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第二章
味が伝える思い出
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「ばあちゃん。あたし……もう一回、芋ようかん作っていい?」
八重は黙って頷いた。
その顔には何の感情も浮かんでいなかったが、どこか“見守る”という静かな色があった。
こよりは鍋を洗い、皮をむいたさつま芋に手を伸ばした。
思い出す。
幼いころ、祖母の膝の上で聞いた昔話。
寒い夜にこたつで食べた、ふかし芋の香り。
全部を、香りとともに呼び起こすようにして。
芋を蒸している間、こよりは厨房の壁にもたれて、湯気の向こうをじっと見つめていた。
目を閉じれば、記憶が立ち上ってくる。
あの冬の日。
祖母とふたり、石油ストーブの前でふかし芋を割って、ふうふう言いながら分け合った。
じんわりとした甘さと、木の家に染みついた湯気のにおい。
あれは、コンビニの弁当にはなかったぬくもりだった。
(そうだ、あの味をもう一度、再現したいんじゃない。思い出したいんだ)
気づけば、さつま芋がやわらかく蒸しあがっていた。
布巾でくるんで、熱をとりながら皮をむき、裏ごしする。
手のひらから伝わる温度が、まるで記憶に触れているようで、こよりの胸の奥をじんわり温めた。
翌朝、試作した芋ようかんを小皿にのせて、八重の前に出す。
「味見、お願い」八重は無言で箸を取り、一口かじった。
小さく咀嚼する音。
そのあと、茶をすする音。
何も言わない。
ただそれだけ。
こよりは何かを言われるのを待っていたが、祖母はただ、ごく自然に箸を置いた。
それが、何よりの答えのような気がした。
その日の午後、こよりは厨房で餡を仕込んでいると、引き戸が軽やかに開いた。
「こんにちは」
声の主は林ゆうた。
制服のまま、いつもの白いマスクを外しながら中に入ってくる。
「あんバター用の、餡……取りに来ました」
こよりは手を拭きながらカウンター越しに小さなパックを差し出した。
「いつもありがとう。お父さんによろしくね」
ゆうたはうなずくと、餡の匂いを嗅ぐように鼻を近づけた。
「……この匂い、いいですね」
その何気ない一言に、こよりの胸がふっと温かくなった。
「今日、試作した和菓子あるんだけど……よかったら、食べる?」
差し出したのは、栗入りの小さな蒸しまんじゅう。
こよりが子どものころ、祖母と一緒に秋に作った記憶を頼りに再現したものだった。
ゆうたは驚いたように目を見開いたが、素直に受け取ってくれた。
「……いただきます」
一口かじると、わずかに笑みがこぼれる。
「……なんか、これ、懐かしい感じします」
「そう? うれしいな」
それは、たぶん彼の中にある“家庭の記憶”を呼び起こしたのだろう。
どんな場面で、誰と食べたものだったのか。
それはわからない。
でも、香りと味がそっと心の奥をノックする、そんな瞬間。
こよりは、その小さな笑顔を見ながら、ようやく理解しはじめていた。
“おいしい”だけじゃ、残らない。
“正しい”だけでも、伝わらない。
誰かの顔を思い浮かべて作ったものには、ちゃんと匂いが宿る。
それが、“記憶に残る味”の正体。
「……あたし、ちょっとわかってきた気がする」
ぽつりとつぶやくと、八重が背後から小さく返した。
「そりゃ、いいこった」
その声には、いつかのような厳しさはなかった。
まるで、春の訪れをじっと待つ土のように、静かであたたかだった。
八重は黙って頷いた。
その顔には何の感情も浮かんでいなかったが、どこか“見守る”という静かな色があった。
こよりは鍋を洗い、皮をむいたさつま芋に手を伸ばした。
思い出す。
幼いころ、祖母の膝の上で聞いた昔話。
寒い夜にこたつで食べた、ふかし芋の香り。
全部を、香りとともに呼び起こすようにして。
芋を蒸している間、こよりは厨房の壁にもたれて、湯気の向こうをじっと見つめていた。
目を閉じれば、記憶が立ち上ってくる。
あの冬の日。
祖母とふたり、石油ストーブの前でふかし芋を割って、ふうふう言いながら分け合った。
じんわりとした甘さと、木の家に染みついた湯気のにおい。
あれは、コンビニの弁当にはなかったぬくもりだった。
(そうだ、あの味をもう一度、再現したいんじゃない。思い出したいんだ)
気づけば、さつま芋がやわらかく蒸しあがっていた。
布巾でくるんで、熱をとりながら皮をむき、裏ごしする。
手のひらから伝わる温度が、まるで記憶に触れているようで、こよりの胸の奥をじんわり温めた。
翌朝、試作した芋ようかんを小皿にのせて、八重の前に出す。
「味見、お願い」八重は無言で箸を取り、一口かじった。
小さく咀嚼する音。
そのあと、茶をすする音。
何も言わない。
ただそれだけ。
こよりは何かを言われるのを待っていたが、祖母はただ、ごく自然に箸を置いた。
それが、何よりの答えのような気がした。
その日の午後、こよりは厨房で餡を仕込んでいると、引き戸が軽やかに開いた。
「こんにちは」
声の主は林ゆうた。
制服のまま、いつもの白いマスクを外しながら中に入ってくる。
「あんバター用の、餡……取りに来ました」
こよりは手を拭きながらカウンター越しに小さなパックを差し出した。
「いつもありがとう。お父さんによろしくね」
ゆうたはうなずくと、餡の匂いを嗅ぐように鼻を近づけた。
「……この匂い、いいですね」
その何気ない一言に、こよりの胸がふっと温かくなった。
「今日、試作した和菓子あるんだけど……よかったら、食べる?」
差し出したのは、栗入りの小さな蒸しまんじゅう。
こよりが子どものころ、祖母と一緒に秋に作った記憶を頼りに再現したものだった。
ゆうたは驚いたように目を見開いたが、素直に受け取ってくれた。
「……いただきます」
一口かじると、わずかに笑みがこぼれる。
「……なんか、これ、懐かしい感じします」
「そう? うれしいな」
それは、たぶん彼の中にある“家庭の記憶”を呼び起こしたのだろう。
どんな場面で、誰と食べたものだったのか。
それはわからない。
でも、香りと味がそっと心の奥をノックする、そんな瞬間。
こよりは、その小さな笑顔を見ながら、ようやく理解しはじめていた。
“おいしい”だけじゃ、残らない。
“正しい”だけでも、伝わらない。
誰かの顔を思い浮かべて作ったものには、ちゃんと匂いが宿る。
それが、“記憶に残る味”の正体。
「……あたし、ちょっとわかってきた気がする」
ぽつりとつぶやくと、八重が背後から小さく返した。
「そりゃ、いいこった」
その声には、いつかのような厳しさはなかった。
まるで、春の訪れをじっと待つ土のように、静かであたたかだった。
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