフェーン王国
しおりを挟む城に戻ると、ジェイドに迎えられた。ミレイとソルファは収穫祭の会場に留まり、怪我人の治療の手配や損害を確認してくれている。
「お二人とも、ご無事で何よりです」
「確保した個体は騎士団本部に任せてある。痕跡を見つけた道を通った者を調べてくれ」
「……そのことですが、実は目撃情報があると」
「なに?」
「情報を持ってきたのは、東方領の伯爵です。会議室で待たせています」
東方領、と聞いて胸のざわめきが強くなる。
東方領の伯爵というと、先日の領主会議で見かけた気弱そうな羊獣人の彼か。
ふう、と二人には聞こえないように重たいため息をついた。
グレンとジェイドに続き、会議室へ向かうと伯爵がのんびりと茶を啜っていた。ジェイドとともにグレンがいるのに遅れて気付いたのか、慌てて立ち上がる。
「これはこれは、国王様……お早いお戻りでございましたね」
「プラディート伯爵、何か情報がおありだとか」
羊獣人の伯爵はもごもごと聞き取りづらい声で話す。服からはみ出てしまっている腹の巻き毛をくるくるといじる。
少々だらしない印象を受けるが顔には出さない。
しかし、伯爵はグレンの後ろにいた俺を見止めると、「おや」と声を上げる。
「ライゼル様もご一緒でしたが……いやはや、お聞かせするには少々心苦しい内容なのですが」
そう言う彼の眉が八の字に垂れる。しかし目の奥には俺をせせら笑うような雰囲気を感じる。
「どういうことだ。説明せよ」
「そうおっしゃられるのでしたら……実は本日の襲撃ですが、あのおぞましい魔獣は、スフェーン王国から持ち込まれたという情報が入りましてねぇ」
「な……ッ!」
此奴は一体、何を言っているんだ。
一瞬頭の中が真っ白になる。そして瞬時にどす黒い赤色の感情が体中を駆け巡る。
「いやぁ、私も大変驚きました。まさか王の伴侶となられたライゼル様の“祖国”であるスフェーン王国がそのようなことを企むとは」
「情報源はどこだ」
「私はゴルダ様の名代として参りました。ゴルダ様曰く、情報源の安全のために素性は明かせないと」
そんな言ったもん勝ちのような理屈が罷り通ってなるものか。俺は理性の糸が千切れそうになるのを堪える。
伯爵は尚も憂うかのようなふりをして話し続ける。
「魔獣は荷馬車か何かに紛れて持ち込まれたようで、北方領を通ってきたと聞いております。スフェーン王国はユーディア王国のヴァンディニと手を組み、獣人国家の我が国を破滅へ追い込もうとしているのですッ!」
伯爵の話によれば、東方領に近い北方領の街道で目撃情報があったのだという。その荷馬車にはスフェーンの商人の紋章が入っていたと。
先ほど痕跡が見つかった場所は西方領の外れ。ちょうど東方領と北方領のどちらにも進みやすい場所だ。
こちら側から出せる確固たる証拠はない。先手を打たれたのだ。
鼻息荒く宣う伯爵。忌々しい。ゴルダの陰に隠れて操られて可哀そうな人間を演じながら、自分もしっかりとその役を楽しんでいる。目の奥が人を嘲る快感に濡れている。
悔しさが腹の底でぐつぐつと煮えたぎり、気持ちが悪くなってきた。
このままでは、回復したゼフィロスとスフェーンの国交が再び閉ざされる可能性も出てくる。
何より、祖国を……家族を侮辱されたことが許せない。しかしそれを嘆き、伯爵を罵ったとて状況は変わらない。八方塞がりで目の前が暗くなってくる。
「――――情報提供、感謝する。これからスフェーン王国へ偵察部隊と救援部隊を送る」
「……は?」
グレンが厳然とした態度で明言する。俺はバッと顔を上げ、伯爵はあっけにとられた表情で空気の抜けた声を出す。驚いたのは俺も同じだ。
「こ、国王様っ、それは些か疑問を持たざるを得ないご判断かと……」
「何故だ。我が国とスフェーン王国は軍事同盟を結んでいるのだぞ。スフェーン王国から魔獣を持ち込まれた可能性があるならば、内側で何か危険があったのやも知れぬ。同盟に基づいて救援を送るのは当然のこと。それに、北方領を通ってきた可能性があるのならばそちらへも確認のために部隊を送らねばならん。そうだな、ジェイド」
「えぇ、王のおっしゃる通りです。それともなんでしょうか、まさかムージェ侯爵からの情報が間違っていたと訂正されますか?」
「あ、え、……いえ、しかし、その……」
グレンとジェイドの出したカードに対して、伯爵が出せるカードは無かった。
そのままジェイドによって呼ばれた係に案内され、伯爵がすごすごと会議室を出ていく。
俺はその背中を見送り、手近にあった椅子に腰を下ろす。身体が重いし頭が痛い。
「……フー……二人とも、ありがとう」
「大丈夫か、ライ」
「ライゼル様、顔色が悪いです。部屋でお休みになってください」
上半身を前に屈め、肘を膝についてなんとか倒れないようにしている。グレンが駆け寄って背中をさすってくれる。俺の顔を覗き込んだジェイドが心配するのを制する。
「大丈夫だ……しっかりと報告をもらうまでは気が休まらないから。執務室で待つよ。すまないがグレン、ジェイド……」
「後のことは任せておけ。頼むから少し休んでくれ」
「あぁ……」
切実な声色のグレンの瞳を見返して、心配をかけてしまったなと思う。
「俺は、ゼフィロスに来たことは一切後悔していない」
「……あぁ、分かっている」
額へ寄せられるキスに目を瞑る。
グレンが係を呼び、俺は係の肩を借りて執務室まで歩いた。
この後、グレンとジェイドが人を殺しそうな勢いで事態を処理していたと、後日伝え聞くことになる。
――――静かな執務室のカウチで目を覚ます。
重怠い身体。ゆっくりと上体を起こすと、窓から月の光が差し込んでいる。
夕方、胃に優しそうな食事を料理長が用意してくれたのでなんとか流し込んで、薬を飲んで寝たのだ。
気持ち悪さはなくなったが、腹の底で煮えた怒りは冷えていなかった。自然と身体にかけられたブランケットを握りしめる。
回廊から足音が聞こえてくる。音だけでその主が分かる。
執務室の扉がノック無しで静かに開く。
「起きていたか」
「あぁ、ついさっき」
グレンはカウチの傍で膝をついて俺の背中を支えてくれる。
「スフェーンと北方領へ早馬を行かせた。先ほど、特に問題ないと伝令の鳥が帰ってきて確認した」
「……けど、それだけじゃ」
スフェーン王国の疑惑が晴れたわけではない。まだあちら側には口実が残る。
遮った俺の頭をグレンが撫で、首を振る。
「それも大丈夫だ。今日の午前中、空樽ばかりを積んだ荷馬車を複数見かけた農夫がいた。その荷馬車は東方領へ向けて走って行ったと」
「……じゃあ」
「あぁ。このまま続けても泥仕合だ。ゴルダも引くだろう」
「……はぁ」
肩の力が抜けた。敵の発言力を侮っていた。腐っても旧王族。侯爵の地位を守り続けられるのにはわけがあるのだろう。
「その農夫は、今日お前に助けられたと言っていたぞ」
「……ロバ獣人のか?」
「あぁ。ミレイとソルファが情報提供を求めたらすぐに名乗り出てくれたそうだ」
「そっか……今度、お礼しに行かないとな」
また助けられた。本当に運がよかった。
「もっと俺が上手く立ち回っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない」――――グレンと出会ってから鳴りを潜めていた感情が声を上げ始める。よぉ、久しぶりだなと俺を嘲笑っているようだ。
少し良くなっていた吐き気が再び襲ってくる。俺は用意してあった袋を引っ掴み、胃をひっくり返す。えずく俺の背をグレンの手が黙って摩ってくれる。
吐き気の波が去ると、グレンが袋を奪って部屋の外に待機している係へ処理を頼んでくれる。そのまま水差しからグラスに水を注ぎ、俺の手に持たせる。
「飲めるか」
「うん……」
程よく冷えた水を飲むと、空になった胃がすっきりしたように感じる。
祖国のために動いてもらったのに加えて、俺の世話までさせてしまった。本当に申し訳ない。
「ごめん……グレン」
「謝らないでくれ。さあ、部屋に戻るから掴まれ」
俺の背中と膝裏に太い腕を回す。俺は言われた通りグレンの首に腕を回し、大人しく横抱きにされる。
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