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鷹司くんと祭の晩
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花火大会の日。
まだ家族との約束の時間まで余裕があった私は、なんとなくあの古書店のことを思い出していた。
鷹司くんと初めて“外”で会った、ちょっとだけ不思議なあの店。
あの空気をもう一度味わいたくなって、私は気づけば足を向けていた。
「たしか、こっちの路地を入って……」
前回の記憶を頼りに、何度か路地を曲がっていく。
そして――
「……あった!」
ひっそりと佇む、たかつか古書店の木の看板。
周囲の喧騒から切り離されたような静けさは、前とまったく変わっていない。
私はそっとドアを開けて中へ入った。
戸を開けると、チリリ……と鈴の音が響き、すぐに独特の静けさが私を包み込む。
紙とインクの匂いに、どこか乾いた空気。
街の喧騒が遠くへ押しやられるような感覚――やっぱりこの感じ、好きだな。
「こんにちは……」
小声であいさつしながら、奥へと進む。
もしかしたら鷹司くんがいて、また前みたいに不意打ちで会えるかもしれない――
そんな淡い期待を抱いて。
けれど、会計用の台の向こうに座っていたのは、鷹司くんでもおじいさんでもなかった。
「あ……」
そこにいたのは、前回も顔を合わせたあの男性。
整った髪型とスーツ、品のある物腰――まるで古い映画から出てきたような人。
「やあ、こんにちは」
にこやかな笑みを浮かべ、男性は私に声をかけた。
「成は今日はここには来ていないんだ。ごめんね」
その口ぶりに、胸の奥がもやっとする。
……やっぱり鷹司くんのこと、名前で呼んでる。
前から気になっていたけど、聞けずにいた。
でも、今日は――
「あの……鷹司くんとは、どういうご関係なんですか?」
男性は一瞬だけ目を細めて、それから穏やかに答えた。
「――成は僕の息子さ」
「……えっ」
驚きで声が漏れ、私は固まってしまう。
男性はそんな私を見て、ほんの一瞬だけ苦い表情を浮かべた。
「やはり成からは聞いていなかったんだね」
ほどなくしてお茶が出され、奥の小さなテーブルで涼ませてもらうことになった。
男性――鷹司くんのお父さんの表情はずっと落ち着いていて、余計に胸がざわつく。
そんな時――
チリリ、と鈴が鳴った。
暫くして姿を見せたのは、少しけだるそうな表情の鷹司くん。
けれど、私と男性が並んでお茶を飲んでいるのを目にすると、ぴたりと動きを止め、目を見開いた。
私の顔を一瞥して、すぐに状況を察したのだろう。
「……勝手なことしてんじゃねーよ」
鷹司くんは眉間にしわを寄せてお父さんに向けて吐き捨てる。
鷹司くんの父親は、やわらかい声で言った。
「ぼくたちが親子だってこと以外何も言っていないよ」
「それが余計なんだよ」
険悪な雰囲気に無意識に縮こまる。
思わず、「ごめんなさい」と口にすると、鷹司くんからそっけなく「別に」と返ってきた。
「――で、天木はなんでここにいるんだ?」
「あ、えっと……花火大会に行く途中で」
「……花火?」
「鷹司くんは見ないの?」
「……興味ねーし」
鷹司くんはフイっとそっぽを向いてしまう。
「そ、そうなんだ」
会話が途切れたところで、鷹司くんのお父さんが口を開く。
「ウチで見て行ってもらえばいいんじゃないか?」
「は?」
「え?」
思わぬ提案に思わず声が出た。
「でも天木……誰かと見る予定なんじゃ――」
そう言いかけた鷹司くんに私は「家族とだから別に問題ない」と付け加える。
しばらく沈黙が続いた後、鷹司くんがぼそりと呟いた。
「……天木が嫌じゃなければ」
「行く!」
ほとんど反射的に返事をしてしまった。
こうして、私は思いがけず鷹司くんの家にお邪魔することになった。
夕暮れの路地裏を、鷹司くんの背中を追いかけながら進む。
石畳の細い道を抜けた先に、ふっと視界が開けた。
そこは、車の音すら届かないような静かな住宅街。
鷹司くんは迷いなく歩き、やがて立ち止まった。
私の目に飛び込んできたのは――家、というよりも「洋館」と呼ぶのがふさわしい建物だった。
重厚なレンガ造りの門。
その奥に広がる、物語や映画でしか見たことのないような立派な屋敷。
庭は美しく刈り込まれた芝と花々が彩り、まるで美術館の前庭のように整っている。
「……え、ここ、鷹司くんの家?」
思わず足が止まる。
「何、つったってんだよ。入るぞ」
「ま、待って!」
ずかずかと門をくぐる鷹司くんの後ろを、私は挙動不審な足取りで追った。
立派な木製のドアが開くと、ふわりと心地いい香りが漂う。
玄関ホールには高そうな絵画、重厚な家具、柔らかなカーペット……どれも非日常すぎて、思わず固まってしまう。
案内されるまま応接間に通されると、そこにはぎっしり並ぶトロフィーと写真、そして本棚一面の本。
背表紙にはすべて、【作・高辻涼夏】の文字。
――高辻涼夏といえば、今最も売れている小説家。
本をあまり読まない私ですら知っている名前。
でも、なんで鷹司くんの家に高辻涼夏の本ばっかり……?
「高辻涼夏、好きなの?」
お茶を持って戻ってきた鷹司くんに尋ねる。
彼は一瞬固まり、ぼそっと「……鈍いな」とつぶやいた。
「それ、父さんだよ」
「――――えええええええっ!?」
思わず立ち上がりそうになる。
まさか、あの超有名作家が鷹司くんのお父さん!?
古書店での穏やかな笑顔が脳裏をよぎる。
「私、失礼なこと言ってなかったかなあ……?」
「別に問題なかったんじゃね」
頭を抱える私に、鷹司くんはそっけなく言い放った。
その後は、夏休みの予定や読書感想文の本の相談、この前見た映画『紅の密室』の感想などを話し続けた。
鷹司くんは少し安堵したような、でも拍子抜けしたような表情で相槌を打ってくれる。
しばらく話した後、パタパタ、と誰かが走ってくる足音がして――次の瞬間、応接間のドアが勢いよく開かれた。
「成! お友達を連れてきたのね! ママ嬉しいわ!」
応接間のドアが勢いよく開かれ、光を背負ったように眩しい笑顔の女性が立っていた。
肩までの髪は艶やかに整えられ、エプロンの端には小麦粉らしきものがわずかに残っている。
その華やかさと家庭的な空気を同時にまとった人が、私めがけて一直線に歩み寄ってくる。
「まあまあ! よく来てくれたわね!」
言うが早いか、両手を包み込むように握られる。
温かくて、勢いがすごい。
「あなた、お名前は? 成とはどういう関係なの? 学校は同じ? いつから仲良いの? 夏休みはよく会ってるの?」
一息で畳みかけられる質問に、私は頭が真っ白になる。
「あ、えっと、その……同じクラスで……」
「クラスメイト?」
「は、はい! で、でも別にその……」
「あ、いや、別に変な関係じゃ……」と、なぜか隣で鷹司くんまで口ごもっている。
「まあまあ、成ったらそんなに動揺しなくてもいいじゃない!」と、お母さんは楽しそうに笑い、さらに私の手をぎゅっと握る。
私は笑うしかなく、鷹司くんは視線を逸らしたまま、耳まで赤くなっていた。
「用事が済んだんならもう出てけよ」
鷹司くんがぶっきらぼうに言い放つと、鷹司くんのお母さんは小さく笑って、もと来たドアの方へと歩いていく。
鷹司くんが深く息を吐く音が聞こえる。
「あ、そうだわ!」
最後にもう一度、廊下の向こうからひょっこりと鷹司くんのお母さんが顔をのぞかせた。
「応接室もいいけど、成の部屋に行けばいいじゃない!」
片目をいたずらっぽくつむり「あそこからの花火は格別よ」と添える。
軽やかに去っていく姿を、私はポカンと眺めることしかできなかった。
鷹司くんは少し間を置いてから、「……一番、花火きれいに見えると思う」とぼそっと言った。
その声の中に「変な意味じゃないからな」という必死な無言の注釈を感じたけど、私は特に気に留めず、「じゃあお邪魔します」と素直に返事した。
部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのは壁いっぱいの本棚。
そして部屋の隅には、ダンボールの中に無造作に突っ込まれたトロフィーや賞状が見えた。
何気なく覗き込んだ私の目に、「読書感想文コンクール 最優秀賞」の金色の文字が飛び込んでくる。
――やっぱり。
図書新聞での企画作りとか、本の内容を語るときのまとめ方。
全部、納得だ。
もちろん「父親譲り」なんて言葉は、頭の中で浮かんでもすぐに消した。
これは、鷹司くんの力だ。
「どの本で書いたの?」
そう聞くと、彼は本棚を指でなぞるように見渡し、一冊を引き抜いた。
宮沢賢治の『祭の晩』。
「これ?」とわたしは思わず声を上げる。
「こんな短い童話で?」
「読んだ感想を書くもんなんだから、長さは関係ねーだろ」
ごもっともすぎて、私は「そっか…」としか返せなかった。
どんな話なのか聞こうとして、ふと気づく。
――あ、今日はお菓子を持ってきてない。
その瞬間、言葉が喉の奥で止まってしまう。
そんな私を見て、鷹司くんはほんの少しだけ、口元をゆるめたように見えた。
そして静かに『祭の晩』のあらすじを語り始める。
山男と亮二のやりとり、誤解と信頼、そして贈り物のくだり。
「俺、この話の何がいいって――山男がさ、団子二串のために薪百把とか栗八斗とか言い出すとこなんだよ」
熱を帯びた声に、私は瞬きをする。
「嘘ついてるようにも聞こえるけど、たぶんあれ、山男なりに本気なんだよな。自分がもらった優しさを、ちゃんと倍返しにしたいっていうか。計算できないから極端になるけど、その不器用さが面白くて、なんか好きなんだ」
彼はページをぱらぱらとめくりながら、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
私はうなずきながら、彼が話している間ずっと本の向こうに小学生の頃の鷹司くんを思い描いていた。
「鷹司くんがこれ選ぶの、わかる気がする」
そう口にすると、彼は一瞬だけ私を見て、何も言わずに本を閉じた。
気がつけば、窓の外はすっかり夜の色。
花火の開始まで、あと少し。
その時、ノックの音がして、鷹司くんのお母さんが顔をのぞかせた。
「おまたせ!二人で食べなさい」
アイスティーと彩りのきれいなサンドウィッチを載せたトレイが机の上に置かれる。
「ごゆっくりー」と明るく言って去っていくその背中が見えなくなった瞬間、夜空が一瞬だけ白く光ったかと思うと、遅れて腹の底に響く音が届く。
次の瞬間、窓の外いっぱいに、赤や金の花がぱっと咲いた。
「……きれい」
つい声が漏れる。
隣の鷹司くんは、窓枠に片肘をついて黙って空を見上げていた。
ひとしきり花が散ったあと、彼がぽつりと言う。
「花火見るの……久しぶりだ」
「えっ、こんな絶好の鑑賞ポイントがあるのに?」
思わず振り返って問いかけると、彼は視線をそらしながら「別に」とだけ答えた。
それ以上は聞かず、また二人で夜空を見上げた。
幾度も咲いては消える花火の光が、部屋の中を一瞬ずつ照らしていく。
最後の一発が大輪のまま静かに闇へと溶けていくと、急に部屋が静まり返った。
時計を見たら時間はもう9時前。
「……そろそろ帰るね」
そう言うと、鷹司くんは「送っていく」と短く言った。
ありがたくうなずき、鷹司くんの家を出て並んで暗い路地を歩く。
特に会話があるわけじゃない。
でも、不思議と安心できる距離感だった。
足音と、遠くからかすかに聞こえる祭りの余韻だけが、夜道に溶けていく。
家の前に着いたとき、ふと思い出して口を開く。
「そうだ、鷹司くんには今日、たくさんお世話になったから……なにかお礼させてほしいな」
少しの沈黙があった。
そして彼は、かばんから一冊の本を取り出し、私の前に差し出す。
宮沢賢治の『祭の晩』。
「礼とかいいから……かわりにこれ読んだら、感想聞かせてほしい」
そうぼそりとつぶやくと、鷹司くんは私が返事をするより先に、踵を返して走り去っていった。
残された私の手の中で、小さな本がやけに重く感じられた。
まだ家族との約束の時間まで余裕があった私は、なんとなくあの古書店のことを思い出していた。
鷹司くんと初めて“外”で会った、ちょっとだけ不思議なあの店。
あの空気をもう一度味わいたくなって、私は気づけば足を向けていた。
「たしか、こっちの路地を入って……」
前回の記憶を頼りに、何度か路地を曲がっていく。
そして――
「……あった!」
ひっそりと佇む、たかつか古書店の木の看板。
周囲の喧騒から切り離されたような静けさは、前とまったく変わっていない。
私はそっとドアを開けて中へ入った。
戸を開けると、チリリ……と鈴の音が響き、すぐに独特の静けさが私を包み込む。
紙とインクの匂いに、どこか乾いた空気。
街の喧騒が遠くへ押しやられるような感覚――やっぱりこの感じ、好きだな。
「こんにちは……」
小声であいさつしながら、奥へと進む。
もしかしたら鷹司くんがいて、また前みたいに不意打ちで会えるかもしれない――
そんな淡い期待を抱いて。
けれど、会計用の台の向こうに座っていたのは、鷹司くんでもおじいさんでもなかった。
「あ……」
そこにいたのは、前回も顔を合わせたあの男性。
整った髪型とスーツ、品のある物腰――まるで古い映画から出てきたような人。
「やあ、こんにちは」
にこやかな笑みを浮かべ、男性は私に声をかけた。
「成は今日はここには来ていないんだ。ごめんね」
その口ぶりに、胸の奥がもやっとする。
……やっぱり鷹司くんのこと、名前で呼んでる。
前から気になっていたけど、聞けずにいた。
でも、今日は――
「あの……鷹司くんとは、どういうご関係なんですか?」
男性は一瞬だけ目を細めて、それから穏やかに答えた。
「――成は僕の息子さ」
「……えっ」
驚きで声が漏れ、私は固まってしまう。
男性はそんな私を見て、ほんの一瞬だけ苦い表情を浮かべた。
「やはり成からは聞いていなかったんだね」
ほどなくしてお茶が出され、奥の小さなテーブルで涼ませてもらうことになった。
男性――鷹司くんのお父さんの表情はずっと落ち着いていて、余計に胸がざわつく。
そんな時――
チリリ、と鈴が鳴った。
暫くして姿を見せたのは、少しけだるそうな表情の鷹司くん。
けれど、私と男性が並んでお茶を飲んでいるのを目にすると、ぴたりと動きを止め、目を見開いた。
私の顔を一瞥して、すぐに状況を察したのだろう。
「……勝手なことしてんじゃねーよ」
鷹司くんは眉間にしわを寄せてお父さんに向けて吐き捨てる。
鷹司くんの父親は、やわらかい声で言った。
「ぼくたちが親子だってこと以外何も言っていないよ」
「それが余計なんだよ」
険悪な雰囲気に無意識に縮こまる。
思わず、「ごめんなさい」と口にすると、鷹司くんからそっけなく「別に」と返ってきた。
「――で、天木はなんでここにいるんだ?」
「あ、えっと……花火大会に行く途中で」
「……花火?」
「鷹司くんは見ないの?」
「……興味ねーし」
鷹司くんはフイっとそっぽを向いてしまう。
「そ、そうなんだ」
会話が途切れたところで、鷹司くんのお父さんが口を開く。
「ウチで見て行ってもらえばいいんじゃないか?」
「は?」
「え?」
思わぬ提案に思わず声が出た。
「でも天木……誰かと見る予定なんじゃ――」
そう言いかけた鷹司くんに私は「家族とだから別に問題ない」と付け加える。
しばらく沈黙が続いた後、鷹司くんがぼそりと呟いた。
「……天木が嫌じゃなければ」
「行く!」
ほとんど反射的に返事をしてしまった。
こうして、私は思いがけず鷹司くんの家にお邪魔することになった。
夕暮れの路地裏を、鷹司くんの背中を追いかけながら進む。
石畳の細い道を抜けた先に、ふっと視界が開けた。
そこは、車の音すら届かないような静かな住宅街。
鷹司くんは迷いなく歩き、やがて立ち止まった。
私の目に飛び込んできたのは――家、というよりも「洋館」と呼ぶのがふさわしい建物だった。
重厚なレンガ造りの門。
その奥に広がる、物語や映画でしか見たことのないような立派な屋敷。
庭は美しく刈り込まれた芝と花々が彩り、まるで美術館の前庭のように整っている。
「……え、ここ、鷹司くんの家?」
思わず足が止まる。
「何、つったってんだよ。入るぞ」
「ま、待って!」
ずかずかと門をくぐる鷹司くんの後ろを、私は挙動不審な足取りで追った。
立派な木製のドアが開くと、ふわりと心地いい香りが漂う。
玄関ホールには高そうな絵画、重厚な家具、柔らかなカーペット……どれも非日常すぎて、思わず固まってしまう。
案内されるまま応接間に通されると、そこにはぎっしり並ぶトロフィーと写真、そして本棚一面の本。
背表紙にはすべて、【作・高辻涼夏】の文字。
――高辻涼夏といえば、今最も売れている小説家。
本をあまり読まない私ですら知っている名前。
でも、なんで鷹司くんの家に高辻涼夏の本ばっかり……?
「高辻涼夏、好きなの?」
お茶を持って戻ってきた鷹司くんに尋ねる。
彼は一瞬固まり、ぼそっと「……鈍いな」とつぶやいた。
「それ、父さんだよ」
「――――えええええええっ!?」
思わず立ち上がりそうになる。
まさか、あの超有名作家が鷹司くんのお父さん!?
古書店での穏やかな笑顔が脳裏をよぎる。
「私、失礼なこと言ってなかったかなあ……?」
「別に問題なかったんじゃね」
頭を抱える私に、鷹司くんはそっけなく言い放った。
その後は、夏休みの予定や読書感想文の本の相談、この前見た映画『紅の密室』の感想などを話し続けた。
鷹司くんは少し安堵したような、でも拍子抜けしたような表情で相槌を打ってくれる。
しばらく話した後、パタパタ、と誰かが走ってくる足音がして――次の瞬間、応接間のドアが勢いよく開かれた。
「成! お友達を連れてきたのね! ママ嬉しいわ!」
応接間のドアが勢いよく開かれ、光を背負ったように眩しい笑顔の女性が立っていた。
肩までの髪は艶やかに整えられ、エプロンの端には小麦粉らしきものがわずかに残っている。
その華やかさと家庭的な空気を同時にまとった人が、私めがけて一直線に歩み寄ってくる。
「まあまあ! よく来てくれたわね!」
言うが早いか、両手を包み込むように握られる。
温かくて、勢いがすごい。
「あなた、お名前は? 成とはどういう関係なの? 学校は同じ? いつから仲良いの? 夏休みはよく会ってるの?」
一息で畳みかけられる質問に、私は頭が真っ白になる。
「あ、えっと、その……同じクラスで……」
「クラスメイト?」
「は、はい! で、でも別にその……」
「あ、いや、別に変な関係じゃ……」と、なぜか隣で鷹司くんまで口ごもっている。
「まあまあ、成ったらそんなに動揺しなくてもいいじゃない!」と、お母さんは楽しそうに笑い、さらに私の手をぎゅっと握る。
私は笑うしかなく、鷹司くんは視線を逸らしたまま、耳まで赤くなっていた。
「用事が済んだんならもう出てけよ」
鷹司くんがぶっきらぼうに言い放つと、鷹司くんのお母さんは小さく笑って、もと来たドアの方へと歩いていく。
鷹司くんが深く息を吐く音が聞こえる。
「あ、そうだわ!」
最後にもう一度、廊下の向こうからひょっこりと鷹司くんのお母さんが顔をのぞかせた。
「応接室もいいけど、成の部屋に行けばいいじゃない!」
片目をいたずらっぽくつむり「あそこからの花火は格別よ」と添える。
軽やかに去っていく姿を、私はポカンと眺めることしかできなかった。
鷹司くんは少し間を置いてから、「……一番、花火きれいに見えると思う」とぼそっと言った。
その声の中に「変な意味じゃないからな」という必死な無言の注釈を感じたけど、私は特に気に留めず、「じゃあお邪魔します」と素直に返事した。
部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのは壁いっぱいの本棚。
そして部屋の隅には、ダンボールの中に無造作に突っ込まれたトロフィーや賞状が見えた。
何気なく覗き込んだ私の目に、「読書感想文コンクール 最優秀賞」の金色の文字が飛び込んでくる。
――やっぱり。
図書新聞での企画作りとか、本の内容を語るときのまとめ方。
全部、納得だ。
もちろん「父親譲り」なんて言葉は、頭の中で浮かんでもすぐに消した。
これは、鷹司くんの力だ。
「どの本で書いたの?」
そう聞くと、彼は本棚を指でなぞるように見渡し、一冊を引き抜いた。
宮沢賢治の『祭の晩』。
「これ?」とわたしは思わず声を上げる。
「こんな短い童話で?」
「読んだ感想を書くもんなんだから、長さは関係ねーだろ」
ごもっともすぎて、私は「そっか…」としか返せなかった。
どんな話なのか聞こうとして、ふと気づく。
――あ、今日はお菓子を持ってきてない。
その瞬間、言葉が喉の奥で止まってしまう。
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そして静かに『祭の晩』のあらすじを語り始める。
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熱を帯びた声に、私は瞬きをする。
「嘘ついてるようにも聞こえるけど、たぶんあれ、山男なりに本気なんだよな。自分がもらった優しさを、ちゃんと倍返しにしたいっていうか。計算できないから極端になるけど、その不器用さが面白くて、なんか好きなんだ」
彼はページをぱらぱらとめくりながら、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
私はうなずきながら、彼が話している間ずっと本の向こうに小学生の頃の鷹司くんを思い描いていた。
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そう口にすると、彼は一瞬だけ私を見て、何も言わずに本を閉じた。
気がつけば、窓の外はすっかり夜の色。
花火の開始まで、あと少し。
その時、ノックの音がして、鷹司くんのお母さんが顔をのぞかせた。
「おまたせ!二人で食べなさい」
アイスティーと彩りのきれいなサンドウィッチを載せたトレイが机の上に置かれる。
「ごゆっくりー」と明るく言って去っていくその背中が見えなくなった瞬間、夜空が一瞬だけ白く光ったかと思うと、遅れて腹の底に響く音が届く。
次の瞬間、窓の外いっぱいに、赤や金の花がぱっと咲いた。
「……きれい」
つい声が漏れる。
隣の鷹司くんは、窓枠に片肘をついて黙って空を見上げていた。
ひとしきり花が散ったあと、彼がぽつりと言う。
「花火見るの……久しぶりだ」
「えっ、こんな絶好の鑑賞ポイントがあるのに?」
思わず振り返って問いかけると、彼は視線をそらしながら「別に」とだけ答えた。
それ以上は聞かず、また二人で夜空を見上げた。
幾度も咲いては消える花火の光が、部屋の中を一瞬ずつ照らしていく。
最後の一発が大輪のまま静かに闇へと溶けていくと、急に部屋が静まり返った。
時計を見たら時間はもう9時前。
「……そろそろ帰るね」
そう言うと、鷹司くんは「送っていく」と短く言った。
ありがたくうなずき、鷹司くんの家を出て並んで暗い路地を歩く。
特に会話があるわけじゃない。
でも、不思議と安心できる距離感だった。
足音と、遠くからかすかに聞こえる祭りの余韻だけが、夜道に溶けていく。
家の前に着いたとき、ふと思い出して口を開く。
「そうだ、鷹司くんには今日、たくさんお世話になったから……なにかお礼させてほしいな」
少しの沈黙があった。
そして彼は、かばんから一冊の本を取り出し、私の前に差し出す。
宮沢賢治の『祭の晩』。
「礼とかいいから……かわりにこれ読んだら、感想聞かせてほしい」
そうぼそりとつぶやくと、鷹司くんは私が返事をするより先に、踵を返して走り去っていった。
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描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
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