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最終章 黒の主、聖戦の地に立つ
311:先走り蛙野郎、舞台から消える
しおりを挟む■リリーダル 蛙人族 男
■88歳 カオテッド南西区区長 獣帝国男爵位
カオテッドは本当に素晴らしい街だ。
私がこの街へとやって来てからまだ半年も経っていないがそう思える。
前任者は【鴉爪団】とかいう闇組織と繋がっていたらしく捕らえられ、その代わりとして私が抜擢された。
口さがない連中からはカオテッドが国の端だと言う事もあり、辺境への左遷だと言われたりもした。
しかし実際に来てみれば、帝都のような規模と活気があり、他国の文化を吸収しつつ革新的な変化を続けている。
衛兵団は前任者からの引継ぎだったが、それも悪事を働いた者が捕らえられた事で一新。
非常にまじめで民に沿った毅然とした態度で任務に当たっている。素晴らしいの一言。
確かにこの街、この南西区を管理するのは他の街よりも困難だろう。
他国との共存。外交的な仕事が非常に多い。
しかし、それでも尚、この街を好きになるのに時間は掛からなかった。惚れたのだ、カオテッドに。
そんなカオテッドを侵略すべく動く国があった。我らがボロウリッツ獣帝国である。
愕然としたし悲しくもなった。その事実を信じたくないという思いもあった。
ドドメキウス皇帝陛下はまず、カオテッドの最高戦力であり【天庸】襲撃事件で英雄となったSランククラン【黒屋敷】の暗殺を目論んだ。
そしてそれが失敗したと分かったのか、帝都から軍勢を率いて、カオテッドに向けての進軍を始めたのだ。
こんな事、過ち以外の何物でもない。
確かにカオテッド大迷宮からは他の迷宮に類を見ないほどの資源が採れるし、十年で繁栄した街としての下地もある。
しかしそれは四か国と迷宮組合が合同で統治しているからこそ出来た繁栄と成果であって、それを今から奪うなどあってはならない。
私は何とかして獣帝国軍を止めたかった。
スペッキオ本部長からは本国への報告もせず、戦争となっても不戦を貫くよう言われている。他三地区の区長からも同様だ。
獣帝国との戦争をするのに南西区に出しゃばられる訳にはいかないと。
これはすでに獣帝国内の諍いではなく獣帝国と他国との戦争なのだからと。
言わんとしている事は分かるのだが、だからといって私が何もしない訳にもいかないのだ。
私は獣帝国の一貴族であり、同時にカオテッドの南西区区長でもあるのだから。
双方を止められるのは私だけなのだから。
獣帝国軍は今日にも戦地へと辿り着く。すでにカオテッド側の布陣も終わっている。
各国の軍勢と迷宮組合員、そして最前線には最高戦力の二一人――【黒屋敷】がいる。
私は南西区に留まっているよう言われていたが、居ても立ってもいられず馬を駆り、前へと出た。
獣帝国軍はやはり立て看板を無視し、白い線に向けて歩みを進めようとしている。
看板はカオテッド側からの最終通告であり、その先は完全に死地となる。
多少なりともカオテッドの事情を調べ【黒屋敷】の噂を聞いているはずの獣帝国軍であれば歩みを止めるかもと願ったが、どうやらその希望は脆くも崩れたらしい。
それほどまでにカオテッドを欲しているのか、それともカオテッド側の情報を眉唾だと思っているのか。
いずれにせよ軍が止まる気配はない。
遠目にそれを見た私は大声を張り上げながら近づいた。
「止まれええええ!!! 止まってくれええええ!!!」
武装もなにもしていない一騎掛け。向こうからすれば私のそれは異様だったのだろう。軍は一時的に止まった。
なぜか前線に集結している貴族たちの中から、チューリヒ公爵の声が聞こえる。
「貴様……! リリーダルかッ!!!」
私はある程度の距離をとって馬から下りた。そしてチューリヒ公爵他、貴族たちと向き合う。
私の事を「裏切り者」や「臆病者」と蔑む声も聞こえる。
しかしそれを無視して私は大声で呼びかけた。
「なぜカオテッドに攻めこむのです! カオテッドは四か国と迷宮組合の共同統治と最初から決まっていた事! それを奪おうとするのはただの侵略ですぞ! 此度の戦に大儀など何もありません!」
「大義だと!? 貴様、皇帝陛下の命を何と心得る! それでも獣帝国貴族か!」
「獣帝国貴族だからこそお止めしておるのです! あの白線を越えれば迎撃が始まるというのは本当です! Sランククラン【黒屋敷】の噂はご存じでしょう! 無暗に兵の血を流させるわけには参りません!」
「貴様どこまで愚弄するか! 我ら獣帝国軍は精鋭ぞ! 基人族とメイドの集団に後れをとるとでも言いたいのか!」
チューリヒ公爵との舌戦は平行線を辿る。
向こうに引く気がないのは分かったが、こちらも戦わせるわけにはいかないのだ。
【黒屋敷】が本気で攻撃すれば何万の兵が居ようが無意味。そう思わせるには十分な実績をすでに持っている。
しかしチューリヒ公爵だけでなく他の貴族も便乗してこちらを口撃してくる。
どうしたものかと思っていた矢先、貴族たちの後方から二頭立ての戦車が前に出てきた。
鋼鉄の鎧を身に纏った巨漢、帝国騎士団長、″百戦百勝大将軍″ドゥドゥエフ公爵閣下だ。
「ブフフ、リリーダルよ! 其方の言など聞く価値はない! 此度の戦に参じないどころかこうして邪魔をしている時点で貴様は国賊よ! 我らが進む道を阻む不届き者! 死んで皇帝陛下に詫びると良いわ!」
聞く耳持たず……! そしてドゥドゥエフ公爵は側近の大将格に私を斬るよう命じた。
私は鎧も剣も持っていない。元より命を懸けて彼らを止めようと来たのだ。
口惜しい……! やはり私程度ではカオテッドを救う事など、兵の命を守る事など出来ないという事か……!
逃げはしない。引きもしない。
私はただあるがままを受け入れる。
剣を振りかぶる大将格の姿を睨みつけ、目を閉じない。
最期まで――最期の最期まで、私の意思は消させない。
思いをぶつけたまま死ぬのが私なりの抵抗だ。
「死ねええええい!」
――ガキンッ!!!
……しかしその剣は私に届かなかった。
寸前、私の目の前に現れた黒い細剣によって防がれたのだ。
私の背後からその細剣を出した人物が声を掛ける。
「リリーダルさん、危ないから出ちゃダメだって言われたでしょうに」
やはりその声はセイヤ殿だった。
カオテッド軍の布陣から隠れるように一人で抜け出したのに、いつ気付いたのか。
そしていつの間にここまで追いついたのか。風のように現れ、当然のように助けられたのだ。
「貴様ッ! いつぞやの基人族ッ!」
いきなり現れたセイヤ殿に面食らう貴族たちだったが、逸早く反応したのはチューリヒ公爵だった。
セイヤ殿と面識があるのか、食って掛かろうとする。
「チューリヒ公、それが例の基人族か? 何とか言うSランクの」
「そうですぞドゥドゥエフ団長! こやつが先の看板に書いてあった者です! 貴様ッ! 私の魔剣を返せッ!」
途端に騒ぎ出す獣帝国の貴族たち。
しかしセイヤ殿は我関せずといった様子で、防いだ剣をはじき返し、私を担いで距離をとった。
「自国民の命を守ろうとしたリリーダルさんをお前らは殺そうとした。おかげで吹っ切れたよ。やっとヤる気が出たわ」
「何だと貴様ッ! 基人族のくせにッ!」
「一応ルールだから白線までは下がってやる。そこを越えればそこはお前らの墓場だ。楽しみにしていろ」
それだけ言うと、セイヤ殿は私を担いだまま自陣へと走り始める。
後ろからワーワーと喚く獣帝国軍の声がどんどん遠ざかる。
担がれているだけだが、その速度に私は呼吸すら出来ない。
あっという間に距離を離したのだろう、自陣まで戻るとセイヤ殿は速度を緩め、私を下ろした。
「すまなかった、セイヤ殿……」
「もうやっちゃったもんはしょうがないですけど、リリーダルさんは戦っちゃダメですから、早くカオテッドに戻っていて下さい」
「結局、私には何も出来なかった……何が貴族だ。何が区長だ。争いを防ぐ事さえ出来ん」
セイヤ殿はすでに前方の獣帝国軍を見据えている。
私にはその真っ黒な背中しか見えなかった。
「何も出来ないって事はないでしょう。リリーダルさんは南西区の区長です。南西区の住民は今も不安で居ると思いますよ? そこに声を掛けられるのはリリーダルさんしか居ないんです。民の安寧を守るのは貴族の役目――違いますか?」
その言葉に衝撃を受けた。
私は結局のところ、自分勝手に突っ走っていただけだ。
民に血を流させない、戦争を起こさせない、そう自分に言い聞かせて我が儘に振るっていただけだ。
そして今、貴族の在り方を教えられた。平民の、基人族のセイヤ殿に。
そうだ。私は貴族なのだ。南西区の区長なのだ。
私にしか出来ない事をしなければならない。
「すまないッ! 武運を祈るッ!」
私は顔を上げ、カオテッドへ向けて走り始めた。
早く南西区に戻らねば! 民の元へと行かねば!
そして背後からはセイヤ殿の声が聞こえる。
「街は任せますよ! よおし! こっちは派手に行くぞ! 【黒屋敷】総員戦闘準備!!!」
『はいっ!!!』
――その声は何とも頼もしく感じた。
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