【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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新年のお願い

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「明けましておめでとう!!」

 新年を迎えた鐘の音を合図に、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。祝福の熱が一気に解き放たれ、あちこちでグラスの触れ合う澄んだ音や、気ままな口笛が鳴り響く。
 天から降るように舞い落ちるフラワーシャワーが光を受け、聖堂の空気を華やかに染め上げていった。
 誰もが笑顔で新年の訪れを寿ぎ、それぞれの胸に"今年はどんな1年になるのだろう"という期待を抱いている。その高揚の輪の中で、俺は一歩引いた場所に立ち、静かに息を整えた。

 今日からは、彼のお飾りの家令として生きるのだ。感情を飾り棚の奥へと仕舞い込み、与えられた役目を滞りなく果たすことに心を注ぐ。
 視線の先には、寄り添うように並ぶふたりの後ろ姿がある。あまりにもお似合いで、祝福の光に守られているかのようだった。俺はその背を乱さぬよう、ただ静かに見守る。

『勝手にしろ』

 こんな時に思い出すのは、夕焼け色の彼の冷たい声と横顔。とうとう今年中に学園に帰ってこなかったヒューゴのことを考えてしまい、心に暗い影を落とす。
 フィリオン様への恋心を思い出にしたばかりで、彼とどうこうなんて考えていない。ただ、友人くらいにはなれていると思っていた彼と、喧嘩別れのような形で年末を終えてしまったことがただただ悲しかった。
 せめて去年の内に、蟠りは綺麗にしておきたかったという俺の我が儘。ヒューゴは俺と同じ考えではなかった、ただそれだけのこと。

「ロラン、部屋に帰ろう。もう私たちの目的は達成したからね」
「…はい。お疲れ様でございました」

 振り返ったフィリオン様に至近距離でそう言われ、迷わずに頷く。そろそろ眠気や疲労で体が限界を訴え始めていたからありがたい。

「エヴァドネ嬢はどうされますか?お部屋まで戻られるなら念のためお送り致しますよ」
「いえ、私はもう少しパーティーの雰囲気を楽しんでから帰るのでお気になさらず。フィリオン様、どうやらロランは少し感傷に浸っているようですから、早く休ませてあげてほしいわ」
「そ、そんなことはございません…!」
「無理しないのよ。好奇の目に晒されて窮屈な思いをしながらパーティーで家令としての最低限の動きをしたんだもの。疲れて当然だわ。ゆっくり休みなさいね」
「はい。ありがとうございます。エヴァドネ様もゆっくり休まれてください」
「ありがとう」

 そうしてエヴァドネ様と別れ、俺とフィリオン様はまだざわめきと興奮に包まれた聖堂を一足先に出る。控え室に置いていた外套を羽織り、寮への帰り道を歩き始めた。

 雪は降っていない。それでも、新年を迎えたばかりの夜気は、肌をつんと刺すような鋭さを帯びている。足元の石畳から伝わる冷気が、じわじわと体の奥へ染み込んできていた。
 俺は反射的に外套の襟を引き上げ、顔を埋める。冷たい空気に晒される肌を、少しでも減らそうとする、ささやかな抵抗だった。

 月明かりが淡く地面を照らし、ふたり分の影を長く引き延ばした。その影は、距離を保ったまま、並んで進む俺たちを正直に写し取り、どこまでも追いすがってくる。
 言葉は交わされない。沈黙だけが、夜と同じ重さで肩にのしかかり、足音とともに静かに連なっていく。新年の始まりにしては、あまりに静かな道行きだったが、その静けさこそが、今の俺たちにはふさわしいように思えた。
 先に沈黙を破ったのは、フィリオン様だった。

「…どうしてあのとき、泣いていたんだい?」

 乾いた夜気を震わせるように、小さく息を吸う音がする。立ち止まることもなく、けれど歩調をわずかに緩めたまま、彼は前を向いて言葉を落とした。
 その声は低く、月明かりと同じくらい淡く、感情の輪郭を慎重になぞるようだった。

 俺はすぐに返事をしなかった。しなかったのではない。なんて答えたらいいのか、分からなかった。
 ただ、その横顔に意識を向ける。沈黙に慣れ切った空気の中で、彼の一言は思いのほか重く、胸の奥へと静かに沈んでいく。
 それでも、夜は変わらず冷たく、影は並んだまま足元に続いている。俺はなんて答えるべきか逡巡したのち、外套から口許を少し出して白い息を吐いた。

「あまりにも……フィリオン様とエヴァドネ様の踊られる姿が美しかったから、自然と溢れ落ちた涙でした。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
「…そう。どうしてだろうね。涙を流したロランを見たとき私は……君が、どこか遠くへ行ってしまうと思ったんだ。私の手の届かない、どこか遠くへ」
「フィリオン様の家令になる俺が、ですか?」
「ふふ、おかしいよね。そんなことあるわけないのに。君はこれからもずっと、私のそばにいるのに。侯爵令息も排除できて君を元の部屋に戻す必要もなくなったから、これからはずっと同じ部屋で過ごせるしね」

 まるで彼は、自分自身に言い聞かせるかのように言葉を紡いでいた。穏やかで、いつもと変わらぬ柔和な声色。それなのに、その調子の奥底には、かすかな揺らぎが潜んでいるように思えてならない。
 耳に届く音は静かで整っているのに、胸に落ちてくる感触だけが落ち着かない。焦り――そう名づけてしまえば簡単だが、確信するにはあまりに微細で、しかし見過ごすには確かすぎる違和感だった。

 気のせいだろうか。そう自分に問いかけながらも、俺は彼の横顔から目を離せずにいる。
 その言葉が本当に俺に向けられたものなのか、それとも彼自身を縛りつけるための呪文なのか。判別できないまま、夜の静けさだけがいっそう深まっていく。

 俺はまたすぐに返事を返せず、しばらく無言で考え込む。初恋を思い出にしたのなら、ひとつ、彼に止めてもらわなければいけないことがあった。

「フィリオン様、もし今後も俺をあなたの家令として手元に置いておきたいと思って下さるのならば…ひとつ、お願いがあります」
「…?なんだい?君の願いなら家令を辞退すること以外は何でも聞くよ」
「私に触れることで性欲を発散させる行為は、お止めになってほしいのです」
「……」

 俺はもう、彼への恋心を思い出へと変えたのだから、もしかしたら彼に触れられても何も感じずに淡々と事を進められるかもしれない。
 竿を擦り合い、欲を吐き出し、共に同じベッドで眠るようになってからまだ3日ほどだが、どう考えても主と家令の関係にしては不純だ。
 男としてそういう欲求を定期的に発散しなければいけないことも、その必要性も分かってはいるが、やはりエヴァドネ様ともうすぐ正式に婚約するのだから、肌の触れ合いは気が引ける。

「もうすぐ伯爵家に、エヴァドネ様のご実家から正式に婚約の申し込みが控えていらっしゃるのでしょう?たとえ従者などをそういう"道具"として扱う貴族が一定数いるのだとしても、フィリオン様にはそんな貴族になって頂きたくないのです。エヴァドネ様を正妻にされるのですから、彼女と触れ合うべきです」
「…私に、彼女と恋をしろとでも言うのかい?好きでもない女に、触れろとでも?」
「恋に嫌悪感を持たれていることは十分承知していますので、無理に彼女を好きになる必要はありません。恋というのは自然と落ちているもので、無理やり好きになるものではありませんから」
「まるで君は恋をしたことがあるような口ぶりだね」
「…ありますよ。でももう…その恋は、思い出にしました」
「っ…」

 隣で、彼が息をのむ気配がした。ほんの一瞬、夜気が揺れたような感覚とともに、これまで保たれていた穏やかな雰囲気が、微かな動揺へと姿を変える。その変化は声にならず、けれど確かに伝わってきた。
 驚いている――そう感じたのは、彼の沈黙が先ほどまでとは質を違えていたからだ。張りつめた糸が、ふと強く引かれたような、そんな気配。

 恋というものに、汚れた印象を抱いている彼。触れれば濁るとでも思っているかのように、距離を保ってきたはずの感情。
 恋なんて愚か者のすることだと考えている彼。その中に、俺もまた含まれていたのだと知って、戸惑っているのかもしれない。
 俺が、醜く汚い感情を抱いていたこと。その事実が、彼の中で予想外の棘となり、静かな夜の底で、音もなく刺さっているような気がした。

「俺も…自殺してしまった男爵令嬢の気持ちが、少しだけ分かります。死にたくなるほど苦しい恋を彼女はしたんです。俺はそこまでではなかったかもしれないけれど、ずっと苦しかったのは事実でした」
「…誰が君にそんな想いをさせたのかな。相手の名前は言えるかい?」
「申し訳ありませんがそれは言えません。それにもう…終わったことなので」
「……」
「でも恋をしながら…その人に頬や頭に触れられるのがとても嬉しかったんです。だから…そういう行為も、恋や愛の延長戦にあるべきだと俺は考えます。
 フィリオン様は恋愛感情に嫌悪感を向けるほどの経験をされたのですから、俺の価値観は理解出来ないかもしれませんが……もし、いつか誰かと初めて体を繋げるのなら…俺が愛して、俺を愛してくれる人とがいいんです」

 ――そんな未来は、きっと、一生来ないだろうけれど。今は彼に触れるのをやめてもらうための説得力のある言い訳が出来れば良い。その一心で言葉を紡ぐ。

「だから……俺の願いを、叶えて頂けませんか」

 家令として主人の願いを叶えるのが当たり前なのに、それを反故にするどころか自分の願いを叶えてもらおうとしている俺は、きっと本当に家令としてつくづく向いていないのだろう。
 それでも彼が、エヴァドネ嬢のために俺を必要とする間は、良好な関係を築きたい。俺のためにも、彼のためにも。

「俺で性欲を発散させるのは、もう終わりにして下さい」

 寮の玄関前で足を止め、真っ直ぐに彼を見上げてそう言った。そのとき。

「―――おい、どういうことだ?」

 聞こえるはずのない声が、確かに耳元で響いた。その瞬間、俺は石のように固まる。吐いた息が夜に溶けるのと同時に、思考までもが真っ白に凍りついた。
 見上げた先のフィリオン様は、目を細めている。けれどその視線は俺に向けられていなかった。俺の背中を通り越し、さらにその向こう――何か許し難いものを見据えるように、鋭く睨みつけている。

 嫌な予感が、遅れて背筋をなぞった。
 俺は寒さで悴んだ体を無理に動かし、きしむ関節を引きずるようにして、ゆっくりと振り返る。

 そこに立っていたのは、夕焼け色の男だった。

 だが、その表情に浮かんでいるのは隠しようのない軽蔑と、押し殺された怒り。冷たい夜気よりも鋭く、容赦なく、俺の存在を切り裂く視線だった。

 逃げ場のない現実が、月明かりの下で、はっきりと形を成した。


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