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火の精霊ウェスタと素敵な社員食堂〜封印を解かれた幻狼グレイとシャルロットの暗殺計画?

社畜官僚と天使のミートボール

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「やり直し!!」

 執務室に大きな怒鳴り声が響いた。
 先程提出したばかりの書類を突っ返されたコハンは露骨に嫌そうな顔して、瓶底眼鏡にコーラルオレンジ色のクセ毛頭の文官の前に立っていた。

「計算が間違ってます!!何ヶ所か記入漏れもあります!!後、酒代は経費で落ちません!」

 彼はクライシア大国の事務官、アズ・レイター。
 主に経理を担当していた。

「ちっ、男のくせに細けえなあ!」

「第二騎士団の団長さんは計算もできないのね」

「なんだと!?」

 横に立って同じく経費報告書を提出した第一騎士団の女団長メリーは嘲笑した。
 二人の団長は口喧嘩をしながら執務室を出て行った。

「ふぅ」

 事務官アズはため息をついた。
 その顔は真っ青だ。

(大分オーバーしたが、これにて午前の業務は終了だ)

 今日はまだ比較的暇な方だ。夕方に官僚会議、夜は晩餐会に出席、明日は朝一で部会……常に仕事に追われている。
 朝食は取らないし、今日も昼を食べる時間が無かった、腹は減っていないので今日もアレで済まそう。手が空いたし仮眠でもしようか。

 アズは執務室を出ると憩部屋を目指して歩いた。

 いつもの事だが調子が悪い。病気か何かだろうか?しかし今は年度末で忙しい。医者に診てもらう時間も、病気にかかっている暇もないのだ。

 しかし頭と脚はふらつく、身体が怠い、自分は死ぬのではないか!?恐怖して頭から足にかけて血の気が引く。

 目の前がブラックアウトして、ふらっと全身の力が抜けて倒れた。

「危ないっ」

 背後から女性の声が聞こえて背中を抱き支えられた。
   ふわりと女性の身体の良い匂いがする。
 アズはハッとして、体勢を持ち直す。

「ごめんなさいっ!あの、ありがとう」

 くるっと振り返ると、そこには金髪碧眼のポニーテールに侍女服姿のーー可憐な少女の姿があった。
   見たことのない侍女だが、新入りだろうか?アズはポッと頬を染める。

「大丈夫ですか?」

「可愛い……、ハッ、ええ、ええ!大丈夫です!めまいがして!え?」

 少女は眉を八の字にしてジッとアズの顔を見た。
 そしてアズの頬に手を伸ばした。アズの頬に少女の柔らかい手のひらが触れる。
 近付いてくる少女の顔に思わずドキドキしながら戸惑っていると、少女はアズの下瞼を指でひっくり返した。

「まぁ、目蓋の裏が真っ白!貧血ですわね。ちゃんとご飯食べてるんですか?」

「え?……ああ、今日は紅茶くらいしか飲んでないです。でも、紅茶にちゃんと角砂糖5~6杯入れたので…大丈夫ですよ!」

「全然大丈夫じゃないわ!そんな食事していると低血糖になりますわ。あっ、あの、そちらの憩部屋で少しお待ちいただけますか?」

「ああ、ちょうどそこで仮眠を取るところだったし、いいですけど…」

 少女は何かを思い出したかのように来た道を慌ただしく戻った。
 そしてしばらく経って、憩部屋のソファーで横になっていたアズの元に料理が盛り付けられた皿を乗せた盆を持って戻ってきた。

「キャベツとミートボールのトマト煮と、鮭が入ったおにぎりとホットココアですわ」

 美味しそうな料理が小さなテーブルの上に並べられた。
 少女はニコニコ笑って向かいのソファーに座る。

「いい匂いですね」

「騎士団の今夜の夕食に作っていたの。ミートボールは鶏レバー入りですわ。血や身体を作るのよ。鮭には貧血に効くビタミンが入ってますし、ココアにもミネラルや鉄分が入ってるわ」

 栄養学などまだ発展していない世界、少女の話している内容はちんぷんかんぷんだが、一口食べてみてなんだか良薬のように身体に染み渡り、パワーが湧いてくるようだった。

「美味しい、それになんだか体のだるさが抜けて頭がスッキリしてきます。これは……君の魔法ですか?」

「魔法じゃないです。ちゃんと栄養のあるご飯をちゃんと食べるのは元気に生きる上で大切なことですわよ」

 もともとそんなに食事を摂る方ではないが、少女が作ったというご飯は絶品で無我夢中でがっついてしまった。
 このようなちゃんとした食事はいつぶりだろうか?

 向かいでニッコリと微笑む少女はまるで…

「天使だ」

 アズはうっとりと彼女に見惚れていた。

 バァーンッ

 突然憩部屋の重たい扉が勢いよく開いて、男が登場した。

「兄ちゃん~!!却下ってなにこれ!ドユコト?」

 アズの弟・ユハが白い紙を手に不満げな顔でアズに向かう。
 そしてやっと少女にも気付いたようだ。

「お姫ちゃん?何してるの?」

「兄……え、ユハのお兄様?」

「なんだ?」

 三人は固まる。

 *

「予算申請書?」

 ユハは憩部屋のソファーに座り紙と睨めっこしていた。

「そう、食堂経営のために粗予算出してみたんだけどね~」

「使用人の食事に申請書に書いてあるような高級食材が使えるわけないだろう!それに今は国外から輸入する野菜や油の価格も高騰している、国内では霜害も酷いし、作物は育たないし」

 アズは難しい顔をした。

「野菜や果物ならクロウの畑があるし、クロウの畑では豊作よ?」

 騎士団で食べる野菜はクロウの畑で採れた物を使用していた。
 雪の降る今の時期も秋に収穫した大根や白菜を土の中に埋めて貯蔵しているので困らない。

「クロウが?魔法の影響でしょうか?」

 アズは考えた。

 この国は農作物に関する知識も発達していないようだ。
 魔人が使う魔法が主流で、魔力のない一般市民でも日常的に魔道具を使っているそうだ。今まで魔法に頼ってきたので、科学が他国に比べて未発達。科学者の数も少ない。
 その魔法も万能ではなく、魔法は生命には干渉できないそうだ。
 死んだ人間は生き返らないし、致命傷は治せない、人間に限らず動植物に関しても同じだ。
 農民はそもそも魔法も使えない、その上農業に関する知識も浅いので野菜がうまく育たず外国からの輸入に頼るしかなかった。
 その輸入も、関税が掛かるため高くつく。

「確かに温度管理とか作業は魔法使っているようだけど…クロウの畑は輪作よ。同じ土地で同じ野菜を育ててると病気にかかりやすくなったり土が痩せてうまく育たなくなるんです。連作障害というものですわね。
 だから畑を四つの区画に分けてローテーションで違う種類の野菜を植えるんです。これが輪作ですわ。魔法ではありません」

 前世でクロウが教えてくれたものだ。

「秋に採れた野菜を雪の中で保存しているから冬の間も美味しい野菜が食べられますわ」

「ほう。土いじりが好きな幻狼だとは聞いていましたが……」

 昔 城中に穴掘ったり野菜を植えたり庭師の植えた花を手折って怒られていたので、見兼ねたグレース皇子が王有林の一部の土地をクロウにプレゼントしたようだ。
 そこで採れた野菜は騎士団や侍女にあげたり、城下町に降りて民にお裾分けしている。

「お肉ももっと等級を下げてもいいと思うわ。安いお肉でも玉ねぎで漬け込んで柔らかくするシャリアピンステーキとか、調理次第で美味しくなりますし」

「お姫ちゃん、さすが~!英知の姫」

 アズは書類を受け取ると再試算した数値を見て頷いた。

「まあ、良いでしょう。最終的には宰相の許可が入りますが、受理いたしました」

「よろしくお願いします!」

 シャルロットが笑うとアズはまた顔を赤らめた。
 暑いのかしら?シャルロットは首を傾げる。

「しかし未来の王妃様が使用人の食堂など……他の者でも雇いましょうか?」

「とんでもないわ、ただの趣味です。好きでやっていることよ。他の貴族の方もヴァイオリンを弾いたり、演劇を観たりするでしょう?私にとってはそれが料理なだけよ。趣味と実益を兼ねているからお城にとっても利はあるじゃない?」

「副業みたいなもんだよねえ!」

 ユハが隣で笑ってる。

「ユハ、お前も、なんだって食堂なんか……。今、お父様に素直に謝れば許してもらえるぞ?あれでもお前を心配して…」

「なんかじゃないよ~!衣食住は生きていく上での基礎!兄ちゃんみたいに食事を疎かにして不摂生だと仕事する上でも作業効率落ちちゃうよ!俺は料理で、この城で働く人をサポートすんの!立派な仕事だよ」

「まあそうだが……、裏方の使用人や騎士団や兵士たちはちゃんと食事の時間がきっちり決まっているから良いが、そもそも私みたいな官僚や王族に付きっきりの侍女や執事たちは食事の時間も不規則だし食堂に通う暇もないぞ?」

「あっそうか……」

 新たに浮上した問題点。
 シャルロットは暫し考えたが何も思いつかなかった。

「そこは追い追い考えるね」

 ユハはまた笑う。

「でも、姫の料理は本当に素晴らしかった。生き返るようでしたよ。こんな料理がまた食べられるのであれば、私も微力ながら力を貸しますよ」

 アズが微笑み、シャルロットの目を真っ直ぐに見る。

「ありがとうございます!とても心強いですわ」

 新たな協力者を得て、シャルロットとユハの食堂経営も順調に進みそうだ。
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