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年越しパーティーの開幕
しおりを挟む連日この国を叩きつけるように襲っていた猛吹雪は、いつの間にか息を潜めていた。荒れ狂っていた風は影を潜め、ときおり雲の切れ間から覗く淡い空の色は、冬特有の脆さを帯びていて、触れれば崩れてしまいそうだ。
窓枠に映るその空と雪景色は、遠くて、冷たく、それでいて妙に心を引き寄せる。まるで、言葉にならない感情をすべて包み込んだまま、黙ってそこに在り続けているかのようだった。
今日は大晦日。年の終わりを告げるこの日、学園では年越しのパーティーが開かれる。
凍てつく白の世界に包まれながらも、学園は新しい年を迎える準備に追われ、静けさの中にどこか浮き立つ気配が漂っていた。
パーティー用の装束に袖を通しながら、俺は思わず重たい溜め息を漏らした。生地は高級品で、鏡に映る姿もいつもとは違ってそれなりに整っているはずなのに、胸の奥だけが沈んだままだ。
学園に戻ってきたというのに、ヒューゴの姿はどこにもない。廊下を歩いても、談笑する声の中に彼の気配はなく、視線を巡らせるたびに、いない現実を突きつけられる。
『勝手にしろ』
最後に冷たく言い放たれた彼の横顔が、不意に脳裏に浮かび、心臓の奥がひんやりと冷えた。あの言葉の温度が、今もまだ胸に残っている。
どこかで、本当は彼もすぐに俺を追いかけて学園へ戻ってくるのだと、疑いもせず思い込んでいたのだ。そんな甘えに、今さらになって気付く。
けれど、彼の制止する声を振り切り、フィリオン様の手を取ったのは俺自身だ。
選んだのは俺で、その結果に傷ついているからといって、落ち込む資格などない。
「準備は出来たかい、ロラン?…うん、やはり君専用に仕立てて良かった。とても似合っているよ。あまりに似合っていて…今日はこのまま、この部屋に君を隠しておきたいくらいだ」
「…こんなにも仕立ての良い服を用意して頂き、ありがとうございます」
俺の背後に、そっとフィリオン様が立つ。鏡越しに視線が合い、反射した像の中で、彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。そのまま、何事もなかったかのように賛辞の言葉を送ってくる。
俺は短く礼を述べ、曖昧な笑みを鏡に返した。言葉も表情も、どこか借り物めいていて、自分のものではない気がする。
――彼との関係は、変わった。少なくとも、俺の中では決定的に。
それでも、彼にとっては違うのだろう。あの目覚めの会話も、この距離も、すべては連続した日常の一部に過ぎない。そう思うと、鏡の中のふたりの距離が、ひどく歪んで見えた。
「本当に…可愛いよ、ロラン。年越しを終えたら、また寝る前に触れあおうね」
そんなことを簡単に言えてしまう彼にとって、大きく変化した事柄はすでに当たり前の一部になったのだ。
学園から帰ってきて一眠りしたあと、目覚めてからの彼との会話で、彼はなんの躊躇いもなく、なんの躊躇もせず、俺に触れた。
俺はその手を拒むべきなのか、受け入れるべきなのか考える間もなく、彼の手は俺の深部へと潜り込む。男の象徴を擦り合わせ、欲を発散させるだけの空虚な行為。
一時は、俺が彼をどう思っていようが、拒むべきだと強い意思を持った。しかしそれもすぐに、兄たちとフィリオン様が談笑していた光景が脳裏に過り、あっという間にその意思は砕け散る。
彼の機嫌を損なうようなことをして、家令を外されたらと思うと――喜んでくれた兄たちの顔が、黒く塗り潰されていきそうな気がして怖かった。
俺は好きな人に、好きになった人に触れられて喜ぶどころか、虚しさしか感じなかった。
もう、今の俺は本当に彼のことを好きなのかすらも分からない。もしかしたら、この恋を捨てるとヒューゴと共に決めた日から捨て始められていたのかもしれないと思うほど、嬉しさも切なさも感じなかった。
彼に触れられて嬉しいのか、嫌なのか。彼のことを好きなのか、そうでないのか。
そんな簡単だと思っていた答えすら、靄に覆われて何も分からない。答えが見つからない。
俺が好きになった彼と、今の彼の印象が大きく違うせいだろうか。だとしたら、俺は彼の虚像に恋をしていたというのか。俺は一体、彼のなにを見ていたのか。
問いは尽きなかった。彼のことも、自分自身の気持ちですら、何ひとつはっきりと掴めない。このまま流され続けていいのか、それとも立ち止まるべきなのか――正常な判断が、どうしても出来ずにいる。
思考は白く、重い。まるで降り積もる雪に覆われて、音も輪郭も奪われてしまったかのようだった。
冷たさに感覚が鈍り、答えを探そうとする意志さえ、次第に曖昧になっていく。
この静かな白の中で、俺はただ立ち尽くし、自分がどこへ向かおうとしているのかも分からないまま、無情にも時は止まらず、年越しパーティーの時間が着々と近付いてきていた。
***
パーティーが催される学園の聖堂は、中央棟の最上階に位置している。長い階段を上りきり、その隣に設けられた控え室へフィリオン様と共に向かう。
そこで待ち合わせていたエヴァドネ様と顔を合わせた瞬間、彼女はぱっと表情を明るくし、嬉しそうな声を上げた。
「やっと来たわね。ロラン、すっごく可愛いわ!ラルーにもお気に入りのお洋服を着せてたのだけれど、それにそっくり!あなたが実家に帰ったと聞いたときはこの姿を見れないのかと残念極まりなかったけれど、無事に見れて嬉しいわ」
「エヴァドネ嬢、ロランは私の側に常に置いておきますから、あなたはダンスタイム以外はお好きなように過ごされて下さい」
「あら、なに言ってるの?私もロランにパーティーのご馳走を食べさせたいもの、そばを離れないわよ。それに距離があったら牽制の意味がないじゃない。害虫は一匹とは限らないのよ。後から後から湧いて出てくるの。油断は禁物だわ」
「それもそうですが。私はロランと共に過ごす初めてのパーティーなので、家令としての作法や動きを教えながら会場を回りますので」
「…ほんと、あなたって知れば知るほど底知れぬ重い男ね。いいわ、学年を問わず他の令嬢や子息と交流を深める機会だし、私は私のやるべきことをするわ」
「さすがはエヴァドネ嬢。頼りになります」
ふたりの会話は小気味よく弾み、その端々から相性の良さが自然と滲み出ていた。
学園に戻ってきた翌日、彼女が半ば押しかけるように部屋を訪れ、離れていた間の出来事を語り合ったのも、ほんの少し前のことだ。
俺と一緒にパーティーへ出たかったらしい彼女は、俺の帰還を大げさなほど喜び、誰よりもこの大晦日を心待ちにしていた。
だが、ここまで好かれるようなことを、俺は何ひとつした覚えがない。そう自覚しているからこそ、ふとした拍子に思ってしまう。
――彼女の可愛がっていた愛玩動物と、俺はよほど似ているのだろう、と。
その考えは自嘲めいていて、しかし不思議と否定しきれないまま、軽やかな会話の裏側で静かに居座っていた。
「そろそろ時間です。もう会場には他の生徒たちで賑わっているようですよ。入りが肝心ですから、エヴァドネ嬢の堂々とした立ち振舞いを期待しています」
「任せてちょうだい。私があなたの婚約者候補だと、会場にいる全員に知らしめてやるわ」
「ロランは私たちの一歩後ろに控えていてね。絶対に離れないように着いてくるんだよ」
「かしこまりました」
美しい装束に身を包んだ彼の腕に、彼女の手がそっと添えられる。並び立つふたりの姿は、まるで丹念に描かれた一枚の絵画のようで、その完成度の高さに思わず目を細めた。
少し前の俺なら、この光景は直視できなかったはずだ。見た瞬間、嫉妬に心を掻き乱され、理性を失い、自分が壊れてしまう――そんな予感ばかりが先に立っていた。だから、見たくなかった。
けれど今は違う。胸の奥がかすかにざわめきはするものの、感情は不思議なほど穏やかで、荒波を立てることはなかった。その静けさが、逆に少しだけ怖い。
控え室から、隣の聖堂へと続く扉が開かれる。光と音が溢れ出し、祝祭の気配が一気に流れ込んできた。
俺はその少し後ろを歩き出す。個人としての感情を胸の奥にしまい込み、表に出すのは――家令としての顔だけ。自分の役割をなぞるようにして、俺は聖堂へと足を踏み入れた。
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