カフェにいるのは。

沖見昴

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帰らない兵士のエスプレッソ

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昼どきの〈カフェ・クローバー〉は、いつにも増してにぎやかだった。
窓を開ければ、外の風よりも先に笑い声が飛び込んでくる。
パンを焼く香ばしい匂いと、挽きたての豆の香りが店内をやわらかく包んでいた。

「リアムー! 今日のランチセットもうないの?」
「お、お待ちを。まだ焼きたてありますってば……!」

リアムはまるで小さな嵐の中心にいるように忙しく動いていた。
けれど、その表情はいつもと同じ――どこかのんびりして、穏やかで、客たちに妙な安心感を与える。

カウンターでは、ひときわ大きな笑い声が響いていた。
白髪を短く刈り込んだ老人――元・百年戦争の退役兵であるガルドが、
少年に身振り手振りで武勇伝を語っている。

「でな、あのとき敵陣のど真ん中に取り残されたわしは、
 こぶし一つでだな――」

「すごい! すごいよガルドさん!」
少年は目をきらきら輝かせていた。

リアムはその横でエスプレッソを落としながら、苦笑しつつ言った。

「ほどほどにしておいてくださいよ、ガルド。子どもに盛りすぎですって。」

すると老人は、ニヤッと笑って振り返った。

「なんじゃリアム、お主の戦場の話に比べりゃ、ワシのはまだまだかわいいもんじゃろ?」

「……いや、俺のなんて大したことじゃないですよ。」

その言葉に、カウンターの客たちの耳がぴくりと動いた。

「え? リアム、戦場って今なんて?」
「ちょ、あんた元兵士だったの!?」
「嘘でしょ……こんなのほほんとした店主が?」

リアムは少し肩をすくめた。

「元ですよ、元。ただのコーヒー屋です。」

「ただのって言い方よ……!」
「いや絶対ウソでしょこんな優しい顔して……!」

声の主が笑うたび、店内にまたひとつ笑いが広がる。
リアムは頭をかきながら、カウンターにエスプレッソを置いた。

「ほれ、頼まれてたダブルショット。ガルドさん、今日はいつもより濃いめですよ。」

「おお、すまんすまん。……しかしな。」

老人はカップを持ち上げ、しばらくエスプレッソの香りを楽しんだ。
そして、静かに言った。

「リアムのような兵士が、一番すごいのじゃよ。」

店内のざわめきが、ほんの一瞬だけすっと静まる。

「ワシらの時代は、戦って、生き残ることがすべてだった。
 だがの……本当に難しいのは、壊れたものを背負ったまま“日常”に戻ることじゃ。」

リアムは返す言葉が浮かばなかった。
微笑むことも、否定することもできなかった。
ただ、沈黙だけが彼の正直な答えだった。

老人は続ける。

「戦場で命を奪うより……戦場を出たあと、誰かの命を守り続けるほうが、
 ずっと、ずっと難しい。
 お主は、それをやっとる。」

カウンターにいた少年が目を丸くしてリアムを見つめた。

「リアムさん……すごい人なんだね!」

リアムは、少し照れたように笑った。

「すごいことなんてないよ。
 ただ、コーヒーを淹れてるだけさ。」

その言葉に、今度は客たちの笑いがどっと起きる。

「いや、そのコーヒーに救われてるのは確かだよ!」
「そうそう! この店来るとなんか元気出るもん!」
「毎日あんたの顔見ると安心するわ!」

リアムは苦笑しながら、再びカウンターの奥に戻った。
湯気がふわりと立ち、店内のざわめきと混ざってゆく。

老人ガルドは、エスプレッソをひとくち飲んでから、ぽつりと言った。

「……本当にすごいものは、戦場にはないんじゃ。
 生きようとする者のそばにある。」

その言葉が店内に落ちたとき、
なぜか誰もすぐには口を開かなかった。

客たちは笑っていた。
冗談も飛び交っていた。
だがその一瞬だけ、
皆が静かに、リアムの背中に目を向けていた。

――帰らない兵士たちの代わりに、
彼がこの場所で灯している小さな光に。

昼の喧騒が去ったあと、リアムはそっと老人のカップを片づけていた。
ガルドはすでに帰り、少年は母親に手を引かれて嬉しそうに去って行った。

「……俺はただの店主だよ。」

そうつぶやいたリアムの声は、とても静かだった。
しかし、その胸の奥には、ほんの少しだけ温かいものが灯っていた。

百年戦争を生きた兵士も、
遠い異世界の戦場を歩いた兵士も、
帰る場所が必要なのだ。

そして今、その場所をつくっているのは――他ならぬ彼自身だった。

リアムは笑って、エスプレッソマシンに手を伸ばした。

「さて……午後に備えて、豆を挽くか。」

窓の外に広がるアルドレアの街は、今日も柔らかな光に包まれている。

戦場を越えた者たちが、生き直すための場所。
帰らない兵士のために淹れられる、一杯のエスプレッソ。

それは、誰にも気づかれないまま、
静かにこの街の日常を支えている。
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