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過去の事件に多すぎる不可解
しおりを挟む静かな客間の空気が、じわりと重さを増していく。その中で俺は、次に投げかけられる言葉に身構えながら、背筋を強く伸ばした。
「ヒューゴに毒が盛られたとき、真っ先に疑いがかかったのは彼の義姉…私の実の一人娘だった。恋愛感情に惑わされ、人の道を踏み外した娘を私はひどく叱り、怒鳴り付け、勘当を言い渡した。人々の命を救う医師を輩出してきた我が家にとって、彼女の行為は最大の汚点だからだ」
険しい表情でそう語る男爵は、当時のことを思い起こしているのか、言葉の合間合間に息を吸うことすら苦しそうに見える。
『自作自演』
ふとフィリオン様の声が脳内で響く。嫌な予感に手に汗握る。そんなはずがない、彼の言葉は嘘だったのだと思いたい俺が、耳を塞ごうとする。しかし彼の口から言葉は止まなかった。
「だが最近になって……ヒューゴに毒を盛ったのは、娘ではない可能性が高いと判明した。少し前に急遽ヒューゴを実家に呼び寄せたのは、当時の状況をもう一度実演で説明させるためだったのだ」
その事実は、胸を殴りつけるような衝撃と、遅れて滲み出す安堵を同時にもたらした。やはりそうだったのだと、心のどこかで頷いている自分がいる。
ヒューゴが慕った義姉がそんなことをするはずがない。そうであってほしいと、ずっと願っていたからだ。
だが、安堵は長く続かない。彼女でないのなら、犯人は、他にいる。フィリオン様が言っていた"自作自演"という言葉が現実味を増してくる。
しかし、ヒューゴの自作自演ではないと俺は信じている。そもそも、ヒューゴの自作自演だったのなら、彼が他人の手料理を食べられなくなったことと矛盾する。
彼が自作自演を見破られないための演技だったと言われればそれまでだが、あの短気で衝動的な男が長年に渡り、そんな嘘を吐き続けられるとも思えなかった。
俺は、どうしてもフィリオン様の言葉を否定する材料がほしかった。事実確認を出来ないから諦めていたところに、それが可能な人物と対面出来ているのだ。この機会を逃すわけにはいかない。
「失礼を承知でお聞きしますが…ヒューゴの自作自演、を疑われてはいないですよね?」
「…フィリオン様から聞いたのか?」
「はい、出過ぎたことを申し訳ありません。俺はあり得ないと思っているので、調査が進んだのでしたらそれだけでも教えて頂けませんか」
「確かに私も最初はヒューゴの自作自演を疑った。何度調べ直しても、毒を盛れた大人が存在しないからだ。毒を盛れたのは娘かヒューゴの二択だった。当時は必然と娘一択になったわけだが…」
背筋を冷たいものが這い上がる。見えない影が、じわりと輪郭を持ち始める感覚。
真実に一歩近づいたはずなのに、その先に待っていたのは、より深く、暗い闇だった。
「娘は、ヒューゴに盛られた毒と同じものを接種して死んだ。だからヒューゴに毒を盛ったのも娘だったのだろうと結論付けられたが…どうも最近になって、おかしいことに気付いたのだ」
俺は無意識に拳を握りしめ、ごくりと唾を飲み込む。暖炉の乾燥も相まって、喉の乾きが凄かった。
「毒の種類は当初、トリカブトだと思われていた。刻まれて粉末になっていたものが娘の机の中で見つかり、不自然に使われた形跡があった。
この地方で毒と言えばトリカブトが主流で、花の状態ではなかったことからすぐにトリカブトだと思い込んでしまったんだ。
しかし最近になってとある毒の粉末を見かけ、それがあの日見た粉末とそっくりだった。聞けばその毒は……ベラドンナだと知った」
ベラドンナ。強い毒性を持ち、少量でも致死性がある恐ろしい植物。魔女の薬草とすら呼ばれ、人の生活圏から少し離れた場所や南部地方に生息している。
トリカブトの花とは誰がどう見ても間違いようのない、全くの別物だが、粉末状となれば先入観も相まって誤認してしまう可能性はあるかもしれない。
「ベラドンナを娘が手に入れられるわけがない。なぜなら娘は…ベラドンナ恐怖症だったのだから。正確にいうと、紫色の花を怖がる傾向にあった。
どんなに小さくても、突然大きくなって自分を飲み込もうとする夢を何度か見たことが原因だろう。
確かに南部地方でしかほとんど手に入らないベラドンナを、娘は手に入れる機会はあったかもしれない。よく炊き出しに南部地方の孤児院に行っていたからな。
だが、娘が毒を盛るにしても、絶対にベラドンナは使わない。使えないのだ」
知識としては知っているベラドンナ。猛毒で暗殺に持ってこいの花。
粉末状にするにしても、花や実を詰んで擂り潰さなければ粉末状にはならない。男爵の言葉が事実なら、義姉はベラドンナを入手出来たとしてもそれを使う理由が分からない。
なぜ手軽に手に入るトリカブトではなく、わざわざ恐怖心を抱くベラドンナを使おうと思ったのか。
義姉が本当に毒を自分で飲んだのなら、そもそも毒がベラドンナであることを、彼女は知っていたのか。
「そして毒がベラドンナだと分かった時点でヒューゴの自作自演もあり得ないと分かった。知識として当時11歳だったヒューゴもベラドンナは知っていただろう。
たが、自分に毒を盛るのにわざわざ入手困難なベラドンナではなく、トリカブトを使うほうが手っ取り早い。ベラドンナを使っている時点で、ヒューゴの自作自演の線は消えた」
信じていたとはいえ、ヒューゴの自作自演はないと男爵に明言され、ホッと胸を撫で下ろす。それと同時に、この事件は根が深いことを思い知る。
「毒を盛れたのは娘かヒューゴ、どちらかしかあり得ないのに、どちらかだとしても使った毒の種類が明らかに不可解なのだ」
男爵の言葉に、俺は思わず低く唸った。確かに不可解だ。どこか噛み合わない。
胸の奥に小さな棘が刺さったまま、抜け落ちない。何かがおかしい。何かが、決定的に引っ掛かっている。
「……関係のない君にこんなことまで話してしまい、すまないな。だが、ヒューゴは君をえらく気に入っているようだったから何か思い付くことがあるかもしれないと思ってしまい、つい口が弛んだ」
「いえ、むしろお聞きできて嬉しいです。俺もずっと、ヒューゴにお義姉さんが毒を盛ったとフィリオン様から聞かされてから違和感が拭えなかったんです。それが事実ではなかったと知れただけでも、本当に良かったです」
「よくよく考えれば娘はヒューゴをとても可愛いがっていたし、恋に狂ったからといって義弟を害そうとするはずがないと年々強く思うようになってな。
あの時の私は目先の事実に囚われ、真実を見抜く力がなかった。今の私に出来ることは、真実を明らかにして娘への贖罪を果たすことだけだ。
出来ればヒューゴが何も知らないうちに、真実を突き止めたいと思っている」
男爵の胸中は、痛いほどに伝わってきた。
娘に勘当を言い渡すことになった、あの事件の真相を明らかにしなければならない――そうでなければ、自らが吐いた言葉が、娘を死へと追いやった一因だったという事実を抱えきれないのだろう。
悔恨と贖罪が絡み合ったその想いが、重く、静かに空気に滲んでいた。
「今のところ、手段と機会があったのは娘とヒューゴだけだが…まだ見落としがあるかもしれん。私はそれを諦めずに探すつもりだ。
しかし、こうして今さらになって毒を盛った犯人を探していることが犯人に知られれば、またヒューゴの命を狙われる可能性もある」
「え……?」
「もしかしたら私たちの見落としは、ヒューゴの記憶が欠落しているからかもしれないのだ。なんせ、2週間も生死を彷徨ったのだから、倒れる直前の記憶が失われていてもおかしくない。
本当は誰か大人がやって来たのに忘れているだとか、犯人が顔見知りだったからショックで記憶に蓋がされたのだとか…いろいろ考えられる。
ヒューゴの身を再び危険に晒すわけにはいかない。この話は内密にここだけに留め、ヒューゴにも気付かれぬよう、頼めるだろうか」
「もちろんです。俺はご子息にたくさん助けて頂きました。俺で役に立てることがあれば出来る限りのことはします」
男爵の言葉に触れて初めて、俺は自分の致命的な盲点に気づかされた。
――そうか。ヒューゴは、毒を盛られる直前の記憶を失っている可能性がある。
そこにこそ真犯人へと繋がる手がかりが眠っているのに、男爵たちは周囲ばかりを必死に探っていたのだ。それでは、どれほど調べても何も浮かび上がらないはずだった。
もし、他に真犯人がいたとして。もし、ヒューゴの記憶が戻らないことに安堵していて。もし、再調査が始まったことを真犯人が知れば。
間違いなく、狙われるのは、ヒューゴだ。
思っていた以上に事態は膨らみ、手に負えないほど大きくなっている。その事実に、背筋をなぞるような緊張と恐怖を覚える。
だが、それ以上に恐ろしいのは――ヒューゴの身に何かが起こる可能性を想像することだった。
それだけは、どうしても受け入れられない。
だからこそ、俺に出来ることがあるなら、どんなことでもやる。胸の奥でそう強く決め、俺は静かに息を整えた。
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