【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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初恋は捨てず、思い出に

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 パーティー会場に並ぶビュッフェ形式の料理を味わっているうちに、時間は驚くほど早く過ぎていった。皿を置く間もなく、やがて今宵の目玉であるダンスタイムが始まる合図が響く。
 会場に、優雅な旋律が流れ始めた。生徒たちは自然とそれぞれのパートナーのもとへ歩み寄り、肩を寄せ合う。
 踊らない者たちは壁沿いへと下がり、ざわめきとともに、会場の中央にはぽっかりと大きな空白が生まれた。まるで床そのものが、舞台として息を潜めているかのようだ。

 そして、音楽が正式な曲へと切り替わる。合図を待っていたかのように、空いた空間へ男女のペアがいくつも進み出て、一斉に整列した。背筋を伸ばし、手を取り合い、それぞれがダンスの体勢を取る。
 光と音に満たされた聖堂は、完全に舞踏の場へと姿を変えていた。

 くるくると回るたび、ドレスの裾が花びらのようにふわりと開く。音楽と衣装、そして会場を満たす煌びやかさ。それらは毎年目にしているはずなのに、不思議とそのたびに新鮮な感動を呼び起こす。
 例年なら、一曲が終わるごとに踊り手が入れ替わり、何度か同じ流れを繰り返す。そして最後は、形式を解いて皆が思い思いに踊る――それが、決まった締めくくりだったはずだ。

 しかし今年のフィナーレは、明らかに異なっていた。
 曲調が変わった瞬間、空気が張り詰める。踊り終えたペアたちが、示し合わせたかのように一斉に下がり、中央の空間が大きく開いた。
 その中心へ、一組の男女が進み出る。照明も視線も、すべてが彼らに集まり、会場は一瞬にして彼らのための舞台となった。
 そこはもはや共有の場ではなく、ふたりだけの独壇場。誰もが息を潜め、その行方を見守っていた。

 聖堂の中心で手を組んで踊るフィリオン様とエヴォドネ様の姿は、世界がその一点に収束したかのような美しさだった。
 月光を凝縮したような、雪明かりそのものを纏ったような、朝焼けを閉じ込めたかのような、星が降りてきたかのような輝き。それは、生きた芸術だった。

 誰も入り込める余地などない。ふたりにしてひとつ。ぴったりと合わさったふたりの姿を見て、俺はフィリオン様に恋をしていた自分が思い出になっていくような感覚を覚えた。
 ゆっくりと、綺麗に、彼への思いが仕舞われていく。蓋をされていく。

 ―――あぁ、そうか。なんだ、こんなに簡単なことだったのか。

 ずっと、恋を捨てようとしていた。あまりに苦しくて、身分不相応な恋を、早く捨てなければと思っていた。
 でも、捨てようとすればするほど、捨てることが出来ない歯痒さと苦痛に苛まれ、自分という人間がどんどん醜くなっていくことに恐怖を覚えた。
 そしてまた恋心を捨てようとして出来ないと突き付けられることの繰り返し。

 しかし、そもそもが、間違っていた。
 恋心を捨てようなんて、無駄な考えだった。

 恋心を捨てるのではなく―――恋心を、思い出にすれば良かったのだ。

 大切な思い出として、自分の中の、誰も触れることの出来ない底へと、仕舞えば良かったのだ。
 無理やり手放そうとせず、無理やり捨てようとせず、その想いを抱えたまま、大切な箱へと仕舞いこんで蓋をする。そしてそれはもう、二度と開かない。

 優雅に踊るふたりの姿を、目に焼き付けるように俺は見つめた。目が焼ききれそうなほど熱く、視界がじわりと滲んでぼやけていく。

 ――ツーっと、涙が一筋、流れた。

 それは、3年間という決して短くはない時間を共にした恋心への、静かな惜別の涙だった。
 振り返れば、苦しみのほうが圧倒的に多かった。期待して、すがって、傷ついて――それでも手放せなかった、初めての恋。その終わりを認めるための、別れの涙だった。

 涙が頬を伝い落ちるのと同時に、その恋心は胸の奥底へとそっと仕舞われていく。消えてしまうわけではない。否定することもしない。ただ形を変え、思い出になるのだ。

 多くの優しさをもらったこと。
 その優しさに、確かに恋をしたこと。
 彼の思惑も目的も何も知らない、あの日の俺自身ごと。

 それらすべてを抱えたまま、静かに蓋を閉じる。
 涙は止まらなかったが、不思議と心は、少しだけ軽くなっていた。

 そしてまた、別の寂寥が顔を出す。
 今日というこの時間、本来ならば、ヒューゴと共に踊るかもしれない未来があったこと。そしてそれは、幻となってしまったこと。
 彼の、作るあたたかい料理。彼の見せる、片方の口角だけをあげた笑み。彼と共に、笑い合った実家での時間。

 最後に聞いた、彼の冷たい声。

 予感が、していた。
 初恋を思い出に変えた途端、別の恋の芽が、芽生えそうなことを。それは、初恋よりも、ずっとずっと苦しい気配を漂わせているというのに。

 恋というものに、深い嫌悪と憎悪を向ける男たち。初恋の彼も、恋未満の彼も、恋などという哀れな感情に支配されたくないのだろう。恋をしない人生を、好むのだろう。
 そんな男たちばかりに、惹かれてしまう俺は、なんて愚かなのだろうか。

 ―――苦しい。あぁ、苦しい。

 初恋が終わった音が、蓋が閉まった音が、聞こえたからか。
 それとも、また苦しいだけの恋をしようとしている自分に、気付いてしまったからか。
 俺は、恋をしない人生を歩もうとする男に、恋をしてしまう運命にあるのだろうか。

 もう、苦しい恋なんて、したくない。恋がすべて苦しいものならば、俺はもう、恋なんてしたくない。もう、好きという気持ちに気付きたくない。

 だから―――芽生えた恋の芽は、土の中に、埋めてしまおう。

「…ロラン?」

 気付けば、ダンスタイムはいつの間にか終わっていた。音楽も拍手も遠のき、現実だけが静かに戻ってくる。

 初恋を、たった今思い出へと仕舞ったばかりの俺の前に、思い出の中と同じ顔をした彼が現れる。
 俺の名を呼び、心配そうに、そしてどこか怪訝そうな表情を浮かべながら、慌てて近づいてくる。
 その少し後ろから、婚約者である彼女も同じように歩いてくる。並び立つ姿はやはり自然で、隙がなく、よく似合っていた。

 その光景を目にした瞬間、胸の奥で何かがほどける。するりと、驚くほど自然に、言葉が溢れ出た。

「ご婚約、おめでとうございます。おふたりの未来が、明るいものでありますように」

 祝福の言葉だった。無理に捻り出したものではない。かつての恋心を思い出にした今だからこそ、確かな重みをもって口に出来た言葉だった。
 涙を流しながら笑顔でそう述べた俺を、フィリオン様が驚いた表情を浮かべて凝視する。俺の頬に手を伸ばそうとしていた指が空中でピタリと止まり、その指を後ろから伸びてきた細い指が追い越した。

「あら、私たちのダンスに感動してしまったのね。あなたの涙は純粋で美しくてもっと見ていたいけれど…ここは社交場よ。男が涙を流していたら何を噂されるか分かったものじゃないわ。さ、これで拭きなさい」
「…ありがとう、ございます」

 彼女から差し出されたハンカチを受け取る。指先に触れた布は柔らかく、上質な感触がその人柄をそのまま映しているようだった。
 俺はそっとその布で涙を拭い、「洗ってお返しします」と短く告げる。すると彼女は、強さと優しさを同時に宿した微笑みをこちらに向けてくれた。
 慰めでも憐れみでもなく、向けられた静かな気遣いの笑みに、胸の奥がわずかに温かくなる。

 エヴァドネ様が、フィリオン様の婚約者で良かったと心から思った。彼女のためにも、彼のためにも――たとえお飾りの家令だとしても、俺の役割をしっかり務めようと決心する。
 初めて、恋心関係なく、フィリオン様の家令として頑張りたいと純粋にそう思えた。
 俺はもう一度、深く息を吸い込み、涙の残りを拭い去った。

 フィリオン様だけが、どこか呆然と、心ここに在らずの顔で俺を真っ直ぐ見つめていた。
 そのミルクチョコレート色の瞳が、どろり。溶けて目から溢れ落ちたような幻覚が、一瞬、見えた。

「さぁ、みなさん!新年まで残り1分となりました!カウントダウンを始めたいと思います!」

 ダンスタイムの熱をまだ床に残したまま、進行係の明るい声が聖堂に響いた。ざわめきは次第に一つの方向へ収束し、誰もが壁際の大時計へと視線を向ける。金属の針が、重なり合うその瞬間を待っている。
 俺は、どこか様子のおかしい彼の一歩後ろに、影のように控えて立っていた。肩越しに見える背中はいつもより遠く感じられ、その距離が、もう埋められないものだと悟らせる。

「30!29!28……」

 この1年――そう思いかけて、すぐに考えを改めた。正確には、このあまりにも濃密すぎた1ヶ月の記憶が、胸の奥で次々と浮かび上がってくる。
 笑ったこと、衝撃を受けたこと、明かされたこと、期待して、そして静かに傷ついたこと。そのすべてが、今では淡く滲んだ光景になっていた。

「10!9!8!7……」

 初恋を終える日として、これ以上ふさわしい瞬間があるだろうか。過去が締めくくられ、未来がまだ白紙のまま開かれる、この境目の夜。
 鐘が鳴り、新しい年が始まると同時に、俺もまた、新しい気持ちで歩き出せる。

「3!2!1!」

 時計の針が、重なる。
 その音を合図に、俺は、確かに変わった。


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