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9、さらなる4年

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 憎悪に満ちた翡翠色の瞳。

 それが語りかけてくるのだ。

 哀れな女だと。
 お前はこのまま、誰にも受け入れることなく惨めに死んでいくのだと。

 きっと笑い飛ばそうとしたのだと思う。
 ただ、表情は動かない。
 体も動かない。
 翡翠色の瞳に見つめられて、ただただ胸をかきむしりたくなるような思いに駆られるだけの時間が続き……

「……またか」

 呟いてエメルダは目を覚ますのだった。

 いつもの悪夢であれば、気にかける価値は無い。
 エメルダは寝台で上体を起こす。

 すると目に入ってくるものがあった。
 ここは自身の寝室だが、そこには鏡台も備えられている。
 目に入ってきたのは、鏡越しの自身の姿だった。
 上等な寝間着に身を包んで、しかしそれに相応しくない粗末な容姿をした女。
 まとめた髪にはツヤも張りも無く、肌は荒れ、目元口元には隠しきれずシワが目立つ。

(……変わったものね)

 寝起きの頭でぼんやりと感慨にふける。
 これが4年の変化だった。
 クレインと別れてからの4年。
 自身の容姿に訪れた変化だ。

 しかし、別にどうでも良い話だった。

 容姿など大した問題では無かったのだ。
 それよりも重要な変化が、エメルダには起きてしまっていた。

 不意に扉が鳴った。
 コンコンと軽く二度、三度。
 着替えを持ってきた侍女によるものに違いなかった。

「どうぞ」

 促せば扉が開かれる。
 着替えを腕に侍女が入ってきたが、少女のような顔をしていた。
 思い返す。
 彼女は先日屋敷に入ったばかりの新顔に違いなかった。

「お、お着替えをお手伝いさせていただきます」

 エメルダが頷けば、後はその通りだった。
 侍女の手伝いを得て着替えを進める。
 ただ、新人らしいと言うべきか。
 彼女の手際は決して良いものだとは言えなかった。
 さらには、エメルダの風評が影響しているのだろう。
 いちいちビクビクとエメルダの表情をうかがってくる。

 その手際と態度の全てにだ。
 エメルダは思わずだった。
 思わず、痛烈に舌打ちを……

(……ダメでしょ、それは)

 なんとか舌打ちを呑み込む。
 だが、苛立ちは止まらない。
 彼女の一挙一投足がいちいち気に触ってくる。

 これがエメルダにとっての重要な変化だった。
 性悪になった。
 そうとしか表現出来ない自分になってしまっていた。

 変わらず、父親で国王をいさめ続け、悪女とのそしりと受け続け。

 そんな中で、いつしか自分は変わっていった。
 目に映るあらゆるものに不快感を覚えるようになった。
 常に苛立って、怒声を呑み込む日々を過ごすようになった。

(……あの子がいれば)

 不意にそんな思いがよぎったが、眉をひそめて振り払うことになる。
 みっともない感傷に過ぎなければ、思考を割く価値などなかった。
 そんなことよりも、エメルダには考えるべきことがある。

 このままでは、自分は本物の悪女になる。

 そんな懸念だ。
 そして、それは止めようが無いように思えた。
 まともな精神状態に戻れるなど、今さら想像も出来ない。

 であれば、やはり考えなければならない。

(退場……か)
 
 本物の悪女となる前に全てを終わらせる。
 そのことを現実のものとして考えておかなければならない。

 着替えが終わった。
 エメルダは苛立ちに耐えて、なんとか笑みを作る。

「ありがとう。これからもよろしくね」

 心にもない言葉であったが、彼女を安心させることにはつながったらしい。
 新人の侍女はホッと笑みをうかべる。

「あ、ありがとうございます。それであの……よろしいでしょうか?」

 曖昧な言葉を吐くな。

 そんな罵倒を押し込めて、エメルダは笑みで首をかしげる。

「なに? 何か私に聞きたいことでも?」

「い、いえ、エメルダ様から陛下についての噂があればお伝えするように言われていましたので」

 それは全ての侍女に頼んでいることだった。
 父親の蛮行を早くに知るために、侍女たちにはそう伝えてあるのだ。

「……またあの男が何かした?」

 さすがに笑みを維持できなかった。
 無表情に問いかければ、侍女は慌てた様子で言葉をつむぐ。

「あ、えーと、噂です。噂に聞いた程度の話なのですが……」

「いいから。さっさと話してちょうだい」

「は、はい。なんでもですが……陛下は養子を取られるとのことで」

 エメルダは怒りを忘れて目を丸くすることになった。

 まったく予想外だったのだ。
 それが事実であれば、かつてない父親の蛮行となりえた。
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