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第6章
§51‐2 我が身可愛さ有り余る
しおりを挟む本能を剥き出しに牙を出すグレン。その唇が歪み、鋭い犬歯が覗く。アイアンブルーの鬣が怒りに逆立っている。烈火のごとく怒る彼の気配で俺も鳥肌が立つ。
だが、今は激情に飲まれるわけにはいかない。俺はティラに指示を出す。
「ティラ! すまないがブラスにもこのことを伝えてフーベルへ伝達を。冒険者ギルドへも連絡するよう言付けてくれ。そうしたら先に東方領へ向かって情報収集を頼む。無理はするな。俺たちもすぐに追いかける!」
「御意。お二人ともどうかお気をつけて」
真剣な顔で頷いたティラは再び俺の影に溶けるように入る。すぐにブラスへ伝えに行ってくれるだろう。
グレンは迅速に防具を身に着けて帯剣する。
「ライ」
「行こうか」
部屋を出ようとした俺の腕が優しく掴まれる。
振り返ると、炎を宿した空色の瞳が一瞬だけ、本来の穏やかさを取り戻す。その深い色に吸い込まれそうだ。
「ライゼル、愛している。心の底から。今世で出会えたことは人生で最高の幸せだ」
優しさをたたえた手は俺の頬を撫で、するりと首の後ろへ添えられる。引き寄せられ、互いの額が触れ合う。使命を背負い、覚悟を決めている者同士だ。それ以上の言葉は必要なかった。
「俺も、愛しているよ。たった一人の俺の王。そして永久の伉儷。……すべて終わったら、しっかり甘やかしてくれ」
「あぁ……約束しよう」
落とされた口づけに永遠の誓いを。深く交ざる舌同士をひととき味わう。彼の熱が俺に移り、ひとつになる感覚。この後は鉄の味が広がるのだろうから。せめて今だけは、と目を閉じた。
――――緊迫した空気が漂う会議場にて、ゴルダとプラディート伯爵と対峙する。
予想通り登城してきた彼らへは城の兵や係からの怜悧な視線が矢のように向けられていた。
会議場には家臣たちが集結して二人を取り囲むように座り、静かな圧力をかけながら登城してきた理由を吐き出すのを今か今かと待っている。
「これはこれは、手厚い出迎えですなぁ……」
「めったに王都へ足を延ばさない侯爵が“無断で”来たとあらば、歓迎するのは当然のことだろう」
内なる憤怒を取り繕い、努めて冷静に返すグレン。その声は氷のように冷え切っている。
ゴルダの表情は青ざめており、小刻みに頬が痙攣している。プラディート伯爵にいたっては血の気を失い視線を机に落としたままである。
「さて、用向きを聞こうか」
「……ッ、有事に備えた各領の合同訓練だが、我が東方領の優秀な兵がいつまでも帰ってこぬのは困るゆえ、いつ頃返していただけるのか確認しに参ったのだッ」
「ほう」
グレンの視線が鋭くなる。背後には俺とミレイ、タイクとジェイドが控えている。
ゴルダの言葉を受けたジェイドがすかさず刺しにかかる。
「東方領に派遣されている騎士は、騎士団本部の所属であり侯爵の私兵ではありません。それに、今回東方領から訓練に出たのは他領より大幅に少ない人員ですが」
ジェイドの地を這うような低い声にゴルダとプラディートが言葉を失う。そしてそれに続いて、グレンが容赦なく追い打ちをかける。
「自身が管轄する領を王城に無断で離れただけでなく、王都で其方等の縁者が宿を探して騒ぎ回っているらしいが。これはどういう了見であろうか」
「そ、それはッ」
「――――会議中ですが急報にて失礼いたしますッ! ただいま東方領の騎士より報告あり! ユーディア王国から避難民、暴徒、そしてドルゥーガが侵入してきたとのことですッ!!」
兵からの急報が会議室に駆け巡る。朝の胸騒ぎが、最悪の形で現実となった。
一斉にざわつく家臣たち。しかしグレンが悠然と立ち上がったことで直ぐに静けさを取り戻す。
「俺とライゼル、さらに騎士団、冒険者から選抜された者たちが出る。他の者たちはジェイドの指示に従うように。――――さて、侯爵よ。祈るのはもちろん自身の首ではなく、国と民の安全であろうな? 覚悟して待っていろ」
「くっ……!」
今にも吐きそうな顔色でゴルダが俯く。その姿は哀れなほどに小さく見えた。自分の命を優先するために慌てて動いた結果がこれだ。命が助かったとしても彼が座る侯爵の椅子は粉砕されることになるだろう。
グレンと俺は、ジェイドとミレイ、タイクと拳を突き合わせた。
「二人とも、無事で帰ってこなければ許さないぞ」
「ははっ、ドルゥーガなんかよりよっぽど怖いな!」
「ご武運を」
「どうか無事に帰ってきてくださいね」
「任せておけ。三人とも、指揮を頼む」
民と国を守り、絶対に帰ってくる。俺は心の中で強く誓い、彼らに頷いた。
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