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Zazilia

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3 出張

12日目 精神の魔法

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13時47分


 精神の魔法使いは、魔法族の中でもっとも脆弱な肉体を持つ。
 魔法族の子どもですら200kgのバーベルを持ち上げることくらいは容易に出来るものだが、精神の魔法使いは、その身に宿す精神の魔素のせいで、人間に劣る身体能力しか持ち合わせない。
 ぼくのブーツで顎を蹴り上げられた男は、面白いように宙を舞った。
 ぼくから3mほど離れたところに着水した男は、そのまま広場を埋め尽くす海水の中に倒れ込んだ。
 ぼくは、指輪に意識を傾けた。
 指輪は、全長1mにも満たない、ドレスソードに形を変えた。
 精神の魔法使いは、脆弱な肉体と引き換えに、身体を幽霊のように変えることが出来る。精神の魔法使いは、物理法則からの解放によって生存競争を勝ち抜いてきた種族だ。
 これで終わりじゃないだろ?
 ぼくは、男に意識を傾けた。
 なにかしらの意図を感じる。
 男の顔を見れば、気を失っているわけではないことがわかった。
 浅く目を閉じている。
 寝た振りか。
 ぼくは、男の首にめがけて、剣を振り下ろした。
 男は目を見開き、身を捩った。
 剣は、男の首を浅く切り裂くだけにとどまった。
 男は、一歩飛び退いて、真っ赤に染まった顔でぼくを見た。「おいっ、なんなんだよっ」
「なにビビってんの?」ぼくは言った。
「警察なんだろ? 俺のこと殺したりしないよな?」
「聞きたいことがあるからね。話すまでは生かしておいてあげるよ。どうせどっかの誰かに使われてるだけの小物だろ? お前に情報源以上の価値はないよ」
「お前なんなんだよ。警察に飼われてるのか?」
「同類じゃねーよふざけんな」ぼくは、3m先に立つ男に向けて、剣を振り下ろした。剣は、ムチのように形を変え、男が立っていた場所を縦に切り裂いた。剣は、石畳に張られた水面を叩くと同時に、ドレスソードの形に戻った。「お前はいちいち相手を煽るんだな。そんなんだから舐められるんだぞ?」
「それはお前が」
「うるせぇ喋んな。気持ちわりぃ声しやがって。まともな会話が出来ないならぶちのめしてから連れてく」ぼくは、男の懐に飛び込み、男の胸元にめがけて、ドレスソードを横にふるった。
 男の身体が灰色のモヤに代わり、ぼくの剣は、そのモヤを横に切り裂いた。
 灰色のモヤは、ぼくから距離を取るように、うねりながら宙を泳いだ。灰色のモヤは、サン・マルコ広場の時計塔の上に集まり、人の形に戻った。
「ソラ」
 ぼくは、背後を振り返った。
 10mほど後ろに立つシェルナーさんは、ぼくを見て、楽しそうな顔をしていた。「手伝わないぞ」
 ぼくは、目に力を込めて頷いた。てっきり、止められるかと思ったけど、シェルナーさんにそのつもりはないようだ。「ありがとうございます」
 シェルナーさんは、ゆったりと頷いた。次の瞬間、彼女の身体は白いモヤに代わり、宙に溶けて、見えなくなってしまった。
 ぼくは、時計塔の上を見上げた。
 身体を灰色のモヤに変えた男が、ぼくを見下ろしていた。
 男は、安心したような顔で、ぼくを見下ろしていた。
 男の背中から灰色のモヤが立ち上る。モヤは、サン・マルコ広場へと降り注いだ。
 周囲一帯が、灰色一色の濃淡な世界になった。
 男の魔力が、周囲に満ちている。
 突然、気分が落ち込んできた。
 頭が痛くなり、思考がまとまらない。
 嫌な思い出ばかりが脳内に浮かび、不安な気持ちが胸に満ち、目にうっすら涙が浮かんでくる。
 心臓の鼓動が大きくなる。
 呼吸が辛くなる。
 呼吸が、浅くなる。
 ぼくは、これを知っていた。
 戦争の中で、何度も経験していた。
 精神の魔法によって、精神の安定をかき乱されているのだ。
 周囲を見渡しても、濃淡な灰色一色の景色が広がるばかり。
 死ね。
 モヤの向こうから、声が聞こえてきた。
 なんで生きてるの? 周りの迷惑も考えろよ。気持ちわりぃ。臭くね? ダル。どこ見てんの? バカにしてんの? ごめんね、心を傷つけちゃって。お前のためなんだよ? やめてやれよ。こんなんで泣くの? 繊細すぎない? よわ。なに怒ってんの? こわ。まじにすんなよ。こんなの冗談だろ? 自分が間違ってるんじゃないの? よく考えてごらん?
 軽はずみな、楽しむような敵意、エゴを押し付けるための見せかけの善意や優しさ、相手を弱らせるための同情、嘲笑混じりの謝罪、自己否定を誘う発言。
 乾いた砂に染み込むようにして心に入り込んでくる言葉の数々が、内側からぼくをかき乱す、
 呼吸が辛くなる。
 ぼくの心が締め付けられていく。
 剣を握る、ぼくの手から力が失われていく。
 こいつは、魔法によって、自分が過去に受けてきた屈辱や、辛い出来事をぼくに見せているのだ。
 こんな目に遭ったんだから、俺が歪んだのは当然だ。
 こいつは、そう言いたいのだ。
 ぼくの肩に、優しく手が置かれた。
 ぼくは、そちらを振り返った。
 身体を灰色のモヤに変えた男が立っていた。
 男は、ぼくの頬に手を置き、口を開いた。
「わかるよ。お前も辛かったんだよな」男は、優しい声色で言った。自分の劣等感が、屈辱が、不愉快な過去が、まるで、すべてぼくのものであるかのように。そのすべてをぼくに押し付けるかのように。「俺はお前の味方だぞ」
 ぼくは頷いた。「そっか」
 男は、なにかを右手に握っていた。灰色のモヤで出来たそれは、ナイフの形をしていた。「助けてやろうか?」
「殺してくれるの?」
「俺の女になれよ」
 ぼくは、灰色のモヤで出来たナイフを見た。
 ナイフは、ぼくの胸に突き立てられた。
「刺すぞ?」
 ぼくは、男を見上げた。
 男は、優しく微笑むと、ナイフを握る手に力を込めた。
 ぼくは、その手に、自分の手を添えた。「やめてって、言って欲しいの?」
「やめねーよ」
「そぅ……」ぼくは、男の手を握る自分の手に力を込めた。
 男の手が、ひしゃげて潰れた。
 男は、悲鳴を上げて、ぼくを見た。
 ぼくは、男の足を払い、その胸に、ブーツの底を叩きつけた。
 男は、震える目で、ぼくを見上げた。
 ぼくは、全身に力を込め、短く深呼吸をした。
 ぼくは、男の顔にツバを吐いた。
「その程度で踏み外したの?」
 男の顔は青白くなっていた。
 男は、震える目で、ぼくを見上げていた。「なんで」
「お前がバカだからだろ」自分のスキルに、自分が生み出した環境に、自分の経験に、自信を置きすぎていて、相手が見えていない。だから、容易に自分の手札を、本心を、目的を、欲望を相手に見せるのだ。「辛いのが自分だけだって思ってるから、周りを傷つけるんだよね。お前みたいのは何人も見てきた」ぼくは、右手に握りしめたシャンパンゴールド色のドレスソードを、男の胸に突き刺した。
 男は、震える目で、ぼくを見上げていた。
 ぼくは、深呼吸をした。
 空気が美味しい。
 周囲を漂う灰色のモヤが、男の魔素によって、魔力によって生み出されたモヤが、吸い込まれるように、ぼくの握る剣の刃に集まっていく。
「なんなんだよ……」男は、かすれた声で言った。「やめて、殺さないで」
 ぼくは、男を見下ろした。決着はもう着いている。伝えても問題ない。「お前の魔素を奪ってるんだよ」
 男は、震える目を見開いた。「どういうことだ?」
 灰色のモヤになっていた男の身体が、指先から、つま先から、頭の先から、彩色を取り戻し、人体に戻っていく。
「お前を人間にしてやってんだよ」生命力に干渉出来るぼくは、周囲の魔素や魔力を操ることが出来る。魔法族の体内に宿る魔素を一定量以上吸い上げれば、魔法族は人間になる。人間の肉体にも魔素は宿っており、魔法を扱っていた頃の経験から、その魔素を練り上げ、魔法を扱うことも出来るが、それは、魔法族の扱うものとは比べ物にならないほど微弱なものだ。「これでもう悪さは出来なくなる」ぼくは、男の身体から剣を引き抜いた。
 灰色のモヤになっていた男の身体は、彩色を取り戻し、人体に戻っていた。
 周囲を覆っていた灰色のモヤは、消え去っていた。
 見上げれば、頭上には青色の空が広がっていた。
 ぼくは、ドレスソードを振り、広場に張られた水面を切った。
 ドレスソードは、指輪に形を変え、ぼくの右手の人差し指に収まった。
 ぼくは、深呼吸をした。
 空気が美味しい。
 ぼくは、男の胸をブーツの底で押さえつけたまま、放心状態でこちらを見上げる男を見下ろした。「逮捕する」
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