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第二章
残る味
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蒸気の向こうに、まだ冬の朝焼けがちらりとのぞく。
こよりは餡を練る手を止めて、額の汗をぬぐった。
朝四時から立ちっぱなし。
水分の見極めが難しいという“つぶし餡”に、ようやく手をつけさせてもらえるようになったのは、ここ数日のことだった。
「焦げ臭い。火、落として」
八重の声に、こよりは慌てて火加減を絞る。
銅鍋の底がじわりと焦げつきかけていた。
(ああ、またやっちゃった……)
甘い香りが、ほんのわずかに苦みに変わった気がして、こよりは唇を噛んだ。
その日、試作したのは「芋ようかん」。
素朴で、素材の味が出やすい分、誤魔化しが利かない。
「お客さんに出すんじゃない。味見だよ」
祖母はそう言って、厨房奥の小皿に三切れを並べた。
その一つを、たまたま訪れた村田あきよの前に出す。
「へぇ。孫娘が作ったって? そりゃ、毒見しなきゃいけないねぇ」
村田は冗談めかして笑い、ようかんを一口、口に運んだ。
もぐもぐと噛む音。沈黙。
こよりの心臓の音だけが、やけにうるさく感じた。
「……悪くない。ちゃんと甘さも控えめで、芋の香りも残ってる」
こよりはほっとしかけた。
が、村田は続ける。
「でもね。これは“あんたの味”じゃない。……あたしの“記憶”には、残らないよ」
その一言が、ずしりと胸に落ちた。
「どういう、意味ですか」
そう聞くのが精一杯だった。
「味ってのは、ただうまけりゃいいってもんじゃないんだ。誰と食べたか、どんな匂いがしたか、何を思って作ったか。そういうもんが全部まざって、やっと“残る味”になるんだよ」
村田はそう言いながら、最後の一口を噛みしめるでもなく、ただ口に放り込んだ。
「昔の八重ちゃんの芋ようかんはね、秋の終わりに食べると決まってたのよ。あたし、妹とけんかした日の晩にそれ食べて、泣きながら……」
村田は、ふっと笑った。
「つまり何が言いたいかって? “思い出して作りな”ってことさ」
その言葉を残して、村田はそそくさと席を立った。
店内の静けさが、逆に耳に痛い。
こよりは自分の前に残ったようかんをじっと見つめた。
(思い出して、作る?)
東京にいた頃、コンビニで買ったスイーツは、どれもパッケージの印象しか残っていなかった。
でもこの町の和菓子には、匂いがある。感情がある。
——あの日、帰ってきたときに感じた、小豆の甘い香り。
あれが、私にとっての“ただいま”だった。
こよりは餡を練る手を止めて、額の汗をぬぐった。
朝四時から立ちっぱなし。
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「焦げ臭い。火、落として」
八重の声に、こよりは慌てて火加減を絞る。
銅鍋の底がじわりと焦げつきかけていた。
(ああ、またやっちゃった……)
甘い香りが、ほんのわずかに苦みに変わった気がして、こよりは唇を噛んだ。
その日、試作したのは「芋ようかん」。
素朴で、素材の味が出やすい分、誤魔化しが利かない。
「お客さんに出すんじゃない。味見だよ」
祖母はそう言って、厨房奥の小皿に三切れを並べた。
その一つを、たまたま訪れた村田あきよの前に出す。
「へぇ。孫娘が作ったって? そりゃ、毒見しなきゃいけないねぇ」
村田は冗談めかして笑い、ようかんを一口、口に運んだ。
もぐもぐと噛む音。沈黙。
こよりの心臓の音だけが、やけにうるさく感じた。
「……悪くない。ちゃんと甘さも控えめで、芋の香りも残ってる」
こよりはほっとしかけた。
が、村田は続ける。
「でもね。これは“あんたの味”じゃない。……あたしの“記憶”には、残らないよ」
その一言が、ずしりと胸に落ちた。
「どういう、意味ですか」
そう聞くのが精一杯だった。
「味ってのは、ただうまけりゃいいってもんじゃないんだ。誰と食べたか、どんな匂いがしたか、何を思って作ったか。そういうもんが全部まざって、やっと“残る味”になるんだよ」
村田はそう言いながら、最後の一口を噛みしめるでもなく、ただ口に放り込んだ。
「昔の八重ちゃんの芋ようかんはね、秋の終わりに食べると決まってたのよ。あたし、妹とけんかした日の晩にそれ食べて、泣きながら……」
村田は、ふっと笑った。
「つまり何が言いたいかって? “思い出して作りな”ってことさ」
その言葉を残して、村田はそそくさと席を立った。
店内の静けさが、逆に耳に痛い。
こよりは自分の前に残ったようかんをじっと見つめた。
(思い出して、作る?)
東京にいた頃、コンビニで買ったスイーツは、どれもパッケージの印象しか残っていなかった。
でもこの町の和菓子には、匂いがある。感情がある。
——あの日、帰ってきたときに感じた、小豆の甘い香り。
あれが、私にとっての“ただいま”だった。
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